番外編 軟膏と胸キュン

 都会の人間は洗練されている。

 帝都にお嬢様とお買い物に行ったとき。初めて美乃里みのりに理容院へ連れていかれたくるみは驚いたものだ。田舎と都会では化粧の概念すら全然違った。


「異国では自然の美しさを大事にするのよ。おしろいで塗りつぶしたり、歯を真っ黒にするんじゃなくて、血行をよくしたり、保湿したり、素肌から綺麗にするの」


 異国帰りの婦人が経営しているという理容院。美容液やクリームを塗られたあとに化粧を施されると肌によく馴染んで驚いた。毛穴の汚れをとり、マッサージを繰り返すと血色もよくなってくる。何度も理容院に通っている美乃里みのりが、顔だけでなく指先に至るまで隙一つない〝お嬢様〟である理由が垣間見えた気がした。


 帝都でのお買い物中、すれ違う人々も、美乃里みのりと同じく垢ぬけている。日焼けや土埃にまみれた田舎の農民とは違って、ここに住んでいる人は本当に上流階級なのだと痛感した。そういう生まれ育った環境の積み重ねは隠せるものではないと。──いくらくるみに、異国の血が入っていようとも、くるみはやっぱり田舎者なのだ。


「は~ほとんどお化粧してないのに、お嬢様がすっごく綺麗なの、そういうことなんですねえ」

「あら、くるみだってちゃんとお手入れすれば見違えるわよ。お化粧の仕方、教えてあげましょうか?」

「いやあ私はしがない女中ですからあ」

「なあに? 卑屈はよくないわ」


 美乃里がむ、と眉を潜めたので、くるみは慌てた。


「あ、僻んだんじゃないです! 私は髪とか肌とかお手入れするの面倒くさくなっちゃうんで……お嬢様は見えないところから努力してるんだなあって」


 「髪の毛、綺麗に保つのって大変ですよねえ……」と胡桃色くるみいろのくせ毛をいじりながら、くるみは神妙な顔をする。美乃里は目を瞬いた後、柔らかく頬を染めた。


「ありがとう。くるみにそう言ってもらえると、すごくうれしいわ」


 美しい手で口元を隠して微笑む。その指先も象牙のように美しかった。豊穣邸ほうじょうていのお屋敷の中であっても、美乃里はだらしない姿を、奉公人たちに見せたことがない。


(お嬢様は背の高さとか胸の大きさとか気にしてるけど、そっちのほうがずっとすごいことなのになあ)


 なんとなく、くるみは水仕事であかぎれした自分の手の甲を隠す。本当の意味で美しさを兼ね備えたお嬢様をそのとき初めて、羨ましく思った。


 ***


 豊穣邸ほうじょうていの裏山。日課のごみ捨てに訪れたくるみは横倒しの古い丸太に座り、あくたの手元を覗きこんでいた。そばには大量のわらの束が干してある。


「ねえ、くるみ、麦わらってどう編めばいいの?」

「それはねえ、麦の茎を二本用意して~交互に折り曲げて~紐にして~」

「んー、んと、こう?」

「うん、うまいうまい。あくた、上手!」


 くるみがにっこり嬉しそうにすると、あくたは得意げな顔をした。

 「麦わら帽子を作ってほしい」とくるみにお願いされたので鉤爪かぎつめで藁を傷つけないよう、奮闘している。


 麦わら帽子はその名前の通り、わらを素材にした異国生まれの帽子である。軽くて涼やかで丈夫。最近流行りの洋装のひとつ。素材である藁も、真田編さなだあみと呼ばれる紐の編み方も、昔からこの國の庶民になじみ深いというのに、草鞋わらじみのむしろなどとはまったく異なるハイカラな帽子ができあがることが、なんだか面白かった。


「これ、どのくらいの長さまで編むの?」

「ん~豊穣家の高さくらい? この前帽子屋さんで聞いてきた。長い紐が完成したら、針と糸で帽子の形に縫うんだよ」

「うわあ、結構大変だね……あ、藁が切れちゃった! うう、力加減が難しいなあ~」

「まあまあ時間はいくらでもあるから」


 一本の太い紐に編んだ後、帽子型の円形になるようにさらに縫い付けていくのだ。これが慣れるまでは結構難しい。


「大丈夫大丈夫。芥は器用だよ。さすがカラスさん。物覚えがいい~頭がいい~」

「くるみ、おだててるのバレバレ」

「お、応援だよ応援!」


 肩をすくませた芥が「あ、いてっ」と眉をひそめた。「どうしたの?」とくるみが芥の手を覗き込むと人差し指に、一筋の血が伝っていた。


「大変、藁で切っちゃった!?」

「こんなのすぐ治るよ」


 芥は指先を口に含んだ。たいしたことない切り傷なのだろうが、作れと言った手前、若干くるみは申し訳なくなる。


「あ、そうだ、いいものがあるよ!」


 くるみは懐から手のひらサイズの缶を取り出した。ぱかりと缶の蓋を開け、白いクリームを指先で掬う。芥の手を取り、クリームを塗りつける。


「え、なにこれ?」

軟膏なんこう。この前、理容院に行ったとき店員さんがおまけでくれたの。切り傷にいいんだよ! 藁ずっと触ってると手荒れがひどくなるよねえ」


 ねりねりと芥の指先から手のひらに塗り込んでいく。


「昔はおばあちゃんが煎じてくれた傷薬塗ってたんだけど使い切っちゃったんだ。私じゃうまく作れなくて。おばあちゃんの傷薬のほうが肌には合うんだけどねえ」

「……そ、そうなんだ」


 くるみの細い指先が芥の長い指先と絡まり。指の腹、付け根、手の甲まで丁寧になぞっていく。こそばゆそうに芥は身を震わしたが、くるみは気が付かず。


「異国の軟膏ってすごいよねえ。匂いもしないし。べたつかないの。ん~……でも芥も手が綺麗だな。爪はおっかないけど」

「あの、くるみ」

「色も肌もつやつや。いいなあ。私は乾燥肌で、真冬はがさがさだよ。うらやましい〜……あれ? 赤らんできた。やっぱり藁いっぱい触ったせい?」

「くるみのせいだよ!!」

「ふあ!? なんで?」


 くるみが顔をあげると、真っ赤に頬を染めた芥の瞳と視線が合った。


「くるみのにぶちん、にぶちん、にぶちん!」

「何故急に罵詈雑言。あ、ごめん、くすぐったかったかな!?」


 くるみがぱっと手を離した。芥は編み込んでいた藁の束を放りなげた。


「胸が苦しい~今日はもうなにも手につかないよ~!」

「ええ、変なモノ拾い食いした!? 大丈夫!?」

「いや、なんか逆に、食べちゃいたいというか、おなかがすいたというか」

「どういうこと??」


 怪訝な顔をするくるみを見て、芥は「いい。我慢する」と謎のため息をついた。自らの赤らんだ手のひらに視線を落とし、


「……くるみって本当に変な子だよね。僕、人間じゃないんだよ? 切り傷なんて、気にする人いないよ」


 芥が手のひらを見せると、そこにさっきの切り傷はなかった。治りが早いのは人ならざるモノの証か。けれども、くるみは別に軟膏が無駄になったとは思わなかった。


「なんで? 早く治ろうが、傷ができたことに変わりないじゃん」


 芥は目をぱちくりさせた。くるみは芥の指の腹をつっつく。


「たいしたことない傷だって、放置したら化膿したり、バイ菌が入ることもあるんだから。甘く見たら痛い目見るんだよ〜」

「………そっか。それも、そうだね」


 分かればよろしい、と胸を張るくるみに、芥は目を細めた。

 

「くるみ、さっきの軟膏、もう少しもらってもいい?」

「ん? いいよ! へへ〜気に入った? 傷ができたときじゃなくても、乾燥とか水仕事のときにもいいよ!」


 くるみから缶を手渡され、芥は同じようにクリームを掬った。そして、自分の手ではなく、くるみの手をとった。


「──って、私!? 私に塗るの!?」

「くるみだって手が荒れてるよ」


 くるみはわっと声をあげて赤くなった。


「しょ、しょうがないじゃん~お屋敷の仕事、水仕事ばっかりだし。あんまり見ないで。ぎゃ〜爪の間に土が入ってる〜!」

「それだって、裏山を綺麗にしてくれてるからだよね。僕がとってあげるから、暴れないで」


 裏山の小さな畑には、サツマイモや夏野菜。鉢植えには苺や薔薇の花まで植えられていた。まだ、どれも花は咲かせていないけれど、二人で植えた植物たちだ。


 芥は鉤爪で器用に爪の間の土を落とし、クリームを塗りつける。くるみがさっきそうしたように、自分の長い指を絡ませる。芥とは違い、あかぎれや古傷の痕が残る肌をひとつひとつなぞっていた。くるみはなんだか居た堪れなくなり。


「こ、こここそばゆい〜! さては芥、仕返ししてるんでしょ〜!」

「うんそう、仕返し」


 にっこりと芥が笑い、くるみは頬を膨らませた。ひとしきり塗り終わっても、手を放してくれなかった。


「豆もできてる。痛くない?」

「ひ~! 小汚い手でごめんて~!」

「なんで謝るの? 汚くなんかないよ」


 美乃里の傷一つない美しい手が頭をよぎり、手荒れした自分の手が恥ずかしかった。けれど、芥は大事そうにくるみのあかぎれした手を見つめていた。


「くるみはきれい。どこもかしこも」

「あ、芥だっておだててるのバレバレだよ~!」

「おだててないよ、本音だよ。君の傷、一つ一つだってきれいだよ」


 くるみの手から視線を外し、くるみの瞳を芥は見つめていた。


「くるみは太陽の匂いがする。土と草と、水の匂い。僕、大好き」


 あんまりにも無邪気な笑顔。くるみは大きく目を見開いて、どっと汗をかいた。(いや、 日神様にちじんさまとか、硝子玉だらすだまとか、そういうのが好きっていう意味と同じで!)と頭の中で、謎の言い訳を考える。じわじわ赤くなる頬が恥ずかしくて、そっぽを向いた。


「ど、どうせ私は田舎者ですよーだ……」

「くるみ、照れ隠しもバレバレでかわいいね」

「ぎゃ〜もう黙れ〜! 乙女の敵〜! バカラス~!」


 珍しく真っ赤になって慌てふためくくるみを、芥はいつまでも楽しそうに見つめていた。


(芥だって変な奴だ。あかぎれした手をきれいだなんて、物好きだ。変なカラスだ)


 けれど、くるみはもう、自分の手を隠そうとは思わなかった。不思議だ。ハイカラな美容液より、異国の軟膏より、芥の言葉は、よっぽど効いた気がした。


「ところで、くるみ。おばあちゃんが煎じてた傷薬ってなあに? 僕が作れるなら、くるみのために作ってみたいな」

「え、本当!? 作ってくれるの? 芥知ってる!? ガマの油なんだけど」

「………………それはやめたほうがいいと思うよ」

「ちょっと!? いきなり引くなー!!」


 


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塵芥のびいどろ ちづ @cheesenovel

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