第2話 リン=アクセサリ

 何があったのか、萌子には訳がわからなかった。

 初めての奴隷市場で、衝撃を受けて、ふらふら目眩を起こしながら歩いていたのだ。


 そこに、いきなり、過激派の爆弾でも爆発したのかというような轟音を立てながら、すぐ前の鉄扉が粉々に砕かれぶっ飛ばされ、中から黒い旋風が飛び出てきたのだからたまらない。


 黒い旋風と見えたのは、人影だった。

 黒髪。黒い目。浅黒い肌。そして、頭と顔の下半分を黒いターバンで巻いて、布を長く垂らしている。

 全体的に、黒っぽい異国の衣装をまとった青年が、萌子に、猛獣のように飛びかかってきた。


 萌子は悲鳴を上げる暇さえなかった。

 奴隷市場を、スマホでマップばかりみながらぼんやり歩いているからそんなことになるのだ。


 次の瞬間には萌子は、黒い青年に背後に回り込まれて、片腕をつかまれ引き寄せられ、顎の下の首筋に、ナイフを突きつけられていた。


「動かないでください。危ないですよ」

 やや震える声で--しかし、明らかに豊葦原の言語で、男はそう言った。


「恐い思いをさせたくないんです。大人しくして」

「……………………」

 萌子はこれが現実の事であると認識するのにしばらくかかった。現実だと気がついた後、今度は絶望のためにくらくら来たが、確かにここで騒ぐのは得策ではないだろうと思い、黙って相手の様子をうかがった。


「サラーム! 逃げるんじゃねえ!!」

「いつまで手こずらせるんだ。お前はもう奴隷なんだよ!!」

 先ほどの店の若者よりは年のいった、そのかわり、あからさまに筋肉に偏った体型をした男達が次々に出てきて口汚い言葉を叫び始めた。

 萌子は今まで聞いた事もないような単語の羅列に目を白黒させ、再び、現実感を失いそうになった。

 なんなんだ、これは。


「こちらに来るな。この女の子がどうなってもいいのか!」

 サラームと叫ばれた男奴隷は、流暢な豊葦原の言葉で叫び返した。男達は明らかにひるんで、一歩後ずさりをした。


 確かに、通りすがりの女子高生以外の何でもない、萌子に向かって、本当のナイフが突きつけられているのを見れば、面倒ごとが起こっている事ぐらいは理解出来たらしい。


「サラーム、お前……」

「俺は本気だ。これ以上、俺に危害を与えるというのなら、この子に道連れになってもらう」

 あんまりにも滅茶苦茶だ。

 萌子は、ふらつく頭で、前後の文脈からどういうことかくみ取った。

 サラームと呼ばれていた、この異国人の奴隷は、自らの意志ではなく何らかの暴力沙汰で、奴隷に「させられた」のだろう。豊葦原だけではなく、今でも外国ではよくあることらしい。

 それで抵抗して飛び出てきたところで、たまたま通りかかった萌子を巻き込んでいるのだ。


「すまん。本気じゃない。俺の安全を確保出来たら、あなたも安全な場所に返してあげる。今だけ、俺に合わせてくれ」

 所が、サラームは、背後から、萌子にだけ聞こえる声でそう言った。以外と理性的なのかもしれない。自分を追いかける相手には、威嚇のためにとんでもないことを言っているが。


「豊葦原の女の子に、なんてことしやがるんだよ」

 ぎり、と歯がみをして、筋骨隆々とした男が叫んだ。

「誰か、網を持ってこい。さもなきゃロープだ!!」


「!」


 サラームは驚いたようだった。

 萌子にナイフを突きつけているにもかかわらず、追っ手の男達は、サラームを自由にする気はないらしい。

 すぐに、破壊された店の玄関から奴隷とおぼしき人間達が飛び出てきて、屈強な追っ手達に丈夫な網や金属の鎖やロープや、刃物などを、手渡した。

 今度はサラームが怯む番だった。


「この子がどうなってもいいのか!」

「はん、お前が悪いんじゃないか」

 男が吐き捨てるように言った。


「悪いな、お嬢ちゃん。こんなところに居合わせた、自分の不運を恨んでくれ。うまくいけば、家に生きて帰られるからな!」

 そう言って、網を持ち上げ、男はサラームに向かい、うまく振り回しながら投網してきた。


 上半身だけでも網に絡め取られたら、どうすることも出来ないだろう。

 萌子は思わず目をつぶった。


 途端に、また、何か、蓋のようなものが爆発するような音がした。

 その音に釣られて目を見開いた萌子が目撃したのは、自販の脇のゴミ箱の蓋が自然に破裂して、中からアルミのジュース缶が次々に浮いて、飛び上がり、網に突き刺さって引き裂く光景だった。


「??」

 網の穴に自分から突っ込んでいったアルミ缶達は、前後左右に飛び上がって、網をズタズタに引き裂いた。

 萌子には訳がわからない攻撃だった。


 さらに、サラームは、アルミ缶を自由自在に操り--操っているように見えた--男達に弾丸のような速度でぶつけていった。


「ぐっ……」

 うめく男。中にはたまらず、大声で悲鳴を上げる男もいる。まるで感電でもしているように、体を跳ね上がらせたりうずくまったり。


「ちょっ……何これ!? やめなさいよ!!」

 萌子は思わず声を張り上げた。

 恐かった。

 何の関係もない自分が、ナイフを突きつけられているのも、それを無視して投網されたのも、その後の展開も。

「私、関係ないんだから。離してよ!」

「黙って--」


「乱暴な真似はやめてよね! 何なのよ、離しなさいよ--奴隷も奴隷商人も最低よっ、離しなさいよね!」


「俺に命令するな!」

 そのとき。

 それまで、萌子には低い声で優しい態度を取っていたサラームが、激しい声で叫んだ。

「命令するな! 俺を従えようとするな!!」


 萌子は呆気に取られた。

 何がそんなに気に障ったのかわからなくて、萌子の方がカチンときた。


「何よ--」


 そうこうしているうちに、アルミ缶で感電していた男達が立ち上がり、憤怒の形相でサラームと萌子の方に向かってきた。

 使おうとしていた投網はもはやボロボロだが、彼らには人数もあれば、便利な道具もたくさんある。

 サラームを確保出来れば、萌子に危害を与えてもかまわないという考えは先ほど見てとれた。

 サラームも厳しい顔つきになり、萌子も、逃げる隙がなくて戸惑った。


 通りでは、大人の男女達が、面白そうにこちらを眺めている。脱走した奴隷がもめ事を起こすのは、この町ではよくあることらしい。

 ただ、それに、女子高生らしい子どもが巻き込まれているようなので、皆珍しそうに……同時に、萌子の事を危ぶんでこちらを見ているのだ。


「わかったわ」

 萌子は、きっぱりとした声で言った。


「それじゃ、私が、あんたを買うわ。商人さんたち、私、お金持ってるわ。この奴隷をちょうだい!」


「……は?」

 サラームはきょとんとした顔になり、萌子の顔をまじまじと見た。


 ぎょっとしたのは、店の中から追いかけてきた男達だった。皆、あまり見かけない展開に驚いているようだ。


「なんだと、お嬢ちゃん。あんた、客だったのか」

「私、護衛を買いに来たのよ」

 萌子は、鞄の中から札束の入った封筒を取りだして、厚みを見せながらそう言った。


「この男は若くて元気そうだし、強そうよ。それなら申し分ないわ。金額さえあえば、すぐに買って帰りたいんだけど」

「……なるほど、そうきたか」

 萌子の顔を見て、店の男達はにやにやとしている。萌子はへらへらと笑ったりはせず、真面目な顔で、サラームの方を向き直った。


「私の奴隷になる気はある?」

「…………」

 サラームは苛立っている表情を隠そうともしない。彼は相当、気が立っているが、萌子には丁寧な態度でいたいと、必死に意志の力でこらえている様子が、わかった。


「三食部屋つきよ。私と同じ家の中で、寝室を使わせてあげる。給金は毎月、これぐらい」

 萌子は右手の指を二本示した。

「まあ、灯京都でなら、好きな服を買える程度ね。仕事は私の護衛。お願いできる?」


 サラームは目を見開いた。彼は驚いているようだった。その驚き方と、今の男達の扱いで、萌子は嫌な予感がした。奴隷を虐待する事は、豊葦原の法律では完全にアウトなのだが、彼は外国人だ。何か相当嫌な事があったのかもしれない。


「……」

 萌子の方も、店の男達を睨むと、店の男達は、曖昧な笑みを浮かべながら萌子から目をそらしてしまった。萌子はイラッとした。


「わかった。あなたの条件を飲もう」

 そこで、サラームがそう言った。


「あなたには、従う」

 サラームがはっきりした豊葦原の言葉でそう言ったので、話は大幅に早く進んだ。


「そういうことみたい。奴隷の売買をしたいわ。どこに行けばいいですか?」

 萌子は、奴隷商人達に向かってそう言ってみた。

 すると、奴隷商人達は居住まいを正し、商売用の笑みを顔に浮かべて、萌子に非礼をわびてきた。現金なものである。


(うわあ、お金の威力ってスゴイ……)

 高校生の萌子は単純にそう思い、自分が握りしめている札束の封筒を見た。どうやら、商人達は、中身が本物のお札であることに、気がついているらしい。その点抜かりはないようだ。


「このたびは失礼しました。どうぞこちらへ、お嬢様」

 言葉付きから変わってしまい、萌子はなんとも言えない違和感を抱きながら、サラームを連れて、奴隷店へ入った。


 奴隷店は、先ほどの店に比べて随分薄暗く、旧式のランプが不気味な、赤みがかった光を放っていた。

 萌子はカウンタのあるホールの机で、店の人間と書面のやりとりをした。

 基本的な奴隷法の説明を再度受け、署名捺印も行った。


 ややこしい手続きもあったので、小一時間ほどかかったが、最終的に、萌子は、サラームのリン=アクセサリをどのタイプにするのか質問を受けるところまでこぎつけた。要するに、契約成立である。


 リン=アクセサリのカタログを数冊持ってこられて、萌子は、困惑してしまった。自分より年上の、まして外国人の男に、首輪をつける感覚が理解出来ない。だが、それと同じ事をしなければ、契約が完全には成立しない。


「どうぞ、遠慮せずに、カタログを見てください」

 言われるままに、萌子は、カタログを一冊手に取ってみて、ぱらぱらとめくってみた。

 基本的なものは、イヤリングやネックレスらしい。


「ふうん……」

 あまり気が進まないが、選ばなければならないと思って、後ろの方までめくってみると、そこに、非常にアダルト志向のリン=アクセサリが入っており、萌子は愕然とした。

(どういうこと?)

 彼にはそういう役割も期待されていたのだろうか。冷や汗がわいてくる。


 もちろん、萌子は、そういう契約をするつもりはなかったので、色々見入った後、イヤリングに決めた。その中でも最も高額なダイヤモンドのイヤリングを、リン=アクセサリに選んだ。サラームが、気を悪くしないといいのだけど。


 その後、萌子は、店内からお茶を出されて、しばらく待たされた。

 温かいお茶を飲みながら、萌子は、自分のしていることを考えてみた。女中を買ってこいと言われたのに、護衛を買って帰ったら、親は当然びっくりするだろう。だが、元々、父親が欲しかったのは、護衛だったようである。それに、経緯を説明すれば、娘の無事には変えられないと言ってくれると思う。


 まあ、外国人の男なのは、……色々言われそうだけど。


「どうぞ、お求めのサラームです」

 やがて、先ほどの青年が、綺麗な和装に着替えて現れた。

 相変わらず、黒。男物の長着で、袴を着けている。それなのに、どういうわけか、赤道大陸の人間がしょっちゅうつけている、白いクーフィーヤを巻いていた。

「あの布、取らないんですか?」

「戒律上の理由で、人前で頭を見せる事はないんだそうです」

「なるほど……」


 萌子は、やや気まずい緊張を覚えたが、やがて気を取り直して、テーブルの上のダイヤのイヤリングを手に取った。


「サラーム。リン=アクセサリよ。気に入るといいんだけど」

「…………」

 サラームは無表情のまま、無言だった。


「どうぞ。ご自分で、アクセサリを着けてあげてください。奴隷は自分では着けたり外したり出来ないのです」


 話には聞いていたが、どうやら本当の事だったらしい。

 萌子は、ホールにあったソファに、サラームに座ってもらった。彼の方が背が高いので、角度的に難しいのだ。

 そうして、サラームの耳に、冷たい魔法のこもったリン=アクセサリを着けた。最初に左、そして右に。


 サラームは大人しく、じっと黙っているようだった。

 萌子は、サラームが、酷く疲れているのではないかということに気がついた。あれだけ暴れていれば、そうだろう。


「ありがとう。これからよろしくね。さあ、家に帰るわよ」

 萌子は、後ろめたい気持ちも感じながら、サラームに向かってそう言った。


「……?」

 サラームは、不思議そうに萌子を見上げている。

 萌子は笑った。

「どうしたの?」


「何の……ありがとうだ?」

 サラームは、少しだけ気弱そうな声でそう言った。


「……私の護衛になってくれて、ありがとう、よ。さあ、私たちの家に帰るんだから。用意はいい?」


 だが、用意など必要ないのだった。彼は、無一文で、自分の衣服以外何も持っていない身の上であると、説明を受けた。萌子は何度目かにびっくりした。

 つまり、このまま、店の用意した和装と、着替えの自分の衣服だけ着て、店から出ればいいだけであるらしい。


「……わかりました。タクシーを呼んでいただけますか?」

 そういうわけで、萌子とサラームは、10数分後にようやく店の外に出る事が出来たのだった。

 タクシーに乗り込んで、萌子は思わず深い呼吸をついた。後は、家に帰るだけだが……今日はもう、何のトラブルもないといいと思う。


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