第20話 大原 中臣鎌子の屋敷にて
一連の騒動の実行役となった若い親衛ら、そして私も納得などしていない。軽皇子擁立を最初から掲げていたなら、
意外なのは
昼過ぎにまでに片付けるつもりの仕事は夕刻までかかった。日の長い時季なので、早々に暗くなる事はない。大原へは法興寺の脇を抜けて行けば造作もない。
あの男と言葉を交わしたのは、甘樫丘の焼け跡でが初めてだ。思わせぶりな事をやたらに言っていたが、何の下心があってなのか未だに分からない。どう身構えて会うべきか、迷っている内に古びた屋敷の門に至る。
応対に出て来た初老の男は、東国の者らしい
夕餉の支度が整い次第、奥に運べと資人に命じる。そして私は、奥の大きな殿へと招かれる。燭台の小さな火と、二つの
「私に尋ねたい事が御有りなのでしょう、
「私もとは、どういう意味か」
「
「まあ、そうであろうな。では、御身の知っている事を洗いざらい、と言いたいところだが、御身に差し障りのない範囲で教えて頂きたい」取って付けたように言葉を検め、頭も下げて見せる。
「今となっては、差し障りなどございませぬ」軽い笑いが口元に浮かぶ。
「そうか」笑いと言葉の意味を訝しみながら、私も笑い返す。
「しかし、長話の前に腹を落ち着けるのも、一つの手でしょう」妙に屈託なく言う。
夕餉の支度は、間もなく運ばれてくるのだろう。
話に出て来る協力者は、私の知る以上ではない。だが、名の知れた者以外にも、少なくない数がいるだろう。鎌子自身も重要な役目を担っている訳でもなさそうだ。
「佐伯子麻呂らも、軽皇子擁立は知らなかった。親衛らは利用されただけという事か」私は聞く。
「そういう事です。それどころか、事の成り行きによっては、消せという命令も下っていました」
室内は既に暗い。侘しく灯された燈火では、鎌子の表情は窺えない。鎌子にしても、私の顔はほぼ見えていないだろう。
「あの時、衛士の数がやけに多かった。その者らが役目を担う予定だったか」
「そうです」落ち着き払った声に、思わず嫌悪感を覚える。
「
「合図を送る役です。佐伯らが仕損じた時、衛士らに動けと」
「そのついでに、親衛らの口を封じろと」
肯定はしないが、否定の言葉も返らない。年寄りどもの計画通りに事が運べば、実行犯らの口を塞いだ後、
「あの時、手を下したのが葛城ではなく俺ならば、衛士どもは俺を切り捨てた訳か」
「滅相もありませぬ。御身様でも葛城皇子様でも、衛士らは手を下せますまい。そのような事が起これば、衛士のみならず、少なからぬ上位者も責任が問われましょう」
それはそれで、邪魔者を遠ざける一因に利用されるだろう。私の存在など、葛城皇子に比べたら取るに足りない。言い訳はいくらでも立つ。
いずれにせよ、この男は本心を語ってはいない。鎌子や高官らにとって、葛城皇子も私も、場に据えられた石程度の存在だった。事もあろうか、その石が勝手に動いて、計画をおかしな方向に導いてくれた。内心は複雑な事だろう。
「それで汝としては、私を通じて葛城に詫びでも入れたいのか」我ながら、相変わらず嫌味な言葉を吐く。
「まあ、そうなのやも知れませぬな」曖昧かつ、どうでも良さそうな返事だ。
「詫びを言う前に、俺に何かさせたいのか」
「滅相もございませぬ。実のところ、私自身、軽皇子様の擁立など考えておりませなんだ」
つまり、伯父御はその器ではないと、暗に言いたいようだ。
「蘇我本宗家を倒す事も、考えていなかったのか」
「諸臣の一部に、そのような企てがあると、耳にしておりました。だがまさか、現実になるとは思うてもいなかった」
この言葉が本心ならば、鎌子も私と大して変わらない程度の関わりなのか。
「要するに汝は、大伴の叔父御への義理で、この動きに加わった」
「
「そして、若い者らに一目置かれる葛城皇子をそそのかし、計画に引き込んだか」
「そそのかすとは、言葉が悪うございますな」
「では、説得してか」
「説得もしておりませぬ。あの御方は誰よりも積極的でした」
やはり、計画を最初に口にしたのは葛城皇子なのかもしれない。
「葛城としても、汝らに協力を仰ぎたかった。そして阿倍臣らがそれに付け込み、自らの都合の良い方向に事を捻じ曲げた。この分では軽皇子も、あの者らにそそのかされた可能性が高い」
「そちらは否定致しませぬ。軽皇子様は、当初より即位には
つまり、今でも即位には前向きではない。伯父御自身、高官らに踊らされている自覚は有るのかもしれない。
「汝から見てどうだ、軽皇子は皇位に相応しい
「分かりませぬ。
「古人が気の毒な言いようだな。では、葛城皇子は
「苦しい事を御聞きになられますな。それは先日も申した通りです」
「本当に位に相応しいのは云々、というやつか」
「しかし、葛城皇子様では若過ぎる。数年以上、十年は待つ必要がありましょう」
「その十年、汝はどのように待つ。軽皇子に仕えて待つのか」
「いいえ。暫くは身を引くつもりでおります」
なるほど、下手に権力の近くにいれば、自らの身もどうなるか分からない。この男なりに、きな臭さを感じているのか。これより新たな大君を擁立し、次の主導権を巡る内部抗争が始まる。駆け出しの
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