第七章 第一節 「忘れていたはずの気持ち」
◇
目が覚めると、まだ部屋は薄暗い。時計を見ると五時。登校の時間にはまだまだ余裕がある。しかし、どうにも目は冴えて、これからまた寝るというのも難しいと感じた。
「……」
昨日、彼女と話したことが頭の中を巡る。どうしてあの子は、私と離れたくないと言うのか。あそこまで私と縁が切れることを拒否するのか。
私は、あなたを必ず不幸にする「魔女」だというのに――。
「……」
ふと部屋の隅にあるアレを見る。昨日ゲームセンターで手に入れた大きなぬいぐるみ。私はこのぬいぐるみが何のキャラなのか全く知らない。多知さんは「かわいい」と言っていたけれど……理解できない。かわいいって、なんだろう。
「……」
でも手触りはいい。……。
ぬいぐるみをベッドまで持ち込んで、そのまま寝転がる。腕いっぱいに抱きしめると、柔らかくて、どうしてか少しだけ頬が緩んだ。
学校について、自分の席に着く。何人かのクラスメイトは挨拶をしてくれる。そのなかで、少し落ち着きのない生徒が何人か、私に近づいてくる。その中の一人が意を決したかのように、話しかけてきた。
「あ、あの! 紫塔さん、昨日ゲームセンターいましたよね?」
これは多知さんの方に聞いてほしい質問。
「そうよ」
「クレーンゲーム、得意なんですか!?」
「初めてよ」
事実を伝えると、彼女たちは歓声のような声を上げる。朝から聞きたくはない、明るすぎる声。
「すごい、紫塔さんなんでも出来るんだぁ!」
……。どう接したらいいんだろう、私。
朝礼のために先生がやってくる。そのタイミングで絡んできた彼女たちは退散した。同じクラス、もしかして今日一日どこかで絡んでくるのだろうか。そう思って今日来ているクラスメイトたちを見て私は気づく。
今日、多知さんが来ていない。そういえば挨拶もされていない。
「多知さんは体調不良でお休みです」
教師のほうから答えが返ってくる。……。多知さんの友達であろう、シェリーさんを見ると、寂しそうな顔をしていた。
休み時間、いつものように本を読もうとすると足音と気配を感じた。朝絡んできたクラスメイト達だ。少し、面倒くさい。本を閉じて、同じく本を読もうとしていたシェリーさんの席へと私は向かった。
「シェリーさん」
「あ……紫塔さん」
シェリーさんの顔は浮かない。多知さんがいなくてつまらないのだろうか。
「い」
そういえばあんまり私とシェリーさん、二人だけで話したことがない。
「いっしょにお話しましょう」
「う、うん……」
あちらも戸惑っている様子で、頷いた。「この教室の中ではシェリーさんごと巻き込んで、さっきの生徒たちが絡んでくるかもしれない」と私は自分の居場所へと案内した。
理科室に案内すると、シェリーさんは辺りを見渡す。
「ここ……紫塔さん好きなの?」
「ええ。程よく広くて、誰もいないから」
「……お昼ご飯も、ここで?」
「そうよ」
「いや……この空気悪いところで私は食べたくないかな~」
多知さんも似たようなことを言っていた。そんなに、ここの空気悪いだろうか。
「で、話って?」
「あ、その……」
そう言われて、少し固まった。私としたことが、うかつな手を踏んでしまった。めんどくさい絡みから逃げる道具として、とっさにシェリーさんを利用してしまった。彼女と話す内容など考えていなかった。
「……晴香ちゃんとは、最近どう?」
見かねたのだろう、シェリーさんはそう私に問う。いや、これは純粋に彼女は知りたかったのだろう。
「……どう、か」
少し考える。
「多知さんから、すごく言い寄られているわ」
「!」
シェリーさんの目の色が変わる。それまで困ったような眼差しだった碧眼が、急にくっきり私を見てきたのだ。
「い、言い寄られるってなに!?」
「え、え……?」
「晴香ちゃんが、紫塔さんに言い寄ったって何~!?」
いつもの大人しいシェリーさんとは思えないほどに、私は彼女に身体を揺さぶられた。具合が悪くなりそうだ。
「や、やめてちょうだい」
「あ、ごめん」
シェリーさんが手を放したのをきっかけに、私はその内容を話す。
「多知さん、私を取り巻く魔女の運命に取り込まれるのが怖いって。でも、それでも私を独りにしたくない……って」
「……」
「すごく、苦しそうだった。いつもみたいにお道化た感じじゃなくて、悩んで悩んで、それでも私に振りかかる運命を、背負いたいって」
「それって――」
驚いたように、シェリーさんは口に手を当てた。
「プロポーズじゃん!!」
「ぷ……えっ!?」
私も驚いていた。プロポーズって、相手に結婚を申し込む、あれだろう。今のどこがそうだったのだろうか?
「そ、それで……!?」
「それで、って……?」
「返事!」
何か急かすように、シェリーさんは私に問うてくる。潤んだ目で私を上目づかいで見てくる。どうしたのだろう?
「え……うーん」
あれは、どう表したらいいのだろう。私は彼女の「離れたくない」という言葉に対して、了承も拒否もしていない。ただこの話はまた今度、ということで片付けている。
「回答はまた後日ということになったわ」
「! も~う!」
すると突然シェリーさんは私の頬をつまんできた。結構容赦のない力の込め方で、私もたじろいだ。
「うっ、痛い……」
「なんでそういう言葉を後回しにしちゃうわけ!?」
「そもそもプロポーズではないでしょ」
「晴香ちゃん、とっても悩んでそう紫塔さんに告白したんじゃないの!? 紫塔さんは晴香ちゃんの事、どう思っているの!?」
「ど、どうって」
「晴香ちゃんの気持ちに、紫塔さんはどう応えるの!?」
一瞬言葉に詰まった。シェリーさんの青い目が真っすぐ、強く私の
“私がどう思うか”
それは、今の今まで考えたことのないことだった。私? 私が、多知さんをどう思うか……?
私の肩に掴みかかっていたシェリーさんの手を振り払って、彼女の目を見つめ返す。静寂が理科室に流れる。
どうだろう? 私は、多知さんをどう思っている? どう? なにを、彼女から感じればいいんだ?
「わか、らない」
「えっ?」
「私、多知さんの事、どう思ってるんだろう」
「え、嘘……」
さっきまで猛々しい勢いだったシェリーさんが一気にうろたえた。
「えっと……本気で言ってるの?」
「ええ。どう、でしょう、全然、多知さんについて思っていることが、言葉にできない」
「あ……えっと」
なんだか気まずそうに目を泳がせるシェリーさん。彼女の目線の先の時計は、もうすぐ次の授業が始まる事を知らせていた。
「……戻りましょう」
「うん……」
話の結論が出るのは、次の休み時間になるだろう。
昼休みになり、私とシェリーさんは打ち合わせもなく、再び理科室へと足を踏み入れる。誰もやってこない、誰にも選ばれない場所。薬品の残り香が漂っている。
「じゃあ、さっきの続きを」
シェリーさんが促してきて、私も準備をする。
「いやぁ、さっきはちょっと動揺しちゃった。晴香ちゃんに対する気持ちが『わからない』っていうのビックリしちゃって」
「……」
「もしかして――紫塔さん、辛い経験があって、そう思うようになったのかな、って」
! 心を見透かされたような気がして少し驚いた。シェリーさん、どこからそんな推測を……?
「でもさ、晴香ちゃん、すごくいい子なんだ。こんな人見知りの私と、十年も仲良くしてくれるし、私以外ともすごく朗らかに接して……」
シェリーさんの顔はとても和やかなものだ。多知さんに対して、何一つ嫌なことを感じていないのだろう。
「そんな晴香ちゃんが『離れたくない』なんて……私でも言われたことないんだよ? 羨ましいなぁ」
「……?」
「紫塔さん、『わからない』っていうのは、晴香ちゃんに対して『何かは感じている』ってことは間違いないよね?」
胸に手を当てて考えてみる。多知さんといて、多知さんと話をしている時。私は何を思っている? 彼女の声で、仕草で、どう思った?
「思い当たる場面は、あるんだね?」
私はうなずく。彼女といると、私は何を感じているんだろう? 目を閉じて考えると、昨日のことがフラッシュバックした。
初めて行った空間。一緒にやったゲーム。多知さんに褒められたクレーンゲーム。あの日取ったぬいぐるみ。それは――私にとって、なんだったんだろう。あの時間は……。
「嫌じゃなかった」
「嫌じゃない……ってことは、その時間がずっと続いても良かったってこと?」
「……そう、ね」
口にして、初めてわかった。多知さんといた時間がずっと続いても、私は苦じゃなかった。
「それって、素敵な事だと思うの」
「素敵……?」
「一緒にいて苦にならないって、それはもう友達だもん」
「!」
友達。多知さんからも聞こえた単語。友達……友達って、こんな感じだろうか……?
「紫塔さん、もう紫塔さん自身が晴香ちゃんのことを友達と思ってるんだよ」
「……そうかしら」
「それを踏まえて、晴香ちゃんにどう伝えるか、だよ。紫塔さんの事情を優先するのか、それとも、紫塔さんの気持ちを優先するのか」
言葉にして、少しだけ、この気持ちの正体が分かったような気がする。今、多知さんと話し合って、言える私の気持ちがある。
「紫塔さんの気持ちは、事情で押さえつける必要があるものなの?」
「……どうかしら……」
「気持ちを伝えられるのも、また友達だよ」
「…………」
シェリーさんの言葉。少し考え込んで、私は席を立った。
「紫塔さん? お弁当食べないの?」
「行かなきゃ」
「え? えぇ?」
何か、大事な事を思い出したような気がする。それをするには、どうも持っている携帯電話じゃ不十分な気がした。教室から鞄も回収して、学校を出ようとした。
でも、私の記憶は、この後ある先生に会った後途切れていた。そのやり口は間違いなく、学校に潜り込んでいた教会側の人間の仕業だった。
◇
今日は起きた時から身体が怠くて、熱もあった。思い当たる節はなんとなくあった。昨日紫塔さんに気持ちをぶつけ過ぎた疲労だ。そんなことでへばっちゃう身体っていうのもちょっと情けない。
学校に欠席の連絡を入れて、私は一日休むことにした。朝礼の時間が終わったころだろう、シェリーからメッセージが来ていた。私が休むことなんて、これまでの学生生活を思い返してもそうそうない。皆勤賞を達成した年だってたくさんある。
幸い食欲はあったから、ゆったりと朝食を取ったあと、自分の部屋で無理せず過ごす。心労が原因なら、リフレッシュするのが一番だと思う。
本棚からマンガを取り出して、読む。この前買ってまだ読めていなかったものを手に取る。学校を休んでこんなことしていると、なんだかズル休みみたいで罪悪感が湧いてきた。
マンガのページが中ごろまで進んだところで、ふと昨日のことを思い出した。あれは自分でもなんだか恥ずかしい。泣いて、喚いて、みっともなく、紫塔さんにワガママを伝える。今思えば泣き落としみたいな感じにも見える。もうちょっとスマートな伝え方、なかったのかなぁ……。
私がいくら「紫塔さんと友達でありたい」って願って訴えても、当の本人がどう思うか、だよね。――あれ? そう言えば紫塔さんからそういったことについて、今まで気持ちを聞いたことがない。
彼女は「あなたが不幸な目に遭う」「危険」「親しい人が死ぬのが嫌」って理由を言っていたけれど……それって紫塔さん自身の気持ち、とはちょっと違うような気がする。もし紫塔さんが私を「邪魔」って言ったらそれは気持ちだと思うけれども。
「先延ばし、か」
昨日の最後に紫塔さんが言ったこと。この話し合いの結びはまた今度、って。それってつまり紫塔さんは納得した訳じゃないはず。ホントに泣き落とししたみたいじゃん……。
「フラれちゃったら、もうしょうがないかな」
私のワガママは通ってほしいけれど、紫塔さんの気持ちだって大事だ。彼女がさっきの理由で私を拒絶するなら、もう手を引こうかな。これ以上は鬱陶しいだけだと思うし。
そうだよね。
私、なんでこんなに暑っ苦しく人にウザ絡みしてるんだろう。紫塔さん、迷惑だったかもしれないのに。もし今度、ついに断られたら丁寧に謝って、それで紫塔さんのこれからを祈ることにしよう。
時計を見ると、まだまだ昼までが遠い。暇。携帯で遊ぶ気分でもないし、かといって手元のマンガはもうすぐ終わる。病人は大人しく寝ておくべきな気もするし、今日はもう一日中寝てしまおうかな。連絡を取りあう親友だって学業が忙しい。
ため息一つついて、ベッドに横になった。まどろむ意識。そこから一歩眠りに落ちて、すぐにハッと目を覚ました。一瞬見えた悪夢。あの日の悪夢は今だって私を蝕んでくる。熱と頭痛と、暇と。どうしようもないこの状態にただぼーっとすることしか、私にはできなかった。
惰性に流されるように、携帯を見つめる。中身のない検索、必要のない情報。最近見ているドラマの感想を覗いてみたら、意外と批判が多くてそっとそのページを閉じた。
その瞬間、ブルっと携帯が震えた。……電話だ。
「もしもし」
「あ、晴香ちゃん? 元気?」
ああ、と親友の声を聞いて、安心した。こんなに彼女の声が恋しいだなんて思ったの初めてな気がする。たまに夜通し通話したりしているのにね。
「あー、すっごく暇だったんだ」
「そうだったんだ! お話しない?」
誘われるままに、彼女とのお喋りを楽しむ。他愛もない会話。これがない日常が私には堪えていたみたいだ。たった一日だけれど。
「あ、休み時間終わっちゃう! またね!」
そう言うと、シェリーは慌ただしく通話を切った。ある意味良かったかも。昼休みだったら一時間近く話し込んでいたかもしれない。
親友と話をしたら、なんだか心が晴れた。今なら、悪夢に侵されることもなくいい眠りが出来そうだ。そう思って、私はベッドに潜り込んだ。……熱を持った身体は、やっぱりいつも通り眠るというのが難しいみたいだ。それでも、健やかな気持ちは、ゆっくりと私を安らぎへと連れて行った。
どれくらい経っただろう。携帯がまた震えていることに気づいて、私は起きた。良く寝た気がする。時計を見ると、昼を回っていた。おなかが鳴る。
「もしもし……?」
「あ、晴香ちゃん! あのね!!」
なんだか焦りに満ちた親友の声が頭に響く。おかげで目がさえた。
「シェリー落ち着いて」
「大変なの! 紫塔さんがね!」
身構える間もなく、親友の口から告げられた言葉は、私を部屋から連れ出した。
重い身体でやってきたのは教会。どうして教会か、それは私の直感が知っていた。
門を開くと、聖堂の椅子にはいつもよりも多くの信者が詰めかけている。
「……!?」
思わず、私は目を疑った。祭壇の真ん中に佇む、見慣れない大きな十字架、そこにはりつけにされた誰かの姿。ぐったりと意識を失っている。私はその人が着ている服に見覚えがあった。彼女の正体を認識するのを、私は知らず知らずのうちに拒否していた。一歩、二歩と祭壇に近づくにつれてその姿はハッキリ見えたのだ。
「紫塔さん!!」
荘厳な雰囲気の空間に、私の声が響いた。皆の注目が私に集まる。
「これはこれは……この前も会いましたかな」
十字架の前のバロウズ牧師が私に語り掛ける。
「牧師さん! 何をしてるんですか!?」
「君は……この子の友達だったかな? 残念なお知らせだ。彼女は魔女であるとの疑いが強まった」
牧師さんの声はあくまでも穏やかに、私に語り掛ける。君は敵でも何でもない、と言わんばかりの声音だ。
「そんな! この前違うって……!」
「仕方がないのだ。ちなみに今からやるのは、彼女が本当に魔女であるかの最終確認だ」
すると、牧師さんは胸元から、一本のナイフを取り出す。……何、するんだ? そんなものの使い方なんて、一つしかないじゃないか。
「何をする気です……?」
すると、牧師さんは私ではなく、聖堂全体に伝わるような声量で、語りだす。
「皆さま、この銀のナイフはご存じだろうか。かつて悪魔が苦手とした物質、銀」
「……悪魔?」
「魔女というのは、その悪魔の血を引き継いだ存在と言われております。従って、魔女の処刑には銀の刃物が使われたものです」
全身の血の気が引いていく。まさか……ナイフで紫塔さんを貫く気なのか?
「これからこのナイフで彼女に傷をつけ、反応を確認したうえで魔女の認定を下す」
すると、牧師は足音を響かせ、十字架の紫塔さんの元へと近づく。
「やめてください牧師さん!! 彼女は悪い人ではありません!!」
私の訴えに牧師さんは反応することもなく、代わりにどこからか警備員のような人たちが二、三人私の身体を拘束した。相手はがっしりした大人。私が力で勝てるはずもなかった。
「やめて! やめろ!!」
必死な叫びが聖堂にこだますると、私の口元に布を強くあてがわれた。声も、封じられてしまった。
「皆さま、ご覧あれ。彼女が魔女か否か――」
流れるように、牧師のナイフは紫塔さんの右手の甲を切り付けた。途端、十字架の紫塔さんがびくん、と動いた。
「ああああああああっ!!!」
さっきまで眠っていたはずの紫塔さんは目を大きく見開いて、絶叫を上げていた。聞きたくもない、苦痛に満ちた友達の叫び。私の頭にも、心にも大きく響く。
割れんばかりの声を上げ、身動きの取れずもがく紫塔さんの表情はもう、見ていられなかった。目をそらし、彼女の傷口を見ると、そこから煙が上がっていた。
「皆さま、確認いたしました。――やはり彼女は魔女であります」
告げられる牧師の言葉、それにざわつく聖堂の信者たち。そして。
「魔女を殺せ!」
「処刑を!」
その言葉は、私の理性を壊すには十分だった。耐えられなくなった私の心は、もう目の前の現実を受け止められなくなって――。
「では、後日、彼女の処刑を……」
身体から力が抜ける。意識を失くした私は崩れ落ちた。
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