第6話 故国の事 王室の事

 三輪みわ別業べつごうは私の住まいとなった。資人とねり(使用人)は倭国人の方が多いが、話されている言葉の大半は百済くだら語だ。家司いえつかさが百済から来た者なので、未だに倭国語に不自由している。倭国人でも百済語に堪能な者を選んでいる。

 父はいつでも河内かわちに来いというが、私にその気はない。そして蘇我そがの娘の許に通う気など更々ない。三輪を根城に筋交すじかい道を通り、飛鳥あすかへと頻繁に通う。勝手知ったる王宮の内裏に忍び込み、大君おおきみの愛娘を平然と連れ出す。大君が私達の行動に気付いていないとは、当然ながら思えない。目ざとい葛城皇子かづらきのみこが見逃すはずもない。見て見ぬ振りをしながら、人を遣って私達を監視している事は間違いなかろう。

貴方あなたはこの国の皇族として認められたいのでしょう。難しい事ではないと思うわ」

 間人はしひとは寝返りを打って、体ごと私に向き直る。今は二人して三輪の屋敷の戻り、懇ろに戯れている最中という訳だ。

「いいや、容易たやすくはなかろう。俺は異国人で、国には帰れぬ身の上だ。廟堂びょうどうの重臣らは、父ですら煙たがって追い出そうとしている。俺の任官も迷惑だと思っているはずだ。俺たちがいては、泗沘さびの王宮に堂々と顔向けができない、厄介その者の存在だよ」

 愚痴をこぼしながらも腕を伸ばし、間人の頭を引き寄せる。

 一昨年の泗沘での政変により、私達一家は亡命者となった。今、百済と倭国の間に正式な国交はない。わずかに筑紫つくしの一部が、交易を名目に遣り取りをしている。

「そのようなややこしい問題は、私にはどうでも良い事よ。私を妃にして下さるのなら、母様ははさま兄様あにさまも、貴方を息子や弟として認めて下さるはずよ」

 笑いながら間人は、私の胸元に額を押し付ける。

「それが難しいのだよ」髪の匂いを嗅ぎながら私は呟く。

「どうしてなの。私も貴方もその気なのに」

御身おみも分かっているだろう、娘や妹は政略結婚のためにいる。皇家に限らず豪族らでも同じだ。それを当たり前に思っている者に囲まれて、誰が俺達に味方する。重臣らは一人も納得せぬだろうよ」

 楽観的に考えれば、葛城皇子くらいは、野心のために味方になってくれるかもしれない。

「嫌な事を言われるのね、母様が許すと言われれば、皆も従うでしょう」

 私の体を押し返し、薄暗がりの中で間人は顔を上げる。黒目勝ちの目が細められると、薄く整った唇の端が笑いに持ち上がる。この皇女ひめみこは同母兄とそっくりな顔をしているのに、まったく別の顔で笑う。

「伯母上が許して下さるのか、果たして」

「母様も孫ができると聞けば喜ぶのではのうて」

「随分、短絡的な話だな」

「貴方とて、子供の作り方くらい、御存じでしょう」

 さらに笑う間人は身をもたげ、私に覆い被さるようにして顔を覗き込む。

「もう幾度も試しているだろう」

 背中から流れ落ちる長い髪ごと両腕で抱き取る。耳元で間人の声が囁く。

「私、貴方の事をもっと知りたい。だから貴方も、私の事をもっと知って」

 返事をする代わりに腕に力を籠め、折れそうに細い体を抱きしめる。


 父や私が正式に倭国に亡命したのは、宝大后たからのおおきさきが皇位に即いた年、一昨年の事だった。大使だった父は、国を追われる身分となった。私には理解はできても実感がない。当然のように、父の無念や喪失感も分かっていない。

 祖母という人を私は知らない。祖父の正妃ではなく後ろ盾も弱かったと聞く。しかし、祖父からは最も寵愛され、長子と四人の王女を産んだ事で立場を確立した。この第一王子、ぎょう王子が私の父親だ。祖父は第一王子に位を譲るつもりだった。しかし、第二王子が王妃生出のため、太子選びに臣下の意見は割れた。

 王妃は新羅しんらの王女だった。大国のずいが間に入って結んだ縁組だった。しかし、この婚礼で両国の関係が好転した様子はない。むしろ悪化の一途をたどった。これを理由に第二王子を否定する声も多数聞かれ、王嗣おうし問題は臣下の対立も激化させた。

 ここに突然沸いたのが、倭国からの王女派遣だった。ぎょう王子は倭国の王女を正室に迎える事を望み、自ら太子の座を放棄した。隋の後を受けて中原の覇者となったとうは、王妃の子の立太子を推していた。新羅以上に唐に敵対したくない貴族会議は、収まるべくして収まったと勝手に安堵した。

 父も私に同様、親の言う事を聞かない息子だった。祖父や祖母は期待を持っていただろうが、当の本人が権力の座への執着は薄く、魅力も覚えていない。周囲の過剰な期待も、同族で相食む争いも疎ましかった。こうして、いつ戻れるのかも分からない事を承知で、むかわり同然に自ら望む形で倭国に来た。

 私の気質は父親譲りだ。だから母は、父も息子も不満に思っていた。しかし母とて、父が王座に即く事を望んではいなかったようだ。都から離れた城の太守にでも任命される、そのような流れを望んでいたらしい。

 何にせよ、泗沘さびの王宮に残って、同族争いなどしたくない。百済に戻ったとしても、王宮に入る気はない。そのように思っていたが、時代は父や私の望むような、能天気な方向には進んでくれない。

 私が十六歳になった年、倭国では田村大君たむらのおおきみ十二年の十月、百済からの使いが父の帰国を要望する。泗沘の王宮では祖父が病の床につき、明日をも知れない状況だという。父はわずかな側近だけを従え、緊急に帰国した。次の年の春、祖父の崩御が伝えられた。

 太子で第二王子の叔父が即位する。しかし、兄のぎょう王子が国に戻った事で、即位に異を唱える声が再び上がる。新王にしてみれば、放って置ける事態ではない。それでも王太妃が健全な内は大事に至らない。しかし、心労で王太妃が床についた途端、大佐平だいさへい(大臣)が解任される。この人は翹王子派の主要人物だった。王太妃の崩御を受け、不満分子の粛清が一気に進む。父の同母妹や家族たち、支持する高官らはすべからく国外追放となり、対馬に難を逃れた。

 この時の倭国の状況も、いささか複雑だった。前年に田村大君が崩御した。間を置かず、百済から国王崩御を伝える使節が来た。倭国からも大君崩御の使者を送らなければならない。倭国の弔問使は、百済に帰る使節と共に筑紫に向かった。そこに泗沘での政変の知らせが舞い込む。危急を告げる早馬が大和に放たれ、都の内は混乱する。その最中、更なる早馬が、亡命者一行の筑紫到着を告げる。

 異国の政変を我が国に持ち込むなど、無用の緊張と混乱を招くだけだ。対外的に考えても、我が国に有利に働く要因はない。この様に主張する重臣も少なくない。

 しかし、新たな大君として即位した宝大后は、蘇我大臣そがのおおおみらを味方につけ、百済からの亡命者を受け入れる宣言をした。

 海を隔てる隣国の内でも、百済が最も倭国とのよしみが深い。今までにも何度か、亡命者を受け入れ、皇族との婚姻もあったという。宝大君自身も、何代か前の祖父か祖母の一人が、百済の王族だという。だから妹の母が、百済に嫁す皇女に選ばれた。そして婚姻関係で結ばれた父や叔母達を、亡命者として受け入れることに逡巡しなかった。

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