第十章 第一節 「優しい夜に手を伸ばして」

 私にはもう、この関係をどうすればいいのか分からない。皆をまた繋ごうとしてもきっと上手くいかない。それを最後までやり切れる自信もない。

 紫塔さんは俯いて何もいう気配がない。紗矢ちゃんの中ではもう色々なことが渦巻いて、立ち直れないかもしれない。


「……」



 

 もう駄目だ。




 私の中で、そうささやいた心。そんな言葉に耳を貸してはいけない。でも、重く沈む胸の中に、その声はやけに響いて……。

 私にできることはないのかもしれない。このままバラバラになる様を見届けることしか出来ないのかもしれない。

 ふっ、と糸が切れた気がした。





 外の曇天から降り注ぐ雨。雨音は重苦しいこの部屋を包み込んでいく。いつも入り込む陽光は曇天に遮られて、わずかしか入らない。

 親友の部屋に漂う甘い匂い。それも今の私の中では少し、辛くなる。逃げたい。こんな空間から、出て行ってしまいたい。そんなことをしてもロクな結果にはならない。そう思った私の逃げ道は。


 ベッドに横になる。シェリーのベッド。ただ逃げたい気持ちが先行して、枕に顔をうずめる。いつも使っている枕なのだろう、彼女の匂いがする。

 諦めた私の身体は疲労感でいっぱいだ。運動をしたわけでもない、疲れているのは心。それを守ろうと、私は休むスイッチが入った。


 ゆっくり、ゆっくり、鉛のような気持ちを背負いこんで意識が沈む。こんな気持ちのまま、……寝たくはない。そう思った私の視線は動かない紫塔さんの方へと向いた。

 ただ固まり続ける彼女。この教会との戦いを乗り越える一番の推進力だった彼女。そんな彼女が止まっている。

 どんな状況でも、淡々と抗い続ける姿勢を取ると思っていたあの子が、ただ俯いて、動かない。


(紫塔さん……私、力になれない。こんな時に、頼りになれない)


 情けなさが心を満たそうとしたとき、意識は海底へと沈んだ。






 目を開くと、一面に暗闇の空間が広がる。夜。変な時間に寝てしまったんだ。時計を見ようとして視界に入った人影に少し驚く。


「……紫塔さん?」


 寝る前と同じような体育座りの彼女が見えた。まだ、俯いていた。


「おはよう、紫塔さんどうしたの?」


 あっ、と気づいた。私、ちょっとだけスッキリしたかも。ふて寝という逃げを選んで、少し余裕が出来たかもしれない。


「……起きたのね」


 静かな部屋に灯る、紫塔さんの声。それも小さいともしび。


「今何時?」

「もう夜の十一時よ」


 流石にちょっと焦った。がっつり寝てしまった。夜寝られないような気がして、少し憂鬱ゆううつ


「紗矢ちゃんは?」

「出て行ったわ」


 そう、とそれ以上聞かなかった。紫塔さんと紗矢ちゃん、今仲睦なかむつまじく話せるような状況でもないはず。

 ふぅ、とため息をついたのは紫塔さんだった。……やっぱり。


「紫塔さん、何か悩んでる?」

「…………。……私、間違ってたのかしら」


 ぽつりとこぼれた彼女の言葉。シェリーに殴られた後にも似たような言葉を呟いていた。そんなこと、私から言えば答えは決まっている。


「そんなわけないじゃない」

「嘘よ……。私が間違っていたから、こんなことになった。皆がバラバラになってしまったの」

「私の言葉が信じられない?」

「えっ……?」


 ぎゅっと、ただ私は彼女を抱きしめたくなったのだ。震えている紫塔さんを、守ってあげたくなったのだ。


「紫塔さんは間違ってないよ。何も」

「っ、だって、私のせいで、シェリーさんも、和泉さんも、離れて行ってしまったわ」

「そうかもしれないね。でもね、紫塔さん。離れて行ってしまっても、追いかけることだって出来るんだよ」

「……そんなことしたって」

「紫塔さん。あまり自分を責めないで。紫塔さんは間違ってない。シェリーや紗矢ちゃんだってそう。ぶつかったあとのことを考えられるのは、間違いじゃないんだよ。これからのことを、考えて行こう?」

「……」


 紫塔さんを抱きしめた腕に、彼女の手が触れた。彼女の息遣いがわかる。すぅ、と深呼吸を繰り返して、そして、呼吸は早くなった。同時に、紫塔さんの中の感情がこぼれだした。


「どうすればいいの……私、どうすればいいのか、分からないよ……」


 ――変わったね、紫塔さん。


「うっ、うぅ……」


 子どものように泣きじゃくる紫塔さんを、出来得できうる限り私は信じることにした。紫塔さんは変わった。あんな鋼のような彼女が、――独りであろうとした彼女が、こうして、私に気持ちをさらけ出してくれていることが嬉しい。


「いいんだ、紫塔さん。思うように泣いて、思うように気持ちを出して。自分の思いを私に教えてほしい」


 彼女の気持ち、それが聞ける一番近い場所に、私は居たかった。





 泣いて、泣いて、目を真っ赤にらした彼女と共に夕食を囲む。どうやら私が起きる大分前にシェリーが作ってきてくれたらしいそれは、もう出来たての熱は全くない。


「冷えちゃってるね。美味しいけど」

「そうね」


 口ぶりは変わらないけれど、彼女の顔は晴れやかだ。き物が落ちたって感じを受けた。


「でも良かったの? 部屋真っ暗で」


 紫塔さんが暗くしてほしいと言ったので、今暗闇の中で明太子パスタを食べている。美味しいけれど、なんだか変なシチュエーションだ……。


「……泣いた後の顔なんて、見られたくないから」


 そんな理由かぁ……、可愛いなぁ、もう!


「あと……なんだか落ち着くの。今、この状況が」

「……気が合うね」


 なんだか通じ合ってしまった。紫塔さんの気持ちを聞くイベントがあったからかもしれないけれど、私もそう思っていた。この暗がりの中で、彼女の顔はよく見えない。けれど確かに声は聞こえて、うっすら姿も見えて、彼女を感じることができる。暗闇のせいで他が見えないからか、紫塔さんのことに集中できる。


「……どうしましょうか」


 皿を置く音が聞こえた。机の上に置かれた紫塔さんの皿は綺麗さっぱり、パスタが無くなっていた。元気、戻ったみたいだ。


「どうしたい? 紫塔さんは」

「……!」


 ちょっとだけ驚いたのが分かった。彼女がこうして自分の気持ちを出す機会は珍しかったからだろう。


「……また、みんなで一つになりたい。和泉さんのことは、まだ信じきれない。和泉さんの気持ちを考えても、やっぱり私の中で疑いが残ってる。それでも」

「うん。いいと思う、紫塔さん。もし難しいと思ったら、私を頼ってほしいな」

「そうさせてもらおうかしら」


 その返答に、私は笑みを隠しきれなかった。





 私もすっかりおなかを満たしたあと、どうしようか考える。それはシェリーたちとの事じゃなくて、これから眠れないであろう数時間の事。ちょっと困ったな、って思いながら紫塔さんの入ったベッドの横で、さっきの彼女のように足を抱えて座る。紫塔さんは寝ているのか、寝息のような、息遣いだけが聞こえる。起きていても不思議じゃないけれど。

 彼女が寝ている以上、部屋の明りをつけるのはちょっと遠慮したい。となると出来るのは携帯をいじることくらいしかない。本当は本でも読みたかったけれど。携帯でニュースを見ると変わり映えしない全国ニュースと、魔女騒ぎについて報道されているローカルニュースがあって、私はローカルニュースを開く。


「……」


 やっぱり、勇気を出して開いたけれど、明るくなれるような内容は書かれていない。教会サイドの動きもちょっと書かれている。『魔女と連れ去った仲間たちの捜索体制の強化』って怖いことも書かれている。それを見て、ちょっと今はいいか、と携帯も閉じた。




 となると、もう本格的にやることもない。出来ることもない。窓の外には晴れた空に輝く満月が映る。昼はあんなに天気が悪かったのに。嗚呼、教会に追われているような状況じゃなければ、綺麗なお月様でお月見でも楽しめただろうに。


「眠れないの?」


 不意に聞こえたその声。一瞬幽霊かとも思ってしまった。けどそれは確かに、ベッドで横になっている紫塔さんの物だった。


「うん。目えちゃって」

「さっきまで寝ていたものね」

「そういう紫塔さんは? 紫塔さんも眠れないの?」

「……寝たくないだけよ」

「? どうして? まだ不安なことが?」

「気分が良くて」


 気分がいい……? 少しだけ理解が遅れて、彼女は言葉の続きをつむぐ。


「すごく晴れているわね。夕方まで降ってた雨が嘘みたいよ」

「夕方まで……」

「月が綺麗ね」

「ああ、そうだね。お月見でもしたかったな」

「してもいいわよ?」


 ん? 私は驚いた。まさか紫塔さんからそんなおさそいが出てくるとは、思ってもみなかった。だけれど、“今の”彼女の言葉なんだろう。


「私に付き合ったら、たぶん徹夜になっちゃうよ」

「時間を決めてしましょう」


 起き上がった紫塔さんは私の横にぴったりと体育座りしてきた。見上げる窓からはきらめいて、幻想的で、今まで見た中で一番綺麗なお月様。その周りに散らばる星々。それに思いをせながら、ぽつりぽつりと隣の友人と語らう時間は、何よりも安らぐ。もしかしたら「楽園ラクエン」って自由だとか理想郷りそうきょうだとかそんな大した物じゃなくて、こんな満ち足りた時間の事なのかもしれない。……なんて思ったり。





 至福のひと時は紫塔さんが決めた時間を大きく過ぎて、短針は深々とお辞儀じぎをする。ふいに見た彼女の横顔が、私の思っていたより一つも二つも、素敵だった。彼女の表情に宿った幸せ。それが見れて、私も幸せだった。







 目が覚めると高々と昇った太陽が目に入った。部屋の中もやけに明るい。


「……うわぁ!?」


 確信した、いま昼だ。時計にその答えは書いてあった。横を見ると、……なんだか想像もしたことのないような、紫塔さんの寝顔があった。


「紫塔さん! もうお昼だよ! 起きなきゃ!」

「え……」


 紫塔さんがムニャムニャ目をこすりながら起きる。本当に変わったなぁ、紫塔さん……。


「いま何時……?」

「もうお昼だよ!? 早く起きよう!」

「待ちなさい、多知さん」


 紫塔さんは妙に落ち着いた口調で私をさとす。何か考えがあるのかな……?


「ここまで出遅れたら、もうきちんと身支度を整えたほうがいいわ」

「……なんで」


 なんでそんなまともな言葉が紫塔さんから出るんだ!? それって遅刻慣れした人の発言だよね!? ……まあでもその意見に不満はないから従うことにした。





 リビングに向かうと、もうすでに二人の先客が待っていた。昨日のこともあって、彼女たちの前に立つのは勇気、恐怖、いろんなものが胸の中に湧いた。


「おはよう、二人とも」


 シェリーがこちらを向く。紗矢ちゃんも。言葉は発さない。見た感じ、この二人の間はちゃんといい関係っぽく見える。


「おはよう」


 紫塔さんの言葉に、親友はキッと睨みつける。紗矢ちゃんの視線は自信なさげに下を向く。


「あのね、シェリー。……みんなで話し合いたいんだ」

「……」


 シェリーは黙ったまま。長年の付き合いをもってしても、こうして彼女が怒りに駆られているシーンというのは殆ど出会ったことがない。正直、私も接し方があやふやだ。


「いいわ、多知さん。私から言うわ。シェリーさん、そして和泉さん。私と、話をしてほしい」


 改めて紫塔さんからも告げる。シェリーは睨んだ目付きのまま何も応えない。紗矢ちゃんも何も言わない。でもそれは拒否の合図ではないと思った私たちは、彼女たちとテーブルを囲んだ。

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