第五章 新患

第14話

 二二時のがらんとした食堂は、無駄に明るいだけで人気が無く、妙に寂しい。そこで総白髪のちんまりした婆さんが一人飯を食っている光景は、自分の上司に対して使うべき言葉ではないと承知しているものの、実に不気味だ。

「浅葱。明日は弁当、作っておやりよ」

 窓際の定位置に座った族長が、口をもごもご動かしながら、俺にそう言って来た。

 昆布の佃煮を咀嚼しながらでも籠らずキレイに発音できるとは、流石『千年妖怪百枚舌ババア』と継重さんに呼ばせるだけのことはある。まあ百枚舌ってのは虚言上手って意味で、けして舌使いが上手いって意味じゃあないんだが。

 それにしても弁当って、アホ一朗の事だよな。俺の手作り弁当持ってくのなんて、あいつだけだし。

「なんすか、いきなり」

 淹れたての緑茶で満たされた湯飲み。それから、叩いた梅肉にかつお節をまぶしたものを入れた小鉢。それらを盆に乗せて厨房から出た俺は、先に出しておいた昆布の佃煮が盛られた鉢の横に、二つを順に並べた。

 飯の伴は、梅と佃煮の二種類あれば十分だろう。族長の左手にある茶碗には、飯がこんもり。小せえ割に、本当によく食う人だ。

 族長がさっそく、叩いた梅を箸の先ですくって、飯の上に乗せる。

「明日から暫く、弁当作ってる暇がなくなるだろうからね」

 言ってから、梅が乗った飯を口に入れた。直後、皺まみれの口がヒュっとしぼむ。

 去年の梅は少々酸っぱすぎたからな。マイルドになればと思って、だし汁を少し混ぜて叩いてみたんだが。ダメだったか。

 俺は族長の向かいの席に座ってから、訊ねた。

「本当に俺がメインでいいんすか? もっと適した奴がいるんじゃ」

 例えば愁一郎とか。

 と推挙してやろうかと思ったが、あのポケっとした女顔と、今朝の生意気なメモと、さっきの手合わせを思い出すと、無性にムカついてやめた。

「まずはお前でなくてはいかん」

 族長が、今度は倍の量の叩き梅を飯の上に乗せて、あぐりと食った。

 酸っぱいんじゃねえんすか? ほらやっぱ、さっきよりも口が窄んでるじゃないすか。

「族長の見立てっすか?」

 梅干しの食い方には言及せず、新患について質問する。

 族長も本人にはまだ会ってないはすだ。しかしこの人は、相手と電話で話しただけで必要な治療が分る千里眼みたいなものを持っているから、時折こうやって担当を指名する事がある。毎度毎度自分が指名してちゃ後続が育たないってんで、基本は黙ってるスタイルなんだが。

 族長が、ゆるゆると首を横に振った。

「いんや。食餌療法から始めたいという本人の希望があるのでな。やたら触られるのは好かんのじゃと」

 療術家の集団相手にひでえ言いようだなオイ。

「ワガママな患者っすね」

 俺は思ったままを口にした。途端、白濁した両目に睨まれる。

「事情も知らず決めつけるんでない」

 すんません。

「太客からの紹介だからね。しっかりおやり」

 太客? と聞き返すと、族長は俺のジャージズボンの右ポケットを指さした。

「これが使えるようになったのは誰のおかげじゃ?」

 ああ、なるほど。あの大手通信会社のオッサンか。

 二年前。長年悩んでいた偏頭痛の治療をこの村で受けた某通信会社の重役殿が、治療費の代わりに、と村の五キロ南の山中に建ててくれたのが、基地局だ。お陰で俺たちは今、こんな山奥で暮らしていても、文明最大の力を存分に使うことができる。

 誓って言うが、俺らの治療費はそんなバカ高いもんじゃない。ここで一月静養して請求されるのは、せいぜい一般的なサラリーマンの月収二月分程度だ。 

 三食ついたビジネスホテルに泊まりながら保険適用外の施術を毎日受けるようなもんなんだから、良心的な料金だろう。しかも飯は、患者の症状に合わせて作られた個別栄養食だ。最高じゃねえか。

 実際、ここで一月ものんびりしてる患者はあまりいない。現代人は忙しいからな。体質改善を目的にする場合は別だが、大抵が一週間から半月。長くても三週間ほどで帰ってゆく。

 あの通信会社のオッサンも、一週間で屋敷を出てった。その代金を基地局で返そうってんだから、太っ腹もいいところだ。

 以後も通信会社のオッサンは、時々体のメンテナンスに来るし、たまにだがこうやって患者を紹介してくれる。

 流石の族長も、べらぼうに長いものになら巻かれるってわけか。どっちにしろ、上司命令ならやるしかない。

 俺は渋々「わかりました」と承諾した。

「弁当もだよ」

「わかった、わかりましたよ」

 しゃあねえ。明日は弁当作ってやるか。アホ一朗め、感謝しろ。

 ああそういや、でんぶと海苔の消費期限がそろそろだったな。あいつはでんぶがあんまり好きじゃねえみたいだけど、弁当に入れてやろう。せめてもの嫌がらせだ。

 厨房にふと目をやると、二つ並ぶ炊飯器が見えた。一つは白米。もう一つは玄米を炊いてある。

 そこで俺は、閃いた。

 嫌がらせに慎みは不要だ。やるんなら、思いっきりでなきゃ面白くねえ。

 繊細な男子高生クンよ、さぁ楽しみにしてやがれ。明日の昼は、オトモダチの前で赤っ恥かかせてやんぜ。

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