第8話 年齢差と身分差

 萌子は無事に帰宅した。

 日が暮れる少し前の時刻だった。

 高校生である萌子が図書館で自習することはよくあることなので、幸世も誰も気にとめなかった。

 父親の兼久は書斎で休日を楽しんでおり、大学生の亜沙子は相変わらず研究室から帰ってこない。高校受験を控えている真紀子に、幸世はつきっきりであるらしい。


 ダイニングキッチンに行くと、そこでは、テーブルに着いたサラームがたどたどしい手つきで大量のゆでた栗を剥いていた。

「サラーム? どうしたの、その栗」

「午前中に、庭の栗を拾って欲しいと言われたんだ。その後、ゆでて皮を剥くところまでしてほしいと、母上に」

「あ、なるほど……ちょっと、手、大丈夫?」

「う、うん」


 大名家ほどではないが、福田家の広大な敷地には栗の木はかなり生えている。その全部の木から栗を拾ってきたのだろうか?

 いずれにしろ、サラームは専用のナイフで何とか実を傷めないように皮を剥こうとしているようだが、慣れない作業であるらしく、時折指が滑っているように見えた。


「栗、慣れてないの?」

「あまり見た事はない」


(外国から来た人なんだなぁ……)

 今更ながらに、それがよくわかるのだった。西ウラシアにも栗はあると聞いた事があるような気もするが……。


「手伝うわ」

 萌子は、小型のナイフをキッチンから持ってくると、サラームの前の席に座り、テキパキと栗の皮をむき始めた。

 慣れた手つきをサラームが感心したように見つめている。

「栗拾いは毎年の事だからね。お母さんの手伝いで、正子きみこと秋にはやっていたのよ」

「正子というのは、俺の前にいた……」

「そう。私達、姉妹の乳母。家事なら何でも教えてくれたの」


「……」

 正子のかわりに萌子が買って来た奴隷のサラームは、なんだか複雑な顔をして話を聞いている。


「正子がいなかったら、私、米も研げない娘だったかもしれないわ。奴隷って馬鹿にしたものじゃないわよね」

 早田屋での出来事を思い出しながら、萌子はそう言った。サラームに、奴隷虐待を受けていたんじゃないかとか、口止めされているんじゃないかと、すぐに問い詰めたかったが、出来なかった。……サラームに恥をかかせたり、傷口に塩を塗り込むような事はしたくない。どうすればいいか、萌子も考えあぐねていた。


「そうだな。何でもそうだが、奴隷だって、使いようだ。侮るのはよくない」

 シークの息子であったサラームは、抑え気味にそう言った。

 サラームは、神の誓いで口止めを受けていた以外にも、自分の身分を簡単に明かせないという事があった。アサド王国で王族に継ぐ地位を持つ、アル=アウスの長男である自分が、ここで何をやっているのだろうか。それを、人に知られる訳にはいかなかったのだ。


「何か、うちにいて、不自由なことはない?」

 萌子は気を取り直してそう尋ねた。

「何でもしてあげるとまでは言わないけれど、やりづらいこととかがあったら、言ってね」

「…………」

 萌子の言葉に、サラームは沈黙してしまった。

 サラームの目には、萌子が落ち込んで何か悩んでいる様子が一目瞭然であった。


 黙りこくって、栗のナイフを滑らせながら、萌子の様子を見守る。萌子は、サラームが、自分の事を見ているので、そこを変に勘ぐった。

 自分が今、悩んでいるから、サラームが悩んでいるようにも思えた。

「どうしたの? 前に、大浦の抱き楓紋の話をしていたけれど、それと何か関係ある?」


「!」


 サラームは、ここの所、萌子が授業中の間は、大浦家の探索ばかりしていた。

 幸世の言いつけがない限りは。幸世のヒステリーと小言は苦手だったが、もちろん、萌子の母親である。頼まれた仕事は確実にやっている。

 それ以外の時間は、大浦に向かって、情報収集に励んでいた。


 そしてわかったのは、大浦澄香は、自分の血縁ではないのか? ということであった。

 小夜香と酷似している澄香の美貌の事もあったが、小夜香の昔の思い出話にあった風景をいくつも見つけ出したのだ。


 小夜香は、自分の生まれた家の地位や身分の事は全く話さなかった。そのかわり、豊葦原の祭の文化や、庭にあった季節の花々、昔話の言い伝えや、”兄との喧嘩や仲直り”の話を頻繁にしていた。

 小夜香には、兄がいたらしい。兄の名前は、殆ど出なかったせいか、サラームもよく覚えていない。


(もしも大名家の子息ならば、確かに、兄の名前を、あの環境で迂闊に言えたはずがない……)

 サラームでもそう思う。

 だが、惜しい事をした。小夜香が亡くなったのは十二年前。(現在サラームは22歳)。そのときに、せめて、頻繁に思い出話に出来た兄の名を聞いておけばよかった。

 恐らく、晴季はるすえと答えただろう。

 それぐらい、小夜香の思い出話に出てきた風景と、大浦の上屋敷はよく似ていた。


 丈高い皇帝ダリア。色とりどりに咲き乱れるコスモス。青いローズマリー……。


「図星?」

 黙ったまま固まってしまったサラームを見て、萌子はやっと明るく微笑んだ。


「確か、大浦家のお嬢様って、凄く評判いいんだよね。灯大生で、すっごく綺麗で優秀で、しかも優しい人なんだって。高校までは津軽にいたんだけど」

「津軽?」

 サラームは思わず問い直した。

「うん。津軽って、この灯京からすごーーく北の、海に面した半島の事を言うの。その津軽の、言っちゃなんだけど片田舎から出てきたとは思えないぐらい、優秀な才媛なんだって。たまに、お父さんとお母さんが噂している。評判いいよ」

「……」

 サラームは呆気に取られてしまう。

(俺の祖父の名は、確か、ツガルハルノブ……)


「そのせいだと思うんだけど、海上貿易に手を出している大名なの。菜ヶ咲から。北の、飛早湊とさみなとから、何カ所か港を経由して、菜ヶ咲まで品々を出して、それで外国と貿易しているんだって。そのせいか羽振りはいいみたい」


「親子仲は、いいのか?」

 サラームはそれとなく、探りを入れてみた。何日か大浦家を遁甲の術を使って探索していたが、澄香の両親は見つからなかった。いたのは二重帳簿の偉そうな杉原だ。

 女中の話などにそれとなく耳をそば立てていて、どうやら両親は遠方にいて、その父親が今度の休みに澄香を訪ねてくるということはわかっている。

 澄香の喜び具合から、父親と仲はいいんだと思うが……。


「いいと思うよ。娘を溺愛しているってもっぱらの評判」

「澄香姫は、何故、灯京都に出てくる事になったんだ」

 杉原と同居しているのを見て、サラームは気分が悪かった。


「優秀だからでしょ? 灯大は、豊葦原で一番の大学だもの。自慢の娘に磨きをかけたかっただけよ」

「……そんなに、優秀なのか」

 柔らかい雰囲気でふわふわと笑っているお姫様しか見ていないので、サラームは驚いていた。豊葦原最高の学問をおさめるために、遠い津軽から出てきたというのなら、それはいとことしても文句は言えない。


「優秀だよ。……何、会いたいの?」

 萌子は、サラームの食いついてくる様子を見てそう尋ねた。

 サラームは思わず頷いた。


 萌子も、サラームが大浦家の関係者と何かあることはわかっている。それを易々と話せないように、違法の奴隷商人に口止めされているのだろう。だが、もしかしたら、味方であろう……萌子はそう願いたい……味方のはずの、大浦家でなら話せるかもしれない。奴隷商人の、海賊と人身売買とか、奴隷虐待とか、そういう、奉行の娘には許しがたいことを。


「わかったわ。お父さんに話してみる」

「そんなことが出来るのか?」


「私、灯京大、目指しているもの」

 萌子はけろりとしてそう言った。

「灯大を?」

「一応、合格ラインではあるのよ。お母さんには話しているけれど。オープンキャンパスも、行ったわ。だけど、灯大の知り合いや友達はいないから、灯大の学生生活や勉強ぶりを知るために、評判の澄香姫に会わせてって言えば、お父さんは賛成するかも。お父さんも、灯大出身だし。お姉ちゃんは、阿茶の水の情報科学に進んじゃったけどね。お父さんも、三人いる娘に、一人ぐらい後輩欲しいかとも思ってるんだ」


「……灯大に行って、何を勉強したいんだ」

「私は編集者になりたいの。子どもの頃は漫画家になりたくて、ミニコミ誌とか作っていたんだけど。ミニコミ誌作ってみたら、編集作業の方が面白いし向いていたのよ。それで、編集のプロになれたら嬉しいかなって。そういうのって、知識も必要だから、レベル高い大学で損する事はないと思うんだ」

「なるほど、向き不向きか」

 自分に何が向いているのか、確かめた上で、上を目指すのなら、それも何も問題はない。文句はない、頑張れと思う。



「今、私、高校二年で、秋口だし。これから受験戦争よね。お父さんに、澄香姫に灯大受験のコツを聞きたいのって言えば、多分、聞いてくれると思うのよ」

「頼めるか?」

「そうね。サラームは護衛として同席するんだったら、何も不自然じゃないよね」


 話はそれで決まってしまった。その後は、二人は向き合って、大量の栗を雑談しながら剥き続けた。




 その日の夕飯には栗ご飯が出た。

 正子がいなくても、何十年も主婦をやってきた幸世は、抜かりのない夕飯を作る事が出来る。女中を欲しがったのは、単に自分が寂しかったのだろう。

 秋の味覚に整えられた食卓に、家族全員が着いた。


 サラームは、別室で食べるのだが、その夕飯も、食い残しなどではなく、母の相棒だった正子と同じく、家族と同じものが出されている。ただ食べる部屋が別々なだけだ。


「お父さん、後で、進路の事で話し合いたい事があるんだけど」

 その食事の最中に、萌子がさりげなく父親におうかがいを立てた。

 兼久は、一見、温厚に見える顔にいぶかしげな表情を見せて、娘の方を見た。

「萌子? お前は、亜沙子と同じ、阿茶の水の文教で決めるんじゃなかったか?」

「うん。でも、お父さんの後輩もいいかなって」

 そう言ってしまってから、手早く栗ご飯を口の中に入れる萌子。

 もぐもぐ。栗ご飯は、おいしい。


「……後輩?」

 兼久は、不意を突かれたように次女を見た。亜沙子の方は、今日はたまたま研究室での飲み会があったとかで帰りは遅くなると連絡が入っている。

 一緒に夕飯を食べていた妹の真紀子の方は反応を示した。

「お姉ちゃん、灯大目指すの?」

 中学生の三女が目をまんまるにしてこちらを向かってくる。

「あ、うん……まあね」

 萌子は控えめにそう言った。

「なんだ。阿茶の水じゃ、ないのか。灯大が、いいか」

 兼久はやや大きな声でそう言った。


「あ、うん……私、編集者になりたいじゃない? 灯大出た編集者の、いい記事を最近読んだの。それで、どうかなって」


「なんだ、そういうことか。わかった、進路の相談なんだな。夕飯の後に、俺の部屋に来なさい。色々、聞いてやろう」

 滅多にないぐらいのいい笑顔で、兼久はそう言った。

 萌子はほっとした。母親の幸世(これでも灯京女子大学卒)は、萌子の突然の行動に驚いてはいるようだったが、萌子が合格ラインであることは知っていたので、自分の中でランクが上がったんだろうとしか思ってないようだった。それより、真紀子が萌子と同じ第一高等学校に入れるかどうかという微妙な状態の事が気にかかる。

「あなた、そういえば、真紀子の学習塾の話ですけど、この間の点数が……」

 幸世は、真紀子の「うげえ」と言いたげな顔にも気づかぬように、塾での模試の話を始め、兼久は「わかった、わかった」と相づちをうつ機械になってしまった。




 萌子の読み通りに、兼久は、「俺の娘が俺の後輩! なんといっても灯大生!」という考えにはまってしまったようだった。

 そして、元から誼の深い大浦晴季に電撃の速さで連絡を取り、うちの娘が澄香姫のファンのようでというように担いだらしい。

 娘の溺愛ぶりで有名な大浦晴季は、灯京大学を目指している娘さんが、自分の娘に憧れて話を聞きたいようでというふうに受け取って、とんとん拍子に話が進んだ。

 第一高等学校に通う二年生の秋、進路の問題なら親の悩みは尽きないところ、そこで、進路を決定するために受験のコツを聞きたいなどというのはよくある話。まして澄香は有名な才媛である。

 次の知真おきまの日、即ち、晴季が灯京に見物に来る日に、護衛同伴の上で、澄香と萌子が面談することになった。

 萌子の護衛はもちろん、サラームである。



「萌子様、……本当に俺が行っていいのか?」

 あまりに素早く話が進んだので、サラームは半信半疑だった。

「様づけじゃなくていいわよ。サラームは、私より年上だし、私の出来ない事、色々出来る人なんだし」

 萌子はそう言った。

「だが、呼び捨てする訳にもいかない。あなたは俺の主人だ」

 真面目なサラームはそう答えた。

「そうね。豊葦原には、他にもいろいろな言い方あるから……萌子さんか、萌子ちゃんでどう?」

 萌子は一応、代案を提案した。


「萌子……さん?」

「萌子ちゃんでもいいわよ。サラームなら」

 萌子は笑ってそう言った。

 考えてみれば、自分よりも五歳も年上で、自分よりも能力のある男性を、ずっと呼び捨てにしていたのだ。

 身分差って、不思議だと思う。

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