最終話 燃え盛る純愛
翌朝、僕たちは新たな旅立ちの時を迎え、六角堂の鐘の音に見送られながら、しばらく京都の街を離れることにした。
日本人の根底に息づく「和の心」を感じる古都の千二百年の歴史と風情を胸に刻みながら、僕はあかねと共に東京にある実家へ一度戻ることにした。それは、愛する悠久の都に別れを告げるわけではなく、また戻ってくることを誓いながらのひとときの旅だった。
あかねとは事実婚の関係にあり、ずっと以前から一緒に暮らしている彼女を、結婚相手として両親に紹介しなければならなかった。もちろん、彼らが反対するとは思えなかったが、それでも僕は少し緊張していた。
しかし、意外なことに彼女はそうした事柄には一切興味を示さなかった。僕たちふたりの信頼に基づいて、心配すらしていなかったのだろう。
あかねはただひたすら無邪気な笑顔を浮かべながら、「東京は初めてやさかい、浅草仲見世やスカイツリーを見たい。パンダを見たらアメ横にも寄りたい。レインボーブリッジもええな。悠斗、忘れんと案内してや」と目を輝かせて言った。
思い返せば、まだあかねに正式なプロポーズをしていないが、誓いの言葉がなくても、僕たちの心は既にひとつになっている。すずさんの遺志を継ぎ、あかねと共に生きることを誓ったのだ。
けれど、まず終えるべき重要なことがひとつだけ残されていた。それは、すずさんの三回忌の法要を行うことであり、それが最優先だったため結婚式はすぐには挙げられなかった。法要が無事に終わった後、友人やお世話になった人々に祝福される小さな結婚式を挙げることを望んでいた。その方が、すずさんが天国から見守ってくれると信じていた。
糺の森での初デートを思い出しながら、僕たちは未来への誓いを新たにした。あの日、あかねの小さな手を握っただけで、僕の心は高鳴りが止まらなかった。彼女の指先に初めて触れた時の温もりと震えは、今でも忘れられない。その瞬間、僕は彼女への初恋に目覚めたのだ。いや、もしかすると、以前からの純愛が燃え盛ったのかもしれない。
初デートの思い出は、今も僕の胸に深く刻まれ、永遠に色褪せることはない。男として恥ずかしいほど、これまでいろいろと道を迷い、紆余曲折を経てきたが、今では彼女への愛は、時を超えても変わらない僕の心の宝物だ。そして、もう彼女との恋路に迷うことはないだろう。
あかねは、みたらし祭で浴衣を濡らした池の畔にある神殿で結婚式を挙げたいと願い出た。もちろん、僕もその提案には全面的に賛成だった。春に学校を卒業する予定の僕たちは、先に籍を入れることに決めた。
僕は、自分の姓を「神崎」からあかねの姓である「野々村」に変えることにした。これは一般に「婿入り」と呼ばれるものだが、僕にとっては何の問題もなかった。
✽
新幹線の出発時刻に間に合うように急いで京都駅に向かった。その瞬間、新たな人生の扉が開き、期待に満ちた日々の始まりを予感させた。まるで縁結びの神様が僕たちを見守り、微笑んでいるかのように……。
東京行きの11番線ホームでは、あの名曲「秋桜」の優美な旋律が絶え間なく流れていた。僕たちの旅立ちは、その音楽に祝福されながら、お互いの手をしっかりと握り合い、永遠の愛を誓った。音楽が心に染み渡り、まるで時間が止まったかのようなひとときだった。
特に知らせたわけではないのに、大勢の人が見送りに来てくれ、感謝の気持ちでいっぱいになった。集まったのは、これまでお世話になった隣に住むおばちゃんや、あかねの友だち、そして親しくしていた舞妓さんたちだった。
彼女たちは花束やプレゼントを手渡しながら、「あかねさん、必ず幸せになるんやで」と心のこもった祝福の言葉を贈った。
そして、僕のバイト先の大和田社長や同僚の結衣、看護師の碧、そして何かと手助けしてくれた詩織も駆けつけてくれた。その姿を見た瞬間、心が温かくなり、安心感が広がった。僕たちにフラッシュの光が集まる中、この一年間の出来事が走馬灯のように蘇り、目頭が熱くなった。
思い出が次から次へと浮かんでは消えた。先斗町での出会い、運命の五円玉、糺の森の水占い、嵐山の送り火、運命の手紙、祇園祭の宵山、月下の涙、宵越しのキス、鞍馬の火祭、心のアルバム……。どれもが、あかねとの愛を紡いだ宝物だ。数え上げたら、切りがなかった。
目を閉じると、かけがえのない光景が心の中を駆け巡り、まるで映画の名シーンが次々と映し出されるようだった。そのひとつひとつが、心に深く刻まれている。これからも続くであろう新たな旅立ちを胸に、僕たちはしっかりと前を向き、喜び勇んで新幹線に乗り込んだ。
列車が東京に向けて発車する際、僕とあかねは窓越しに手を振った。見送りに来てくれた人々も応えて手を振り返してくれた。それは、過去に別れを告げ、未来へと向かう僕たちを友人たちが応援してくれる仕草だった。
僕たちを乗せた列車は、まるで京都との別れを惜しむかのように警笛を鳴らしながら、ゆっくりと駅から遠ざかっていった。
見送る人々が視界から消えると、僕らは新幹線の車窓に目を移した。ガラス越しに広がる風景には、ヤマザクラの花々が咲き誇り、春の訪れを告げていた。まるでほのかな甘い花の香りを運んできているかのように感じられた。
あかねは向かい合わせの席に座り、五山送り火のひとつ、大文字山を見つめて目を輝かせながら、そっと囁いた。「おかん、これまでおおきにな。うち、頑張るわ」。その感謝の言葉には、すずさんへの深い愛情と決意が込められていた。彼女の柔らかな声に耳を傾けながら、僕は心の中で彼女に生涯の愛を誓った。
僕はあかねの手を握りしめ、「もっと幸せになろうね」と囁いた。それが僕からの正式なプロポーズとなった。そして、人目も気にせず彼女の頬に優しくキスをした。あかねは僕の胸に顔をうずめ、幸せそうに微笑んで頷いた。
数日後、春の風に誘われたかのように、僕たちにとって最高に嬉しい知らせが舞い込んできた。彼女は、舞妓修行の卒業と高校生活の締めくくりとして、「春のをどり」の晴れ舞台に立つことが決まった。
それは、先斗町、祇園甲部、宮川町、上七軒の四つの花街で見習い舞妓たちの舞踊公演が行われ、春の京都を一層華やかにしてくれるものだった。また、あかねの長年の夢が叶った瞬間でもあった。ただ、すずさんにあかねの晴れ姿を見せられなかったことが、僕には心残りだった。
僕は写真コンクールの結果を待ちながら、あかねと力を合わせ、京雑貨カフェの開店に向けて新しい人生を歩み始めた。きっと、彼女がカフェを切り盛りする若女将の姿は、とても可愛らしいだろうと思い描いた。
あかねの笑顔が輝く新しい日々が、僕たちの前に広がっている。雲の合間から末広がりに光が差し込み、桜の花びらが舞い散る中、ふたりは未来への希望を胸に新たな一歩を踏み出した。紛れもなく、彼女と共に過ごす一瞬一瞬が、永遠に色褪せることのない宝物となるだろう。
✽✽✽✽.:*・ 〈あとがき〉 .:*・✽✽✽✽
かつて『源氏物語』の舞台になった、悠久の時を紡ぐ京都花街の純愛ストーリーも、これにて終幕を迎えることとなります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。何か感想がありましたら、どうぞ遠慮なくコメント欄にお書きください。心からお礼を申し上げます。
── Thank you very much ──
純愛の本棚 〜京都花街の恋物語〜 神崎 小太郎 @yoshi1449
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます