第14話 カレーライス
「おふくろの味ってあるだろ?」
「いや、急にどうしたんですか? 久々に聞きましたよ、その言葉」
隣のテーブルから聞こえてきた会話に妙に引き付けられて、ついつい聞き耳を立ててしまう。悪い癖かもしれないが、ほとんどもう職業病だ。
スーツに、袖を腕まで捲くりあげたYシャツを着たいかにも仕事帰りのサラリーマン風の2人だ。1人はストライプ柄でもう1人は白シャツ姿。顔は見えないが、ストライプ柄の方が年齢が高くて、向かいの白シャツは後輩に見える。
「お前はないのか? おふくろの味。子どもの頃よく食べてた味とかさ」
「え〜? そうっすね。まあ、フツーに味噌汁ですかね!」
「王道だよな。俺のはさ、カレーライスなんだわ」
「カレーっすか? でもそんな味変わりますかね? 辛さとかスパイスとかの違いっすか? ってか先輩も、カレー頼んでるし」
2人が頼んだのは、ごく普通のカレーライスだった。たぶん、タマネギを炒めるところから時間をかけて作り上げられたお店ならではのカレーライス。
「先輩、先にいただきますね!」
先に出てきたカレーを白シャツがおいしそうに頬張った。
「ああ──それで、うちのカレーはちょっと違うんだ。カレーに桃を入れて、それからチーズクリームだろ、砂糖に醤油、ココアを適当に入れてルーをつくる」
「桃! うまいんすか? それ!」
「美味い。小学生くらいのときは毎日カレーでもいいと思っていた。カレーが出た日にはもう、お腹がいっぱいでもまだおかわりして」
「なんか、いいっすねーそういうの」
「ああ……」
店員がカレーを持ってきたところで話が中断する。軽く会釈して、スプーンを手に持つもストライプ柄はカレーを口にしようとしない。
「どうしたんですか? 食べないんすか先輩?」
「い、いや……。なあ、このカレーはどんな味がするんだ?」
なぜか、言い淀む。カレーライスを恐れているかのように。白シャツの方は、首を捻りながらも「おいしいっすよ。フツーに」と答えていた。
「そ、そうか……」
カレーをスプーンに乗せて口元へ運ぶ。しかし、指が遠目から見てもはっきりとわかるくらいにぷるぷると震えてそこから先へなかなか進まない。
明らかにおかしい。手近に置いた水をゴクリと飲んだ。冷たい水が幾分か冷静さを与えてくれた。
「せ、先輩?」
「同じ……なんだ」
「なにがですか?」
「味が全く。おふくろの味」
「だから、誰のっすか? 先輩さっきから何を言ってるんですか!?」
白シャツはいらだっているようにも見えた。その場からいなくなりたいのか、すでにもう腰は半分イスから浮いている。スプーンは、カレーライスの真ん中に刺さったまま。
「全部……同じ……家もレトルトもお店も、全部……そんなことあるか、なあ、あるか!?」
「し、知らないっすよ!」
ついに白シャツは立ち上がった。ガタン、とイスが後ろに倒れる。店中の視線が2人のテーブルに突き刺さった。
そのとき、何かを思い出したのか、白シャツは声にならない声を出しながら後退りする。やがて隣のテーブルに当たると絞り出すような声を発した。
「いや、いや、先輩……先輩のお母さんって……この前……」
「ああ、死んだんだよ」
そう呟くと、ストライプ柄は口を大きく開けてスプーンに乗ったカレーを口の中へと入れた。
「先輩? 先輩!」
──その味が果たしておふくろの味だったのかどうかは最後までわからなかった。2人は周りの視線にいたたまれなくなったのか、すぐに店を後にしたからだ。だが、ストライプ柄の表情を見たあの白シャツの顔は、異様なものを見たように怯えていた。
ほとんど手つかずのカレーライスが運ばれていく。整えられたテーブルは、次のお客を静かに待つ。
一息つこうと水を口に含む。が、すぐに吐き出してしまった。
ほんのりと香る桃の味が、味蕾を転がっていった。
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