Evil I——悪魔(1)

 校内はざわめきで満ちている。午前で授業は全て終わり、午後の時間は祭りの準備のために割り当てられているのだ。昼休みから早々と大工道具を持って走る生徒らも現れ、それをからかう同級生の足すら浮き足立っていた。

 ララナは教室で弁当を広げていた。昼を食べたら帰って家の手伝いがある生徒もいるが少数で、友人たちの多くは委員会やら何やらでさっさと昼食を済ませて教室から出ていってしまった。残っているのはララナとティナと、そしてトゥレットだけだった。

「何で一緒にお弁当広げてるのよ」

 弁当箱に最後まで残った卵焼きを半分に割りながらララナは文句をこぼした。

「だってみんな準備で行っちゃったんだもん。酷いなぁ。俺、友達少ないみたいに見えるじゃないか、一人で食ってたら」

 トゥレットは箸をひょいとララナの弁当箱に伸ばし、「あっ」とララナが叫ぶのと同時に卵焼きの半分を口に放り込む。

「ララナいいじゃない。邪険にしたらいけない、いけない」

 にこにことやたら機嫌良く、ティナがチョコレートでコーティングされた苺を差し出す。

「だってさ、私の休息時間なのに」

 ララナは卵焼きが消えた弁当箱に乱暴に蓋をすると、出された苺に楊枝を突き刺す。ひとつ取って容器をトゥレットに回した。

「酷なことを。俺の休息時間は無視されるんだ?」

「トゥレット、ララナも本気じゃないんだから。ララナもトゥレットがわざわざ課題手伝ってくれたんだから」

 自分も一つ苺をほおばってティナがたしなめる。言い方が意味深に聞こえるのが癪であるが、事実だ。放課後までに提出しなくてはいけない授業課題を前に眉を寄せていたら、トゥレットが寄ってきて、ララナが自力で解けるよううまいこと誘導してくれたのだった。

 たまに優しいから困る。

 ——困るってなに。

 自分で自分に突っ込んで、ララナは苺を口に放り込んだ。

「ま、いいけど。それより何やら足音が聞こえる気がしない?」

「俺には地響きに聞こえるな」

「私には叫び声が聞こえるわ」

 三者三様の意見を出したその時、教室の扉が激しく開いて人が一人転がり込んできた。

「お顧い。隠して」

 スレイは大慌てで扉を閉めながら、ぴったりと扉の裏に張り付いた 。

「先輩。そこは見つかると思うの」

「いいのよ。どうせ見つかっちゃうんだから。時間稼ぎなの。ずっと走ってなんていられますか」

「観念して捕まったらいかがです?」

 こともなげに言うトゥレットをスレイは睨む。

「奴等を奔走させないと私の気がおさまらないのよ。やすやすと引き受けてたまるもんですか」

 スレイは行事の度ごとに委員会のメンバーに追い回されている。仕事を手伝ってくれと言われているらしいのだが、仕事といってもただの雑用などではないのだ。イベントの司会やら演劇の主役やら、常に目立つ仕事のことらしい。酷いときには複数の委員会、部活、同好会に引っ張りだこにされている。

 そんなわけで、追い回される間のひと休みにどこかの教室へ逃げ込む、というのもいつものことだった。今回も朝ぼやいていた祭り関係の依頼なのだろう。

「でも先輩、いつもちゃんとこなしてるじゃないですか」

「今年は異様よ」

「今年の祭り、何か特別なことありましたっけ」

「私だって聞いてないけど、こうまで熱量がすごくちゃとても体ひとつじゃ全部なんてこなせますか」

 チョコがけ苺を呑気に揺らしながら質問するティナとは逆に、スレイは仇でも待つような形相で言い放つ。だが二人のやりとりもそこまでだった。

「あ、地響き」

 その言葉を聞くや否や、スレイは教室の反対側の扉を開けて廊下へ逃げ出した。すると数秒後、今度は数人の生徒がスレイが入ってきた方の扉から駆け込んでくる。

「先輩なら反対側から逃げました」

 駆け込んだ生徒が何か聞くよりも先に、トゥレットが口を開いた。相変わらずララナには嫌みに感じるくらい爽やかな笑みを付けて。

「鬼だわ」

 三人に礼を叫んでまた駆けていく複数の足音を聞きながら、ララナはスレイの健闘を祈った。対するトゥレットはイラつき気味に舌打ちする。

「俺の時間も邪魔されてるからね。ここでしっかり休憩したら今日の帰りは急ぐんだよ。先輩もはっきり断ったらいいのに自分勝手に逃げてるから、反省しろという結果に思い至っただけのこと」

 間髪入れずに教えたくせに、思い至るまでの経過はどこへ行ったのだ。しかもトゥレットがあからさまに舌打ちするなんて。

 さっきまで楽しそうにララナと軽口を叩いていたのに、トゥレットはスレイたちが出ていった扉を見続けて吐き捨てる。

「関係ない人間に頼り切るなんて、愚かすぎ」

「なにその言い方」

 我慢できずにララナはトゥレットを睨んだ。

「先輩、本当に困ってたんだし、そんな冷たい言い方しなくたっていいじゃない」

 なんで私、こんなに怒ってるんだろう——そう頭の片隅で疑問が浮かんだ気がしたけれど、ララナは無視した。

 しかしトゥレットはララナを見ようともせず、弁当箱のふたを乱暴に閉めて淡々と続ける。

「事実だろ。他の奴らだって勝手すぎ。校内走り回ってうるさいし」

「そうかもしれないけど!」

 こう冷たく返されるとますます黙ってはいられなかった。朝から何か変だったけれど、今日のトゥレットはどうしたのだろう。いつもだったら、双方の間に入ってやんわりなだめるのが彼なのに。

「確かにお互い仕方ないなって思うけど、そうしたら穏便に止めてあげれば良かったじゃない。トゥレット、いつもそうするでしょう」

「いつもいつも構ってられるか。ほんっとひどいほど利己的だよな、人間って」

「何それ」

 ララナは勢いよく立ち上がっていた。

「そう言うトゥレットの方がひどいよ! あっきれた! 馬鹿じゃないの?」

 トゥレットの冷え切った目を見たら怒りが爆発する。ララナは自分の弁当箱を雑にナプキンで包むと、力任せに布を結んで鞄に突っ込む。

「人のこと言う前に自分の性格考えたら!?」

「ちょっとララナ」

「ティナ、私もう帰る。苺ご馳走さま。じゃあね」

 制止するティナだけに言って、ララナは鞄を肩に引っ掛け教室を足早に出た。よくわからないけれど胸のあたりが気持ち悪くて、トゥレットのそばにいたくなかった。ディレスが大人しくしているか、早く帰らなきゃ——そう言い聞かせて、廊下をずかずかと進んでいく。

 ララナが出ていったあとの教室は、しんと静まり返っていた。

「いまのは、トゥレットがよくなかったと思うわよ」

 廊下を見ながらティナが静かに切り出した。

「らしくないんじゃないの。どうした」

「どうせ」

 空になったララナの席をちらと見てから、トゥレットは背もたれに寄りかかった。

「俺も自分勝手なんだよ」

 無為に天井を見上げる。横でティナがこれ見よがしにため息をつくのが聞こえた。

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