第8話 呟き

「あー、まいったなこれは……」


 事の発端は、メールで送られてきた一本の動画だった。少年が両の掌で押さえつけるように耳を覆っていた。今ではもう珍しいガラケーで撮ったのだろうと思しき荒い画質で、背景と少年の境目が不鮮明ではあるものの、椅子に座っていることはよくわかる。というよりも、それしか特徴は見当たらなかった。小学校低学年から中学年くらいと思える少年が、椅子に座って耳を強く塞ぐ、それだけの動画に見えた。静止画を見せられているのかと思ってしまうほどに、身じろぎ一つしない様子は不気味ではあったが。


 差出人は、Yさん。頭を捻って記憶をたどっても心当たりはない。悪戯の可能性も考慮しつつ、文面に視線を走らせる。


【突然のメール失礼します。本来なら直接お会いしてお話しなければいけないところ、メールで申し訳ありません。息子の様子が変なもので、先生なら何か知っていらっしゃるのではないかと思って連絡差し上げた次第です。本当に不躾ですみません。正直、私も最初は何かの病気なのかと思ったのですが、検査をしてもどこにも異常はなく、心因性なのではと。急に両手で耳を強く塞いだかと思ったら、ブツブツとなにやら独り言を言い始めたので──】


 と、そこまで読んでもう一度動画を再生してみる。スマホの音量を最大にして耳を澄ませてみるが、何も聴こえてはこない。ただ、確かに俯いてよく見えはしないが唇が小刻みに揺れているような気がした。


 文面に目を戻すと、


【ブツブツとなにやら独り言を言い始めたので、何を話してるの? と聞いてみたんですが、返事どころかまるで反応もなく、耳は塞いだままでした。そこで、私も焦っていたのだと思いますけれども、乱暴に息子の腕を耳から離そうとしたのですが、ビクともしないほどの力が入っていて動きもしなかったのです。まるで違う世界にいるみたいに反応がなくなってしまったので、すみませんと思いつつも身体を引っ張って車に乗り込ませて病院へ連れていったのですね。その結果、先に述べたように心因性ではと言われて、申し訳ないですが先生のところへ相談のメールを送らせていただいた次第なんです。すみません】


 このとき、やけに内容が重複するメールだとは思った。だが、それよりも呟きの内容が気になって先へ先へと画面をスクロールさせていく。


【そこで、私、思いついたのです。息子の呟きを聴いてみようと。そうすれば何かわかるかもしれないと。その内容ですが、數縻疊瀨?】


 文字化けしてると思う間もなく、異変は起こった。画面が明滅を繰り返し、電源が落ちたように真っ暗になる。画面に映る顔は、自分ではなく耳を塞いだ少年の顔。


 俯いていたはずの顔が徐々に上がっていく。間近に迫った唇は、高速で何かを呟いた。


「すみません」


 耳元で誰かに囁かれる。既視感はあった。──いや、既視感どころか。以前にも。


「あー、まいったなこれは……」


 何度も何度も謝りの言葉が続く。高い、低い、高い、低い声が不協和音を奏でる。


 知らず知らずのうちに耳は両手で強く塞がれ、気がつけば声を漏らしていた。


「すみません」


 自分の声で打ち消せなきゃ、その不協和音は消えない。

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