第6話

 駅が見えると、丁度電車が入ってきたところだった。

「その電車ちょい待ち! 乗せて下さーい!」

 渾身の叫びで、運転手さんにお願いする。田舎で有難いのは、こういう時にちゃんと待っていてくれるところだ。例え二〇〇メートル先であろうとも、電車に乗ろうと必死で走っている人に運転手が気付けは、扉を開けて待機してくれる。性格が悪いのかマニュアルに忠実なのか、きっちり定刻通りに走ってっちゃう人もたまにはいるけど。

 大急ぎで自転車を駐輪場に停めると、僕は電車に飛びこんだ。運転手さんに感謝しつつ、反対側の扉にもたれて息を整える。

 扉が閉まり、電車がゆっくり走りはじめた。

「あっちぃー」

 立ち止まると、寝汗の気持ち悪さがどこかへ行ってしまうくらい、一気に汗が吹き出してきた。乗客は、まばらだ。鞄を足元に下ろしてネクタイを緩め、胸にパタパタと風を送り込む。そのだらしのない様子を見た同じ高校の女子生徒二人が、こっちにチラチラと視線を向けながらクスクス笑っている。バツの悪い思いを抱きつつ、気付かないフリを決めこむ。

「しゅういっちろー」

 思いがけず名前を呼ばれて振り向くと、同じ高校の制服だとギリギリ判別できる服装の男子生徒が僕に手を振っていた。おや、と目を見開く。

「木村先輩?」

 二年の木村大輔先輩だ。いつもはこんな時間の電車に乗っていない人が、珍しい。手招きされるまま、ペダルを漕ぎ疲れた脚で歩み寄る。木村先輩はそんな僕に、薄い眉の下にある釣り目を細めて、にかっと笑った。

「座れや。空いてんぞ」

 隣の空席をポンポンと叩く。

「はあ、どうも」

 空いているというか、先輩が座っている最奥のスペースには、先輩以外誰一人として座っていなかった。

 さもありなん。先客がこの人じゃな。横に座ろうもんなら、ガンつけられて即座に蹴落とされそうだ。

 赤毛。ピアス。主張の強いネックレス。ノーネクタイ。無駄にごついバングルがついたベルト。極めつけに、顔には青痣。いつもの口ピアスがついていないだけマシってもんだけど……うーん。半袖のカッターシャツと黒いスラックスの超シンプルな学生服を、よくここまで派手に着崩せるもんだなと逆に感心してしまう。

 しかも今日はこの人、なんかおかしい。先輩の左胸上部から伝わってくるモヤモヤした波動というか、この嫌な感じは多分、アレだ。

「あの。左の肋骨折れてません? 二本ほど」

 僕は先輩の隣に腰を下ろして訊ねた。

「お、やっぱ分かったか。昨日から、なんか痛いんだよなー」

 先輩が、痣が彩りを添えている口をへの字に曲げて、左胸をさする。

「病院行きました?」

「行ってねえ」

 まあ肋骨だからね。折れていることに気づかない人もいるっていうし。けどさ、痛いんならさぁ……。

「行きましょうよ」

 あなた活発すぎるから、変形治癒したり、また派手にケンカして、最悪肺に刺さっちゃうかもしれませんよ。僕が、合併症のリスクを説明すると、先輩は困ったように笑った。

「お前、オフクロと同じこと言うのな。んじゃま、ガッコウ行く前に整形外科寄ってくわ」

「そうしてください」

 僕は頷いた。

 そうか。珍しく先輩が早い電車に乗ってたのって、お母さんに病院行けって言われたからだったんだ。やっぱこんなやんちゃな人でも、母親には弱いんだなぁ。

 僕は思わず緩みかけた口元を、手で覆い隠した。その時、僕の体にふと影が落ちる。見上げると、同じ学校の女子生徒が――

「たーにはーらクン。おっはよーん」

 締りのない笑顔でコミカルな挨拶をしてくれた。

「げ、出た!」

 今一番歓迎できない人物である名取民子さんに登場され、僕は思い切り逃げ腰で体をのけ反らせる。

「ねえねえ、取材のこと考えてくれた? 返事はイエス? それともオッケー? じゃあ今日から密着取材して良いかなぁ?」

「だからノーだって言ったじゃないですか!」

 ぐいぐい来るにも程がある。語尾を上げるたびに、ピンクフレームの眼鏡を押し上げながら丸い顔を近づけて来る名取さんに叫んだ僕は、彼女のごり押しから逃れようと顔を背け、更に両手でガードした。

「入ってくんなデブ!」

 眉をつり上げた先輩が、容赦ない一言を名取さんに浴びせた。

 禁句に等しい侮辱語を頂いてしまった、ちょっとぽっちゃりな彼女は、「で、デブとはなんだ!」と肩を怒らせる。

「よくも言ったな、ならず者!」

「なんで電車乗ってんだよ。てめーは徒歩圏だろうが!」

「あんたにゃカンケーないでしょ!」

「あんた言うな一年! オレぁ先輩だぞ!」

 先輩が引っ越す前は同じ幼稚園・小学校に通っていたらしいこの二人は、顔見知りだ。しかも、物怖じしない性格とタフな精神の持ち主である名取さんは、三六〇度どの角度から見ても超不良である木村先輩を毛ほども恐れない。否。恐れているのかもしれないが、熱心な新聞部員の彼女が取材という大業を前にすると、不良への恐怖心などはホワイトアウトするのだろう。

 それはそうと、早く逃げなきゃ。

 僕はスクールバッグで顔を隠しながら腰を低くして、言い争う二人の傍からそろそろと離れた。

「てめーが乗るとレールがひん曲がんだよ! 降りろ。今すぐそこの窓から飛び降りやがれ!」

「レールはあんたみたいにヤワじゃないわよアホウンダラ! あんたこそ周りの人に迷惑なんだから、窓から飛び降りなさいよ!」

 できることなら二人セットで今すぐ降りて欲しい。周りの人はそう思ってるだろうな。

 隣の車両に移動した僕は、扉を閉めて、グレーのスーツを着た中年のサラリーマンの隣に座った。次の駅まで二人が喧嘩を続けてくれれば、そこでどっと人が入ってくるから、こっちの車両には容易に移って来れないはずだ。

 ほっと息をつき、窓の外に目をやる。いつもののどかな風景だ。梅雨を終えて、本格的な夏を迎えた山々の深緑が美しい。山の裾野には、田舎の農家と田畑が、柔らかい朝日に照らされている。それらの景色がどことなく眠そうに見えるのは、僕自身が眠いからなのかもしれない。今日は空気が乾いていて、比較的涼しい。もしかしなくても、これは授業中寝てしまうかもしれない。

 今朝寝坊したのは、昨日からしつこいくらいに取材取材とまとわりついてくる名取さんの撃退法を、夜通しずっと考えていたからだ。そのせいかな。夢見も最悪だった。

 名取さんが所属している新聞が出す校内新聞は、月に一回、掲示板に貼りだされるだけじゃなく、希望者にも無料で配布される。先月は、どこぞの誰かが入手したそれが、駅のベンチに放置されていた。もし名取さんが取材を通じて真識の存在を知って、それを校内新聞に書いて、それがこの前みたいに駅のベンチに放置されて、ハンターの手に渡るような事になったら、今朝見たあれが正夢になる。だからどうにかして、取材はお断りしなきゃ。学校を中退して逃げるっていう選択肢はもう、無くなってしまったんだし。

 決意を固めた僕は、「よし」と小さく呟いて気合を入れた。

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