第5話 宝大君三(644)年 初夏 三輪にて 家族の事

「新しいうろに蜂は遣って来ませぬか」私は父の背後から故国語で聞く。

「元の洞には戻るが、新たな物には入ろうとはせぬ」

 振り向く父は、資人とねり(使用人)らが蜂の洞を点検する様子を顎で示す。

 父は倭国に入り切れていない。服装こそ大和の様式に甘んじているが、髪は故国のいた時と同様、もとどりに結い上げてこうがいで留める。ひげを蓄えるのは好まず、綺麗に剃りあげる。

「気長に待てば、別の群れがやって来て入るでしょう」私は愛想笑いで言う。

 母蜂は春に新たな母蜂を産むと、元の巣を譲って新たな巣を求める。蜂飼いは洞のある木で作った巣を用意し、離れた母蜂の群れを呼び入れようと試みる。だがこの度は、時季を読み損ねたのか、巣を離れた群れは山野に住処を求めて飛び去ったようだ。

河内かわちにはいつ御戻りになられますか」

「三日か四日の後には」

 父は周囲を見渡すように首を巡らせる。

 初夏の山は濃い緑に覆われる。大和盆地の東側の地域は磯城しきと呼ばれる。磯城の三輪みわには、古い神の降りる山がある。飛鳥あすかには馴染まない父だが、三輪は気に入ったようで別業べつごう(別宅)を構えた。私が任官すると管理を任せ、時々思い出したように本宅のある河内から通って来る。

蘇我倉山田そがのくらやまだの石川の屋敷に、軽皇子かるのみこが度々見えられるそうですが、聞いておられますか」

 倉山田氏くらやまだうじと呼ばれる蘇我そがの分家は、河内の石川に別業を構える。主は飛鳥の屋敷に住むが、内室や年若い子供たちは河内の家に住まいする。

「聞いておる。いましは誰から聞いた、葛城皇子かづらきのみこからかね」いささか怪訝そうに父は聞き返す。

「そうです。葛城が石川の家に行った時、幾度か軽皇子の帳内とねり(皇族の従者)を見たと言うていました」

 軽皇子は宝大君たからのおおきみの即位に際し、同母弟として皇子となった。私の母はこの二人の妹になる。

「確かに、どちらの皇子みこの通いはある。あの家には嫁ぐ年頃の媛御ひめごが何人もおられるようだ」

 二十歳前の葛城皇子にしても、四十歳過ぎの軽皇子にしても、通う相手がいる事に何ら不思議はない。それが実力者蘇我氏の、本家に次ぐ家とあらば、更にありそうな話だ。

「石川の家が気になるのなら、いまし自身が河内に来て確かめれば良かろう」

「そして私も蘇我の娘をめとるのですか」

「その辺りも好きにせよ」

 父にとって私は不肖の息子だ。元々、言う事を聞かないのが、成人してからは更に勝手な事ばかりすると嘆かれている。お陰で倭国に来てから生まれた弟たちが、期待を寄せられている。殊に十二歳になった弟は、父の思いを察している。私のように任官がしたいなどとは言わない。故国から父に従って来た教師の許、王族に相応しい教育を受ける。

「まあ、私も私なりに、結婚は考えておりますよ」

「大君の演者の姫君か」

「母上もそれを望んでおられたのでしょう。私が国に帰らないのなら、こちらの皇族の一員として迎えられる事を」

 父は答えずに、作業をする資人とねりらに顔を向ける。国に帰らない、帰れないなどと露骨に口に出して欲しくないのだろう。考え過ぎかと思いながら、私も資人らを眺める。

 妹が死に、母は気鬱の病に取りつかれた。伯母大后おおきさきは頻繁に見舞いに来た。国交のためにと異国に嫁ぎ、国の事情で戻って来た妹を気遣っていた。二人は一回り以上も年が離れていた。妹というよりも、娘に近い存在だったのかもしれない。

 母の気鬱は、新たな子供ができた事への不安もあった。果たして父が国に戻る日は来るのか。子供たちの居場所はあるのか。それ以上に、自らの生まれた国なのに倭国に馴染めない。弟を出産して母が亡くなったのは、私が七歳の時だった。

「汝は泗沘さびの事をどれほど憶えている」突然、父は聞く。

「殆ど憶えておりませぬ。例えば、船、港に浮かんだ船……水面に夕日が映って真っ赤だった。それが泗沘さびなのか難波なのか、正直を言って分かりませぬ」

 百済の王都、泗沘が父の生まれ育った地だ。五つで離れた私には、故郷という思い出も認識もまるでない。

「それから、兵士が隊列を組んで門から出て行くのを見ていた。城の門かもしれない。馬に乗った若い男が、振り向いてこちらを見た。誰なのか、顔も憶えていない。そして、寺の塔……これは難波の寺とも飛鳥の寺とも形が違う、多分、泗沘なのでしょう」

「そうだな、汝は五つだったのだから」

 父は間近に見える三輪山の頂上を見上げる。そこから右手の方になだらかに下がる、山裾に沿って目を向ける。

熊津江うんじんこうを上って来た船は、水門を入り、王宮の船着き場に行く事が出来た。夏には川の上に船を浮かべ、たびたび宴を催したものだ。王宮の対岸には寺があり、鴻臚館こうろかんも設けられていた。使節は船で双方を行き来していた」独り言のように父は低い声で言う。

 父にとっては、飛鳥や難波ですら片田舎に見えるのだろう。幼い頃に泗沘に渡った母にとっても、故郷の飛鳥が何もない異郷に思えていたのかもしれない。


 母が亡くなった後、父は本宅を飛鳥から河内に移した。蘇我氏を始めとする豪族らは、何かにつけ、父に再婚の話を勧めた。そんな人々の口や目が煩わしかったのだろう。

 河内という地も百済系や伽耶かや系の移民が多い。そのためか、父は多忙な日を送るようになった。そして私と弟は放って置かれる事が増えた。それを知った伯母大后は、私たちを飛鳥の王宮みあらかに呼び寄せる。

 倭国の大君おおきみと大后の間には、私と同年代の子供が三人いる。伯母は若い時に最初の夫君に先立たれ、大君となる田村皇子たむらのみこに再嫁した。三人の子供に恵まれたのは、それなりの年齢になってからだった。

 私たちは百済王の孫として特別の目で見られる。気を許せない大人たちに囲まれて育った私に、三人の従兄弟いとこはようやく現れた遊び相手となる。私が九つ、弟は三つだった。

 大君の信頼を最も受ける従兄は一つ年上、行動力があり頭の回転も速い。年上風を吹かせて、何処となく意地悪く接してくる。私には敬おうなどという殊勝な気は更々ない。こうして葛城皇子とは、事ある毎ににらみ合い、いがみ合い、時にはつかみ合いにまでになった。

 気が優しく穏やかな大君は、子供同士の事に口は出さずに見守る、と言いながらも心配する。男勝りで鷹揚な大后は、面白い息子が一人増えたと楽しんで見ている。

 従妹の間人皇女はしひとのひめみこは私より一つ年下で、意地の悪い兄が嫌いだといつも零す。その割には仲が悪そうにも見えない。やがてそれが、私と話をする口実の一つに過ぎないと気付いた。

 葛城と間人はしひとの下には、更に三つ下の大海人皇子おおしあまのみこがいる。自己主張も向う気も強い二人の蔭で、聞き分けの良い弟は、いささか影が薄い。しかし、その内に思い始めた。三人兄弟の内で一番老成しているのがこの従弟かもしれない。

 母親の顔さえ憶えていない弟のぜんには、従兄弟たちは実の兄弟同様だった。ところが飛鳥に来て一年そこらで、河内に呼び戻される事になる。その頃に父の再婚が決まったからだ。大和を本拠とする豪族ではなく、地方と結びついた渡来系の一族より、新たな妻女を迎えた。元々が素直な四つの弟は、あっさりと新たな母親を受け入れた。それに引き換え、根っからのひねくれ者の私は、その人よりも父に反発をした。

 仲裁に入ったのはこの度も伯母で、私に気の済むまで飛鳥にいれば良いと言ってくれた。父としても言う事を聞かない息子に、しばらくの距離と考える時間をくれた。そう思う事で、私自身も気が楽になった。この国で生きて行けば良い。故国を知らない私には、そう思う事は楽だった。余程の事がなければ、私も弟も皇族の端くれとして生活は保障される。まつりごとからは遠ざけられ、軍閥ぐんばつにでも押し込められて、そこそこに平凡な暮らしができるだろう。かつて異母弟に太子の地位を譲った父が、そのような生き方を望んだのではないのか。

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