第三章 「ビター&スイート」

 私の街には教会がある。教会と言えば宗教だ。

 宗教と言っても、なんだか怪しげな活動をしている宗教じゃない……と私は思っているのだけれど。そう思うのは、教会の人たちがこの街の治安のために活動をしている姿をたくさん見たことがあるから。

 町内会や、街のお祭り、交通安全指導とか、なぜかすごく街のために尽くしている姿を見るんだ。そこの牧師さんが学校に来て話をしてくれることがあって、とても優しげなイメージを持った覚えがある。


 でもね。

 紫塔さんは言うんだ。“教会は敵だ”って。




 次の登校日、学校で教会の牧師さんが話をする集会があった。こういう講演会は私の地域の学校では珍しくなくて、小中学校でもたびたびあるイベントだ。

 ……まあ、あんまりワクワクするような話をするわけじゃないから、居眠りする人もたまにいる。


「最後になりますが――ここ最近、この街に魔女が現われたという話を聞いています」


 眠気に沈みかけていた私の意識は、この言葉で急浮上する。な、なんだって……?


「ですが安心してください。私たち教会の者たちが、魔女の脅威からこの街を、皆さんを守ると約束します」


 渋い男性の声。それは以前にも優し気な講演を開いた牧師さんだったけれど、この時は少しだけ、私は怖くなった。



 講演が終わって、教室に戻るときも、クラスメイトの声が聞こえてきて、「魔女って怖いね」とか「魔女、いなくなればいいのに」なんて声が聞こえた。ふと、一人歩く紫塔さんの後姿が見えて、また、私は怖くなった。



 雨上がりの帰り道、シェリーと帰っているときも、その話は出た。


「魔女だって。あれだよね、街を危険にさらす……だっけ」


 親友の口からも出るその言葉に、もう私は頭が痛かった。


「そんなの、迷信だよ」

「……私もそう思うけれどね」


 少しだけ、心が軽くなって、親友の顔を見た。シェリーの眼鏡の奥には、私の様子をうかがう優し気な目が見えた。


「どうしたの?」

「……あ」


 また、忘れ物だ。どうにも最近、忘れ物が多い気がする。


「ごめんシェリー、学校に忘れ物しちゃった」

「え? ええ~?」


 私は学校に駆けだす。シェリーがそのあとどうしたのかは分からなかった。




 教室に戻って、私は自分の傘を探す。どうやら雨が上がったのは一時的なもので、曇天の空は今にも崩れそう。明日の予報も雨だから、これを忘れたら明日困るんだ。

 電気が消えて、真っ暗な教室。傘立てに自分の傘を見つけて、取ろうとしたその時。


「多知さん」


 ふと聞き覚えのある声が背後から聞こえた。振り向いた瞬間、雷が教室を照らして、一瞬視界が白く消える。

 目が慣れると、あの紫塔さんの姿がそこにあった。


「紫塔さん……」

「話がしたいの」

「……帰らなきゃ」


 心臓は高鳴る。魔女。教会。彼女の話が嘘ではないのは、もう感じ始めている。もがくように、逃げたい気持ちが私の中に湧き始めていた。


「お願い」


 その場を去ろうという私の手を、紫塔さんは握る。不思議なことに、強い力でもないその手を、私は振り払うことは出来なかった。


「……やっぱり、あなたは――」


 彼女の言葉の続きは、雨音にかき消されるくらい、透明だった。


「やっぱり……関わらないほうがいい、そう思った?」

「……」


 私は否定できなかった。取り繕う嘘より、罪悪感が先にのしかかった。


「そう、よね」


 彼女の視線が沈んで、私の腕から、彼女の手の感覚が離れる。


「巻き込もうとしてしまって、ごめんなさい。もう、私とあなたは、他人同士。私から話すこともないでしょう。こうして、この教室で、二人きりになることも」

「……なにそれ」


 なんだよ。何を言ってるんだよ、この子。


「それで他人同士になれるわけないじゃん」

「えっ?」

「自分勝手だよ、紫塔さん。私の気持ちも知らないで」

「だって、関わりたくないんでしょう?」


 そういうところだ。この、にぶちん!


「それでも! 私紫塔さんと楽しい学校生活送りたい! もう私たちは友達だよ!」

「な、なんで」


 紫塔さんの目は「理解できない」と訴えてくる。そうなんだ。


「紫塔さんだけの気持ちで、私を他人にしないでよ」

「!」


 驚いたような紫塔さんの表情が、妙に目に焼き付いた。


「なんで……私と関わりたくないって」

「ちがうの! 魔女とは関わりたくないかもしれない、でも紫塔さんとはもっともっと関わりたい! 友達になりたい!」

「……意味わかんない」


 紫塔さん……どうして、私の言っている言葉が、わからないの?


「あなた、死んじゃうわよ」

「じゃあ、死なないように、私頑張るから!」

「無理よ。アイツらはどこまでもしつこいし、一度追われたら最後、一生狙われ続ける」

「じゃあ、そいつらをぶっ飛ばしちゃえばいいんだ!」

「何を言ってるの!」


 初めてだ、紫塔さんがこんなナイフみたいに鋭い声を出したのは。


「多知さんそんなの無理よ! 皆、みんなアイツらに殺されちゃったのよ! それを……そんな無責任なことを」

「紫塔さんも死ぬんだ」

「……犬死にするつもりはないわ」


 その紫塔さんの目は、どこか迷っているように見えた。まだ私と同い年の子が、死ぬ死なないとか、そんなのないよ!


「一人で?」

「そのつもり。あなたを巻き込みたくはないわ」

「ダメだよそんなの! 友達が死ぬの、私は耐えられない!」

「もう他人よ!」


 そう言うと、紫塔さんは教室を出て行った。ゴロゴロと雷が鳴って、二度光って、雨が強くなる。その間、私は動くことができなかった。





 雨中どろどろの道。雨は土砂降りをやめずに、ただただ降り続ける。曇天は夕方の光を遮って、もう夜が始まったみたいに辺りは真っ暗だ。私は足元を濡らしながらひとり、帰り道を歩いていく。視線はずっと濡れた道路へと向いている。湿度が高くて、息が詰まりそうで、苦しい。

 家への道が遠く感じられて、冷え切った足が疲れてきた。


「あ、晴香ちゃん」


 ふと、声が聞こえた。大雨の中でもはっきりくっきり聞こえる親友のそれは、沈む気持ちを引き上げた。


「びしょ濡れじゃない! 傘の持ち方も変だったし」

「変?」


 気が付いた。どうにも傘を差す手にも気が回ってなかったみたいで、右肩以外がずぶ濡れになっていた。


「うわっ!?」

「どうしよう……ここから晴香ちゃんの家はちょっと遠いし……そうだ! 私の家なら、ちょっと近いし、暖まれるよ!」


 ああ! と私も笑っていた。こんな気持ち、とっとと振り払いたかったんだ。




 シェリーの家は大きい。お父さんもお母さんも、どうやら海外を転々とするビジネスマンらしく、その分彼女の家もとても立派なんだ。今日もどうやらいないみたい。


「どうしちゃったの、もう」


 いつもならその質問にもお道化て答えていたような気がするけれど、今の私にその気はなかった。


「浮かない顔……具合悪いの?」

「あ、いや……」


 シェリーになら、話してもいいのかな……? いや、でも……。


「ちょっと、大雨過ぎて、疲れちゃったな」

「そっか。あったかいお茶、淹れるね」




 着替えを借りた後シェリーの部屋に通されて、彼女はお茶の用意をしに行った。彼女の部屋に来るのはそこまで久しぶりじゃない。控えめで上品な甘い匂い。空調の利いた快適な部屋、そして……。


「私との写真、また増えてる……」


 コルクボードに飾られた、シェリーの笑顔が眩しい写真たち。その隣にいるのは大体、私だ。


「うれしいけど、照れるなぁ」


 目新しい写真がいくつか。高校の入学式のもの。緊張しているシェリーと、笑顔の私。桜の花が綺麗に咲いている。


「……」


 シェリー、いい子なんだけれどな。写真を撮る相手は他にもいていいと思うんだけれど……人見知りかぁ。

 少し色褪せた写真に目を移す。小学校入る前の、公園でのひと時の写真だ。まだ会ったばっかりで、シェリーの顔がこわばっている。その隣にいるのもまた、笑顔の私だ。


 もう十年。彼女と出会って十年だ。シェリーはいじめられてたっけ。日本人じゃない彼女の容姿は、格好の餌食だった。子どもっていうのはちょっと残酷で、「いじめはよくない」って考えがまだないから。私はシェリーの容姿、すごく綺麗だと思ったけどね。


 小学校入って、中学校に上がっても、時たま容姿を揶揄う人間はいたし、その時の経験から、シェリーが控えめな性格になっちゃったのは、知っている。


「入るよー」


 お茶を用意したシェリーが部屋に入ってきた。ここで飲む紅茶は、すごくおいしい。どうしてだろうね、彼女はすぐそこのスーパーで買った茶葉で、お茶をつくっているらしいんだけれど。


 一息ついて、時計を見た。十八時を過ぎて、天気もあって辺りはすっかり真っ暗になってしまった。雨はまだまだ止む気配はない。帰るなら早くしたほうがいい。いいのだけれど……。

 携帯でお母さんに連絡を入れようと考えた。帰りが遅いのを心配しているかもしれない。帰りの迎えも頼もうか、と思っていたら、何やらニヤニヤとシェリーがこちらをじっと見ていた。


「ね、今日お泊り会しない?」

「え、えぇ? 明日も学校あるけど」

「いいじゃん」

「えー」


 彼女のわがまま。ここでぴしゃりとお断りしようかと思っていたのだけれど、ぱっと腕を掴まれた。優しい感触。


「晴香ちゃん、あんな雨の中で疲れたでしょ? もうちょっとゆっくりしていこうよ」

「それもう夜になっちゃうじゃん」

「だ・か・ら、お泊り」


 んー、これは私の負けを認めるか。気持ち身体も怠いし。それに、ちょっとお喋りしたい気持ちもあったから。


「うーん、そうだね。今日は一緒にすごそっか」


 そう言うと、シェリーはすごく喜んだ。こんな弾けた笑顔を見せてくれる彼女。こうして他の人とも接することができたら、きっと彼女の友達も増えると思うけどなぁ。




 その後やったことと言えば、一緒にテレビを見て、一緒に晩御飯を作って、食べて。まるでカップルみたいだ。


「新婚さん……」

「ん? 晴香ちゃん?」

「これ、新婚カップルの生活じゃない?」


 そう言うと、シェリーは急に顔を赤らめた。


「な、なにをいってるの!? まだ早いよ!」


 早い? その言い回しはなんか変だよ?




 お風呂まで借りてしまった。やっぱり、シェリーの家のお風呂、すごく快適。泡が出るんだ。


「たのもー!」

「うぇっ!?」


 ノリノリでブロンドの彼女がお風呂場に入ってきた。流石に私も驚いた。ここはお風呂場だけれど、大浴場じゃないよ?


「お背中流してあげますよ、お嬢さん」

「……酔ってる?」

「まさか! まだ未成年だよぅ」


 テンションの高い彼女に戸惑いつつも、悪い気はしない。さっぱり彼女の身体を洗ってあげて、私も洗われて。なにこれ、と笑い合いながら、一緒の浴槽に浸かる。


「流石にちょっと二人は狭いね」

「そう?」


 明らかにスペースがない。向かい合って座っているけれど、足が動かせない。


「なんか、恥ずかしくない……?」


 十年来の親友とはいえ、真正面から裸の付き合いだなんて……。


「そう? 昔はよくやってたじゃない」

「それはそうだけれど」


 そこの価値観はシェリーのルーツの国にあるのかもしれない。


「えいっ」


 すると彼女は私の方へと背中を預けてきた。彼女の頭が私の顔にぶつかる。


「うっ」

「うりうり」


 なにをするんだシェリー。彼女の背中がおなかにこすれる。


「暑苦しい……」

「いいじゃんいいじゃん」


 それにしても、ちょっと今日のシェリーのテンションは異常だ。どうしてだろう。


「おはだすべすべ~」

「どうしたのシェリー、いつもより弾けちゃって」


 ん~? と上機嫌にシェリーは返事すると、ふにゃっと柔らかい表情でこちらを見てきた。


「晴香ちゃん、なんか悩んでるでしょ」

「えっ」

「もう十年の付き合いだよ? 人生の三分の二を共に過ごしている相手、気づかないわけないって」


 にしし、とシェリーが笑う。やっと気づいた、私、自分の表情すら、気が回ってなかった。


「珍しいじゃない、晴香ちゃんが悩み事なんて。いつもいつも楽観的に生きてる晴香ちゃんなのに」

「……は~」


 しょうがないというか、なんというか。この状況で、悩みをかたくなに抱え続けられるほどの鉄の心、私は持っていなかった。


「ちょっと、紫塔さんとね」


 その名前を出すと、親友の顔は少し曇った。


「え~また紫塔さんの話~?」

「そうなの。シェリーに相談したいなって」


 拗ねたような彼女の顔に私は信頼を寄せる。今、君に相談したいんだ。


「そっか、いいよ」


 不機嫌そうな顔はどこへやら、彼女は聞く姿勢をとった。私も話す準備をする。


「実はね……」


 彼女に分けていく、心の重荷を。彼女は笑顔でそれを受け入れてくれた。私だってスッとして、ようやくホッとしたような気がした。




 ――これが彼女を、魔女の運命へといざなってしまうことから、目を背けて。





 ふらふらになりながら、私もシェリーもお風呂を上がる。のぼせてしまった。お風呂でそんな相談をするのは、さすがにやめたほうが良かったかな。


「あー……たすけてはるかちゃん……」


 水を用意する。彼女の家の構造は私はよく知っている。シェリーをベッドに寝かせて、私もふらつきつつコップの水を飲んだ。おいしい!


「あーやばい」


 時計の針はもう零時直前だ。長風呂だったな……と改めて思う。


「シェリー、お水だよ」

「さんきゅー……」


 彼女もちょっと弱々しく水を飲んで、そして年頃の女の子とは思えない「あ~!」という声を上げた。


「シェリーおじさん」

「むっ!?」


 血相を変えて起き上がった彼女に、つねられる私の頬。心は年頃の女の子だったよ。




 ちょっと落ち着いて、寝ようとして、シェリーのベッドに入る。


「!?」

「?」


 見ると彼女がかなりあたふた、わちゃわちゃ、とにかくパニックになっている。どういうことだろう?


「どうしたの?」

「どうしたって、いきなり隣に入ってくるなんて!?」

「いや、だってこの部屋ベッド一つしかないし」

「そうだけど、そうだけど……っ」


 明りを消した部屋では、彼女の表情が上手く見えない。


「とにかく、もう今日は疲れちゃったよ。朝になったら、私は家に一度帰らないといけないし」

「う、うぅ……」


 親友は私から顔を背けた。なんかマズい事言ったかなぁ?


「おやすみ」


 いろいろあった今日の私を、休ませることにした。薄れていく意識のなかで、もぞもぞしている隣の親友が気になった。

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