第17話 織りなす楓の錦のままに

その日、夜遅く、福田家に帰宅すると、幸世だけではなく兼久が、待ち構えていた。

 サラームが自動車で帰ってくると、兼久は玄関から飛び出てきた。


「萌子!」


 奉行所勤めの父親が、あの後、早田屋に突撃したことは間違いがない。

 早田屋で、大浦晴季が対処してくれたはずだが、澄香は、どうなったのだろうか。

 萌子も、取るものも取りあえず、自動車から飛び出た。ほぼ同時に、サラームも車から降りた。


「萌子、お前っ……」

 兼久は、娘の無事な姿を見て、声を詰まらせた。

「ごめんなさい、お父さん。心配かけて……」

 兼久が血相を変えている様子を見て、萌子は、うなだれた。兼久は、サラームと、萌子をいちいち見比べて、問い詰めたい事が山ほどあるようだったが、そこに、部下の侍達がぞろぞろと出てきて、萌子の事を口々に心配し始めたので、冷静さを取り戻した。


 兼久は、背筋をすっと伸ばすと、萌子の方に深く頷いて見せた。

「お前が無事に帰ってきたのなら、何も問題はない。それよりも、随分、帰ってくるのに時間がかかったな。色々あっただろう。サラーム、お前も一緒に、中に入れ。話を聞かせてもらう」


 父親らしい威厳を持ってそう言われると、萌子もかえって落ち着いた。サラームも、萌子を連れ歩いた事について頭を下げ、二人とも、兼久の後を着いて家の中に入った。


 兼久の動きはサラーム達の予想した通りだった。

 萌子のスマホはワン切りレベルですぐに落ち、GPSも破壊されていた。だが、兼久は、リン=アクセサリの探知をすぐに思いつき、サラームの居場所を突き止めた。奉行所の役人と一緒に鈴木の病院にいるはずのサラームが、何故か花園町の早田屋にいる。そこでピンと来ない訳がない。

 奉行所の特殊部隊を連れて早田屋に突撃したところ、そこは、晴季が「無礼打ち」で一暴れしたあとだった。

 その無礼打ちの件は、サラームも萌子も突っ込まなかった。晴季が、氷魔法で全部やったことにしてくれたのである。


 大名家の一人娘を、家老が奴隷商人と組んで、友達の娘(父親は奉行)と一緒に海賊に売り飛ばそうとしたのだから、大名本人が、家老も商人も無礼打ちにした。


 何も文句の着けようのない仕事である。


 まだくすぶっている奴隷商人達もいたが、全員、お縄にして引っ捕らえ、刑務所に連行してやった。

 そこで、拉致されかかった澄香の方は、大浦家縁故の灯京都の病院に連れて行かれ、現在は、手厚い看護を受けているはずである。薬物反応の事は、しっかりした医者が手当てをしたので心配する事はないらしい。


 大浦家の方はそこで、口さがない世間が、杉原が澄香に何かしたんじゃないかとか、そういうことを言い出さないように、事態をもみ消しにかかっており、そこらへんのことで、しばらく晴季は津軽に帰らず、灯京都に滞在することになりそうだ。

 同じ事は萌子にも言える。


「……お前、サラームと、こんな時間までどこにいたんだ」

 嫁入り前の娘が……という話である。

 

「護衛とはいえ、奴隷の身分の男と、夜遅くまで出歩くんじゃない。何か、あったのか」

 それが気が気でなくて、兼久は、奉行所の仕事を部下に任せて、珍しく、家で待っていたということなのだろう。

 それを察すると、萌子も気まずくて仕方なかった。


「お父さん、……今まで黙っていたんだけど、私……」

「萌子?」


「サラームって、早田屋が法律違反をして、無理矢理捕まえて、奴隷じゃないのに奴隷にさせられた人なのよ。彼は元々、身分のある人間なの」

「…………」

 兼久は神妙な顔になり、萌子の隣に黙って座っているサラームを見た。


「どういうことだ?」

 兼久は、サラームに問いかけた。


「お父さん、あのね」

「萌子は黙ってろ。サラーム、お前がただ者じゃないことは察していたが……何があった? はっきり言うが、萌子に何かしたか?」


 にらみつける中町奉行の眼光に、サラームは怯む事もしなかった。だが、しばらくは沈黙の間があった。

 萌子は言いたい事はあったが、とても言い出せる空気ではなかった。


「萌子ちゃんの」


「萌子ちゃん?」


「はい、萌子ちゃんの髪にキスをしました」


 サラームは、萌子の前で、父親に向かってそう言い放った。

 萌子は思わず噴いてしまった。

 兼久は顎に手を当てて考え込んだ。


「髪?」

「はい」

「他の場所は?」

「手の上に」


「他は、していないんだな?」

「はい」

「もう一回聞く。他は、していないんだな?」

「はい。天地神明にかけて」


 兼久は、そこまで聞くと、やや苛立った顔でこう言った。


「お前は誰だ」


 そこで改めて、サラームは自己紹介をした。


「俺は、サラーム・バタル・アル=ハーリサ。ハーリサの世継ぎです」


 兼久は、動揺は見せなかったが、呼吸がかなり深くなったのを、娘の萌子は気がついた。息をのんだように見えないように、気を遣ったのだろう。


「ハーリサか。なるほど。……身分を証明する事は出来るか?」

 兼久が中町奉行の声でそう問いかけると、サラームは黒い着物の懐から、抱き楓紋の懐刀を取り出して、兼久の前に差し出した。


「母は、大浦小夜香。……隠し立てしていて申し訳がない。あなたが25年前に追っていた、大浦の姫の息子が俺です」

「……!」


 さすがに、兼久の顔色が変わった。どういうことなのか、閃いた事もかなりあるらしい。


「わかった。話を俺の部屋で聞こう。……萌子、お前は疲れているだろう。早く、母さんのところに行って、休みなさい」


 萌子は、気がかりでサラームの方を見たが、サラームは微笑んで、萌子に頷いただけだった。兼久に連れられて、サラームは、ひとばらいをした居間を出て行った。萌子は、その日は言われた通りに、幸世の温かい(やはり、こうしてみれば温かいと思う)小言を聞きながら、風呂と食事をすまし、自分の布団に入っていった。




 それから二週間ほどは慌ただしく過ぎていった。

 杉原の方はきつい取り調べを受け、今回の誘拐事件だけではなく、25年前の小夜香姫拉致事件の事や、違法の奴隷商人との関連性を次々と暴かれ、搾り取られる事となった。

恐らく、極刑となることだろう。


 サラームの方も同じく、奴隷の身分を解放されるための様々の手続きを受け、さらに身元を確定するために、兼久とともに行動する事が多くなった。

 萌子の方は、やはり色々とショックを受けていた事と、父親から事情聴取を受けたり病院に行ったりで、三日ほど学校を休む事になった。

 四日目からは、通常通り、高校に通い、学友達に色々と取り沙汰はされたが、「被害者は私」という立場を確保した。護衛がなければろくに出歩く事も出来ない世の中の女子同士である。それで、萌子は「私もそんな目に遭う事があるかもしれない……あの子は運が悪かったんだわ」という同情は受けたが、それ以上の事はなかった。



 そして二週間後の知真おきまの日。

 サラームと萌子は、兼久に連れられて、大浦邸を訪れた。

 大浦家には、話は通されていた。


 サラームが、小夜香姫の遺児であるということと、小夜香姫は異国の地でシークの妻として死んだこと、など。仔細を聞いた兼久から、晴季の方に伝えられたのだった。


 つまり、サラームは、大浦晴季の血の繋がった甥であり、澄香は従妹ということになるのだ。そのことを、今日は、お互いに確かめ合う事になっている。


 

 大浦家の客間に、福田家の人間が入ってきた。

 この二週間の間にすっかり回復した澄香が笑顔で待っていた。その隣に、晴季が。


 開け放たれた縁側の向こうに、秋の陽光を浴びた楓の庭が見える。

 小夜香の庭ではなかったが、やはり、大浦家はことさらに楓紅葉を愛する家柄らしく、整えられた秋の庭を見ながら、福田家とサラーム、大浦晴季と澄香は話し合う事となった。


「サラーム。話は兼久から聞いた」

 そう、切り出したのは、晴季の方からだった。


「小夜香は、十二年前に亡くなっていたそうだな。何も知らなかった。……お前も苦労したと聞いた。何も知らずに……すまなかった」

 苦しそうに晴季はそう言って、サラームの方に目を伏せた。


「謝らないでください」

 サラームの方が慌てた。

「俺の方こそ、母を守り切れずに……」

「それは仕方ない。十歳にもならないお前が、男とは言え、何が出来たって言うんだ。俺が、力及ばず、小夜香のことを探せなかった。何もしてやれなかった。そのことを、わびさせてくれ」

 晴季は、そう言って、サラームの方に頭を下げた。


「晴季様……」

 サラームも思わず、頭を下げたのだった。


「それと、サラーム。お前の名前の意味を、調べた。《平和》とか《平安》という意味だそうだな。……小夜香の好きそうな名前だよ」

 顔を上げると、晴季はくしゃりと笑ってそう言った。

 そのあと、彼らしい伸びやかな声で言った。

「生まれてきてくれて、ありがとうな。サラーム。お前は、小夜香が一生懸命、生きてきた証だ。小夜香がこの世にいたという、何よりの証明だよ」

 サラームは、声が出なかった。

 まさかそんなふうに、自分を受け入れてくれる人間が、この世にいるとは思わなかったのだ。


「私の方こそ……小夜香様が、まさかアサド王国とは……申し訳ありませんでした」

 兼久が、本当にすまなそうにそう言った。

「これは、中町奉行としても、不手際……」

「いや、それはいいんだ。兼久。お前達が、25年間、休まずに、俺の妹の事を探索してくれた事は知っていた。悪いのは、下手人の杉原だ。そこを間違えちゃいけない。小夜香が、こうなったのは、俺も惜しいが……今は、サラームが小夜香の代わりに帰ってきてくれた、それが嬉しい」

 晴季はそう言って、罪悪感を見せる兼久に手を振って見せた。


「大浦殿……」

 寛大さを見せる晴季の方に、兼久が珍しく気弱そうな視線を投げると、晴季は相変わらず、無防備なぐらいあけすけな笑顔を見せている。


「それよりも、兼久。澄香も、しばらくは寝込んでいたが、萌子ちゃんの方は、もう大丈夫なのか」

「は、それはもう。元気だけが取り柄の娘で」

 萌子の事を気遣われて、兼久は嬉しそうだった。


「萌子は、先週から、無事、学校にも通えています」

「それならよかった。うちの澄香もだ。……それでな、サラーム」


 晴季は、まっすぐに背筋を伸ばして座布団の上に座り直すと、サラームにこう告げた。


「お前は俺の甥だ。小夜香の忘れ形見だ。……だから、大浦家に来い」

「え……」


「シークの息子として生きてきた事はわかっている。だが、それで命の危険に常にさらされているのなら、シークの座なんぞ、他のきょうだいにくれちまえ。そして、俺の甥として……大浦の次の宗家として生きろ。いや、そうして欲しい。小夜香に出来なかった事を、お前にさせてくれ」


 寝耳に水の台詞に、サラームは驚いた。

 だが、考えてみれば、一人っ子の澄香は女性。女の大名は、豊葦原でもそんなに珍しい事ではないが、やはり、トップは男性の方が何かと好都合な場面は多い。

 晴季は、澄香に、男性社会で苦労させるよりは、シークの息子として教育を受けてきたサラームに目をつけたらしい。


「どうだ。サラーム。大浦家で、俺の息子として暮らさないか?」


「…………」


 サラームは呆気に取られた後、しばらく、考え込んだ。

 思わず、隣に正座している萌子の顔を見てしまった。萌子も、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、すぐに気を取り直して、サラームの方に小声で言った。


(サラームの好きなようにして)


 それを聞いて、サラームは、兼久の方を一回見た。兼久は無言で頷いている。萌子と同じ意見らしい。


 決めるのは自分なのだ。


「何よりも嬉しい言葉を、ありがとうございます」

 サラームは慣れない正座に、足を痺れさせながらも、こらえながら言った。


「だけど、俺は、今は……萌子ちゃんといたい」


 本音でそう言った。サラームは、萌子の方をもう一度見た。萌子は真っ赤だった。

 晴季は、大して意外な事でもないようで、黙って、サラームの声を聞いている。


「晴季様も、お父上も。もしわがままを聞いてくれるというなら、俺を、福田家の萌子ちゃんのそばにおいてください。晴季様が仰ってくれた事、俺は一生忘れません」


 それを聞いて、晴季は、福田家の一人一人の顔をじっと見つめ、それから、澄香の方を振り返った。


「澄香。お前、大名になる気はあるか?」

「全くもう、お父様ったら。私が、何故、灯京大学に通っていると思っているんですか。芝居見物のためだけじゃないんですよ」

 澄香は、あきれてそう言ったのだった。

「私に高望みしたのはお父様ですのに……」

「ま、待て、澄香。お前もこの間は納得したじゃないか……」

 そう、ふくれるふりをする澄香を見て、晴季が慌てて機嫌を取ろうとする。それを見て、皆はどっと笑い崩れた。


 燦々と降り注ぐ秋の陽光の下、サラームの名の通りの平和な情景が続いていった。

 楓の葉が、一枚、二枚と、風にそよいで、舞い降りていく。そんな一日であった。




 それから数年後。

 サラームは、萌子を抱いて、アサド王国のマールドに戻った。

 豊葦原とアサドの最も太いパイプ、そしてシークである父の片腕として。

 小夜香が、津軽の大浦家の姫であったことが判明した後は、大浦晴季の有能な力添えもあって、ハーリサ家は世界中に事業を拡大していった。

 萌子はサラームの秘書、そして妻として、活躍していく事となる。


 身分差など関係ない世の中は、すぐそこだった。

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