第十一章 第三節 「夢の鼓動」

 無事に理科室についた。誰もいない、がらんとした室内に独特の薬品のような匂いが漂っている。


「ちょっと待ってて頂戴」


 そう言って、紫塔さんは理科室、そして繋がっている理科準備室の奥の方へと向かっていく。気になって私たち三人もついていく。彼女が隠しているというものが、どこに隠しているんだろうという興味からだった。


「……うん、無事なようね」


 彼女はどこからともなく試験管のようなものを持ってきた。一体どこに隠していたのかは“見ていたはず”なのに見えなかった。


「紫塔さん、これは?」

「薬品よ。……有り体に言えば劇物」


 劇物というワードに一気に緊張感が走る。


「この試験管一本で、八畳くらいのスペースは吹き飛ばせるわ」

「ちょっ紫塔さん!? そんな危ないものをどうするの!?」

「無論、教会との戦いで使うのよ、シェリー」


 紫塔さんの目は嘘をついていない。つまり、これを人に向けてぶっ放すつもりだ……。


「気乗りしない、わよね。でも私はそんなことを言ってられないの」

「そう……」


 シェリーの目は少し、下を見ている。


「そういうことは、私がやる。あなたの手を、汚させはしないわ」


 すると紫塔さんはまた準備室の中を探り出す。まだ他に薬品があるのだろうか?




 紫塔さんが見つけてきた薬品は試験管十本。どうやら効果が違うものもあるらしい。そんなおっかないものを毎日理科室で作っていたというのはかなり恐ろしいけれど……。


「紫塔さん、本気だったんだね……」

「晴香、私だってこんなの使わなくてよかったのなら、どれだけよかったか。……まだ時間はあるわね。なにかこれからに役立つものを“借りて”行こうかしら」


 突然言われたけれど、私は何を持っていけばいいのか分からなかった。武器になりそうなものと言われても……とりあえずマッチ箱を二つくらい拝借することにした。


「アタシたち、まるで空き巣だね……」

「うん……」


 やってることがあまりにギルティな気がするけれど、仕方がないって割り切るしかない。ここで律儀にやってたら、自分たちがあとで痛い目をみることになりそうだから。


「晴香ちゃん、火を燃やすには燃料が必要だよ!」


 シェリーがそう言ったと思うと、実験用のアルコールを数本持ちだそうとしていた。


「うわぁ!? さっき言ってたことなんだったの!?」

「それはそれとして、化学の実験は好きだし……晴香ちゃんも一緒だし」

「そういう問題!?」


 まあ、シェリーがそう吹っ切れているのならいいけれど。





 昼休みも終わりが近づいてきて、私たちもそろそろ撤収を考えていた。十分に武器と言えるような物を回収できた(と紫塔さんは言っている)し、ここで長居していても目的は果たせない。これから攻め込むんだ、という踏ん切りもついた気がする。緊張はしているけれど。


「これからアタシたち、……やるんだよね」

「そうだね」

「うん」

「ええ。これを果たせないと、私たちに未来はないわ。行きましょう」


 そうして理科室を出る。




 はずだった。理科室への来客があるまでは。


「!?」


 思わず四人固まる。突然入ってきたその男の人は……。


「あ、理科の河町こうまち先生だ」


 紗矢ちゃんが小声で呟く。見たことがある。私たちのクラスの担当ではなかったけれど、理科の担当教師だったはずだ。


「見えてないはず、出るわよ」


 私たちは驚きつつも、理科室を出ようとした。だけれど、戸が動かない。


「っ……!?」

「君たちはここで終わりだ」

「はっ……!」


 明らかに私たち四人に聞こえるような声、そして視線。あの眼鏡の奥から覗く瞳は冷たく、私たちを見ている。


「君たちが教会に対して反乱を起こそうとしているのは分かっている。だから……」


 先生がなにか懐から取り出す。ギラっと光るその金属質なものは、さっきも似たようなものを見た気がした。


「ナイフ……!? 皆、気を付けて!」


 サバイバルナイフ。一撃で命を脅かす代物。それをもって、先生がこちらへ突っ込んでくる。この突っ込み方はまるでマトモな人の動きじゃない。狂乱きょうらんという言葉を私は思い浮かべた。


「ここで仕留めてやる!」


 先生が机を飛び越えてこっちに迫る。こんなの、まともに対応できない! 私は怯える限りに逃げる、距離を取る。皆も同じようにどうにか距離を取ろうとする。けれど、私たちは戦いだとか、戦闘のプロじゃない。


「っ!?」

 シェリーが転ぶ。違う、こけたんじゃない、転ばされたんだ。床に伸びた先生の足が、シェリーの足をつまづかせた。


「まずは一人!」


 躊躇ちゅうちょも気持ちの整理の時間もないままに、シェリーに覆いかぶさった先生はナイフを振り下ろす。


「や、やめっ……!」


 叫びが喉に引っかかったその時、爆発音が私の耳を貫いた。耳鳴りに襲われて、一瞬何が起こったのか、理解が追いつかなかった。

 大きく浮き上がった先生の身体。着ていた服は破れている。先生の身体が理科室の壁に勢いよく叩きつけられたのが見えた。その視界の隅で、紫塔さんのアイコンタクトが見えた。


“出るわよ”


 そう言っているように思えた私は、床に突っ伏していたシェリーの肩を抱いて、爆発の勢いで開いていた戸から理科室を出た。





 どうやら今の爆発が校内で騒ぎになっているのは、駆け出していく生徒たちの姿で分かった。未だに耳はキーンとして音を受け入れない。火災警報機のランプが点滅しているから、ベルも鳴っているのかもしれない。


「――」


 何か紫塔さんは喋っている。「聞き取れない」と私が口にすると、紫塔さんは頷いて、歩き出した。横のシェリーを見ると、目が「苦しい」と訴えている。紗矢ちゃんの表情も険しい。時折私の方を見て、シェリーを抱えるのが辛くないかを確認しているみたいだった。




 避難する生徒たちでごった返している廊下を抜けるのはかなり難しかった。誰かに触れれば気づかれてしまうだろうし、そもそも誰もこちらを感知してないのだから、ぶつかってしまう可能性だって高い。人の少ない、人の流れの元のほうを目指して出ることに成功した。




 校舎を出ると、校庭に全生徒が集まっている。きっと『魔女騒ぎ』の名目なのだろう、教会の聖職者と見られる人もかなり集まっていた。そこに、見覚えのある男の姿も見えた。さっき道端で出会った金髪の追っ手だ。


「アイツ……!」


 やっと耳鳴りが控えめになったところに聞こえた紗矢ちゃんの声。校庭の柵から外が見えたけれど、そこにも教会の大人たちがいて、そして魔女ではなかった時のためだろう、警察や消防の人たちも来ている。


「出られる? 紫塔さん」

「魔法の効力に影響はないはずよ。大人しく出ましょう」


 冷静な彼女は、やっぱり頼れる。落ち着いて、学校を出ることにした。あくまで目立たないように、と気を付けながら。




「ぐううっ!!」


 そんな悲鳴が聞こえると、隣で倒れる音が聞こえた。背筋が凍って、そっちを向くのが怖かった。


「和泉さん!!」


 紗矢ちゃんが倒れていた。うつ伏せのお腹の辺りから赤い水溜まりがどんどん広がっていって。


「あ、ああ……!」


 私ももう声が抑えられなかった。どうしたらいい……!? どう、すれば、どう……!! もう何も考えることなんてできない。倒れている紗矢ちゃんに寄り添おうとしたときに、強く、迷いのない声が聞こえた。


「紗矢、気をしっかり持ちなさい!」


 紫塔さんが私を押しのけて、懐の試験管を一本開けた。緑色の透き通った液体が見えた。血がどくどくとこぼれ続ける傷口に紫塔さんが指を突っ込んで――。


「ううっ!! ああああっ!!!!」


 紗矢ちゃんの絶叫が耳を突く。彼女の表情をまともに見ることなんて、私にはできなかった。

 ころん、と何か指先ほどの金属の物体が転がった。……銃弾だ。撃たれたんだ、紗矢ちゃんは。


「シェリー、タオルを!」


 言われるままにシェリーがタオルを紫塔さんに渡す。それに紫塔さんが試験管の液体を染み込ませて紗矢ちゃんの傷にあてがう。また紗矢ちゃんの悲鳴が響き渡る。言葉にならない絶叫や、「熱い、痛い」って聞こえる叫び。頭がどうにかなっちゃいそうだった。


「晴香、周りを見張っててほしい! 撃った奴がまだいるかもしれないわ」

「え、あっ」


 頭が真っ白になって、それでもどうにかそれっぽい動きをしようと身体を動かす。はっきり言って、今の私の目がその銃弾の主を捉えられるとは思えない。


「みお、……っち」

「大丈夫よ、ここにいるわ」


 そんなやり取りが聞こえて、なおさら胸が痛い。足が震えている、心臓が走り続けている、周囲の目の前の光景が頭に入ってこない。もう私に冷静さなんてどこにも無かった。


「どうする……病院へ……? いや、それでは……」


 紫塔さんの独り言が聞こえて、頼りにしていた彼女もかなり一杯いっぱいなのが分かって、もう私は、――。


「ふっ、はっはっはっはっは!」


 そんなときに聞こえてくる男の笑い声。その方を見ると、さっきまで校庭にいた追っ手の金髪がすぐそこに立っていた。


「終わりだなぁ、ガキども」


 もう自分たちの勝ちと言わんばかりの男の表情。……実際、いまこの状況をひっくり返せる物はもうないかもしれない。


「大人しく投降すればよかったものを。こうやって痛い目を見る前に楽になれたのになぁ?」

「……」


 紫塔さんは男のほうへ見向きもせず、淡々と紗矢ちゃんの手当てを続けている。


「あ? 何とか言ったらどうなんだ魔女さんよぉ?」

「……」

「負けを認めるのが怖いのか? お前が全員を不幸におとしいれたんだ!」

「……」


 やっぱり紫塔さんは男の方を見ない。男の上機嫌だった顔が、だんだんと崩れていく。


「チッ、はぁ。生意気なガキ」


 そういうと、男が手に持っていたボウガンを紫塔さんの背中に向けた。紫塔さんは無防備だ。もしかしたらボウガンに気づいていないかもしれない。まずい、と私は足を動かすと、その銃口は私に瞬時に向けられた。


「おっと、変な動きすんなよ。的は三つ、どの順で撃ち抜いたって良いんだからな?」


 そっちの嬢ちゃんも! と男はシェリーにもその銃口を向けようとしていた。……視界の外にいるシェリーがどんな状態なのかは私には分からない。


「痛い思いしたくないだろう? 持ってる物全部置いて、手を挙げてこっち来い!」


 いつもだったら、私は言い返しただろう、相手を睨んだだろう。でも、今はそれが出来る気持ちじゃない。私がどうなろうがどうでもいい。けれど、あの銃口の先には紫塔さん、そしてシェリーがいる。そんな状況で私は――もう、心が折れそうだった。

 気付けば私は、両手を上げて金髪のほうへ向き合っていた。


「聞き分けいいじゃないか、そっちの嬢ちゃん」

「晴香ちゃん!」


 どうにか、なにか策が立てられないか、などと足りない頭で考えるけれど、やっぱりこんな状況で回るような頭じゃない(何か、予想外の何かに期待している自分だっている)。私は何が出来るんだ? 情けない、って少し思った。


「そうだ、一歩ずつ、こっちにこい」


 ――手を伸ばせばボウガンにさわれる、そんな距離まで近づいた。すると、その男は私の手を思い切り掴んで引っ張った。


「捕まえたぁ。頭の弱いオンナノコなんてこんなもんよ」


 私の首に男の腕が回され、ボウガンの銃口が私の頭に突きつけられる。人質の体勢だ。


「晴香ちゃんを離せ!」

「やだねぇ。“はるかちゃん”だっけか? 魔女さんよぉ、ハルカチャンが危ない目に遭ってるぜ?」


 するとようやく、紫塔さんは手を止めて立ち上がり、こっちを見た。


「下品ね」

「あぁ?」

「みっともないわね。品が無い虫けら」

「なっ……」


 ギリ、と私に突きつけられた銃口に力が入る。当然痛い。


「し、紫塔さんそんな挑発するような言い方……!」

「だってそうじゃない。年下の女の子に酷いことを平然とする男の人、シェリーは好き?」

「え……生理的に無理……」


 シェリー、正直なのはいいことなんだけれど……いま私の状況見えてるかな……?


「晴香、あなたはどう? 子どもを痛めつける大人」

「えっと……その」

「いいのよ、晴香、“正直に”答えるのよ」

「――最悪でしょ」


 自然と、悪い笑みがこぼれたのを覚えている。


「お前ら……人をコケにするのも」

「あら、あなた自分を誇り高きヒトと思っているわけ? 私は言ったわよ、『虫けら』って」

「……っ!」


 私の首を挟んでいる男の腕に力が入るのが分かった。恐らくかなり苛ついている。


「私の見立てだと、あなたが私たちの『気配消去』を看破した聖職者……つまり、相応の実力者だと見ていたけれど、なぁに、大したことないわね」


 本当に見本のような煽りをする紫塔さんを見るのは初めてだ。両手を広げて「ざんねん」みたいなポーズもしているんだもん。面白くもなってきちゃう。


「あーあ、もう少し知性のある敵と思ってたのに。『人類の脅威たる魔女を排除する』……そんなこころざしを持つのがこーんな品のないお猿さんだなんてね」

「……ガキの煽りだ。そんなんで俺の感情を揺さぶれると思っていたか?」


 さっきまで怒りの篭っていた私の首の腕は、震えなど無くなっていた。……少し雰囲気が変わった気がする。


「あ……し、紫塔さん、流石に言い過ぎたんじゃ……」


 シェリーの小声が聞こえた。彼女も分かったんだ。ならたぶん、紫塔さんだって分かっているだろう。


「お前らが思っているような快進撃など、起こせはしない。突破口だって見いだせない。お前らはただ、魔女の運命に翻弄されて身をほろぼすだけだ。俺だってそこへいざなう」


 男の声のトーンはさっきとは打って変わって冷酷なものに思えた。起伏もない、感情もないその声音は、下手すると緊張感へとつながるもの、だけれど……。


「……それは全ての運命が束になったときよ。一つ一つを取り除いていったとき出来るほころびを、私は信じる」


 紫塔さんが堂々と男の前に立つ。目を真っすぐ見て、一歩も退かない、と言わんばかりに。


「ま、俺もその奔流に従うだけだ。ここで命を散らせ」


 ボウガンが紫塔さんに向けられた。どうもこの男はとっとと魔女を討ちたいらしい。


「奔流があなたたちの物だけとは思わないことね」

「強がったって無駄だ」

「それはどうかしらね」


 この語調がどうも私には強がりやハッタリとは思えなかった。もちろん紫塔さんが本気でハッタリをかましたらきっと迫力があるとは思う。けれど、彼女の言葉の裏になにか考えがある気がした。


「私たちだって、今はか細い流れかもしれない。でもそれを大きくすることは――」


 ブオン、といかついエンジン音がとどろいた。場違いな音の元を辿ると、紫塔さんの背後から近づく、二台のバイクが見えた。


「な……なんだ!?」


 男と同時に、私も驚く。こんなの打ち合わせになかったぞ!?


「……あ、れは……」


 エンジン音に気づく紗矢ちゃんの声が聞こえた気がした。と同時にバイクの運転手を纏うセーラー服にピンときた。


「! さっきの……!」

「紗矢、あなたにはお礼をしなくちゃね」


 二台のバイクは速度を緩めるどころか、どんどん加速して向かってくる。何をする気なんだ……!?


「晴香! 逃げる準備を!」


 急に言われたけれど、なんとなく、本能的に取る行動は分かった。あと数秒でこちらに来るバイク、その二人が持っている長物の鉄パイプ。それをみて男のボウガンの狙いはズレた。今だ!

 思いっきり身体を振り切って、男の腕から抜け出すことに成功した。そしてかがむ。鉄パイプがボウガンを叩き落す。


「ぐっ!」


 男が慣れたように体勢を整える。武器のボウガンはとても使い物にならないくらい歪み、吹き飛ぶ。

 ブレーキ音がなって、バイクは二台、男を囲うように止まる。フルフェイスのヘルメットの片方には、ボウガンの矢が急所を外れて刺さっていた。


「行きなよ、和泉のお友達! 困ってんだろ?」

「チッ……」

「助かるわ。今度お茶でもしましょう」


 堂々と逃げようとする紫塔さんを目で追う男、しかしバイクの二人組に絡まれてもう追うことは出来ない。

 私はシェリーと一緒に紗矢ちゃんを担いで、その場を離れる紫塔さんを追っていく。




 まるで夢みたいだ。こんな窮地を、こんな形で切り抜けることが出来るなんて。私はこんな結果は予想していなかった。紫塔さんは予想してたのかな。

『奔流はあなたたちの物だけではない』――もしかしたら、私たちが作ろうとしている流れというのは、すでに勢いを増し始めているのかもしれない。それがもし、もしも、魔女を取り巻くとてつもない潮流に穴を空けることができたのなら――そんな夢の鼓動を、感じ始めていた。

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