第7話 パパはお奉行!

 豊葦原の暦は、月の満ち欠けに沿い、30日で一ヶ月である。

 一年は十二ヶ月。四年に一度、閏月が入って季節を調整する。


 30日の間に、六徳と呼ばれる、現代日本で言うならば曜日のようなものが五回巡る。


 礼持うやし仁心ともと信人ことめ義勝よすぐれ勇進よすすみ知真おきまと、古代より独特の読み方をし、陰陽師や卜占を生業とするものに言わせれば、それぞれに、深甚な意味があり、日によってエネルギーが変わるらしい。

 このうち、最後の知真おきまの日が休養の日--現代日本に置き換えれば日曜日となる。

 それとは別に年間20日ほどの祝日が豊葦原にはあり、暦の慣行で、11/19の知真おきまの日のあと、20,21日と連休になっており、大浦晴季は、その三連休を娘の澄香と過ごすために、上京する予定であった。


 これは、その前の知真おきまの日--11/13の話である。


 萌子がサラームを買ったのは、11/8の事であった。

 その後、ドタバタとしていたが、なんだかんだで萌子は、サラームはよい人間であることは認めざるを得なかった。その上で、十分に教育を受けた様子が見てとれるサラームが、何故、豊葦原で奴隷をすることに至ったのかが、非常に気になった。


 さらに言うなら、サラームは奴隷法違反の扱いを受けているのではないかと非常に気になった。

 何でそんなに気になるのかと言えば、理由は様々あるのだが、いずれにしろ、萌子はサラームを気に入っている、そこは間違いないだろう。


「お母さん、それじゃあ、出かけるから」

「そう? 鶴子ちゃんによろしくね」

 その日、萌子は、クラスメイトで親友の鶴子と近所の図書館で勉強をすると言って家を出た。基本的に、豊葦原の若い女性は護衛をつけずに外を出歩く事はないのだが、女子同士固まっての移動はよく見かけられる。

 家から五分の近所のバス停で鶴子が待っている、と萌子は親を嘘をついてだまし、一人で出かけることにした。サラームにも同じ嘘をついている。


「サラームが悪い訳じゃないんだけど、図書館でしばらく勉強するから、入ってこられても困るのよ。何時間も、図書館の駐車場で待ってもらわれるのも、気が引けるし」

 と、言った。


 そういう訳で、萌子は近所のバス停から、バスと電車を乗りこなして、一人で花園町へ出かけてしまったのである。当然、時間はタクシーよりもかかったが、正午前には、サラームを買った店、早田屋の前に着く事が出来た。



 萌子は交通機関の中で、何回目かに、サラームを買い上げた時の書類を確認していた。サラームの生い立ちについては、豊葦原の慣例で完全に削除されている。それこそ戸籍を削除される勢いだ。

 しかし、奴隷出身とも思えない。

 豊葦原では、基本的に、奴隷の親から生まれた子どもは奴隷となる。もしくは、よほど社会的に逸脱した行動をとり続けた人間が、人権を剥奪されて奴隷の身分に落とされる事はある。大体、奴隷として生きる人間はその2パターンしかない。……もちろん、何事にも例外はあるが。


 奴隷に教育を与える場合もあるにはある。だが、多くの奴隷の子どもは義務教育を受けられるか受けられないかというレベルで、そこは半々だ。

 外国人の奴隷でも、それは変わらないはずだった。

(少なくとも萌子は教科書でそう習っていた)。


 それなのに、サラームの出来の良さはなんだろう。

 それで、萌子は、サラームは本来”奴隷じゃないんじゃないか”……そして、奴隷をせざるを得ないのは”萌子が買っちゃったからじゃないか”という疑念につきまとわれ、それを確認するために早田屋に来たのだった。


 早田屋の手前まで行くと、呼び込みをしている奴隷がいた。その奴隷に”先日奴隷を買ったものだが”と話しかけると、すぐに店の中に案内してくれた。

 店内はやはり、赤みがかった薄暗いランプに照らし出され、何故か、前に来訪した時よりも寒々とした空気が漂っているように感じられた。


 萌子は一瞬だけ、単独行動を取ったことを後悔した。これから一人で、サラームの情報を収集出来るだろうか。

(一人で来ちゃったけど……。お母さんに、サラームの不思議に思っている事を相談して、買った店に確認を取ると言ったら、絶対にお父さんの部下の侍をつけると言われるに決まってるわ。だけど、お父さんの侍と一緒に来て、この商人達が尻尾をつかませてくれるわけがないじゃない。ここは私一人でも、……サラーム買っちゃったのは私なんだから、確かめる所は確かめた方がいい)

 などと、女子高生は考えたのだった。


 案内してくれた奴隷が、カウンタの受付に男を呼んできてくれた。先日、サラームと大立ち回りをした後、萌子に彼を売ってくれた男である。


「何か?」

 男……名前は確か、渡部と言ったはずだ。渡部が、萌子に不気味なぐらいの愛想笑いで問いかけてくる。

 萌子は下腹に力をこめて、平常心を装いながら返事をした。

「サラームの事について、お尋ねしたいことがあるんですけど」

「!」

 渡部は肩を跳ね上がらせた。


「あの奴隷、やっぱり、何か失礼な事をしでかしましたか!」

「……やっぱりって何?」

 サラームは失礼な考えにはまっていたことはあるが、それは無理もない事と萌子は捉えている。むしろ、失礼な事や無礼な事は一切しない、優秀さを見せているので、心配になって販売元に確かめに来たのだ。


「いやー、あの野郎の躾には随分手こずりまして……」

 頭をかきながら渡部は勝手にべらべらと喋り始めた。

「奴隷の躾っていうのは最初が肝心なので、色々やったんですがねえ、野郎、気が強くて従わねえ従わねえ……」


「躾?」


「それでうちの腕っ節の立つ野郎どもで押さえ込んで、鼻っ柱をへし折るように色々やったんですけどねえ、あはは。それでもやっぱり反抗しましたか。アフターケアでこちらでまた躾け直しましょうかー?」


「なんで躾が必要な事になったの?」

 へらへらと笑う渡部に対して、萌子は冷たい表情でそう言った。


「へ?」

 渡部は、萌子の質問が完全に想定外だったらしい。


「奴隷生まれの奴隷育ちでもそうなるの? サラームってどこの生まれでどういう育ち?」


「へ?」

 いつの間にか、渡部は冷や汗を流していく。

 挙動不審に萌子から目をそらしながら、何かに助けを求めるように視線をさまよわせている。


(これって、……やばいんじゃないの? 黒じゃない?)

 萌子は怒りを抑えた。必死に怒りを抑えながら、無言で渡部に返事を促した。


「そりゃあ、聞きっこなしですよ。お嬢さん。奴隷の生い立ちは……聞いちゃいけねえことになってるんだ。ところで、あいつが勝手に何か言いましたんで?」


 萌子は眉をひそめた。瞬間的に理解した事があった。

(口止めしたわね)

 奴隷商人達は、何か、人に知られて困るような事をサラームにしたに違いない。そしてそれを、サラームが外部に漏らせないように、さらに脅迫かなにかしたのではにだろうか。 そのことを想像すると、萌子は今にもぶち切れそうになった。

 だが、その怒りを深呼吸をしてやり過ごす。


 萌子は椅子から立ち上がった。

「サラームは何も言ってないけれど、気になったのよ。ところであなたたち、天知る地知る我知る人知るって知ってる? 悪い事って必ず、明るみに出るようになってるんだから」


 萌子は、それ以上、店の空気を吸っていられなかった。奴隷の乳母に育てられた彼女だが、奴隷売買の現実や、奴隷の現実など何も知らなかったと言える。サラームへの扱いを信じられないと思った。サラームにもすまないと思った。だが、買ってしまったものは仕方がない。奴隷虐待をする商人の元に、サラームを返したって仕方がないのだし。……。


 とにかく萌子はそのまま店の外に出た。早足で歩いて、地下鉄の駅に向かった。地下への階段を降りながら、暗がりの中で一人すすり泣いた。涙をこらえながら、この先どうしようと思った。


 だが、立ち止まっていても仕方がない。萌子は早足に地下鉄の駅にかけこみ、すぐ来た電車に行く先も確かめずに飛び乗った。

 もう花園町には来たくなかった。



「なんなんだ、一体……」

 一人残された渡部は、萌子に言われた事を思い返しながら顔をしかめている。


「サラームの野郎……あの子どもに、話してしまったのか……?」

 渡部にとって一番気がかりなのはそこであった。サラームは、確かに海賊から買い上げた時から、非常に反抗的だった。海賊達が、サラームをかなりの金額で早田屋に売ってくれたのだが(この時点で違法だが)、確かに見た目もいいし教養もあるし、何より若くて健康だったので、早田屋は早速、彼をしつける事にした。

 その際に、萌子のような甘っちょろい女子高生にしてみれば、どう考えても奴隷虐待としか言えないような事はあった(この時点でも完璧に違法だ)。

 サラームは奴隷商人達からしてみれば、非常に反抗的で、手が着けられなかったのだが、サラームが特にこだわったのは、奴隷商人達が取り上げてしまった楓の懐刀だった。


 楓の懐刀を取り返そうとして、サラームは大暴れしたのである。何か秘密があるのだろうが……。

 最後に、萌子にサラームを販売する時に、サラームはやはり、楓の懐刀を返せと迫ってきた。それで、渡部達は、海賊船から早田屋まで、見聞きした事、体罰の事、全て、何も話すなと口止めして、サラームの神にそれを誓わせ、楓の懐刀を返してやったのであった。


 アサド人に限らず、東南ウラシアから赤道大陸では、広範に信じられている異教の神のことは、早田屋の商人達もよく知っている。アサド王国の人間は皆、真面目で信心深く、神への誓いを破る事はないと一般に言われていた。もしも破るとしたらよほどのことだとか……。


(だが、もしかしたら……)

 

 渡部は急激に不安になってきた。

 神への誓いなど、口先だけのことで、サラームは早田屋にとって不利なことを、べらべらと萌子に話したのかも知れない。

 そうでなければ、萌子の様子は辻褄が合わない。


(あの野郎…………!)

 急激に、渡部の中で、萌子とサラームへの怒りがこみあがってきた。

 敬虔な神の徒達が、神への誓いを破る事などそうそうありえないのだが、奴隷商人である渡部は、神や仏のことなどてんから気にした事がなかった。

 自分が、神や仏への誓いを平気で破る人間なので、きっとサラームも口先だけでそうだろうと思ったのである。


(畜生、あんな誓いなんか本気にするんじゃなかった。サラームは、新しい主人に俺たちの事を話しやがったんだ! 待てよ? 確か、あの萌子ってガキの父親は……)

 慌てて渡部は、カウンタに備え付けているパソコンを操作した。手早く、顧客データを検索すると、すぐに萌子のデータは発見された。


 渡部はガタガタと震え始めた。

 記憶に間違いはなかった。萌子の父親は、奉行所勤め……灯京都の中町奉行所の……………………奉行その人だった。


 萌子が供回りをつけずに、奴隷商人の店で余裕を持っていられたのは、そのためなのだ。

 福田萌子の父、福田兼久は、中町奉行……。

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