Holy II——聖気(2)
朝起きたらまだ明け方だった。ララナはベッドから出ると、ディレスを起こさないようそっとベランダへと向かう。朝日が昇るところだった。東の空が水色に、家々の屋根の上の空は黄色くなっていく。光の中心は森の上に姿を現した。真昼に見るよりもずっと大きく見える。
西の空も明るくなっていく。星がいくつかまだ見えている。ララナは明け方の空の方が好きだ。夕方の空も、東の深い藍の空の中で輝く星が綺麗で、それはそれで美しいとは思うけれども、明け方の空の、あの暖かくて柔らかい、あの光が好きだ。夏の夕暮れの空とはまた違うお日様の優しい色は、明け方が一番優しい。
肺にいっぱいに息を吸い込む。空気はまだ冷たくて澄んでいる。気持ちが良かった。
鳥はあまり鳴いていないようだった。どの家の人もまだ眠っているのか、風で木が揺れる音しかしない。街路樹に飾られたリボンが触れ合ってさわさわと音を立てる。ベランダから見下ろすそれらの色鮮やかな装飾は、人気のない道路にあると寂しい気もした。
でも、それも今だけ。町に眠る人が皆、友人と、家族と、この道を通る祭の日を心待ちにしているだろう。
そう思ったら、ふとトゥレットのことが頭に浮かんだ。彼がダンスに誘う女性。学校の女の子達が騒いでいること。認めたくはなかったが、ララナも気になる。認めたくはないけれど。
ここ数年は二人とも店の手伝いにまわっていて、二人で少しだけ抜け出しても祭りの騒ぎには加わらなかった。二人して、遊んでいる時間がないよね、と言い合って、仕方がなく店へと戻っていたのだった。
正直なところを言えば、ララナは祭りの雰囲気に何もかも忘れて染まってみたかった。けれど毎年、何となく皆の輪の中にはいるのにはためらいがあった。その時は手伝いのために着ていた衣装だったから着飾った娘達の前に出て行くのは気が引けたし。
今年はどうなるのだろう。初めてダンスが許される今年。いつもと違う祭りの年。
自分は踊れるのだろうか。素敵な衣装を着られるだろうか。 綺麗なドレスを着るなんて柄ではないけれども、想像するとくすぐったいのとどきどきするのとが一緒に胸を騒がしくする。
着たら笑われたりしちゃうだろうか。
トゥレットは笑わないだろうか。
トゥレットは誰と踊るのだろう。
何も彼からは聞いてはいないから踊らないのかもしれない。もしかしたらまだ決まっていないのかもしれない。最悪の場合もう決まっていて、 ララナなどには教えてくれないのかもしれない。
星が光ってはっとする。
——最悪の、ってなに。
別にどうでもいいじゃないか卜ゥレットのことなど。顔が自然と熱くなる。誰もいなくてよかった。柄にもなくこんなことを思う自分が恥ずかしい。別にトゥレットなんか気にしていない。そうだ、気になんてしていない。
——それに全部、「もし」の話じゃない。馬鹿馬鹿しいったら。
ディレスの方を振り返ると、まだ寝ている。天使も寝るものなんだなあと不思議に感じた。
床に敷いた布団から足が投げ出され、薄掛けは用を成さずにディレスの足の下の方へと押しやられている。枕が布団からはみ出ていて、辛うじてデイレスの頭が枕のはじに乗っかっていた。ベッドに寝かせないで本当に良かったと思う。
昨日、ディレスが話したことは衝撃だった。自分が今まで別々だと信じていた天使と悪魔が同一だということにも驚いたが、天使が人間の汚れのせいで悪魔になるということがひどく悲しかった。
そして、それを変えられないことが、とてつもなく嫌だと思った。
そのこと自体、根本的に人間が全て悪いのではない、ということは何となく分かる。神様のせいでも、神様がやりたくてやったことでもないこというのも分かる。だからだろう。それが分かるから、天使であるディレスも人を、そして神様を、責めたてたりしないのだろう。
手摺に頬杖を尽きぼんやりと空を眺めていると、ララナの心は知らぬ間にさまざまな方向へと動いていった。太陽が昇ってくる。家の屋根の上に姿を現す。その神々しい光を目に入れて、自然と瞼が閉じていく。閉じた瞼の裏には夜にそこにあるような暗さはない。その代わりに、眩しい橙色が闇に混ざり、形にならずに光って残る。
祭りはもうすぐ。準備の時間もあと少ししかない。店のお菓子造りの準備も本格的になってくる。毎年の忙しさがまた襲ってくる。
うつらうつらとそんなことを考えていたら、閉じた験が重くなってきた。そういえばまだ起きる時間にはほど遠い。
薄く目を開けてのろのろとベッドヘ戻る。寝っ転がっているデイレスを踏まないように。
ララナはごろんとベッドに寝転がると、 そのまま眠りへと落ちてしまった。
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