第11話 三輪の家にて 譲位を迫る者たちの事

 三輪の家に私が戻ったと聞いたか、葛城皇子かづらきのみこは二人ばかり若い帳内とねり(皇族などの従者)を連れてやって来た。資人とねり(家の使用人、良民)から知らせを受けて庭に出ると、作業する家人けにん(使用人、資人よりも下)の手元を子供の様に覗き込んでいる。私が声をかけると、少し照れたように立ち上がる。

「面白いな。百済くだらではこのような事を普通に行うのか」家人を顎で示して言う。

 家人は野から引き揚げて来た蜂の巣箱の、異常の有無を点検する。

「田舎では良く見られる風習らしい。蜂の子を狙って、土蜂ゆするはち(スズメバチ)が入ろうとしていた故、引き揚げてきたようだ」

 私が言うと、家人は肯定するように頷く。

「この木の洞に蜂がいるのであろう」

 丸太の中を刳り貫き、下に蜂の出入り口を作って、上は木の板で塞いでおく。単純な作りだが、うまくすれば蜂が中に巣を作る。

「ああ。蜜蜂というやつは、一匹の大きな親蜂が多くの蜂を率いているそうだ。春になると新しい親蜂が生まれる。すると巣別れが始まる。半分の蜂を率いた親蜂は巣を出て、新たな巣にできそうな洞を捜す。故に巣を作って用意してやる。入るか入らぬかは、半ば運しだいだがな」

 政変での亡命者の内に、蜂を飼う事に長けた者がいた。その者に教わって養蜂を始めたのは、ほんの三年前だ。昨年の秋には、蜂の集めた蜜を収穫し、大君にも献上した。甘いものに目のない大君らには、たいそう感謝されたものだ。

「そうなのか。だが、東漢やまとのあやらがしているところは見た事がない」

「あの者らは、蜂どころか鳩を飼う事も忘れてしまったようだな」

「鳩か。鳩を如何いかがする」

「訓練して伝令に使う。脚や首に文を結び付けて飛ばせるのだよ。馬が走るよりも早いし、遠くまでも行ける。何よりも目立たない。戦場では当たり前に使うそうだ」

「ああ、聞いた事があるな。訓練の仕方が分かれば、私も試してみたいが」

「生憎と、鳩に長けた者はおらぬな、俺の知る範囲では。養蜂ならば巣箱を進呈する故、すぐにもできるだろうが」

「いや、そちらは御身おみの家に任せる」

「そうか。そういえば、確か鳩飼いを知る者が言っていた。倭国やまとにいる鳩は、百済辺りで飼うものとは種類が違うらしい。伝令には適さぬ故、この国では行われなかったとか何とか」

「それはそれで残念だな。ところで御身、難波で御尊父と会うて来たのだろう」

「それが御身の用事か」わざわざ三輪まで出向くとは、御苦労な事だ。

「用事という程ではない。まあ、難波の様子や高句麗こうくり使の事を聞きたいのは確かだ。酒でも飲みながら話をしよう、そう思うた程度だ」

「それは嬉しい申し出だ」今日もつい、胡散臭い返事を返す。

 四月ともなり、日が長くなった。三輪は東を山に塞がれて、朝日が昇るのは遅い。反面、盆地に開けた西は、日没をゆっくりと眺める事が出来る。日は今、遥か西の葛城の山並みに傾きつつあるが、暗くなる様子は当分ない。


 実を言えば少し前に、古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこからの使いが来た。近い内に宮を訪ねてくれと言う。いつ行くとも返事はしていないが、出し抜くように葛城皇子が現れた。兄弟して、私から情報を得ようと競っていると見える。私というよりも父の持つ情報が欲しいのだろう。大臣おおおみが大君に暗黙の譲位を迫り、ぎょう王子にも相談した。兄弟共にその動きをつかんでいるようだ。

「やはり噂は本当か」

 開け放した室内から庭を眺め、葛城は土器かわらけつきを口に運ぶ。この男の主義では、密談をする時は、開け広げて見通しの利く場所でしろ。誰かがやって来ても一目瞭然に分かる。なかなか理に適っている。

「だが、生前譲位となると、倭国やまとでも百済でも前例がない」私は坏を置いて言う。

「いいや、計画だけはあった。豊浦大君とゆらのおおきみ(推古天皇)の御代だ。然るべき皇子みこが相応しいと判断が下れば、さっさと位を譲ろうとの腹積もりだった。ところが予定していた上宮太子かみつみやのたいしが、嶋大臣しまのおおおみ(蘇我馬子)と険悪になった。大君としては大臣の味方に付く形となり、ついぞ実現しなかったと聞いている」

「今度こそ、それを実現したいか、大臣としては」

「この度は幸いにして、古人と鞍作くらつくりの仲は悪うない。母上が決断すれば、事は成就する。そのように圧力をかけている訳だな」

「やけに暢気のんきな物言いだな、御身」私は正直あきれる。

「暢気になどしておらぬよ。私としては、玄武門げんぶもんで事を起こしたい気分だ」

「何を物騒な」

 唐の現皇帝、李世民りせいみんは父親からの譲位を受けて帝位に即いた。先帝の次男だった世民は、若い頃から父親と共に軍隊を率いて転戦を重ねた。唐の建国に当たっても、誰よりも貢献した将軍の一人ともいえる。優秀さと人望を兼ね備えた息子を、父皇帝は大いに評価し、兄太子は疎んじた。挙句に弟と共謀して暗殺すら計画した。それを知った世民は部下らと謀り、太子と弟を宮廷の玄武門(北門)で待ち伏せて返り討ちにした。皇帝にしてみれば、最も有能と認める息子を罪人にしたくはない。急遽、譲位をするとして二代目皇帝に据えた。これを玄武門の変という。

「異国の話だ、本気に取るな」

 当たり前だ。いくら何でも、兄の首を撥ねて皇帝の位をもぎ取るような真似はしないだろう。

「しかし、御身もれっきとした皇嗣こうし候補だ。御身の御父上も、御身に位に即いて欲しいと考えておられた。勿論、伯母上もだ。何故、伯母上は、大臣に対抗する勢力を束ねて、譲位云々をきっぱりと却下されないのか」

「戯けたというか、甘い考えだ。父上の考えに賛同する者が、どれだけいたか。母上が大君の権限を振るったところで、諸臣まえつぎみ諸手もろてを上げて、御言葉に従いますなどと言う訳もない」

 葛城は斜めに顔を上げて、私を横目に見る。私より少しばかり背の低い従兄は、滅多に正対しようとしない。私どころか目上の者に対しても、時には斜に構えたままで流し見る。

「では、大臣おおおみが譲位だと一声を上げれば、誰も彼もが平伏して従うのか」

「従わねば横車くらい、容易たやすう推す。私は大臣から疎まれている。何度も言わせるな、大臣の意は古人にあるのだから」

 珍しく焦りと怒りを垣間見せる。蘇我の血をひかない皇子には、手駒としての価値すらない。それが大臣家の考えか。所詮、この国でも血筋という派閥がはびこる。

「蘇我の分家の娘を妃にしたのは、大臣への当てつけなのか、やはり」語尾がついぞ濁る。我ながら露骨に聞き過ぎた。

「さてな。利用価値はこれから図る。まあ、倉山田麻呂くらやまだのまろも同じ考えやも知れぬ。どのように私を使うべきか。こちらとしても黙って従う気などない。いずれは手玉に取ってやろう」強がりにも聞こえる言葉が返る。

「つまり、再び蘇我の一族の内紛を煽るつもりか」

「御身、鎌子かまこと同じ事を言う」

中臣鎌子なかとみのかまこか、神祇伯じんぎはくの息子の」

 先の神祇伯の息子は、嫌で人目を引く大柄な男だ。噂は毀誉褒貶きよほうへんで語られる。葛城がこの男と一緒にいる姿は、昨年より何度も目にしている。

「調子が良うて油断ならぬ壮士おのこだ。口先三寸で人の気を引くのも巧い。私や御身にはない特技だな」葛城の言い分も評判に違わない。

「利用価値はあるという訳だな」

「ああ、そうだ」

 葛城に鎌子を拒む様子はない。傍から見て、双方とも開け広げに人を信用したり、受け入れる気質とは思い難い。互いに腹の内を探り合っているというところか。

「俺にも利用価値はあるのか、御身にとって」いささか皮肉げに聞く。

「どうであろう。御身が信用に足りる壮士と知れれば、利用などとは思わぬが」

「では、あれは信用に足りるか」

「分からぬ。故に今はまだ信用しておらぬ。御身にはどう見えている」

「直には知らぬ。話をした事もない。まあ、伯父御おじごは随分と評価しているそうだが。それを教えてくれた古人は、怪しいの何のと訝しく思っているらしい」つい思い出して、鼻先で笑う。

叔父御おじごは蘇我が嫌いだ。だから古人の即位も推す気はない。鎌子は鎌子で、鞍作くらつくりとは大層、仲が悪い。蘇我嫌い同士で、叔父御と鎌子が懇意なのも分からぬではない」考え込むように葛城は言う。

鞍作臣くらつくりのおみ鎌子連かまこのむらじは、同じについて学んだ仲なのでは」

「ああ、そうだ。二人とも傑出して出来が良かったらしいな。ところが、その二人がいつも問題を起こしていたとも、叔父御から聞いている」

 今度は葛城が思い出し笑いをする。

「学問上の対立でもしていたのか」

「そんな高尚な類ではない。互いに虫が好かぬ、嫌い合うている程度の事だ」

 叔父御こと軽皇子かるのみこも、鞍作臣とはその類だろう。今までも、衆目の前で陰湿な皮肉を平然と口にした。それに対して鞍作臣は、表面上で軽く受け流して更に煽るような事を言う。こうして一触即発にまで及んだ事も何度かある。

「要するに、伯父御にしても鎌子にしても、個人感情で蘇我に対立している訳か。あまり、褒められた態度には思えぬが」

 私は肩をすくめて見せる。

「さて、この先、鞍作が正式に大臣に就任すれば、態度も改まるのではないのか。誰も彼も、おのれの出処進退を鑑みて、周囲の趨勢やら顔色やらを窺う」

 葛城は尚も思案気味に外を見る。

「まあ、俺も同じだな。立場は随分と違うが」

「相変わらず暢気だな、ほう

 一旦、顔がこちらに向く。

「暢気なのは否定はせぬよ。それで御身は、古人皇子への譲位に対して、何か取るべき策は考えているのか」

「残念ながら、今は思いつかぬ。いずれにせよ、古人を傀儡くぐつにして蘇我の専横を許すのでは何の進展もない。今はまだ、母上には高御座たかみくらに居座っていてもらわねば」

 そうして尚もあらぬ方に目を向ける。果たして中臣鎌子とやらを特別視しているのか、その辺りの輩に同様と思っているのか。この男も他者に顔色を読ませようとはしない。


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