Stars I——星(1)
太陽が空を茜色に染め始めたら、少し肌寒くなってくる。丘から降りて家に向かうと、もう道の左右に立つ街灯のランプがほんのり暖かな色に空気を変えていた。
足を早めて道を行けば、青い三角屋根が見えてくる。つる草を編んで作った看板には果物いっぱいのケーキの絵。それがララナの到着を待たずにくるりと裏返される。
——『本日の営業、閉店。また明日』
「おかえり」
長い木の棒で看板をひっくり返した張本人は、ララナを振り返ってにこりとする。紺色の瞳にすすき色の明るい髪がよく映える。
「トゥレット」
幼馴染のトゥレットだった。彼はララナと同い年で、両親が忙しいため幼い頃からよくララナの家で預かっていた。最近は店の手伝いも任され始めている。
「来てたんだ」
「ああ、おばさんに呼ばれて」
「それはお疲れ様」
「まあ、お世話になってるし」
慣れた手つきで店先の立て看板を畳むと、トゥレットは扉を開いてどうぞ、と優雅にララナを中に誘う。
「いっちょまえに」と思いつつ、ララナは遠慮なく
彼とは一緒に過ごしてきた時間が長いので仲が良いのは確かだと思うけれど、昔から些細な喧嘩もよくする。こうもエスコートさながらに女の子扱いされると、どうにも調子が狂う。
「お店の片付けもあらかた済んだところだよ」
座れば、と促され、そこらにあった椅子を引きずってきて腰を落ち着けると、トゥレットが紅茶を淹れて運んできてくれた。何だかどっちが住人かわかんないなあ、と思いながらもカップに口をつける。
「ところでどこ行ってたの? 何か学校の人が探しにきてたよ」
「別に。ちょっと一服してただけ」
動じる様子もなく淡々と言うララナに、トゥレットは肩を竦めてみせる。ただその表情に困っている様子や呆れている様子はちっとも見られない。
「別に俺は良いけどね。でもおばさん寂しがりだからぐれるんじゃないか?」
「平気よ。お母さんだってわかってるでしょ。私が行くとこくらい」
「わかってて
「可愛い一人娘ですもの」
くすくす笑いながらララナが言うと、トゥレットもつられて笑い出す。そう、この感じ。
昔からこうだった。気の合う二人。心許しあえるのはお互い同士。二人でリズムを取っている、そんな感覚が常にあった。
「それにしても」
沸かした湯を茶のポットに足しながら、トゥレットが切り出した。
「最近、森に人が近づかなくなってないか? 市場にあんまり肉が出てないんだよ。親父に聞いたら変な噂が飛んでるって話なんだけど、うちの店、肉が入ってこないと魚だけで勝負するハメになるだろう? 料理人はみんなそれでやってやるって言ってはいるけど、やっぱり肉がないとどうしても献立が減るじゃないか。それでここんとこちょっと客の入りが減ってるような気がするんだよな。ララナ、何かその噂について聞いてないか?」
トゥレットの両親は小料理屋を営んでいる。ララナの家は菓子やらケーキやら紅茶やらを売る店なので肉はあまり関係ないのだが、やはり材料の注文をする時、世間話の中にその手の噂も耳にした。
「そういえばそうねえ。最近聞くよ、そんな話。でもその噂、結構胡散臭そうなやつだなー」
右手の指を髪に絡ませて遊びながら、ララナは耳にした話をそっくりそのまま話す。
「なんでももうすぐ夏だっていうのに森の中がえらく寒いらしいの。風が異様に冷たいんだって。そのせいか獣の姿もあまり見られないらしくって。あ、ほら、森の中心の大樹のある広場ってさ、神聖な場所って話で、普段、人は入っちゃいけないことになってるじゃない? あそこの方から冷たい風が吹いてるって話」
ララナは指をくるくる回して、それから離す。直毛の髪の毛がするんと抜ける。
「でも、そんなの誰も入れないんだから解るわけないじゃない? だからさー、気のせいなんじゃないかと思うわけ。あそこの広場ってお祭りの時しか行っちゃいけないしね。入る人いたらよっぽどのものよ?」
森の広場に入れるのは年に一度の村祭りの日だけ。御神木とされる大樹が広場の中央に立ち、広場を神域として守っているため、祭り以外の日に入っていこうとするとその人は餓死する——らしい。古くから語り継がれた話であり、実のない単なる伝説の類である可能性は高い。しかし、
「寒い、ねぇ。誰か広場まで行ってたりして。実は」
「そうだとしたら、その人かなり危ないなぁ。興味本位で入ったとか? 大丈夫なのかな、それで森が村全体を怒ってるってこと?」
「迷惑だね。自分だけで落とし前つけろって感じだよね」
「トゥレット、昔っからたまに、かなりキッツイこと言うわよね」
「そう?」
カウンターの向こうに回って器用に食器を拭くトゥレットを、ララナはカップ越しにこっそり見上げる。いつの間にか背が伸びて、顔もいつの間にかちょっと大人びた気はする。
さらさらの薄茶の直毛に色白の肌、それからはっきりした目鼻立ち。容姿は確かに並以上、しかも成績優秀な彼は、村では結構な評判だった。成長するにつれ娘たちの口の端に上る頻度も増え、しょっちゅう色恋話の種として騒がれるようになっているのだが、本人は気づいていないらしい。
多分、トゥレットのことをきゃぁきゃぁ言っている子たちは、こいつのこのあどけなくて可愛い、そして何気に爽やかな笑顔に騙されているのだろう。蓋を開けたらこんなもんだ
。それでもやっぱり顔はいいから詐欺だ。そう思ってララナは舌打ちする。
この毒舌っぷりも頭が回ると言う意味なら一種の長所ではあるかもな、と思ったが、口には出さない。なんだか悔しいから。
「そうだ。そーいえば学校の子が来てたって? だれ?」
「うーん、ちょっと変わった髪の色してたなぁ……。見たことのない子だったよ」
「てことはトゥレは知らない子か。本当に学校の子? ティナじゃないね」
ティナはララナの仲良しの同級生である。弾けた元気娘で綺麗な茶髪を肩まで伸ばしている。実は男の子にかなりモテるのだが、華やかな見た目とは逆に中身は奥手。色恋なんて自分にはまだ怖くて出来ない、とか言っている。
でも、どうやら隣のクラスに好きな男の子がいるらしいのは、仕草とか表情を見ているだけで解る。言っていることが違うけれど、自分の恋にも気づいていないんだろうな、といつも思う。ララナからすると、そんな天然なティナも可愛くて、だからモテるのだろうと察しているのだけれど。
「祭りの前だし、ララナと同じ係の違うクラスの子とかかな。この時期は係内で連絡増えるし訊いておけば良かったな。間抜けした。ごめん」
「別に係だったら明日にでも学校でもう一回私のところ来るでしょ」
「でもその子にも二度手間だし」
「大したことじゃないよ」
こういう時に即座に否を認めて謝るのがトゥレットだ。自分の責任ではなくても、足りなかったことは何か、すぐに見つける。それも人のことを考えて。
根は昔から優しいのよね、としょげているのを見て感心する。ララナは学年が上がるごとに素直になれなくなる気がするのに、大違いだ。羨ましい気もするし、すごいなあと感心する。
そんなことをぼんやり考えていると、風が吹いて何かが窓を叩く音がした。客かと振り向いて見たが外には誰もいない。
「誰か、いなかった?」
「誰も?」
おかしい。確かに風もあったけれど、突風が窓を揺らす音とは違ったはずだ。それとも聞き違いだろうか。
「用がある客なら店ん中入ってくるだろ」
「閉店だから諦めたとか?」
「この村の誰かなら気にしないよ。しかも俺とララナが窓から見えるはずだし」
「そうだけど……」
「こっちからは特に何も見えなかったし、空耳じゃないか? それよりそろそろ夕飯の支度始めなきゃ」
トゥレットは壁に布巾を引っ掛けて奥の厨房へと踵を返した。彼に見えていないのなら、多分、聞き違いだろう。
そう思ったが、ララナはもう一度だけ外を見た。人影はやはり見えなかった。
その代わり、いつの間にか深い紺に変わっていく空を見た。
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