Evil II——悪魔(2)

「ララナ! まずいんだ! 」

 ララナが帰宅すると開口一番、ディレスが叫んだ。

「森がおかしいんだ! どうやったって入れない!」

 ララナは鞄を下ろしながら、階下の母が大声を聞いて心配しないように扉を閉めた。トゥレットといいディレスといい本当に仕方のない。男の子ってみんなこうなのかしらとディレスを冷ややかに睨む。

「あんた、外に出たのね」

 やっぱり、と呆れ果てて言うのを無視してディレスがまくしたてた。

「昨日もおかしいとは思ったんだけど、今まで一度も入れないなんてことはなかったんだよ。凄い冷気だ。風も強すぎるんだ。このままじゃ俺、祭りの日までに森に入れなくなるんだよ。まずい。約束の日にちに入れなかったら本当に駄目なんだ。ピリトに会えなくなるんだ!」

 ララナの動きが一瞬止まった。ピンと来る。

「もしかして、森の聖霊に会うの?」

 ディレスは激しく何度も頷く。

 森の精霊と、天使の約束——繰り返したどった物語が、形を取り始める。

「伝説は嘘じゃなかったんだ……本当に……」

 呆然と呟くララナの腕を掴んでディレスは叫び続ける。

「お願いだよ! 説明するから聞いてくれ!」

 ララナは自分の思考を現状に引き戻し、すっかり取り乱したディレスをなだめ、床に座るよう促して、自分も向かい合って座る。

「ピリトに会うのは、明日なんだ 」

 ララナが聞く姿勢になったおかげか、少し落ち着きを取り戻したディレスは、一言一言、確認するように話し出した。

 こちら——つまり下界——に聖気のディレスが休息期間として降りて来られるのは、夏の始めの満月の夜までの四日間。この四日間のみ、地上に降りても人の汚れを吸わないでらいられる。ただし、四日を過ぎ、再び月が欠け始めたら、ディレスの身体は汚れを吸い取り始める。彼の身体の中が汚れで満たされるまで、身体はディレスの意思に関係なく吸収を続ける。

 部分的には前にも聞いた話だが、ララナはもう一度、言葉を頭の中に落ち着かせる。

 ディレスと森の精霊——名はピリトという——二人が会うのは満月の夜の一日前。月がその盛りへと向かう一歩手前、最後の日だ。

「満月の夜は人間も森に入ってくる」

 人間たちの前にピリトは姿を現わさない。しかしそれと同時に、ピリトは人間達の祈りに参加しなくてはいけない。人間達が祭りの最中に行う祈りに。そのためディレスとピリトは、一年に一度の二人の休息の日を、人間の休息日の前日としたのだ。

 ディレスは毎年満月の三日前、つまり聖気の休暇に入った初日に森の入り口まで来る。そこで約束の日になるまで待つのだ。

「何で初日からピリトに会わないの?」

 ディレスは長いまつ毛を伏せ、俯きがちになった。

「ピリトは祈りに参加する。祈りのために、祭りの前に自分の中の精霊の力を極限まで溜めるんだ。満ちていく月の力も借りながら。それには精霊であるピリト自身が、森の気に全てを尽くさなければならない」

 満月に満ちていく月と一緒に、精霊も自身の中に力を溜める。森の精霊の力の源は、森のいのちそのものだ。

「ただ、その溜めた力を解放するには、ピリトの精神が一時、解放される必要がある。そのための時間が、満月の前日の休息日に当たるんだ」

 その休息日になるまで、ピリトの邪魔をしないように、ディレスは風に守られて、森の中心から少し離れたところで待つのだと言う。

「でも今は風の精が俺を拒絶しているんだ」

 昨日、森の入り口までいつもの通り行ってみた。そこで毎年、風の精に迎え入れられる。もう少しでピリトに会えると思うと気持ちも抑えられなくて、嬉々として森へ走り込もうとしたディレスだった。

 しかしそこで応じたのは、風の精の強い拒絶だった。彼らは森に住まう森の守護者だ。森に属する精はピリトの指示に従い、働く。彼らは指示された以外の行動は一切取らない。ただ忠実に、ピリトの命に従い、ピリトを守る。

 その彼らが、ディレスを強く拒絶した。

 ピリトの祈りの準備に何かあって、昨日は「まだ待ってくれ」という意味だったのかもしれない。わずかな希望を持って、今日の午後、ディレスはもう一度、森へと飛んでいった。

 その時も、風の吹き荒れる力は同じだった。

 激しい力が意味するのは、ピリトの意。

 ピリトがデイレスを拒絶している。

「俺は、嫌われたのかもしれない」

 ディレスがうなだれる。深紅の瞳が床をじっと見つめている。

「あいつに嫌われたら、駄目だよ。俺」

「でも、彼女とは友達なんでしょ?」

 気休めにしかならないかもしれない。そう思っても、それしか掛けてやる言葉が見つからない。

 でも、とディレスは吐き捨てる。

「会えるのは一年に一度って我慢してたんだ。あいつに会わなかったら怖いんだよっ」

 ディレスは小刻みに震えている。宝玉のような瞳が涙に濡れる 。

「あいつに嫌われたら、聖気でいるのをやめてしまうかもしれないんだ」

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