第八章 「見えないヒビ」

 とにかく私が目覚めたその日はもう、何もかもを忘れて皆との時間を楽しむことにした。といってももう夕方だったので、一日という時間ではなかったけれど。



 お風呂でゆっくりと暖まって、夕食に親友が振る舞ってくれるオムライスを食べた。久しぶりに食べた食事はもう、天にも昇る美味しさだった。

 そしてもう夜更け。この家で寝るしかないのだけれど、どう寝るか、というのをシェリーが言ってきた。


「よし! 晴香ちゃんも復活したことだし、寝る場所じゃんけんしよう!」


 この家には幾つか部屋があって、その中にシェリーのご両親の寝室もある。流石に一つのベッドに四人は狭すぎるので、二人ずつで分けることにした。


「ズルしないよね? シェリーちゃん」

「どうかなぁ~?」

「私はあのベッドに四人でもいいけど」

「いいわよ。かかってきなさい」


 えっ、紫塔さんが思ったよりバチバチな発言を……!? ピリッとした空気を感じたのは私だけじゃなかったみたいだ。


「じゃあ、いくよ……じゃんけん!」


 四人の手はパーが三つ、チョキが一つ。勝ったのは……私。


「ほう。晴香ちゃんいち抜けですか」

「はるっち、寝床選び放題だね」


 うむ……。どこで寝ようか。もしシェリーの部屋を選んだらほぼほぼ彼女と一緒に寝たいと言っているような気がして恥ずかしいな……、と思って。


「あっちの寝室で寝るよ」

「いいんじゃない? たまには大きなベッドで寝るの!」

「いいね~。と言っても、昨日までアタシたちもそこで寝てたんだけどね」


 私がシェリーのベッドで寝込んでいたからそうしていたんだろう。あー、随分気を使ってくれてたみたいだ。


「まあ、シェリーちゃんはここで寝てたみたいだけど」


 ……だろうと思った。


「よーし、燃えてきたよ!」


 突然ヒートアップする親友。ちょっと引いている紗矢ちゃんの顔が目に入って、少し面白い。


「じゃんけん!」


 

 あいこが複数回続く。三人なんだからグー・チョキ・パー三つすべてが出ることだってある。それを制したのは……!


「私の勝ちよ。シェリーさん」

「ぐっ……!」


 歯を食いしばり、かなり危機を察知した表情のシェリー。そこに、紫塔さんの宣言はさらにブロンドの彼女を動揺させた。


「私もあっちの寝室で寝るわ。決まりね」

「な……なにーっ!?」


 すごい形相で親友は叫んだ。


「あ……あの、久しぶりに晴香ちゃんと寝るまでお話する権利は……私の手には、ないんですか……?」

「残念ね。またの機会にしなさい」


 駄々っ子のように泣き叫ぶ親友を背に、紫塔さんは私の肩を抱きながらシェリーの部屋を出る。後ろを見ると「やだーっ」ともうワガママ全開の親友と、苦笑いしかできない紗矢ちゃんが映った。この二人、今夜どういう空気で寝るんだろう……。




 寝室には大きなダブルベッドが置いてあって、そして部屋の雰囲気もどこかシックで落ち着きがある。暗がりの中、月の明りが入ってくるから余計そう思うのかもしれない。


「私はもう寝るわよ、多知さん」


 紫塔さんは遠慮もなくベッドに飛び込んだ。私はさっきまで寝ていたからだろう、眠くない。


「そっかー」


 紫塔さんだもん、そういうところは無駄がなさそうだ。……彼女とお話しながら寝る、というのは望めない気がする。でも、それじゃあどうして紫塔さんは私と同じ寝室を選んだんだろう? 広いベッドで寝たかったの? 起きていてもなにも無いのでとりあえず私も寝る姿勢だけ取る。


「……嘘よ。少しお話ししましょう」


 さっきから感じていたんだ。紫塔さん、ちょっとだけ柔らかくなったなって。


「いいよ」


 私にとっては、すごく嬉しいことだけれどね。

 紫塔さんはこちらに向き直って、私の目をじっと見つめる。注視って言い方が合っている。とにかく、照れるというよりもプレッシャーを感じる見つめ方だった。


「ごめん、ちょっと怖い」

「え、どうして?」

「あんまり見つめられると、緊張すると言うか」


 そう伝えると、彼女の視線は少しだけズレた。これでちょっとは話しやすくなるかも。


「あなたに言いたいことがあったの、多知さん」

「なに?」

「――。感謝しているの」


 ……? 突然の言葉。だけれど、それに思い当たる私の行いが思い浮かばない。なにかしてあげたっけ……?


「あなたに出会って……大切な事を思い出した気がするのよ」


 彼女の表情が新鮮で、でも――素敵で。この世のどんなものより尊い気がして。


「シェリーさんが教えてくれたの。“私はどう感じるのか”って。もう、ずっと考えてこなかった――考える必要なんてないと思っていたそこに……あなたが光をくれたのよ」

「そっか」

「多知さんがくれた時間は、私にとって、……今まで生きてきた中で、すごく異質で、それで……悪くなかった」

「照れるよ」

「だから、私はこれに報いたいの。この時間をくれた、あなたのために」


 ――根っこの部分は、まだ紫塔さんだ。そんなに硬くならなくていいのに。でも……やっぱり嬉しいや。自然と笑みがこぼれた。


「今の状況はあまり良くないわ。……今詳しくは言わないけれど。でも、私はこの状況を打破する、して見せるわ」

「違うよ。“私たち”でだよ」

「そうね」

 彼女の微笑み。今まで見たことのない表情に、不思議な気持ちが私の中に残った。





 翌朝。すっかり日が昇っている。時計を見ると八時前でビックリしたけれど、そもそも学校に行く予定はなかったのを思い出して、ホッとする。


「おはよう、多知さん。昨日はよく眠れたかしら?」


 見ると寝起きだろうにすっきりした見た目の紫塔さんがいた。


「あ、うんバッチリ」


 そういえば昨日ちゃんと寝れるか不安だったけれど、意外にもきちんと寝れていた。


「シェリーさんたちを起こしに行きましょう。今日からきちんと計画を立てるわよ」




 親友の部屋を覗くと、すさまじい寝相のシェリーと、ベッドを突き落されて悲惨なことになっている紗矢ちゃんが眠っていた。


「うわぁ……」


 シェリー、あんまり寝相荒れないはずなんだけれど……たぶん昨日の不機嫌が影響したんだろう。紗矢ちゃん、ご愁傷様。


「二人とも、朝よ!」


 さながらそれはお母さんのような言い方で、紫塔さんは寝ている二人を起こしにかかる。ひっどい寝顔のシェリーはムニャムニャとその顔が整っていく。


「いってててて……」


 床から起き上がった紗矢ちゃんがもうかなり限界みたいな寝起きだ。後で湿布でも貼ってあげよう。


「おはよ~、みおっち、はるっち……」

「おはよう紗矢ちゃん。大丈夫?」

「あー、うん……」


 多くは語らなかったけれど、紗矢ちゃんの苦労は察せた。


「ほら、シェリーも起きて」

「あと五時間……」

「長い!」


 潜ろうとした布団を引きはがすと、親友はダンゴムシのように丸まる。そこに紫塔さんが脅威的な腕力で彼女を抱きかかえた。


「えっ、ええっ!? ちょっと、なにこれぇ!?」

「起きたかしら? さあ、今日一日頑張りましょう」


 流石に目が覚めたシェリーはその後歯向かうことは無かった。




 朝食を取りつつ情報番組を見ると、何気ない全国ニュースがやっていた。平和だったり、不穏だったり。グルメコーナーだったり、占いコーナーだったり。そんな中、ローカルニュースのコーナーになった。そこで、先日の魔女裁判の件が報じられていた。


「うわー、やっぱニュースになっちゃったんだ」

「あれから毎日大ニュースなんだよ。みおっち、まるで凶悪犯みたいな扱いでさぁ……」


 おいおい泣く……ふりをする紗矢ちゃん。それにしても、すごいことになっているなぁ……。


「おかげで、もうこの家の外には出られないの、晴香ちゃん」

「どういうこと?」

「説明するわ、多知さん」


 ここで紫塔さんに話のバトンが渡る。


「今、私たちは教会の行いを邪魔した、反逆者という扱いなの」


 ――血の気が引いた。それってもう重罪の人の肩書じゃないの……?


「この街と教会の関係は、多知さんならずっと見てきたんじゃない?」




 この街には古くから教会の信仰が多様性の一つとして、排斥はいせきされることなく根付いている。それはもう、私のひいじいちゃん、いやそれよりも前の時期からと聞いたこともある。それくらい教会は街に受け入れられ、共に生きてきた存在。悪く言えば癒着。だから教会がノーと言ったものを街も同時にノーということは不思議じゃない。だけど……。




「なんか分かったような気がする……」

「そうよ。だからもう、この街全体が私たちを血眼ちまなこで探し回っているの」


 恐ろしい事態だ。聞くんじゃなかった……なんて。あれ? 気になることがあった。探しているのなら、この家に家宅捜索が入りそうなもんだけれど。


「探してる……っていうのは? この家、別にへき地でもないけど」

「それは、私がこの家に“気配を消す魔法”をかけたのよ」

「紫塔さん、色んな魔法が使えるんだ?」

「幼少のころに他の魔女から教えてもらったわ」


 すごいな……魔女って、魔法って。


「それって、普通の人でも教われば出来るの!?」

「――多知さん。あまりそういうことは言わないで」


 ヒヤリとする声音こわねに、私は自分が聞いたことがマズいものだと悟った。大人しくその問いは取り消す。


「話を戻すわ。このままここで引きこもっていても、必ず限界が来る。魔法が切れるかもしれないし、教会側が強硬策を取るかもしれない。閉鎖した環境で私たちのメンタルが音を上げるかもしれない。学校も行けないし」

「みおっち、学校がそこに入るってことは、結構大事ってことなんだ~?」

「当たり前じゃない」


 真面目……というか、でもちょっと意外な気もする。紫塔さんの中ではちゃんと勉学の場って意味かもしれないけれど。


「それをどう打破するか……っていう話だね? うーん」


 シェリーが頭を悩ませる。彼女だけじゃなかった。私だって、紗矢ちゃんだって悩んでいる。仕草に出てないけれど紫塔さんだってそうだろう。


 少し静かな時間が流れる。こんな状況に陥ったことなど誰もないのだから、意見を一つ出すのも難しい。


「晴香ちゃんはどう思う?」

「えぇ~……」


 流石に無茶ぶりが過ぎる。皆こっち見てるし。困ったなぁ……。


「ぶ、ぶっつぶそう!! 教会を!!」


 ……空回った。空回り二百パーセントくらいの発言だっていうのはもうすぐ自分でも分かった。何言ってんだ私は。


「それじゃ過激派テロリストだよ、はるっち~……」


 分かってる。大人しく口をつつしむことにしようと思った矢先に、「ふふっ」と聞きなれない笑い声が聞こえた。


「いいじゃない、ぶっ潰す。悪くないと思うわ」

「……紫塔さん、変わったねぇ?」


 以前までの彼女だったら、どこか否定していたと思うんだけれど、今目の前にいる彼女は否定するどころか、勝ち気な笑みでそれに賛成している……。


「紫塔さん、偽物じゃないよね?」

「失礼ね」


 たぶん、本物だろう。あんなに頑固だった紫塔さんが……。


「ほか二人はどうかしら? 教会をぶっ潰す案については」

「私は、いいと思う。出来るかはわからないけれど」


 シェリーは頷いた。


「アタシは……」


 紗矢ちゃんの答えは途切れる。


「……ママが……」


 ああ、と理解した。ロクに考えず教会を潰すなんて言ったことを後悔した。


「? 和泉さんのお母さんが、何かしら?」

「紫塔さん、和泉さんのお母さんは教会のシスターだよ」

「え……!?」


 その瞬間、紫塔さんの目の色が変わった。ビックリしたんだろう。


「……」


 驚いて言葉も出なくなったのかな? そう思ったけれど……いや、なんか、様子が変だ。




 その後、この話はなぜかパッとしない流れを辿たどって、案の一つも出せずに昼を迎えた。




「みんな、昼は出前取ろっか」


 シェリーが注文の用意をする。なんだか疲れた作戦会議を経て、私はもうおなかペコペコだ。


「カレーとかどうかな?」


 そしてカレー店の出前サービスを取ることに決めた。私はちょい辛カツカレー。


「シェリーちゃん、お金どっから出てるの? はるっちが寝ている間も頼んでたし、そろそろ食費馬鹿にならないんじゃない? アタシも自分の食費は自分で……」

「大丈夫だよ和泉さん、私、闇のカードがあるから」

「なっ……嘘ォ!?」


 シェリーがチラ見せしたそれに、紗矢ちゃんはメチャクチャびっくりしていた。普通に生きてたら、たぶんそんなもの見る機会無いような気がするし……。




「多知さん、シェリーさんも、ちょっと来て」


 注文をしてすぐに、紫塔さんは私とシェリーを部屋の外に連れ出した。何だろう、この三人での話って。


「どうしたの、紫塔さん? 別のカレーが良かった?」

「違うわよ」


 そんな用で呼び出しはしないと思った。


「……和泉さんのことよ」

「紗矢ちゃんがどうしたの?」

「どうして和泉さんの素性を隠していたの!?」


 なかなかの剣幕に、私は驚く。親友も同じ反応だったみたいだ。


「教会側の人間がどうして、ここであたかも仲間みたいに――」

「待って紫塔さん! 落ち着いて!」


 魔女と教会。その立ち位置を考えれば、紫塔さんのいきどおりや不安は理解できた。でも、これは何か勘違いしている。


「紗矢ちゃんは違うよ! 紗矢ちゃんは教会に味方する子じゃないよ!」

「――一応、聞かせてもらうわよ」


 よかった、冷静さを取り戻してくれた。


「初めは紫塔さんを助けるために、少し情報提供をしてもらおうと話をしただけなんだ。魔女裁判の計画を知るために。でも、そこで紗矢ちゃんが積極的に協力したいって言ってくれて、それでここまで来たんだよ」

「本当なの? シェリーさん」

「う、うん。魔女裁判のあとだって、ここまで紫塔さんと晴香ちゃんを連れてくる手伝いだってしてくれたし……」

「……」


 果たして今の言葉が紫塔さんの中で響いているか、どうか……。


「本当に、ここまでで和泉さんが怪しい行動をしている様子は無かったのね?」


 そんな素振りは見たことがない。私もシェリーも頷く。


「例えば、私を探す時に全然見当違いの場所に案内するとか」

「っ……!」

「今この家を隠れ家にしているけど、事前に押し入って何か仕掛けたとか」


 ……待ってほしい。その言い方をされると……。


「その言い方……敵、みたいじゃん」

「でも待って紫塔さん、じゃあ和泉さんがわざわざお母さんにそむいてまでこの計画に加担したのは何?」

「スパイというのは演じるものよ。今だって、部屋の向こうでは携帯で連絡を取っているかもしれない」


 ……なんでそんなこというんだよ……!


「それに……もし本当に彼女が白だとしても、彼女の生きてきた環境っていうのは無意識のうちに彼女に影響を与えているはずよ」


 何か反論できる事は無いか、考えても浮かばない。紫塔さんの言っていることは紛れもない正論だ。


「和泉さんと共に行動するのは難しいわね」


 紫塔さんがトドメの一撃を言い放った後、頼んでいた出前が来たようで、インターホンが鳴った。






 リビングに戻って、各々頼んだカレーを食べる。メニュー表を見ていた時はあんなにおいしそうだったカツカレーが、今は何の味もしない。


「はるっち、美味しくなかった?」

「いや、そんなことないよ」


 必死に取り繕おうとしたけれど、思ったより身体は言う事を聞いてくれなかった。まだ半分以上残っているカレーが減らない。


「ははーん、さてはまだ身体が本調子じゃないんだ? アタシが食べちゃ……いーや?」


 紗矢ちゃんが私のカレーを取ると、スプーンですくったそれを私の方へ向けてきた。


「はい、あーんっ」

「は、恥ずかしいって!」


 からかうような笑みを浮かべている紗矢ちゃんを私は信じたい。だけど。もう、彼女に対して生まれた陰は拭えない。私は、心の底から彼女を信用できなくなっている自分が――たまらなく嫌になった。

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