第十一章 第四節 「緊張と限界、切れた糸」
「はあ、はあ、……ぐっ……」
担ぐ紗矢ちゃんの息が荒い。紫塔さんの手当てでもう血は出てないみたいだけれど、止まるまでの失血でもう自力で歩くのは困難な状態になっていた。
「もう……置いてって……」
力なく紗矢ちゃんはささやく。
「そんな、ダメだよ和泉さん!」
「そうだよ紗矢ちゃん、諦めちゃダメだよ!」
見れば見るほどかわいそうになる、真っ青な顔、荒れた息、いつもと違う、血で汚れた衣類。どうにかできないか、と気持ちがよぎる。
紫塔さんがいうにはこれからどんどん楽になるらしい。紫塔さんが使った薬品は「回復薬」っていうゲームでしか見たことのない代物らしくて、紗矢ちゃんの傷は急速に治る。だけれど今苦しいのはどうやっても難しいみたいだ。
「アタシが……みんなの、あし、を……」
「そんなことないよ、紗矢ちゃんがいないとこの作戦は意味がないんだ!」
「そうよ紗矢、あなたも一緒に来てこその作戦よ。欠けるなんて許さないわ」
紫塔さんの言い方は少し厳しい、でも絶対に紗矢ちゃんを失いたくないという気持ちがこもっていた。
学校を出て、教会まで歩こうとしていたけれど、四分の一も行かないくらいの所で紗矢ちゃんが音を上げ始めた。この脂汗の量だ、紗矢ちゃんを覆っていた気配消去の魔法はもう効いていないだろう。そう思って、人通りのない路地で私たちは頭を悩ませていた。
「みおっち……みおっちの目的を、はたさなきゃ……、だから、アタシ、を……」
「今だけなのよ紗矢、諦めちゃダメ」
紗矢ちゃんを壁に沿って降ろし、担ぐ私たちも休憩する。紗矢ちゃんともちゃんと話をしたい。
「だめだ、みんな……アタシもう、意識が飛びそう……」
「紗矢、ここであなたを見捨てたら、あなたは教会の連中に見つかって悲惨なことになってしまう。そんなこと私はしたくない」
「……っ」
銃で撃たれるというのは想像しただけで苦痛だけれど、実際はもっとすさまじいんだろう。治るとは言われたけれど、見える分にはこのまま息を引き取ってしまうんじゃないか、と怖い気持ちが湧いてくる。
「全員で一緒に生き残る、それが教会を打倒することと同じくらい大事なことなのよ。諦めないで、紗矢。じきに傷も痛みも和らいでくるはずよ」
「わかってるけど……」
紗矢ちゃんはここでもたもたするのが嫌なんだ。
「私の作った回復薬はじきに効いてくる。あと十分もすれば立てるようになるわよ」
「もし見つかったら……」
「そのときはぶちのめす一択よ」
その気持ちは私だって一緒だ。
「ごめんみんな……」
紗矢ちゃんは必死に謝り続ける。
「紗矢ちゃん、……笑って」
「え……?」
私の言葉に、紗矢ちゃんは戸惑った。
「こんな時に、笑うなんて……」
「紗矢ちゃん、いつも笑ってて太陽みたいだから。紗矢ちゃんがいないと駄目なんだ!」
「……そんな……こんなときになんなの、はるっち……」
「紗矢ちゃん、……私たちを信じて。みんなでこの危機は乗り越えられるから」
紗矢ちゃんは俯いて、何かを思うような素振りを見せた。その時。
「やあやあ、魔女のしもべ諸君」
どこかで聞いた、背筋の凍るような声がした。
「……! あなたは!」
破けた白衣がたなびく男。理科室で戦った先生だ。
「探したんだよ? 君たちのような
手にはサバイバルナイフ、そして……。
「……あなたが紗矢を撃ったのね?」
「そうさ、スナイパーさんからお借りしてね」
狙撃銃。こんなもので撃たれたらほぼ死んでしまうだろう。細い一本道の路地の中、私たちはもう逃げ場がない。
「今から君たちを一人ひとり撃っていく。なあに、余計な心配は要らない。確実に死ねるよう、頭を撃ち抜いて見せるとも」
……こんなセリフが学校の一教師から出るとは、到底思いたくはなかった。もうそういう目でこの男を見るのはやめた方がいいかもしれない。
「晴香、シェリー、遠慮なんかしなくていいわ。どうやってアイツを倒すか、よ」
「僕は勝負をする気などない。これは狩りだ。君たちは獲物だ」
もう狂人の目をした先生に信じられる人間性は感じられない。でも、どう動けばいい。相手は銃を構えている、満足に横に動けそうもないほど細い一本道の路地、前へ出ても後ろへ出ても銃口は簡単に私たちを狙ってくる。じゃあどうするか……。
紫塔さんの持っている薬品を使うのはどうだろう? あの中に奴を倒す手段があるような気がしている。残り八本。効果が違うのがあるとは思うけれど、さっきみたいな爆発を起こせるものを使えれば……。
「……。」
そのときあることに気づいた。後ろ手で紫塔さんがシェリーから何かを受け取っている。その手はあの白衣からは見えない。見れば渡しているのは理科室で回収したアルコールだ。
「さらばだ」
先生は特に待つこともせず、淡々と引き金を引く。照準の先には紫塔さんがいる。狙われているのは頭部。もしかしたら悲惨な結果が引き起こされるかもしれない。
「ふっ!」
ただ、紫塔さんは一発目をよけて、相手へと近づく。その反射神経がたまたまなのか、それとも紫塔さんが持っていたものなのかはわからない。狙撃銃のリロードをする相手にどんどん紫塔さんは近づいていく。その距離が十メートル、六メートルとどんどん近づいた。ただ相手も銃の扱いに慣れているのか、次弾の装填は早かった。
「堕ちろ魔女、地獄へ」
再び銃声が響く。明らかに頭部を狙った狙撃。紫塔さんは回避しようとした。だけれどそう狙ったのはフェイクで、煙が上がる銃口は、紫塔さんの足に向けられていた。
「っ、はっ……!!」
途端に力なく転ぶ紫塔さんに、白衣の相手は余裕をもって三発目の弾を装填し始めた。
「紫塔さん!」
「私はいい! 晴香、……!」
「ふーん……?」
相手はその意味が伝わっていない。紫塔さんの持っているアルコールの容器のふたは開かれている。彼女がどうアルコールを相手に浴びせるかはわからない。けれど、私はマッチ箱を手に、相手に近づく。すると相手の銃口はこちらに向いた。
「動くな多知。無駄死にしたくないだろう?」
「先生、見損ないましたよ。生徒のことよりも、魔女を狩ることばかり優先するなんて」
「当然だ、魔女は日常を脅かす。生徒たちの安全な生活の為にも、魔女は排除しなくてはな」
「だったら生徒でも魔女は殺すんですか!?」
「ああそうとも! 私自ら魔女の命を刈り取り、不穏な日常を払拭しなくては!」
……だめだこの人は。何かおかしい。何度か話したことはあるけれど、こんなにネジが外れた人だとは思わなかった。
「……先生、教会の信者なんですか?」
「そうとも、私の指針だ。だから、魔女は討つ。……ん?」
異臭が漂う。それは理科室でも嗅いだことのある特徴的なにおい。
「何をしている魔女」
銃口が紫塔さんへ向けられる。三発目の装填はもう終わっている。紫塔さんの足は真っ赤に染まって、立ち上がれるようには見えない。引き金を引かれたら、避けるのは難しいだろう。
「こっちだっ!!」
「うっ!?」
紫塔さんが後ろ手で転がしてきたアルコールの容器を蹴り上げると、中身が先生の身体を濡らした。もう準備は万端。あとは……あとはっ!!
マッチを擦って火をつける。舞い上がったアルコールの蒸気で火はいつもより大きく燃える。これを、アイツに、投げれば……!!
「っ……!」
「おいおい、人殺しになるぞ? 嬢ちゃん」
背後から掴まれた私、マッチを消す誰かの手。横目で見ると、学校においてきたはずの金髪の男の姿が見えた。
「あ、ああっ……!」
「晴香っ!」
……どうして? どうしてコイツがここまで来てる? シェリーは? シェリーは声もあげなかったのか!? 視界に入らない、声も聞こえない彼女の身が心配になり、心臓が嫌な脈を刻む。
「むぐっ!?」
口を布で覆われる。息ができない。
「さあ魔女さん、終わりだ。ガキの遊びは」
「そうとも。ここで君たちは死ぬ運命だ!」
紫塔さんの表情に余裕はない。向けられた先生からの銃口、そして金髪からのボウガン。それが地べたに座り込んで立てない紫塔さんを狙う。
「……馬鹿ね、あなたたち」
「あ?」
「ん?」
「チェックメイトよ」
そう言って、紫塔さんは先生の方へ向いた。
「バカはお前だぁ!」
勢いよく、金髪のボウガンが矢を放つ。
――だけれど、その矢は力なく、落ちていく。
「な……んだと!?」
「……みんなを、助ける……!」
ぐっ、うっ、と金髪が何回かうめき声を上げると、力なく金髪は倒れた。私を締め付けた腕もほどいて。
「……紗矢ちゃん」
「お前、さっきまで死にかけだったじゃあないか!?」
「そうだよ先生」
先生の銃口が紗矢ちゃんか、足元の魔女か、迷っている、震えている。動揺が見えた。
「終わりよ、先生」
「なっ!?」
紫塔さんの手には、さっきまで私の手にあったマッチ箱が、そして気づけば火を灯したマッチが先生の元へと数本飛んでいた。
「うああああああ!!!」
聞きたくもない絶叫が響き渡る。熱が伝わってくる。轟々と燃える炎がアイツを包んだ。
「……」
……。
私は……何を見ているんだ?
冷静になった私の目に飛び込んだ、燃える人間、血を流して倒れている人間。それを理解した時、私は、なにかを失った気がした。
心臓がダッシュでもしたかのように痛くなって、汗が吹き出て、足に力が入らなくて、目の前がグルグル回りだして、聞こえてくる全ての音が割れて、上がってくる不快なものを全部全部吐き出した。それでも、体を巡る悪寒は止まない。
「はるっち、どうしたの?!」
「――! ――!!」
もううまく言葉すらも出てこない。異常だ。異常なこの場面に、私のなかでヒビの入っていた理性がぶっ壊れてしまった。視界が揺らぐのは
「ハァ、ハァ、……ッ!」
呼吸もままならなくなった。紗矢ちゃんが介抱してくれてるけど時間の問題だ。現実に対して拒絶反応を示した身体と意識が行く先は停止だ。もう指先の感覚はなくて、目の前の光景も滲んで焦点が合わない。
「晴香……どうしたのよ晴香……!」
「はるっち、しっかりして!」
もうそんな声は届きはしなかった。
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