織りなす楓の錦のままに
秋濃美月
第1話 人生初の奴隷市場
「
萌子は、母である
多分、これぐらいの金額があれば、近所の自動車学校に余裕で入学、卒業する事が出来るだろう。そんな厚みだ。
恐る恐る、封筒の中身を確かめようとする萌子に、幸世が言った。
「奴隷の一人ぐらい、選べるわよね。本当なら、私かお父さんが選びに行くんだけど、お父さんはずっと仕事で忙しいし、私は
幸世は、受験期の娘を抱えて忙しい主婦らしい小言を長々と始めそうだった。それを察した萌子は慌てて前に手を突き出して、母を制止した。
「わかってるって、ママ。大丈夫よ。私だって、そんな変な人、買ってこないから」
「奴隷は、若くて健康そうな娘さんを選ぶのよ」
幸世は昨晩も、萌子に言った事を繰り返した。
「明るくて、態度がよくて、常識があって家事が出来そうな娘よ。女中になってもらって、家事を任せるんだから。理想を言ったらきりがないけれど、家政婦を任せて大丈夫な知識のある、働き者よ。わかったわね」
「うん。わかった。ママ。
「そうよ。正子は、お前にも残念だったけど……。……。まあ、正子も、新しい女中を許してくれるでしょう」
正子と言うのは、二ヶ月前にこの福田家で葬式を出して見送った働き者の女中である。 福田家の次女である萌子が生まれた時からそばにいた乳母でもある。何でも、長女の
その幸世が亡くなった時には、奴隷とは言え、身寄りのない彼女のために福田家で葬式を出して、彼女の遺品も整理した。
結果、福田家に部屋と仕事が一つあいたのである。
それで、幸世の寂しいとか家事が回らないという訴えを聞いて、兼久が、今度は女中か護衛を雇おうと言う気になったのであった。彼は、この豊葦原の幕藩体制において、奉行所勤めで、多忙な身の上だったが、家庭を無視するようなタイプではなかった。妻の幸世の訴えをよく聞いた上で、家の切り盛りと三人の娘の教育が想像以上に大変な事を把握していた。
奉行所勤務であるから、この豊葦原の首都である灯京においても、治安はまだまだ悪いこと、女性は一人歩きなど滅多に出来ないし、どうしても一人で出歩く場合はタクシー移動であることは、把握していた。
三人の娘はまだ学生である。一人ぐらい、屈強な護衛兼運転手がいてもいいかもしれない、と思い、提案してみたところ、幸世は女中の方がいいと言った。子ども達の通学は女の子同士で固まってするし、お使いなどの場合は女中をお供に連れて行けばいい。それよりも、日頃の家事を一緒にする仲間が欲しい、出来れば、と言ったのだ。妻がそういうならそうしようと思った兼久はすぐに金を用立てた。だが、困った事に、市場に奴隷を買いに行く暇がなかなかない。
大学生の亜沙子は、遊んでいるようで、休みでも研究室からなかなか離れられる様子もない。中学三年生で、高校受験を来春に控えている真紀子は、休日も朝から晩まで勉強だ。
そんな折り、萌子の通う、織田原市立第一高等学校の開校記念日がやってきた。一日がら空きになったのである。それで、幸世は、萌子に奴隷の件を任せようと思った。高校二年生で、余裕のある時期に、大金を持たせて、責任感を養ってやろうとも思った。
たまたま何の予定もなかった萌子は承諾し、前の晩から、幸世によい奴隷を買うコツをレクチャーされた。
そして、タクシーを呼んで待っている間も、幸世は小言まじりにレクチャーを繰り返したのだった。萌子は、口答えもせずにそれを聞いていた。鞄にしまった札束の厚みがそうさせた。そんな大金を持たされたのは、実際、産まれて始めてだったのだ。
やがて、タクシーが家の前の道路に泊まった。
それを窓から見た萌子は、身支度を確認して、母につきまとわれながら玄関に向かった。
「それじゃ、気をつけるのよ。何かあったら、すぐ連絡しなさい。お金持ってるんだからね」
幸世は家から出る萌子にそう念を押した。
「わかってるって、行ってきます」
萌子は元気よくそう告げてドアを開け、外で待ってるタクシーに向かった。やれやれ、母の小言は心配の裏返しだとわかっているけれど、時々凄く退屈になる。
豊葦原王国、首都灯京。その郊外にある織田原市が、萌子の自宅である。
奴隷市場は、織田原市からタクシーを飛ばして30分ほどにある、花園町である。花園町に行くのも、萌子は全くもって初めてだったが、タクシーに乗る事はしょっちゅうなので、さして緊張はしていなかった。
花園町に向かう途中の古い叙情的な景色を車窓から眺めながら、萌子は、宿題の事を考えていた。明日の豊葦原史で、小テストがあると、聞いていたのである。
(えーっと、幕府が開かれて今年で432年目であってるのよね。年号の語呂合わせ、家に帰ったら確認しよう。いずれ、200年ぐらい前に、西洋の、どこの船だっけ? がやってきて、散々トラブルがあって、小さい戦争が三つあって、それで革命が起こったんだけど、幕藩体制は覆されなかった、そのあたりについて、200文字でまとめるやつが出るって、鶴子が言っていたけれど。鶴子は豊葦原史が好きで得意だから張り切ってるけど、このへん覚える事たくさんありすぎ。教科書読むの、面倒だけどやらなきゃな)
現在、豊葦原政府とも言える、トクセン幕府は、西洋では藍国と穂国としか国交を持っていない。近代に入ってから国交を樹立したのは、元から仲のよい東南の国々を通じて、遠い天竺やその天竺より遙か西にある、赤道大陸の聞いた事もない異教の神の国とだった。
赤道直下の大陸だから赤道大陸とはまた安直な言われ方だが、そこの国々から新しい科学や香辛料や珍しい商品などを輸入し、豊葦原からは昔ながらの絹をはじめとする天然繊維、化学繊維、米、銀、時として金を輸出している。
そして、南の国からの奴隷も。
豊葦原では人身売買は、禁じられていない。中流階級以上では、家内奴隷はそれほど珍しい存在ではない。萌子も、亡くなった正子に育てられたようなものだから、奴隷に違和感を感じてはいなかった。だが、子育てをするだけの一般教養や技術のあった正子が、何故奴隷だったのかは、詳細は聞いていない。
豊葦原と奴隷の事を考えながら、ぼんやりしていると、タクシーは花園町にある奴隷市場に着いた。
「お嬢ちゃん、気をつけてね」
タクシーの運転手が、会計をすました萌子に、一声かけてくれた。
「ありがとう、気をつけます」
萌子は明るくそう答えて、タクシーを降りた。
花園町は、大小の奴隷店であふれかえっていた。
奴隷店を示す、首輪のマークの着いた看板がどの店の前にも立っている。それは、奴隷法で定められている事なそうだ。萌子は、世間話でそう聞いている。昔の奴隷は、今の”リン”の魔法を帯びたアクセサリではなく、本当に首輪をつけられていたのだそうだ。今は非人間的過ぎるということで、逆に首輪をつけることは法令で禁じられているが、シンボルマークには残ってしまっている。
リンというのも、本来は首輪の鈴の事を意味したのだそうである。奴隷は、今でも自由を制限されている。リンという魔法で、奴隷の居場所は、いつ何時、どこでも、主人にはすぐ知られてしまうのだ。逃亡したくても、魔法のせいで、逃げられない仕組みになっている。
そのリンという魔法は、イヤリングやネックレス、リングなどのアクセサリに封じ込められ、それを身につけている事を義務づけられている。そして、そのアクセサリを外せるのは直接の主人だけとされ、勝手に外すと厳罰に処せられた。それは、よほど厳しい罰であるらしく、萌子は正子がどんな形でも、リンのブレスレットを勝手に外した所を見た事がない。
萌子は、様々な首輪マークの看板の道を、眺めていたが、ふと思い立って、近くで一番大きな看板を出している店に入ってみた。
「いらっしゃいませ」
中から出てきたのは、一目でリン=アクセサリだとわかるネックレスをつけた若い男性の奴隷だった。なかなか体格がいい。
若い男性は、入ってきたのが可愛らしい女子高生である萌子だと気がつくと、意外そうな顔を一瞬見せたが、すぐに甘い笑顔を顔に貼り付け、萌子に向かい直した。
「奴隷が入り用ですか?」
「えっと……女中を探しているんですけど、こういう場所、初めてなんです。教えてもらえますか?」
「女中。家内で働かせる、女性の奴隷ですね。家政婦ですか?」
「はい。家事を頼みたいんです」
「かしこまりました。年齢は?」
「若い人でお願いします」
入り口のカウンタで簡単な聞き取りを行われた。
萌子が求める奴隷がどんなタイプか、色々聞かれたのだ。
5分ほどで、聞き取りは終わり、要望を把握した店の奴隷は、カウンタの中から出てきて萌子の前に回り込んだ。
「それではご案内しますので、こちらへ。ご期待に添えるといいのですが」
大型の看板にあわせるように、店内は大きくて広かった。だが、大きそうな部屋の間に、細い通路が込み入っていて、確かにこれは、奴隷の案内がなければ迷ってしまいそうだった。
部屋の中で何が行われているか、萌子には想像もつかないが、結局、彼女は、割合すぐに、大きな部屋の一つの中に通された。
「うわ」
萌子は思わずそう言ってしまった。
ショーケース。
ガラス張りの巨大なショーケースが、ドア以外の四方に張り巡らされ、その中に、メイド服を着た若い女性達が座りこんでいた。
多くは自分用の椅子に座らせられ、耳か、胸元か、指先に、リン=アクセサリを光らせている。
椅子の上で彼女たちは、ぼんやりと物思いにふけっている者もいたが、多くは、編み物や縫い物で手をしきりに動かしていた。勤勉な態度を見せるためだろう。
そして、彼女たちの足下には、本名ではなく数字の番号と、金額が書いてある札が綺麗に張られていた。
メイド服はそれぞれ様々なデザインだったが、大体が清潔で身なりがよく見えるものばかりで、どうやら、店の奴隷は、萌子の要望を聞いていたから……そしてやはり、萌子の外見や年齢を気にして、見せられる範囲を見せたのだろう。
それでも、萌子には結構ショックな光景であった。
同じ人間が、ショーケースの中で、値段をつけられて、商品のように売られているのである。いや、商品なんだろうけど。
「話しかけてもいいですよ。どれか、お気に入りの奴隷があるといいのですが」
にこやかな笑顔で、店の若者の奴隷がそう言った。
ショーケースの中のメイド達は、一斉に、萌子の方を見た。
皆、黙っている。
無表情だ。
それまで、一心に動かしていた編み針や、針の動きも止まっている。
誰も声を立てなかった。
萌子はすぐに気がついた。萌子の方から話しかけてもいいけれど、奴隷の方から話しかけるのは禁止されているのだろう。そこまではっきり細かい事は、奴隷法にはないけれど、恐らく彼女たちに植え付けられた常識として、そうなのだ。
萌子は店の若者に勧められて、ショーケースの方に近づいていったが、そこにいたのは、自分と大して年の変わらない……いや、何歳かは年上だろうか……同性の奴隷だった。
セーターだろうか、何か複雑なものを網みかけの手を止めて、無言で萌子の方を見ている。
「……」
萌子はなんとも言えずに気まずくて、目をそらしてしまった。それからぐるりと、ショーケースの周りに視線を巡らした。だが、すぐに、母の言いつけを思い出して、ショーケースの中の奴隷を、一人ずつ見て回ることにした。
萌子の頼み通り、健康状態のよい、一般常識のありそうな奴隷ばかりであることは、様子でわかった。
だが、やはり、そういう奴隷となると、手持ちの金額より高額であるらしい。少なくとも、値札の金額を見れば、そうであることがわかった。
「いかがですか?」
ショーケースの周りをぐるりと巡った萌子に対して、店の若者がそう尋ねた。
萌子は首を左右に振った。
「財布との相談で、ちょっと……」
とりあえず、正直に話しておく。
店の奴隷は、もう少しランクが落ちるが、安く買い上げられる奴隷はどうかとか、ローンはどうかとか、勧めてきたが、萌子は、丁重に断って店を出ることにした。
若者の案内で店を出た後、萌子は、通りで軽いめまいを感じ、体が大きく横に揺れた。
だが何とか踏みとどまって、萌子は、通りで倒れたり、建物に寄りかかったりすることもせず、覚束ない足取りで歩き始めた。
奴隷市場はそれぐらい、17歳の萌子には衝撃的だった。無論、相当にソフトな店だったのだとは思うが。
何とかゆっくりと歩きながら、萌子はスマートホンを鞄から取り出して、検索をかけた。
マップを見ると、通り一つ離れたところに、小さい公園があるらしい。公園で、一休みしようと思い、マップを見ながら、足下をふらつかせないように気をつけて歩き始めた。
マップばかり見ていたのだから、仕方なかったのかもしれない。
車道ではなく歩道。店に近い方の歩道を、目眩をこらえながら歩く萌子。
広々とした大きな道で、店の前の看板の間に、自動販売機やゴミ箱が点在している。萌子以外の人通りは結構あるが、ほとんどが中高年の大人だった。
萌子は人にぶつからないように気をつけながら店の方に沿って歩いた。
その萌子から、前方2メートルほどの店の玄関が、突如--
破裂した。
巨大な騒音を立て、電撃をほとばしらせながら、鉄のドアが粉々に砕かれ、ガラスや破片が飛び散った。
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