第4話 気配

 先週の話を書いているときに突然部屋の窓がけっこうな勢いでドンドン、と叩かれました。鳥が激突したのかなとも思いましたが、そんなことは今までなく。ちょうど実際に体験した話を書いていたのでもしかしたらなんて。


 部屋は、2階なんですけどね。


 今週のお話です。





「つまり、気配がすると?」


「……ええ、そうです。あの、つまらない話ですみません」


「いいえ。そんなことは」


 微笑んでみせる。正直に言えばMさんの話には少々拍子抜けしてしまっていたのは事実だったが、せっかく遠いA市から足を運んでくれたのだから、無下にするわけにはいかない。それに、この手の話は、符合するとでも言えばいいのか、のちに何かの出来事とつながりその意味を成すこともある。


「すみません……気を遣っていただいて」


「……いえ」


 Mさんはまた頭を軽く下げた。アイスコーヒーの氷はすっかり溶けているというのに、まだ一口も口にしてはいない。外の熱気よりはいくらか増しとはいえ、クーラーのついていない店内は蒸し暑く、水分を補給した先から蒸発していくみたいに喉が乾く。


 熱中症になられても困るよな、とコーヒーを勧めると、Mさんは初めてコップが目の前に置かれているのに気づいたみたいにハッと顔を上げて、震える手でストローを触った。


「すみません」っと、言って。


 これにはさすがに苦笑いを浮かべるしかなかった。幸いにもMさんは、ストローでコーヒーをかき混ぜるのに集中していてこちらの表情には気づいていないようだったが。


「人は、それぞれ得意な感覚器官があるそうですよ」


 おそらく話はもう出尽くした。そろそろまとめていく頃合だろう。


 Mさんの話は、こうだ。いつの頃からか定かではないが背中に気配を感じることがあったと。それは、睨みつけるような視線でもなくねっとりともたれかかるような重みでもなく、ただそこに「ある」というようなものだという。


「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。五感ですね。この五感のうち、得意な感覚で、人は、怪異を感じ取っていると言われることがあります」


 何か干渉してくるわけでもないし、何らかの方法で存在をアピールするわけでもなく、ただいる。背中にそっと寄り添うように。


「ある人は目でそれを見ます。またある人は耳。目では見えないのだけど、声は聞こえると。嗅覚の話は、以前、線香の臭いを感じた人の話を聞いたことがあります。Mさんの場合は、触覚。肌感覚でなんとなく察知しているのかもしれませんね」


 よくある話ではある。たいてい気のせいか、本当だとしても気がつけばいなくなっている類のもの。ただその気配は、日によって違うのだと、声を落としたのは気にはかかった。


 家に帰ると小机にB5のノートを広げて、Mさんの話をまとめる。傍らにはメモ帳とICレコーダーを置き、普段なら見落としがないよう聞き漏らしがないよう確認しながら作業するものだが、今回の話はその手間もいらないだろう。Mさんには悪いが、気配を感じる、ただそれだけの話と言ってしまえば、それだけの話で終わってしまう。


 ふと、背中に何かが当たった。


 振り向けば、ドアがそこにあるだけで何もない。念のためにドアを凝視するも勝手に開いた様子も閉じた様子もない。


 着信音が弾けた。慌ててポケットからスマホを取り出して電話に出た。


「すみません」


 Mさんだった。


「えっ、」と要件を聞こうとすれば、


「すみません」と畳掛けられる。


「あの、」


「すみません」


「すみません」


「すみません」


「すみません」


 Mさんの声が自動音声のように何度も何度も再生される。それが異常なことだと気づいていても、スマホを耳から離すことはできなかった。


 ピタリと張り付くような気配が、背中にある。

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