Festival. Full Moon——祭り 満月の日
祭りは日付けが変わったと同時に始まる。ディレスとララナが森に入ったちょうど一日後の時刻に始まった。
空にはまん丸の月。少しも欠けたところのない、真白な円が浮かんでいる。この月がまた少し欠ける夜まで祭りは続く。
空が晴れて、人々の喜びの声が街路に溢れた。全ての店が開き、町は明るく照らされている。
街路を着飾った娘たちがはしゃぎながら通っていく。中には恋人同士とおぼしき二人組も沢山いて、道を行くどの顔も幸せそうな笑い声で溢れていた。
そんな様子を見ながらララナは乱暴に頬杖をつき、大仰に溜息を吐く。眺める先の華やかな風景をガラスの向こうに、店のカウンターで刺繍が施された衣装にシンプルなエプロンを付け、毎年のように、いや、毎日と同じように店番をしているのだった。普段と違うところがあるとすれば、一年に一度しか着ない祭り用の店番の衣装を着ているということだけである。
「私は結局、いつもと同じかぁ……」
ティナもスレイも店に寄ってくれたが、彼女たちに長居をさせるわけにはいかない。それに父と母は厨房で忙しく立ち働いているし、カウンターのララナにもラッピングの仕事がまわってきていて、なかなかすることも多い。
「やっぱりダンスには参加したいのよねー」
誰が聞いているでもないし、と投げやりに天井へ向かってこぼす。
父や母を手伝って負担を減らしてあげなくてはと思うのも本心である。けれども、ダンスに参加したいと思うのも本心である。
胸のあたりがすっきりしなくて、はぁぁー、とカウンターに突っ伏した。
「あ、やっぱり居る」
顔を上げると、見慣れた顔がひょっこり現れた。これも毎年のごとくトゥレットである。ちょうどララナが立ちっぱなしになっていることに痺れを切らしてくる頃合いで、おでこにカウンターの木目のあとができるより前にやってくるのだ。
「また『ちょっと』抜け出してきた?」
どうせそうだろうな、と先手を打ってやる。
しかし、トゥレットの返答はいつもとは違っていた。
「今回は結構長く抜けるって言っといた」
「え?」
目をぱちくりするララナに、トゥレットは手を差し出す。
「よろしければ、祭りのダンスにお誘いしてもよろしいでしょうか?」
そうして、優雅に礼をとる。
「え? で、でも私、お店……」
「ララナ」
すすき色の髪が揺れ、紺の瞳がララナを見つめる。
「そんな、だっ……」
途端にいっぱいになった頭に、ディレスの声がした。
——『でも』も『だって』も無しだからな。
ララナは出かかった言葉を喉に押し戻し、ぐっと飲み込む。
いやではない。むしろ凄く嬉しくて、恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。頬が紅潮してくるのが分かる。
——正直になれよ。
もう一度はっきりと聞こえてくる、ちょっとぶっきらぼうなあの響き。
そうだった。父母が大変だろうという気持ちもあるのは本当だ。けれど、それ以前に自分は恥ずかしいのだ。嬉しくてたまらないのに、恥ずかしくて、それを知られてしまうのも悔しくて。
それに言い訳じゃなかったか。今までも一緒に祭りを楽しみたいと思っていたのに自分の気持ちから逃げて、動こうとしなかった。忙しいから、と言い訳をしていたのではなかったか。
もし断られたら、悲しいから。
でも今は、トゥレットの方から誘ってくれた。
——正直になれよ。
夜の森の澄んだ空気と一緒に、あの響きを吸い込むように深呼吸をして、厨房を振り返る。作業場への入り口に、母が立っていた。
「お母さん」
背筋を伸ばして、頭を下げる。
「私、ダンスに行きたいです」
もう一度顔を上げると、満面の笑みにちょっぴりいたずらっぽい雰囲気を混ぜた母の顔に出会う。
「いっといで。後でお母さんとお父さんが休憩するときに、たっぷり働いてもらうから」
ララナの母が厨房から出てきた。
ただ一つだけ、困ったことがある。トゥレットの前で今さら言い出しにくくて、ララナはエプロンをぎゅっと掴んだ。
「ただお母さん、私、ドレスが……」
「あらいやだ。それは大変」
視線を下げたララナに、母は両手をあげておどけたふりをする。
「ララナのドレスなら、お母さんが作っておいちゃった」
びっくりして固まったララナを見て、母は弾けたように笑い出した。なにそれ、とトゥレットの方を向くと、整った顔が柔らかな笑みを作り、「それじゃ」と一歩進み出る。
「一緒に踊ってはいただけませんか?」
もう一度トゥレットが言った。
今度こそ、綺麗な紺の瞳をしっかり見つめ返して、腰を下げて、少し頭を下げて、覚えたばかりの礼をとる。
「喜んで、お誘いをお受けしましょう」
「光栄の至り。御案内致します」
今度は二人で笑って、自分のよりも少し大きいトゥレットの手に、そっと手を重ねる。
*******
二人は街路に降り立った。 ララナは母親が仕立ててくれたドレスを着て。 所々に細かな装飾の施された、淡い蒼のドレス。水がゆらめくように、ドレスにつけられた
聖歌が両脇に飾られた道を行き、祭りの中心の森に着く。二人はまっすぐに中央広場へ向かった。 少し急いで。 時間を一刻たりとも無駄にしたくない。
今までのどんな年よりも違う時間だった。
ララナはトゥレットを見上げる。その端麗な横顔を。トゥレットもララナを見た。そして柔らかに微笑む。相変わらず、文句の付けようがない笑み。
でもいつもと違って、その笑顔に腹は立たない。
だってトゥレットの笑顔は、本当に心の底から嬉しそうな微笑みだったから。
つられてララナも笑みをこぼす。
——こいつの笑顔を崩すことは無理かも。
そう思っても、今日は悔しいとは感じなかった。
——結局、私はトゥレットの笑顔に弱いのかも。
手を繋いだまま木々を抜ける。
もう少しで、二人の友人達の「約束の場所」に着く。
トティーナの町の伝説。
昔々、このトティーナの町には一人の天使がいたと言う。その天使はトティーナの町のどこか、人の見えないところにいて、人々の生活を見守っていた。
そして天使は、一年に一度だけ、友である森の精霊に会うことができたという。彼らは会える日をずっと待って、待って、待って、そしてその約束の日、太陽が地平線に顔を出す前から、星が深い夜の空に瞬くまで、幸せな時を過ごすという。
でもそれは一年でたった一度だけ。彼らの深い友情にはとても足りない、空がひと巡りする一日だけ。
夜の星座の愛情のもとに、湖から明かりが灯る日に。
そして森に緑の木々と生命の息吹がある時に。
彼らは共に、また会えた喜びを分かち合うのだった。
それは、 満月より一歩手前。月が少しだけ、満たない日。
——完——
森の精霊、翼の天使 蜜柑桜 @Mican-Sakura
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