第8話 飛鳥板蓋宮 父と鞍作臣と

「御変りは無いようですね、ぎょう王子」大殿みあらかの庭で陽気な声が耳に届く。

 父は久々に大君おおきみに呼ばれ、河内の屋敷から飛鳥の板蓋宮いたぶきのみやに赴いた。出で立ちは百済くだらから遣って来た織人おりひとが織り仕立てたころもで、私も父に合わせてそれを着る。我ながら似合っているかは微妙だ。

「久々に御目にかかります、蘇我大郎そがのたいろう」少しばかり慇懃いんぎんに、父は礼を返す。

 声をかけて来たのは蘇我大郎そがのたいろう鞍作臣くらつくりのおみ、本名は入鹿いるか、誰にでも礼儀正しく愛想の良い御仁だ。父に連れ立つ私が頭を下げると、軽い会釈を返してくれる。

大臣おおおみの御加減は如何いかがです」

「この暑さにやられたようです。年には勝てぬと、屋敷でゆるりと過ごしております、仕事は全て私に押し付けて」

 これでもかと品の良い笑みを見せる。この笑みが食わせ者と、誰もが知りながら好意を持つ者も多い。

「大臣の御屋敷ならば、高台で風も通り涼しく過ごせましょうな」さすがに十年以上も倭国にいれば、言葉にも慣れて日常会話には不自由しない。

 ここ最近、蘇我大臣そがのおおおみ蝦夷えみしは、寄る年波でと不調を訴える。父親に代わり、入鹿が大臣同然の権力を振るう。蝦夷は無許可で大臣の位を息子に譲った、諸臣まえつぎみは陰で囁く。

 更には、甘樫丘あまかしのおかに建つ父親の屋敷に張り合わんと、川原丘かわはらのおかとの谷間に築いた屋敷を増築している。おかげで谷間を通る川沿いの道は、蘇我大臣家に抑えられた形になる。川原かわはらから王宮を見て行く、低い川沿いの道だけが一般道扱いとなった。この状況が、人々や物資の往来に支障をきたさない訳がない。

「河内に比べれば、飛鳥は風通しが良うはありませぬ。山が間近で、夏は暑い、冬は底冷えに寒い。まあ、私などは生まれ育った地ゆえに、慣れきっておりますが」

 鞍作臣くらつくりのおみは何処までも愛想が良い。上背は人並みで少し痩せた印象を受ける。顔立ちはあくまでも柔和で、美女のようですらある。しかし、三十をいくつか過ぎたこの壮士おのこに、頼りなさも優柔さもない。下の者にも礼儀を欠かさず、滅多な事では怒りを見せず、口調も常に穏やかで明るい。まさに育ちの良さを形にした貴公子だ。

「飛鳥は新羅しんらの都に似ていると聞いた事があります。百済くだらの王都とも似ておりますか」口元の笑みを崩さずに鞍作臣が問う。

泗沘さびはむしろ、摂津せっつや河内が似ているやも知れませぬな」曖昧な笑みを浮かべて父は答える。

 王宮に生まれた父にも、王宮を傍らに育った鞍作臣にも、挨拶や世間話ですらが情報収集や腹の探り合いだ。

「摂津と言えば、大臣は難波津なにわづにも屋敷を御持ちでしたね。御身おみに仕事を任されておられるのなら、そちらで骨休みも良いのではありませぬか」

「確かに、冬はこちらよりも温かい。朝晩の冷え込みなど、ずっと穏やかですから」

「分かります。私どもも、以前は難波にやかたをいただいておりました故」

 そうして二人は愛想笑いを浮かべ続ける。

「ところで先般、その難波の屋敷の蔵に、ふくろうが巣をかけたと家司いえつかさらがひどく気にしております。これは吉兆でしょうか、凶兆でしょうか」

 鞍作臣はいささか過剰に眉をひそめる。

「さて、梟と。特に良いとも悪いとも聞いた事はありませぬな」

 父は少しばかり思案気に視線を泳がせる。

然様さようにございますか。安心致しました。難波は良い地です。父大臣も隠居後は、難波で暮らすと申しておりますし。ぎょう王子やほう王子も御招きしたいと思うております」

「それは楽しみです。息子共々、是非とも御招きに預かりたい」

 二人して更に、表面ばかりの愛想を崩す。私もならって、締まりのない笑みを浮かべる。何とも疲れる。


「本当に梟の巣は、吉兆でも凶兆でもないのですか」

 王宮を出てうまやに向かう道すがら、私たちの会話は母国語になる。父の従者は百済の言葉にも堪能だが、王宮に仕える舎人とねり衛士えじの殆どは百済語が分からないだろう。東漢氏やまとのあやうじですら、使えない者の方が多い。

「巣をかけたなら、そのままにして置く事だ。巣を下ろす事が凶事になる」

「どうして、先程、鞍作臣に教えなかったのです」

「うむ、失念していたな」素知らぬ振りで父はつぶやく。

 わざと言わなかった事は、今更に勘繰らなくとも分かる。


 厩では衛士らしき若者と厩番うまやばんが、何やら嬉しそうに馬の毛に刷毛をかけている。二人とも相当に馬好きと見える。翹王子の愛馬は、河内の馬飼いが育てた堂々とした栗毛の大陸馬だ。大和の豪族でこれほどの馬を所有するのは、それこそ蘇我や大伴おおともの本宗家くらいだろう。

 翹王子の外出ともなれば、十人を超える者が従う。その内の半数が乗馬でやって来た、預かる厩番も大変だ。私の青毛も、父の馬に負けじと大きい。厩番は名残惜しそうに外に曳き出す。

 これより我々一行、異国風の出で立ちで馬を連ね、筋交すじかい道を三輪みわの屋敷まで帰る。道々では物見の人々が、少し遠巻きに集まる。まったく、辟易とする。


 子供の頃からこの国のころもを着て、髪も周囲の子供と同じに美豆良みづらに結い、流暢に倭国語を話して来た。当然、従者も倭国の者を頼んだ。父や周囲の大人が、私を疎む一因だと今でも思っている。

 大人たちは故国の衣をまとい、結った髪にこうぶりを付けてこうがいで留める。そうして、かたくなに百済語で話をする。子供心にもその姿勢が嫌だった。

 亡き母は、私が倭国の子供に倣うのを嫌がる事はなかった。美豆良姿が似合うとさえ言ってくれ、私もそれがうれしかった。自らが馴染めなかった倭国に、私が溶け込んで行くのを穏やかに見ていてくれた。

 十五歳になり、武官として出仕したいと父に申し出る。豪族の子弟ならば珍しくもない。果たして父の反応は、鈍く冷たい。武官になるのは構わないが、仕える先は泗沘さびの王宮であるべきだ。それが父の理想だろう。しかし、二年前の政変が、私達の戻る国を亡くした。

 自らの生き方は自らで選べば良い。決して喜ばしいとは見えぬ様相で父は私に言う。そして私は、伯母大君おおきみそば近くにはべる親衛武官の一人となる。

 王族が軍閥に入るのは、百済ではありふれた事だ。親衛隊の長として軍事士族を束ね、栄達を図る例も珍しくない。かつて百済や伽耶かやより倭国に渡来した人々には、技術と軍事を担う者が多い。私の父方の血は、それらの者の上に立つにふさわしい。この様なおごった言葉を口にしたなら、今以上に父から疎まれるかも知れない。

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