第27話 大化二(646)年 飛鳥小墾田宮

 元号を定めて最初の正月、大化たいか二年は新たな政策のみことのりに始まる。土地や街道の整備、地方制度に軍事配備、里や坊という農作単位の管理、それに基づく納税基準、更には兵役や采女うねめの規定までを長々と述べる。諸臣まえつぎみがうんざりとして気が逸れたところに、難波への遷都を宣言して朝参を締め括る。今更に驚く者は殆どいない。

 倭国やまとの中心には、海を経て異国へ開ける場所が相応ふさわしい。摂津難波を中心として、大君がこの国土を治めると周辺諸国にも知らしめる。この様な言葉に感動したり納得したりする者はどれだけいるのか。高官らの間では、とうに遷都の議論は終わっている。昨年末には新たな宮地の場所も定められた。事後承諾など、今更に求めて何をつくろう気なのか。

 しかし遷都とは申せ、難波の地には離宮と呼べる整った施設もない。以前に私の家族がいた館堂むろつみ(鴻臚館)や付属の施設も、規模としては大した事はない。

 今少しの間は飛鳥に留まり、行宮かりみやへの行幸を行いつつ、新たな宮の建設を見守る予定だという。気ばかり急いても実が伴っていない。


王子セシム、御待ちしていました」少し妙な発音の百済語が横からかかる。

田来津たくつか。父上はどちらに居られる」私は秦田来津はたのたくつに倭国語で訊ねる。

 朝参に続くうたげを終えて、大殿みあらかから退室した。南門の外では資人とねりたちが馬を曳いて待ち構える。混雑状況を見回すが、私の馬も資人も姿が見えない。うまやも順番待ちで大変なのだろう。気長に待つかと思っていると、父の資人となった田来津が現れた。

糺解くげ高向玄理たかむくのくろまろ博士と談義しておられます。後ほど、三輪の屋敷に伺うと言われておられます」無難に倭国語で田来津は答える。

「そうか。で、いましは何を。父上からの伝言か」

王子セシムの御供をして、三輪へ行けと申し付かって参りました」

 ぎょう王子が供を連れるとなると、常に十人以上が従う。田来津一人が別行動をとったところで困る事は全くない。私など一人二人の資人すら持て余している。王族としての格が全く違う。

「三輪に帰る前に、小墾田宮おはりだのみやに行く。汝も共に参れ」

「畏まりました」


 皇祖母尊すめみおやのみことは大君との宴など真っ平だと、体調不良を理由に小墾田宮に引き上げた。大君は大后おおきさきないがしろにし、阿倍夫人あべのぶにんばかりを公式の場に伴う。皇祖母尊が不機嫌になるのも当たり前だと、諸臣まえつぎみは平然と噂をする。そして噂を大君は否定しない。

 この日、小墾田宮には先客がいる。大兄皇子おおえのみこも宴を中座していた。案の定、私が訪ねた時には、母子で後宮の噂や悪口に花を咲かせていた。

「今更、言う事でもありませぬが、間人はしひとは大君を嫌うている。宮の采女うねめらも口をそろえていますから」葛城皇子かづらきのみこは憮然とした顔で言う。

「ええ、その通り。間人の様子を見ていれば分かりますとも。采女の噂など聞かのうとも」伯母は更に機嫌が悪そうだ。

 白梅がたわわに咲いて、日差しも暖かい。二人は中庭に席を置いて、控える采女らの目や耳も気にしていない。私の顔を見ると、話に加われと席を用意させる。更に詳しい状況を聞きたい気持ちはあるが、采女らの興味津々の視線以上に、怖気で口を挟めない。

「間人自身が大君と並ぶ事を拒否しているのですか、やはり」葛城は問う。

「ええ。でも、かるの考え無しにも呆れますわ。大后の代わりに夫人ぶにんを伴うなど、本人らにも臣下にも示しがつきませぬ」伯母は平然と批判する。

 こうした批判は、実のところ王宮の内でも囁かれる。この状況を良しとする者は滅多にいない。阿倍大臣あべのおおおみですら、事ある毎に娘に忠告をしているらしいが改まらない。噂を耳にしているはずの大君が、知らぬ振りをしているからだ。

「他者の批判など何するもの。大君のする事は正しいか。叔父御おじごの矜持にも困ったものだ。内部より足をすくわれる様な事が起きねば良いのだが」一応、心配の体で葛城が苦笑する。

 同母兄だというのに、単独では間人との面会が敵わない。相変わらず、年季の行った采女集団が阻んでいる。これに対抗できるのは皇祖母尊だけと、二人で昨年末に乗り込んだ。その後は、間人から母親に来て欲しいと何度か要望があった。伯母としては、同母弟に会うのも夫人らの顔を見るのも気が進まない。しかし、娘を思う母親として訪問する。そして噂では、年季入りの采女集団は既に懐柔済みだという。

 この後も伯母は、悪口同然に同母弟の娘に対する態度を心配する。さすがの葛城でも辟易としてきた様子で、適当な所で別の話題に切りかえる。

ほうと一緒に来た資人とねりは、どうしています」

「あの子でしたら、やまとの相手をしているはずですよ」伯母の表情が少し和らぐ。

 あれ以来、倭姫王やまとのひめみこは小墾田宮の奥に住まいしている。下手に表に出そうものなら、阿倍夫人の生んだ皇子みこの妃にとでも、大君や大臣らが言い出しかねない。そのように庇護はしているが、伯母や葛城は元より、世話をする宮の女たちも拒んでいるらしい。まだ十にもならない内に、両親や弟たちを一度に亡くしたのでは仕方がない。共に逃れて来た乳母めのと田来津たくつにだけは心を開くようだ。

「それならば、もう少しここにいる事にするか」取ってつけたように葛城は頷く。

 そして采女たちを見回し、聞かせたくない話があるから外せと、露骨に命じて追い払う。

「何なのです、聞かせとうない話などと」伯母が怪訝に問う。

「豊の資人の事ですよ」葛城は軽く応える。

「いや、田来津は父の資人だが」私はようやく口を挟む。

「そう、御身おみ糺解くげに頼み込んで、あの者の命乞いをしたとは驚いた。何という名前だったか、あの若いのは」

朴市えちの秦臣はたのおみ田来津だ」

「蘇我のきさきに仕えていた帳内とねりだったな、確か」

「ああ。死を覚悟した妃が、乳母めのとと田来津に姫御ひめごを託したそうだ」

 殺された二人のみこも倭姫王と同じ、蘇我大臣蝦夷えみしの娘が母親だった。姫王ひめみこには頼りとする母方ももはやいない。それを承知で皇祖母尊は、小墾田宮で引き取ると大君や大臣に宣言をした。

 そして秦田来津の身柄は、大臣らが引き渡しを求める前に、私が河内へと連れて行った。父――ぎょう王子に頭を下げて保護を願う。父は怒りも困りもせずに、静かに笑って頷いた。本当に王族としての格は、私など足元にも及ばない。

「その田来津だが、私の帳内に譲って欲しい。糺解くげに頼めないか」

「頼むのはやぶさかではないが、何故また。倭姫王のためか」

「ああ、そうだ。それに叔父御につまらぬ手出しをさせぬためにも、二人とも私の手元に置いた方が良かろう」何故なのか、嬉々として言う。

かるの手出しが心配ならば、私の元に置いた方が良いでしょうに」伯母は訝しげに首を傾げる。

「それでは姫王と近過ぎます。田来津がいつも傍に居るのでは、他の者らが拒否される状況を長引かせるだけです。私の元ならば、近過ぎず遠すぎずです」更に自信満々に葛城は言う。

「まあ、分かるような分からないような理屈ですね。好きになさい」

「皇祖母尊の御許しは出た。次は糺解に許しを請わねばならぬな」

「父ならば、今日は俺の屋敷に滞在する予定だが」

「それは好都合だ。私も三輪を訪ねるとしよう」

 葛城が一人で納得するのも、何やら癪に障る。とは申せ、田来津が葛城の帳内となる事に反対するいわれは毛頭ない。むしろ、願ったり叶ったりだ。

「御身の目的は、田来津を伯父御おじごに見せつける事か」私は性懲りもなく聞く。

「そこまで悪趣味ではないよ、私は」鼻先で笑ってくれる。

「そうか。それで、実のところ御身は賛成なのか、難波への遷都は」

 この唐突に発した問いに、葛城のみならず伯母の目も私に向く。

「さて、まずは御手並み拝見だな、叔父御おじごの」葛城はいつもの様に喉の奥で笑う。

 この男がこの笑いをする時は、大抵、良からぬ事を考えている。

「しかし、ほう、御身はこの度の件で叔父御に喧嘩を売ったな。もっとも、叔父御が先に売って来たのだが、御身にも私にも」

「喧嘩な。まあ、これで以前よりは目を付けられるな。だが、御身の邪魔はせぬようにする。御身としては、この喧嘩、受けて立つのであろう」

「勿論だ。まあ、まずは持久戦だが。叔父御と周囲に綻びが生じるのを待つ。その気を見逃さぬ。御身も注意して見ておけ」

 伯母は嬉々とした葛城を困ったように見る。しかし、この表情は否定ではない。何かを期待している、私には確信的に見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る