第3話 再び斑鳩、そして葛城皇子と

 再び斑鳩いかるがへの出兵を命じられたのは、朝参から三日の後だった。

 焼亡した斑鳩宮いかるがのみやも隣接する斑鳩寺も、蘇我そがの私兵らが監視している。それにも関わらず、山背王やましろのみこらは寺に入っているという。誰かが内応しているなどと、この際、問う者もいないまま、派遣された兵士らは伽藍がらんを取り囲むように配置される。

 私の属する大君おおきみの親衛隊は、蘇我入鹿臣そがのいるかのおみに従う東漢氏やまとのあやうじらと共に、伽藍の内に呼び入れられる。猛者ぞろいの東漢氏の目には、我々の様子が悠長に映っている事だろう。そもそも親衛隊は、宮の外で活動する立場ではない。隊長の高向臣たかむくのおみは義理のように、軽皇子かるのみこを長とした一小隊を派遣した。

 中門の前で下馬した軽皇子に従い、私も伽藍の内に入る。兵士を後ろに従えた蘇我の隊長らが、一人の男と対峙している。上宮王家かみつみやおうけ家司いえつかさ三輪君みわのきみのようだ。先代より仕える老臣は、金堂の内より一人出て来て、大君の軍に申し上げたい事があると言う。

大兄王おおえのみこ様は私に言葉を預けられました。その言葉を大君の使わせた将軍に奏上した後、堂の扉を開くよう仰せになっておられます」

 ひざまずいた老臣が、喉にかかる低い声で告げる。

山背大兄王やましろのおおえのみこの言葉と申すか」

 親衛隊の将、軽皇子が見下ろして促す。

 三輪君は言う。上宮王家の者らは生駒より東に向かい、先代より忠誠を誓う兵力を頼む事もできた。しかし、ひとたび兵を起こせば、大和の地が戦場となる。罪のない百姓ひゃくせいらを害する事にもなる。我々は誰一人として、そのような戦は望まない。この身を大君に引き渡す事で事態が収まるのであれば、それを切に望んでいる。

 蘇我鞍作そがのくらつくりの入鹿臣が、堂の扉を開けよと将兵に命じる。膝をついたまま平伏する三輪君を尻目に、東漢氏らが命令に従う。開かれた扉に向き、三人の兵士を先に立てて将軍らが石のきざはしを上る。にわかに足が止まる。蘇我氏の将軍や軽皇子の後ろに続く私は、階の途中に立ったままで堂の内を窺う。人垣と堂内の暗さで様子は分からない。

 前にいた将兵が、場所を譲るように横に逸れる。私は軽皇子と共に基壇に上がり、扉の内に目を凝らす。動く者はいない。しかし、私を怖気づかせるのに充分な臭いが鼻をつく。錆びた鉄と油の入り混じる、ありありとした血の匂いだ。

「何と、早まった事を……」誰の呟きか、傍らに虚しい。

 これで大君も大臣も、上宮の皇子らを断罪せずに済む。山背大兄王らは自ら滅ぶ事で、謀叛の汚名を返上した。為政者らにはありがたい事の展開だろう。血の匂いに酔いつつも私は思う。

 背後に玉砂利を踏む音がする。振り向けば、三輪君が兵士らの間を潜るように進み出る。基壇に上がり、私の横をすり抜け、入鹿臣をよけて扉の内に入る。引き戻そうとする兵士を軽皇子が制する。背を向けた老臣は、倒れている人々の傍らに膝を着く。御仏みほとけの基壇の前に倒れる者の上にかがみこみ、その手にあった小大刀こだちを手に取る。誰もが息を殺して見守る中、おもむろに自らの首に刃を突き刺した。


「壮絶なものだ、御仏の前で一族郎党が果てようとは。仏罰も恐れぬ、いわんや大君おおきみをも恐れぬ。そう言いたかったのか」

 日の当たるえんに座り、葛城皇子かづらきのみこは珍しく憤慨気味に呟く。

「況してや蘇我などは、そういう事なのだろう」私も呟き、少し遠くに目をやる。

 小高い丘の上に三重塔が見える。たちばなの地に建つのは蘇我氏の建立した尼僧寺だ。葛城皇子の宮は、王宮みあらかと橘寺にはさまれて位置する。寺を更に上って行くと、蘇我本宗家の先代(馬子)が築いた壮大なしまの邸宅がある。寺からも邸宅からも見下ろされる立地を、葛城としては面白くないと常に思っているようだ。

「だが、誰も仏罰を恐れているのか。あえて上宮かみつみやの事を口にする輩もおらぬ」

 私は更に多武峰とうのみねに目を移し、溜息を一つついてみる。

御身おみは疑問に思わぬのか、この度の出兵を」葛城が呟くように聞く。

「疑問も何も、俺の立場では何が何やらだ。誰のどういう命令で、この様な惨劇が起きたのか、上っ面しか理解しておらぬ」視線を戻して答える。

暢気のんきなものだな、ほう。命令は誰から受けた」

 葛城は横眼で見て、喉の奥で笑う。

「もちろん、上官からだ」

 従兄のこの癖は、やはり癪に障る。

「その上官は誰から命令を受けた」

大臣おおおみからだろう」

「大臣の命令で、御身ら親衛隊が動くのか」

「大臣だけでは動かぬ。最終的には大君の承諾が必要だ」

「承諾が下りたから、軽皇子を将とした一小隊が動いた。しかし、本隊の高向臣たかむくのおみは王宮の守りを主張して動かなかった。それでも、大君が斑鳩への襲撃を認め、山背大兄王やましろのおおえのみこらの追討を認めた事には変わりない」

「上宮は大君に対し弓を引いた……事になるのか」

 私はおもむろに視線を逸らす。

「御身はどう思う、山背王は謀叛人か」葛城は低い声を更に潜める。

「いや、やはり信じられぬ。みこは過激な事を言うてはばからなかった。とは申せ、大君や大臣の決めた事に、真っ向から対立するような事は殆どしなかったはずだ」

「そう思うのは御身だけではなかろう。仏罰云々は別にしても、誰もが理不尽を思い、口をつぐむ。そして山背王と鞍作くらつくりは従兄弟同士、大臣家にとっては誰よりも優先すべき相手だ。まあ、そう思うていたのは、山背王らだけやも知れぬが」

「上宮を焼いたのは見せしめか」

 私は少しばかり目を向けて、葛城を窺い見る。

「誰の誰に対する見せしめだ」

 黒目勝ちの目が向き、すかさず問いが返る。

「これより皇嗣として名の上がる者、殊に古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこに対抗する皇子達だろう」

 それが蘇我本宗家の思う事だ。これには大君も反論していないという事になるのか。

「更なる大兄皇子の候補は、大君の息子の私と弟、そして叔父御か」面白そうに葛城が言う。

 葛城は十八歳、同母弟の大海人皇子おおしあまのみこは十三歳、若過ぎるという理由で、皇嗣から外されるだろう。もう一方の叔父御とは、宝大君たからのおおきみの同母弟の軽皇子かるのみこだ。同母姉の即位に伴い、皇子の列に加えられた。既に四十を超えたこの人への注目度は、この先大きくなるだろう。

「山背王も古人の兄も、蘇我本宗家にしてみれば身内だ。この二人を天秤にかけ、見せしめと言わんばかりに片方を葬った。さて、事はそれ程に単純な事なのか」

「では、上宮王家など邪魔だと思う者が、蘇我の他にもいたのだろう」いい加減、投げやりになって私は呟く。つい先程までは、口にするまいと思っていた言葉だ。

「そうだな。そうでなければ、大君の兵は動かぬ」

 葛城は意を得たりとうなずく。邪魔だと思う者が、兵を動かした。理由は後付けでも、逆らう者はいない。

「辛辣な話だ」気後れしながらも答える。

 これで私も葛城に倣い、上宮王家が大君に謀叛の意を示したと認める事になる。

「他人事に聞こえているようだな、扶余ふよほう」葛城は微かに笑う。

「俺は所詮、余所者よそものだ。関わるなと暗黙に言われている」

 責任逃れに目をそらす。

「だが、この国で暮らすと決意したのであろう。だから任官して大君の臣となった」

「そうだ。いずれは御身なり、御身の兄上なりの手足となって働く」

 鼻先で笑って見せる。

「生憎だが、誰も御身を一兵士には見てくれまい。百済くだらの王の嫡孫たる御身を」

 葛城は奇妙なほど、真面目腐った顔を向ける。それが私には、やけに気に障る。再び目をそらす。

「国には戻れぬ、父上ですらも。だから俺は、余所者と言われようが、ここにいるしかない」

 このような感傷的な事は言いたくない。

「元を糺せば余所者など、この飛鳥の地にはいくらでもいるぞ。覚悟を決め、人や物事に関わって根を下ろして来た。そのような者など珍しゅうもない。御身は私と共にこの国の将来に関われ」

「それが御身の野心か」

「ああ、そうだ」

 葛城皇子の顔の向こう、山並みに傾く日が見える。あの山並みの名前も葛城かづらきという。

日和見ひよりみはどうなった」

 日の光が目に入り、少し下を向く。

「時を得ずして動くは愚か者の所業だ。古人を差し置いて、私の擁立を考える者など、今の状況ではまずおらぬ。今は状況を見極める。事の流れ次第で、動く時が来る」

「その時が来たならば、すかさず動くか」

「ああ。今は力を蓄える。人を選び集める。まずは御身が私の味方になれ、扶余豊」

 再び顔を上げると、葛城は問いかけるようにうなずく。それが五年後か十年後かは分からない。しかし、国を継ぐべき血筋に生まれた者の野望を否定できない。私には既に持てない思いを抱く皇子を傍らで見守る、そのような役目ならば悪くはない。余所者という考えを捨てきれない私は、どこか他人事に思っていた。

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