第12話 霊園前の襲撃
さて、それはどういうことかというと。
当然ながら、サラームは気づいている。出がけ前に念入りに点検していた自動車が、タイヤのパンクなどあるはずないことを。
鈴木と小声で確認したのは、そのことであった。誰が、サラームの運転する福田家のタイヤをパンク「させた」のかということ。
人為的な作業であったことは間違いない。鈴木もそこはプロなので、一目でわかったのである。
……。
護衛達はこういう場合、自分たちの「姫」を不安がらせない癖がついている。それで、詳細は教えず、萌子を無事に澄香の車に移動させ、鈴木も道中急いで安全運転という矛盾した事をしながら和カフェに急ぐ事になったのだ。
それでは誰が、サラームの車をパンクさせたのかということだが。
話は三日前にさかのぼる。
奴隷商人「早田屋」……。
そこで、傘張り浪人のような風貌をした長川が、ずんぐりむっくりした中年の商人渡部と、次の商品の事で話し合いをしていた。
商品とは、豊葦原のお嬢様達の事である。美しい若い娘で、品のよい粒ぞろいを、合法非合法問わずに手に入れて、海賊を始め人身売買が得意なあたりに売り飛ばすのだ。それもできるだけ高値で。
「商品がない!」
渡部はそのとき、萌子の件で苛々していたので、長川に当たり散らしていた。萌子の方は今のところ動きがなかったが、やはりお奉行様のお嬢様に、海賊から違法で手に入れたサラームを売ってしまったというのは、かなり危惧される点で、ここのところ渡部はそのことで機嫌が悪かったのである。
「長川どの、豊葦原のお嬢様は、そりゃ人気商品なんですよ。純粋で汚れがなくて優美で、しかも従順で。そういう女奴隷が欲しいと、ガイジンどもはずっと言っているんです。そんな娘が、最近とんと手に入らない。この間、そちらからいただいた若い娘は、若いっていうだけでとんだ蓮っ葉な常識もわからない×××じゃないですか。どういうことなんですか。商品になるようないい娘が、うちは欲しいんですよ!」
「……そんな娘が、どこから降ってくると言うのだ」
長川は憮然としてそう言った。
「そんな上玉の娘を手に入れるには、よほどお高いあたりに探りを入れなければならん。お高いあたりには、純真で心優しい、教養高い娘も多いが、その分、親の目も厳しいし警備も固い。その警戒網をくぐり抜けて、娘を手に入れるにはどれだけの経費がかかると思う」
「経費! なんといっても、金ですかい! 金、金、金!!」
金という言葉をしばらく叫んだ後、渡部は不意に黙りこくった。かねという単語で、目下の悩みの種、福田兼久の事を思い出したのである。何度でも言おう。そのときは適切だと思ったのだが、奉行の娘に違法の外国人奴隷を……ああ、頭が痛い。
「ねえ、長川の旦那。そういや、相談したい事があるんですがね」
「なんだ、急に」
急に、猫なで声になって……とまでは長川は言わなかった。
「杉原様のお耳には入れないでくださいよ。あの方、凄い怒りっぽい方だから。……実は、この間……」
渡部は、萌子が来店した一件を長川につまびらかに話した。
みるみるうちに、長川の青白い顔が険しくなっていく。
「奉行の娘だと!?」
渡部の話が終わると、長川はその点を大きく繰り返した。
渡部は怯みながらも、何度も首を縦に振った。
「その外国人の奴隷が、店の事を話してしまったかもしれないというんだな?」
長川はその点も繰り返した。
「へえ」
渡部はただそう答えるしかなかった。
長川は青白い顔で、呆然とそこの椅子に座り込んでいたが、不意に立ち上がり、物も言わずに早田屋から出て行った。
行き先はもちろん、上屋敷にある大浦家を取り仕切る(本来の女主人は澄香)杉原のところである。
渡部に怒りっぽいと称された杉原は、長川から報告を受けるといきなり長川の頭を扇子で叩いた。何回も叩いた。
「そんな迂闊な話があるか!」
迂闊と言ったらその通りである。だが、渡部達からしてみれば、どれだけ痛めつけても奴隷としての自覚が出ない、面倒くさいサラームを、大金を払って買い取ってくれるのだから、正しく渡りに船と思ったのだろう。そのときは。
そのことを長川が、何度か繰り返して言うと、杉原は苦虫をかみつぶしたような顔になりながら、扇子をおさめ、しばらくの間考え込んだ。
やがて、平伏している長川に言った。
「前々からの作戦、……やってみるか」
杉原は、大浦家の上屋敷の財産を自分のもののように考えている。
本来、大浦家が、上屋敷を杉原に任せており、主人はあくまで大浦晴季だし、現在、澄香が上屋敷の女主人のはずなのだ。澄香もそれらしく、大名家としての振る舞いを身につけるために日々励んでいる。
それが杉原には困るのだ。
晴季や澄香にしてみれば杉原は使用人に過ぎないが、杉原にしてみれば澄香が勝手に上屋敷に居候してでかい態度を取っているように感じる。澄香は女らしく控えめな性格だが、杉原に向かって命令出来る立場なのだ。
それは頭ではわかっているが、祖父の代から上屋敷で私腹を肥やしてきた杉原にしてみれば、自分だけの道理がある。この屋敷は俺の物だ、というような。既得権益とか既成事実とかそういうことである。もちろん法的な保障は何もない。
大浦家の財産を自分の物のようにして、奴隷商人とつきあって利殖をチクチク増やしていく事も、この先は出来なくなるかもしれない。
「作戦とはなんですか」
長川は律儀に杉原にそう言った。
杉原はじろりと不敵な目つきになって長川を見返した。
「小夜香姫と同じ事をするのよ」
「は……それは……」
まあ大体そういうことであった。
25年前。
小夜香は、杉原が親の代から大浦家の財産に手を着け、二重帳簿を作っていた事を偶然知ってしまったのである。
そのことで小夜香は当然、杉原を叱責した。慌てた杉原は、小夜香を口封じしようと思い、その場で拉致。……したのはいいが、後始末に困って、小夜香を奴隷商人に売り飛ばしてしまったのである。
殆どが偶発事故の連続で、計画は非常にずさんなものであった。その後、杉原は当然のごとく職権乱用して証拠隠滅。それでどうして、捜査網に引っかからなかったのは、偶然の事故の連続の方が、かえって尻尾を掴みづらいという一種のビギナーズラックであった。
その後、杉原は早田屋と癒着を深め、自分のネットワークに引っかかった若い令嬢を早田屋に売り、早田屋はかわりに海賊などとつきあいながら杉原に大金を渡したり、様々な便宜をはかるようになったのである。
本当の話、
「早田屋、おぬしも悪よのう」
「いえいえ、杉原様にはかないませぬ」
という会話は十回はあっただろう。
そして、年は巡って25年後。
目の上のたんこぶとなった澄香とその父である主君晴季を、どうするかと日々悩んでいたのだが、杉原はついに、澄香を小夜香と同じ運命に合わせるという乱暴な手口を思いついたのだった。
25年前はうまくいった。それなら今回も……?
そこに、奉行の娘やその証拠品となるサラーム(まさしく本人が証拠品)がいたら、面倒くさい事この上ない。それならどうするかというと、萌子もサラームも一緒に売り払ってしまえばいいと、くさい物には蓋をするように杉原は考えた。
発想は凄いのだが、どちらかというと願望に近い。そうすることが出来たらどれだけ楽だろうと思っていたところに、降ってわいたのが、澄香が萌子と護衛のサラームを連れて観劇に出かけるというターンである。
正しくチャンスが降ってきた!! と飛びついたのが杉原と早田屋。
それでサラームの自動車が何故パンクしたのかという、その訳にたどり着くのである。
だがここで、些細なミスが起こった。
実は、観劇にしょっちゅう出かける澄香は、劇場の駐車場が年中混む事は知っていたのである。それで、いつも、目立つ三入小枡紋のストールを使い、普段だったら、助手席の首にストールを巻いているのだった。
澄香がストールを助手席の首に巻くことを、護衛や侍者達は大体知っている。たまたま今回、萌子を連れていたので、おそろいのストールを着けて劇場に入りたかった澄香の事情など、他の侍者達は知らない。 おそろいストールを楽しんだ後、澄香はひとめぼれした花勝見にストールを買い換えて、萌子に自分の小枡紋のストールをプレゼントした。それで、萌子は自分の小ぶりのストールをサラームに渡す。
駐車場の混み合いに驚いていたサラームは、澄香と同じ発想にたどり着き(血筋?)、小ぶりのストールを助手席の首に巻いた。
そんなことは露知らない杉原の手下達は、サラームの車を澄香の車だと思い込み、こちらに悪戯したのである。
杉原達の予定では、「サラームの車に萌子と澄香とサラームが乗り、鈴木が駐車場に残る」事になっていたのだが、逆に、「鈴木の車に萌子と澄香が乗り込み、サラームが駐車場に残る」になってしまった。
いきなり計画が狂ったのである。
澄香の護衛、鈴木は十分警戒しながら、お姫様二人を後部座席に乗せ、ひたすら和カフェへの道を急いでいる……。
鈴木の下の名前は勝之という。
現在、33歳になる彼は、大浦藩の抱き楓紋の黒い羽織に着物、袴、昔ながらの灯京の侍なら誰でも着ているようなスタイルだった。
一応、太刀と脇差も装備しているが、それとは別に懐には拳銃を入れている。
元々、大浦家の家臣の家に生まれて、士官学校を二十代前半で卒業した。その後、澄香づきの護衛となり、幼い頃から彼女の事はよく知っている。
生まれは灯京なのだが、士官学校を出た後に津軽の大浦家に住み込みで澄香の護衛をし、その後、澄香の進学で灯京に戻ってきて、上屋敷の長屋で生活をしながら澄香に付き添っているのだ。
鈴木家と杉原家は、元から険悪な仲でありその諸事情は色々あるのだが、鈴木勝之も親から杉原のいい評判を聞いた事はなかった。かといって、二重帳簿などの事は知らなかったが。
そういうわけで、鈴木は、上屋敷における完全な大浦派、澄香派であり、杉原が彼を排除するために車に仕掛けをしようと言う腹になったのも当然なのである。
現在独身。顔は悪くないし健康状態は良好。
「え、鈴木、この道って……」
「はい、お嬢様方。少しだけ我慢してくださいね」
寒梅町の劇場から、予約をしている夏椿町の和カフェに行くためには、町を一つ越えなければならない。それも、通常よく使われるルートを取ると、かなりのタイムロスがある。
一応、近道はある。
それは、灯京都で一番大きな霊園……即ち、墓地……の前を通る事である。そのルートを取れば、夏椿町の和カフェの通りまでほぼ一本道なのだ。
しかも、魔法や呪術の因習が残る灯京では、都民は滅多に霊園前の通りには近づかない。
たしなみとしてサカナギは一通り押さえている鈴木は、予約の時間を気にして、そのだだっ広い、車一つない一本道を突っ切る事にしたのであった。
「俺もさっき、護方陣の真言は使いましたが、お嬢様達も、呪術返しを使っておいてください。後は、一気に走りますので」
鈴木がそう言ったので、澄香と萌子はそれぞれ、おびえながら、自分の知っている呪術返しの真言を使い、霊的ガードを高めた。
それをバックミラーで確認すると、鈴木は一気にギアを上げて、霊園前の通りをひた走り、夏椿町に向かおうとした。
鈴木もあまり、霊園の近くに長居をしたくなかったのである。
誰もいない道を飛ばす鈴木。
そこに、突然、一台の車が追いかけてきた。
凄いスピードだった。
鈴木も相当飛ばしているが、その鈴木とたちまち車間距離を詰めてくる。
鈴木が猛スピードで飛ばしているので、澄香と萌子は大人しくなり、霊園が恐いので身を寄せあっているが、バックミラーに映る車はなんなんだ。
(嫌な予感がする)
鈴木が、もう一度バックミラーを確認した時、その反則的なスピードの中で、なんと後ろの車が窓を開けて中から人が身を乗り出してきた。
「は?」
銃口。
そこに光るのは、冷たい銃口だった。
窓から上半身を出した男が、こちらにライフルの銃口を向けている。
「なんだ、それは」
思わず淡泊に言ってしまう鈴木。
それを聞いて、澄香と萌子は自然に後ろの車を振り返った。
途端に、敵がライフルを撃った。狙撃してきた。
悲鳴を上げる澄香達。
「大丈夫! この車は防弾ガラスです!!」
鈴木がそう叫ぶと、澄香と萌子は安心したのかしないのか、自動的にしゃがみこんで後部座席の中にすっぽりと自分たちの身を隠してしまった。そういうふうに実家で言い聞かせられていたのだろう。
鈴木はトップギアにあげると、とにかく、スピードをあげて逃げ切ろうとした。
自分は一人、護衛しなければいけない女性は二人。
相手は何人いるのかわからない。バックミラーだけでは確認しきれない。とにかく、車の性能を信用して、速度で逃げ切るしかないと判断した。
だが、敵もさるもの……それぐらいの判断は読み切っている。
ライフルを持つ狙撃手は、最初の二、三回は、車のガラスや後ろのトランクに銃弾をかすめていたが、ついに、当てた……。
タイヤに。
途端に鈴木の車はものすごい勢いで回転しながら、道路の路肩にぶつかって停止した。
娘達は悲鳴を上げることすらしない。
ただ頭を抱えて後部座席に身を伏せている。
「くっそ……!」
もう少し罵りたかったが、澄香の前である。鈴木は口汚い罵詈雑言はこらえ、懐から拳銃を取り出すと、車から降りて、ドアを盾に使いながら、果敢にも拳銃を追撃の車に乗せた。
だが、向こうの防弾ガラスなのは当然である。同じ事をしてやろうとタイヤを狙うが、その前に、黒塗りの車が至近距離で止まった。
窓ガラスは磨りガラスで中がよく見えない。そのため、敵が何人いるかすらわからないのだ。
「鈴木……」
不安そうに澄香が彼に声をかけている。
「お嬢様達は、絶対外に出ないでください。後は、そのまま体を伏せていて」
鈴木はそう言い捨てた。すると、澄香も萌子もそれ以上泣いたり騒いだりするようなことはしなかった。
追撃してきた車の中から、四人の男が下りてきた。一人は巨大な網を持っている。他にも手に手に、拳銃やらナイフやらを持ち、鈴木を倒して、姫たちに手を出す意志を明らかにしていた。
「なんなんだ、お前ら!」
鈴木は相手を問い詰めて、拳銃の口を網を持っている相手に向けた。
「威嚇はしない。撃つぞ」
簡単にそう言い捨てる。
「何だと言われて律儀に答える奴はいるめえよ。だが。……お前さんのその抱き楓紋。車の中にいるのは大浦の姫で間違いないな?」
「!」
ちなみに、相手の車のナンバープレートは綺麗に真っ黒に塗りつぶされ、身元さえもわからない。そして、ずっと澄香の護衛をしていた鈴木は、早田屋には顔見知りはいなかった。
だから、網を持つ相手が渡部とはわからない。
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