第3話 再び斑鳩、そして葛城皇子と
再び
焼亡した
私の属する
中門の前で下馬した軽皇子に従い、私も伽藍の内に入る。兵士を後ろに従えた蘇我の隊長らが、一人の男と対峙している。
「
ひざまずいた老臣が、喉にかかる低い声で告げる。
「
親衛隊の将、軽皇子が見下ろして促す。
三輪君は言う。上宮王家の者らは生駒より東に向かい、先代より忠誠を誓う兵力を頼む事もできた。しかし、ひとたび兵を起こせば、大和の地が戦場となる。罪のない
前にいた将兵が、場所を譲るように横に逸れる。私は軽皇子と共に基壇に上がり、扉の内に目を凝らす。動く者はいない。しかし、私を怖気づかせるのに充分な臭いが鼻をつく。錆びた鉄と油の入り混じる、ありありとした血の匂いだ。
「何と、早まった事を……」誰の呟きか、傍らに虚しい。
これで大君も大臣も、上宮の皇子らを断罪せずに済む。山背大兄王らは自ら滅ぶ事で、謀叛の汚名を返上した。為政者らにはありがたい事の展開だろう。血の匂いに酔いつつも私は思う。
背後に玉砂利を踏む音がする。振り向けば、三輪君が兵士らの間を潜るように進み出る。基壇に上がり、私の横をすり抜け、入鹿臣をよけて扉の内に入る。引き戻そうとする兵士を軽皇子が制する。背を向けた老臣は、倒れている人々の傍らに膝を着く。
「壮絶なものだ、御仏の前で一族郎党が果てようとは。仏罰も恐れぬ、いわんや
日の当たる
「況してや蘇我などは、そういう事なのだろう」私も呟き、少し遠くに目をやる。
小高い丘の上に三重塔が見える。
「だが、誰も仏罰を恐れているのか。あえて
私は更に
「
「疑問も何も、俺の立場では何が何やらだ。誰のどういう命令で、この様な惨劇が起きたのか、上っ面しか理解しておらぬ」視線を戻して答える。
「
葛城は横眼で見て、喉の奥で笑う。
「もちろん、上官からだ」
従兄のこの癖は、やはり癪に障る。
「その上官は誰から命令を受けた」
「
「大臣の命令で、御身ら親衛隊が動くのか」
「大臣だけでは動かぬ。最終的には大君の承諾が必要だ」
「承諾が下りたから、軽皇子を将とした一小隊が動いた。しかし、本隊の
「上宮は大君に対し弓を引いた……事になるのか」
私はおもむろに視線を逸らす。
「御身はどう思う、山背王は謀叛人か」葛城は低い声を更に潜める。
「いや、やはり信じられぬ。
「そう思うのは御身だけではなかろう。仏罰云々は別にしても、誰もが理不尽を思い、口をつぐむ。そして山背王と
「上宮を焼いたのは見せしめか」
私は少しばかり目を向けて、葛城を窺い見る。
「誰の誰に対する見せしめだ」
黒目勝ちの目が向き、すかさず問いが返る。
「これより皇嗣として名の上がる者、殊に
それが蘇我本宗家の思う事だ。これには大君も反論していないという事になるのか。
「更なる大兄皇子の候補は、大君の息子の私と弟、そして叔父御か」面白そうに葛城が言う。
葛城は十八歳、同母弟の
「山背王も古人の兄も、蘇我本宗家にしてみれば身内だ。この二人を天秤にかけ、見せしめと言わんばかりに片方を葬った。さて、事はそれ程に単純な事なのか」
「では、上宮王家など邪魔だと思う者が、蘇我の他にもいたのだろう」いい加減、投げやりになって私は呟く。つい先程までは、口にするまいと思っていた言葉だ。
「そうだな。そうでなければ、大君の兵は動かぬ」
葛城は意を得たりとうなずく。邪魔だと思う者が、兵を動かした。理由は後付けでも、逆らう者はいない。
「辛辣な話だ」気後れしながらも答える。
これで私も葛城に倣い、上宮王家が大君に謀叛の意を示したと認める事になる。
「他人事に聞こえているようだな、
「俺は所詮、
責任逃れに目をそらす。
「だが、この国で暮らすと決意したのであろう。だから任官して大君の臣となった」
「そうだ。いずれは御身なり、御身の兄上なりの手足となって働く」
鼻先で笑って見せる。
「生憎だが、誰も御身を一兵士には見てくれまい。
葛城は奇妙なほど、真面目腐った顔を向ける。それが私には、やけに気に障る。再び目をそらす。
「国には戻れぬ、父上ですらも。だから俺は、余所者と言われようが、ここにいるしかない」
このような感傷的な事は言いたくない。
「元を糺せば余所者など、この飛鳥の地にはいくらでもいるぞ。覚悟を決め、人や物事に関わって根を下ろして来た。そのような者など珍しゅうもない。御身は私と共にこの国の将来に関われ」
「それが御身の野心か」
「ああ、そうだ」
葛城皇子の顔の向こう、山並みに傾く日が見える。あの山並みの名前も
「
日の光が目に入り、少し下を向く。
「時を得ずして動くは愚か者の所業だ。古人を差し置いて、私の擁立を考える者など、今の状況ではまずおらぬ。今は状況を見極める。事の流れ次第で、動く時が来る」
「その時が来たならば、すかさず動くか」
「ああ。今は力を蓄える。人を選び集める。まずは御身が私の味方になれ、扶余豊」
再び顔を上げると、葛城は問いかけるようにうなずく。それが五年後か十年後かは分からない。しかし、国を継ぐべき血筋に生まれた者の野望を否定できない。私には既に持てない思いを抱く皇子を傍らで見守る、そのような役目ならば悪くはない。余所者という考えを捨てきれない私は、どこか他人事に思っていた。
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