第4話 知りたかった過去

 翌朝。

 萌子は自分の部屋で目を覚まし、寝ぼけ眼をこすりながら身だしなみを整えた。

 今日は普通に高校に通うので、高校指定の袴スカートを履く。


 萌子の通う織田原市の高校は、共学だが、イメージカラーは紫紺である。紫紺の矢絣の上位に紫黒の袴スカート。それに短いブーツが指定されている。


 着替えをすまして髪の毛をとかしていると、庭の奥の方で、馬のいななく声が聞こえた。萌子の住む福田の屋敷には、昔ながらの厩舎がある。確かに、自動車の方が便利なのだが、馬ならではの良さがあるといって、兼久が飼っていたし、萌子も馬は好きだった。世話をする係は別だけど。


 萌子は、昨日のサラームの、家の中に入ってきてからの反応を思い出し、自分は反省するべきだろうかと少しだけ考え込んだ。少しだけ。

 萌子は、乳母の正子が亡くなったから、サラームが必要だったと言って連れてきた。この福田の屋敷に。

 正子は確かに、幸世の一番信頼の厚かった女中で奴隷だが、萌子は、何も、正子しか奴隷がいなかったとは、言ってない。


 奴隷というか……奴隷もいるが……奴隷同然の人間も、敷地内の長屋には住んでいるが……それをイチイチ説明するのは気がとがめた。


 何故、長屋にいる軍役の侍達を、護衛として連れて行かなかったのかと言われると、女中の奴隷を買うのは、家の中の事なので、父の仕事の部下達を使うのを、幸世が嫌ったのだ。それだけである。

 父の部下と家の中の事を区別をつけたいのが幸世の考えで、昔から、長屋に住む下級侍(立場的には奴隷同然)の面倒をよく見る事はするが、家の中の事には一切口を挟ませないようにしていた。

 ……つまり、真紀子の受験勉強の面倒を見るだけではなく、この旗本3000石の福田家の女主人として、なかなか手が抜けない毎日を送っていたため。

 高校生にもなった萌子に、奴隷の売買ぐらい出来るようになってもらわないと困るので、訓練に出したというわけなのだ。

 そしてそれを、外国人の男奴隷のサラームに向かって偉そうにべらべら喋るのも気が引けて、車中でろくに説明もしないで来てしまったのだが。


 一見、カジュアルなファッションの萌子が連れて行った先が、1500坪の敷地内に長屋と、四十間の部屋を持つ屋敷のある「福田家」だとは想像していなかったのではあるまいか。

 そして、その、門番のいる屋敷の門から屋敷まで移動する間にも、声をかけてくる侍やらそれ以下やらいたわけで、それをサラームはどう思っただろう。萌子はやたらにサラームの事が、気になった。


(奴隷から見て、父親の権力で、50人も60人も人(時として奴隷)を召し抱えていい気になってる女子高生って、多分見ていて気分悪いよね)

 何でこんなに気にしてしまうんだろう。それは、自分が初めて買った奴隷だからなんだろうけど。

(でもね、サラームだって失礼よ! 何も、そんな立場の女子だからってね、若い男を見境なくそんな目で見ている訳じゃないんだから!!)

 ちなみにそんな怒りもくすぶっていることもあって、萌子はやたらにサラームを意識しながら、その武家屋敷の自室を出て、朝食をとりにいった。




 朝食は無事滞りなくすませることが出来た。

 父親の兼久には、夕べのうちに説明--というより釈明をすませていたので、一言注意を受けただけですんだ。それは、萌子がそそっかしいということである。

 そのことは自分でも、自覚していたので、萌子は素直に謝罪して、反省していた。

 すると兼久の方もくどくど言う事はせずに、萌子を許してくれたのだった。


 萌子は、そういうわけで、駐車場に向かい、予め説明を受けていたらしいサラームの運転で、高校に向かう事となった。

 ちなみに、その前までは、長屋住まいの手の空いていた侍のいずれかに適当に送り迎えされていたのである。


「校門の前に、車を止めるのは禁止されているから、その手前の交差点で、下ろしてちょうだい」

「いいのか、歩いても」

「歩いてせいぜい50メートルだもの。平気よ」

「そうか」

 本人がそういうならそうなんだろうと、サラームは思ったらしかった。


 車の中に、沈黙が訪れた。

 萌子はなんとも言えずに話しづらかったし、サラームの方は運転に集中しているようだった。

 

 やがて、カーナビを見ながら運転しているサラームが、バックミラーごしに萌子を見た。萌子も、そろそろ、自分の指定した交差点の近所だと気がついていた。

「萌子様、俺は、ここでずっと待っていればいいのか?」

「まさか」

 萌子はびっくりした。

「学校が終わるのは、15:30よ。その頃になったら、ここに来て? それまでは、サラームは自由よ」

 今度はサラームがびっくりした。


「自由? 俺が?」

「そりゃそうでしょ」

 萌子は吹き出しそうになりながらそれをこらえた。

「道ばたに駐車して中で待っていてどうするのよ。かといって、高校の授業の最中まで護衛させるわけにもいかないでしょ。もちろん、家に帰って、お母さんの手伝いをしたいならそうしてくれると嬉しいわ。そうでもないなら、後はサラームの自由時間よ」

 高校の授業開始は8:30。現在8時である。

 それから、15:30まで、自由に何をしてもいい奴隷。

 この破格の扱いには、サラームも、唖然として声も出なかった。


 だがその間にも車は動き、萌子の言った交差点の手前の路肩に、サラームは車を静かに止めた。

 萌子は礼を言うと、さっさと車を降りた。

「それじゃ、15:30にここまで迎えに来てね。それだけはお願いねー」

 それだけ言って、萌子は学生鞄を片手に、元気よのいい足取りで歩道を歩き始めた。高校は本当にすぐ目の前だった。




(まあ、確かに……悪い子ではないな)

 サラームは、途中で、学友の姿を見つけたらしい萌子が、女子同士で語らいながら歩いている背中を見送った。


 それから、自分の想定していた拘束時間が、まるでなくなったので、今日をどう過ごすか考える必要が出てきた。

 萌子は、サラームが家に帰って、母の手伝いをしてくれたら嬉しいと言っていたが、生憎サラームは、幸世の機能のヒス爆発の光景を見た後だった。

 サラームの生育環境に、ヒステリーを起こす母親というのは、いなかったのかというと、いた。

 たくさんいた。

 もうたくさんだった。


 それでサラームは本能的に、幸世の事を回避して、今後どうするか考え込んだ。

 答えはすぐに出た。


(やってみるか。大浦という、大名を探すしかない)

 サラームは、黒衣の中の懐刀を自然と握りしめながらそう決めた。

 元々、サラームはその目的で、アサドを出て船に乗ったのだった。

 豊葦原王国は、どういうわけか、航空機での海外との移動を、民間には許していない。貿易するために開いている港も列島において菜ヵ咲ながさき港一カ所である。

 サラームはアサドから、その菜ヵ咲を目指して民間に紛れて船に乗ったのだが、その船が海賊に襲われて、目的が計画倒れになったのだった。




 サラームは、車を迷惑にならない場所に移動させると、そこで椅子を倒して考え込んだ。

 実は今朝、給料は一ヶ月分、前払いで兼久からもらっていた。萌子の言った通りの金額だった。

 自由に使っていい金ではあるが、スマホを買える訳ではない。どういうことかというと、サラームには身分を保障する書類がない。運転免許に関しては、何故か兼久が保障してくれるらしいが……。

 自由に使えるネット環境などは、普通、豊葦原では奴隷に与えないものであるらしい。

 どうしても欲しければ、兼久にお伺いを立てるしかないようだが。萌子は味方になってくれるだろうか?

 そういうわけで、サラームは結局、頭の中で作戦を練りながら、車の中で待機することにしたのだった。

 無為な時間が、今までのサラームの事を振り返らせた。


 サラーム。

 彼のフルネームは、サラーム・バタル・アル=アウスという。

 出身は、アサド王国のマールド。

 アサド王国の北一帯を覆う、ネディール砂漠にある最も栄えるオアシス都市である。


 古来より、アサド王国の北方を支配し、肥沃なオアシスでデーツやオリーブを育ててきて富を築き、それを元手に、アサドの北方の海……油田のサフィアーンを手に入れた。

 サフィアーン油田は、王の持つガハル油田に次ぐアサド王国の巨大な規模……即ち、巨万の富と権力を保障した。

 アサド王国において、王族に継ぐ権力者、時としてシークと呼ばれるようになったのは最近の事だが、それ以前から戦乱、部族間の戦闘が続くマールド地方を支配してきた男達は本来、非常に図太く気位が高く、戦闘や戦争においてはまたとない強さを持っていた。

 同時に非常に商売上手でもあった。

(サフィアーンは澄んでいるサフワーンの訛りであると言われている)


 その、王族に継ぐ権力を持ったアル=アウスは、商売を拡大するために、ウラシア大陸の東南から回り込み、遠い東の豊葦原まで船を乗り付けた。

 そのとき、何があったのか、サラームは知らないが……。


 小夜香さやか

 という女性が、奴隷として船に乗せられ、アサド王国のマールドにあるアル=アウスの本家に買い取られたということらしい。

 小夜香が最後まで手放さなかったのが、抱き楓の懐刀であるが、それ以外に、彼女の身元を保証するものは一つも持っていなかったと言う話である。


 小夜香は言葉もろくに通じない異国で、先代シークの大勢いる妻達の侍女をしていたらしい。そして、まだ少年だった長男の目にとまるのはすぐだったとか。

 真面目で勤勉で、控えめで優しくて、そして東洋の美貌にも恵まれていたから、そこにいたのだが、そういう言葉も通じない異国の嫁に、ロマンチシズム溢れる思春期の若者が魅せられてしまったのは致し方ない。

 小夜香は、シークの長男の最初の恋人となり、形ばかりの妻の座を手に入れた。

 実質的には愛人だった。……と、その息子のサラームは思う。



 サラームが産まれた頃に、先代シークはその座を長男に譲った。自分は商売から手を引き悠々自適の生活に入り、サラームの父親が辣腕をふるうことになる。

 だが、父がどれだけ有能でも、勤勉でも、金や権力を持っていても、女性たちの感情論はどうすることも出来なかった。

 父が溺愛していたのは最初から最後まで、小夜香だったのだと思う。だが、その権力の立場上、めとらなければならない妻は結構いて、その政略結婚の妻達は、当然のことながら何の後ろ盾のない奴隷出身の小夜香を目の敵にした。


 それでも小夜香はサラームを責任を持って育て、豊葦原の言葉も教えたし、自分の過去の事も、いくらかは話してくれた。

 サラームが十歳になるまでは、一生懸命生きてくれた。

 他の妻達に、十年かけてなぶり殺しにされたようなものだった、と評する者もいたが、サラームは、小夜香が懸命に雄々しく生き抜いて、自分が独り立ち出来る基礎を作ってくれたのだと信じている。


 そして十歳の時から、サラームは、他のきょうだいの母親達から、命を狙われるようになる。

 アサド王国の言語と豊葦原の言語を自由自在に話せるサラームは、元から外国語習得のセンスがとてもよい上に、小夜香に行儀や辛抱強さや真面目な努力を教え込まれていたため、早くからシークである父親の目にとまり、自分の片腕のように育てられたのだった。

 当然、サラーム以外にも、血筋のよい(と自分が信じる)子どもを産んだ母親達は面白くない。

 小夜香の事は刺すような態度や言葉や本人達曰く「イベント」でイジメ殺したが、自分の息子の目の上のたんこぶであるサラームには、直接、毒薬や刃物や暗殺者を送りつけたのだった。

 サラームはことごとく生き延びた。


 最初は、部族の恥と思い、公にはしないように処理してきたサラームだったが、最後にはこらえきれなくなり、シークである父親に、動かぬ証拠を見せた上で、暗殺未遂の件を話した。

 そのことについて、暗殺者を雇った母親達は、高笑いしながら言い放った。


「その証拠を、薄汚い奴隷の息子が、捏造しなかったという証拠がどこにあるの!」

「お前の言う事が正しいという証拠がどこにあるの!」

「証拠を見せなさいよ!」


 証拠ならある。父の前に見せている。父もそれは確認している。だが、他の子どもの母親達は一歩も譲らず、高らかな笑い声を立てながら、父の目前でサラームを罵った。


「男をたぶらかすしか能なしの、薄汚い外国人奴隷の息子が、いけしゃあしゃあと嘘をつくんじゃないわよ! お前の母親もとんだ嘘つきだったわ!!」


 そこまで言ったところで、父が、その女の顔面をピシャリとビンタした。

「きゃあっ!」

 女は華麗によろめき、しくしく泣き出した。

 しくしく、しくしく。

 私は奴隷の嘘におとしめられるのね……。


 そういうふうに女を使う女達だった。サラームは、母がそんなふうに女を使ったところは見た事がないため、唖然として声も出なかった。なんと醜い事だろう……。


 そして、サラームは、母がどんな女性だったのか知りたいと思った。

 アサド王国で奴隷に身を落とす前、母が豊葦原のどんな家でどんな生活をしていたのか知りたかった。

 断じて、「薄汚い嘘つきの奴隷」なんかではなかったはずだ。奴隷を全て馬鹿にしているわけではない。

 女達は、奴隷とみたら頭から見下していいと言う価値観で生きている。その価値観に染まりたくはない。

 その上で、母の全てを知りたいと思った。母がそんな風に罵られる時に、言い返せる根拠が欲しかった。その目で、根拠が見たかったのだ……。

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