月下の安らぎ

『レディス&ジェントルメン! 今宵もこんな場末のラジオを聞いてくれてありがとう!DJのハーメルンだ! 皆のような悪い子がいるからこの“弱者の味方放送局”も今年でちょうど100周年に突入だぜ!』

「弱者の味方ねぇ……相変わらず寝言ホザきやがる……」


 リビングのソファーに深く腰を下ろしたミサゴの耳を、革命家気取りの落伍者のわめき声が劈く。


 ミッション終了後、ハイヴより帰宅が認められたミサゴは、己の知らぬ間に割り当てられていた高層アパートの一室にて久々の休息を過ごしていた。 適当に自炊した飯と近くの売店で買ったおかずを平らげ、コーヒーの匂いを嗅ぎながら何も考えずボーッとする。


 ハイヴに突っ込まれる以前からずっと繰り返してきた日常。


 唯一違うのは同居人がいること。 情操教育の為、一番懐かれてるお前が面倒を見ろと、一方的に押し付けられたアイオーンがそばにいることだけ。


 出会ってそれほど経たない男と二人きりにされたというのに、彼女は特に嫌がる様子も見せず、窓辺から不思議そうに空を見ていた。


 砕かれ散った月の欠片が、美麗に彩る星空を。


『ついでに、フラクタスが月をぶっ壊した挙げ句ポイント・ネモに落っこちてから111年経つらしいぜ。 恐竜を滅ぼした隕石よりクソ馬鹿でかいモンが落っこちて地球が何故滅ばなかったのかを議論するのは楽しいが、このラジオを聞いてる愛すべき単細胞諸君は違うだろう? だから今宵も襲い甲斐のあるブタ共の住所を……』

「意識高い系の強盗がイチイチやかましいな」


 薄汚い犯罪者のふざけた物言いに腹が立ったのか、ミサゴはイライラと眉間に皺を寄せながら立ち上がると、チューナーのボタンを乱暴に連打する。 数少ないチャンネルを往復する合間にも不快な雑音がスピーカーから漏れ出し、ラジオという物を知らないアイオーンが怪訝な顔をした。


「……?」

「こいつの言うことに耳を貸さない方が良い。 あまりよろしくない噂しか聞かない男だ」

「ふぅん」


 まだまだ精神が幼いアイオーンにとって難しい話だったことが幸いしたのか、彼女は興味の対象をすぐに窓の向こうへ移すと、空中を滑るように通り過ぎるフローティングキャリアーの群れを物珍しそうな目で追いかける。


「あんな物が珍しいのか?」

「だって、あんな重そうで大きい物が平気な顔して飛んでるって変じゃない」

「うーん……言われてみりゃそうかもしれないけど……、俺達だって飛べるだろ?」

「それとこれとじゃ話が違うの」


 乗用車より大きく重たい物が群れを成して宙を往く。 文明に慣れきったミサゴにとっては驚くようなことでもないが、まだ自然な感覚で物事を捉えているアイオーンにとってそれは普通のことではない。


「……俺から言わせて貰えば、君の存在の方がずっと不思議だと思うがな」

「そうなの?」

「普通の人間はビームなんて撃てないだろ」


 下手な解答をすればそのまま質問攻めに押し切られそうな瞳で見つめられ、ミサゴは苦笑いをしながら彼女の疑問を受け流す。


 謎のレリックから産み落とされたアイオーンの身体には、未だ謎が多い。


 容姿は極めて人間と似通っており、染色体は人間のそれとほぼ同一で生殖すら可能。 かと思えば、肉体の構成要素は人類どころか地球に住まう生命体から大きく逸脱しており、アンプを移植していない人間など遙かに凌駕する恐るべき存在だとはテスラの談。


「ホント、何をお考えなんだろうな。 あのお偉方は……」


 ミサゴの心に浮き沈みするのは、発言と行動が矛盾するハイヴ上層部への疑問。 そこまで貴重な存在を、何故使い捨て同然の末端クロウラーに迷い無く預けたのかと。


 もっとも、情報も大した権力も持たない下っ端が考えを巡らせたところでたかが知れており、片手間で弄っていたラジオのチューナーがチャンネルを捉えたことで、ミサゴは思案を一時中断する。


 ザリザリという耳障りな音を掻き分け流れ始めるのは、どことなく寂寥感を掻き立てる落ち着いた異国のメロディ。 何故か懐かしいとも感じるような温かな曲は、アイオーンの表情をふと緩ませた。


「貴方はこんな曲が好みなの?」

「音楽の善し悪しなど分からん。 ただ耳障りで無ければなんだっていい」

「ふふっそうなんだ」


 アイオーンの人なつっこい眼差しがミサゴの顔を捉えると、対するミサゴの表情も自然と緩む。


「明日も色々と君には仕事に付き合って貰う。 悪いな面倒をかけて」

「ううん気にしないで、私もたくさん知りたいことがあるから。 自分のことも、そして貴方のことだって」

「……忠告しておくが、あまり俺個人の事情に肩入れしないことをおすすめする」

「えっ?」


 今までの穏やかで優しい物言いが嘘のようなミサゴの言動に、アイオーンは動揺もしくはショックを隠せずに真顔になってしまう。 無論、ミサゴもすぐに自分の言い方が悪かった事に気が付き、なるべく彼女を不安がらせないよう表情を柔らかく保ちながら言葉を続けた。


「クロウラーの命は紙屑よりも軽い。 俺よりずっと強い“レジェンド”と崇め奉られる人達すら突然消息不明になることもある。 俺だって本当だったら、あの時死んでいたはずなんだ」

「…………」

「喪って絶望するくらいなら、最初から必要以上の関係を育まなければ傷付くことも無い」


 静かに語るミサゴの表情は陰鬱であり優しげでもあった。 一方的な嫌悪や拒絶ではなく、自分も他者も傷付けない為の逃避的な思い遣り。


 未だ誰にも語らぬ過去の経験に基づいた、臆病な処世術。


 しかしそれは、過去を持たないアイオーンにとって納得しがたいものだった。


「だったら、貴方こそ何故私に良くしてくれるの? そうしろって偉い人に言われてるから?」

「いやそれは……」

「殺されるような目に遭っても、何度も私を守ってくれたのに……。 何も思うな考えるなって言われても私には無理だよ」


 憤りと悲しみで微かに瞳を潤ませたアイオーンに真正面から射すくめられ、ミサゴは暫しの沈黙の後、項垂れるように頭を垂れて詫びる。


「……すまない、余計なことを言った俺が悪かった」

「本当にそう思ってるなら、二度とあんな寂しいこと言わないで」


 普段のアイオーンからは考えられないほどに強く、それでいて真摯な願い。


 有無を言わせぬ威圧感を伴って迫られたミサゴは、うんとも言えぬままただ頷くことしか出来なかった。

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