深淵より来たる者
「ヒッハハハ逃げろ逃げろ! 蠅のように逃げ惑え!」
「チッ……」
強引に間合いを詰めようとするミサゴを牽制するように、対空機銃とも見紛うほど濃密な光の弾幕が広い洞穴内を飛び交う。 高く飛んでも低く迫っても高度なセンサーによる追尾が止むことはない。
「ガス欠なんぞ狙っても無駄だ! 今の俺にはこの星の加護が宿っている! 先に息が上がるのはテメェの方だよ!」
「星の加護だと? テメェ一体どんなレリック横領しやがった?」
「星に嫌われたアホ共が知る必要など無い! さっさと消し炭になれ!」
ブレードを舞わせて隙あらば首を刎ね飛ばそうとするミサゴの動きに呼応し、極太の火線を振り回して敵を焼き払おうと画策するホワイトボックス。 激しい間合いの奪い合いは一進一退を繰り返し、どちらが有利とも知れない。
永遠に続くかと思われた千日手。 しかしそれは、ホワイトボックスが突然声を張り上げたことで終わりを告げた。
「おいお前ら、何をそこで隠れている? 俺から逃げられると思うな!」
ミサゴが宙に描く軌跡に光の雨を降らせていたホワイトボックスは頭部パーツを変形させ、後頭部からも砲身を生成すると、誰も居ないはずの洞穴向かって極太の殺人光線をぶっ放した。 目を潰す程の極光が何も無い空間に満ちる大気をたちまち白熱させる。
「なんだ? 何をやっている?」
相手が取った奇行の意味を解せず、首を刎ねるチャンスを思わず逃してしまうミサゴ。
刹那、今まで余裕綽々だったホワイトボックスの頭が突如発火し、迸る光の勢いが削がれた。
「アババババババ!?」
「サイバーアンプによる干渉……誰か居るのか!?」
第三者による無差別攻撃の可能性を考慮して咄嗟に間合いを離すミサゴだが、アンプに搭載されたセンサーがハイヴ所属の人員が蠢いていることを知らせると同時、一気に踏み込む。
「馬鹿な……厄介なアンプ持ちは全員焼き殺したはず……」
「その程度の懐中電灯でこの私を焼けると思ったのか? ピースキーパーなんて伊達で名乗ってるわけじゃないんだよ」
極太の殺人光線が焼き払った後の洞穴の奧、そこに佇んでいたのはパワードスーツ型ソリッドアンプに身を包んだクロウラー。 重戦車に匹敵する装甲を纏ったそれは、咄嗟に盾代わりにしたらしき巨大な岩盤の欠片を放り投げると、背後へそっとメインカメラを向けながら問う。
「さてアンダードッグ、私の仕事は終わったんだが早くしてくれないかね?」
「お前に言われなくても終わってるわボケ!」
穏やかなも嫌みったらしい語りかけを真正面から引き裂くような物言いが洞穴に響くや否や、今度はホワイトボックスの全身から盛大に火花が上がった。
「ガ……!? その格好でハッカーだと貴様!?」
「こんなナリでも俺は運動が昔から下手くそでなぁ、代わりにお前が踊ってくれや!」
ストリートを徘徊するチンピラ然としたアンダードッグが仕掛けたハッキングを受け、アンプの制御系を焼かれたホワイトボックスは文字通り苦悶に踊り、手当たり次第に周囲を焼く。
石が溶け、砂が硝子と化し、洞穴のあちこちに大小問わず超高熱の痕跡が刻まれる。
これが地上であったなら酸鼻極まる事態になっていただろうが、不幸中の幸いかここは一筋の陽光すら届かぬ地底深く。 意味も無く振り乱された光に焼かれる者は誰一人としていない。
それどころか、牽制の意図すらない見苦しい足掻きはそのまま致命的な隙へ変わるだけ。
「捉えた」
身を震わすような冷徹な宣告が紡がれると同時、狂人の頭上を舞い踊っていた白刃が縦一線に疾走し、放たれていた光ごと標的を両断した。 目一杯伸ばしたブレードを収納し残心を決めるミサゴの瞳の中で、何が起こったのかも分からぬまま譫言を漏らすホワイトボックスの身体が凍る。
「ア……あ……?」
「悪く思うな、何も考えずソロで暴れていたお前が悪い」
自分が殺されたという事実を理解できず、譫言を洩らしながら立ち尽くすホワイトボックス。 やがてその身体は自然と真っ二つに裂かれると、暴走したアンプが放つ熱に焼かれ瞬く間に塵となった。
身体に埋め込まれていたコアパーツすら残さずこの世から消える狂人。 だが、賞金首を始末したという情報は間違いなく3人のアンプへと記録され、それぞれの活躍度に応じたスコアへと自動分配される。
「よっしゃキルアシスト取った! 悪いが駄賃はいただくぜ!」
「……構わない。 ヤツを殺すためにここへ来たわけじゃ無いからな。 何の用だったかは聞くな」
「別に追求しないから安心しなよ。 思ったより疑り深いヤツだね君は」
ムスッと眉間に皺を寄せるミサゴの態度に呆れたのか、ピースキーパーは一瞬肩を竦めるもすぐに気持ちを切り替えて言葉を続ける。鎧のゴツい見た目に反して人当たりは極めて良好で、語調も終始柔らかい。
「それは兎も角だピルグリム、そろそろ君も帰還の支度をした方が良い。 あんな大勢で地下に潜ったんだ。 縄張りを侵されたイミュニティ共も黙って見ているはずがない」
「用が済んだらさっさと帰る。 アンタらこそさっさと帰還要請しとけよ。 迎えだってすぐには来られないだろ」
「へっ、空飛べるヤツは言うことが違う。 羨ましいなお偉方のお気に入りはよ」
通常のクロウラーが使う物よりずっと上のグレードのアンプを装着するミサゴへ、アンダードッグは軽い嫉妬と露わにするが、その矛先にある当の本人は一切気にしなかった。
ブレードにこびり付いた血糊を拭き上げ、踊るように振り払いながら収めたミサゴは、やがて天井から響いてきた岩盤が削れる音へ注意を向ける。
「おや? 準備が良いな、早い決着を睨んで脱出要請していたのか?」
「いいや? 俺達はまだ稼ぐ予定だったから帰還要請なんて送ってないぞ。 お前がやったんじゃないのか?」
「……馬鹿な」
ミサゴが訝しんで呟くも束の間、誰が呼んだのかも分からない帰還ポッドが轟音と共に落ちてくる。 装甲がめくれ上がって内部構造が露出し無惨な有様となっていたそれは、着地と共に破滅的破断を迎えると、真ん中からへし折れるような形で倒れ込んで大津波の如き砂塵を盛大に撒き散らした。
「チクショウ! 次から次へと何だってんだよ!」
休み無く襲い来る面倒ごとにアンダードッグがたまらず悲鳴をあげるが、励ましはおろか厭みで返す者すらいない。 否、返す余裕すら無かったと表現する方が正しかった。
やかましくイライラと叫び散らすチンピラと対照的に、ミサゴとピースキーパーは揺らめく砂塵の奧へ黙って意識を集中させる。
何かがいる。 多くの修羅場を潜った故に培われた第六感が二人に告げる。
「……何なんだよ一体」
奇襲を警戒して一時格納した武装を再び展開した二人を見て、ようやく状況を判断したアンダードッグもサイバーアンプへ分配される電力を増やして備えた。
死角からの打撃か、それとも問答無用の一斉射撃か。 あらゆる可能性を想定して3人は互いの背を護りながら殺気を漲らせる。
しかし想定していた奇襲など結局無く、一帯を覆っていた砂塵がやがて晴れると、人のような形状をした物体が、へし折れた脱出ポッドの根元で揺らいでいた。
不格好なまでに巨大な左腕を地面に突き立て、全身を骨のような甲殻で覆われたイミュニティらしきもの。 アンダードッグが咄嗟に検索したデータベースにも記録されていないそれは、身構えた3人を視認すると同時に、今にも折れそうな程に貧弱な右腕を伸ばしながらぼそりと告げる。
「“にえ”となれ」
「「「……!」」」
ゴポゴポと不快な音と共に言葉が紡がれた瞬間、身体を易々と引き裂かれる様を幻視した三人の足が咄嗟に動く。 短い猶予の間で振り絞れる力の限りに、三色の影が低い軌道で跳ぶと、三人が一瞬前まで立っていた場所が削り取られるようにして消滅した。 黒い幻影だけを微かに残し、文字通り跡形も無く。
「な……なんだよあれは!? あんな真似アンプ付けてたってやれないぞ!?」
「騒ぐなよ負け犬君、現行の科学力でやれないことなら答えは一つしか無いだろ」
「……未確認のレリックか、それとも化け物共の生理的現象か」
どちらにしても致命的なことに代わりは無い。 逃げられるか、どう対処すべきなのか、そもそもコイツは殺せるのかと、化け物を見つめる3人の頭がフル回転する。
しかし、敵意を向けられた化け物はそんなもの気にしない。 まるで羽虫が周囲を飛び回っても頓着しない人間のように自由に振る舞うそれは、3人がいないかのようにゆっくり背後へ向き直ると、軽い足取りで歩き始める。
「なんだ?野郎一体何をやってるんだ?」
「分からないが、こっちに積極的な敵意を向けて来ないのだけは助かる……」
偶然もたらされた逃走のチャンスに、アンダードッグとピースキーパーは警戒を続けつつも心の中では胸を撫で下ろした。 いくら名誉を得たところで死んだら終わり。 フラクタスの深層を目指す多くのクロウラーと違い、どこか冷めた思考をした2人は気配を消しながら来た道を遡っていった。
拳を握り込み、立ち尽くしたミサゴを残して。
「おいピルグリム一体どうした?」
「……アンタ等今すぐそこから逃げろ」
「逃げろって……、お前はどうするんだよ!?」
「俺は飛んで逃げられるから構うな! さっさとポッド呼ぶかSOS発信するかやれ!」
怒鳴るように言って捨てると共に、ミサゴはスラスターの出力を全開にして飛んだ。 当然、何の理由も無く自殺行為に至った訳では無い。
ミサゴを決断させたのは他ならぬ化け物の挙動。 超常的な力を有する化け物が向かう先にあったのはアイオーンが身を潜める痕跡の方角。 即ち、化け物の標的は自分達のような木っ端ではなく、あの子の身柄なのだと判断した故だった。
「そこから逃げろ!アイオーン!」
己も痕跡の方角へ向かいながら、ミサゴは回線を通じてアイオーンに呼び掛けた。 彼女が有する摩訶不思議な力であれば難無く逃れられるはずだと。
しかしアイオーンが取った行動は逃走では無く断固たる抵抗だった。
「なっ……」
身も凍るような殺気を認識したミサゴが咄嗟に回避運動を取った瞬間、紫紺の光迅が辺り一帯を眩く照らし出し、名も知らぬ化け物を膨大な光の奔流の中へと呑み込んでいった。
余波で渦巻く衝撃波が天井や岩壁に螺旋の傷を刻み、宙に逃れていたミサゴを瓦礫共々地面に叩き伏せる。 無機物有機物の差異無く、この場において蹂躙されずにいたものはほぼ存在しなかった。
ただ一つ、光迅の標的となった怪物を除いて。
「馬鹿な……!」
地面に叩き付けられた衝撃で悲鳴を上げたアンプの状態にも構わず、ミサゴはすぐさま体勢を立て直すと、全力でスラスターを吹かし疾駆した。 息を切らして膝をつくアイオーンめがけ貧相な右手を伸ばし、人間には理解出来ない言語による恫喝を行っていた化け物の背中に向かって。
「うおあああ!」
今すぐにも身体のどこかを削り取られるかもしれないという恐怖を押し殺し、全力で突き出した漆黒の拳は間違いなく化け物の背中を貫いた。 着弾と共におびただしい血潮が噴き出し、ミサゴとアイオーンの身体に降りかかる。
だがそれまでだった。
人間であれば心臓がある部位を正確に撃ち抜いたにも関わらず、名も知れぬ化け物は器用に首だけを動かしてミサゴを睨み付けると、身も凍るような低い声で呟く。
「うすぎたない“いもむし”が」
「なんだと!?」
愕然とする暇すら与えられず、ミサゴの視界が瞬時にグロテスクなまでの赤に埋め尽くされ、頭部を筆舌に尽くしがたい激痛に包まれた。 咄嗟に痛みを和らげようとアンプが自動的に鎮痛剤を投与するが効果は全く無い。
その瞬間ミサゴは見えはせずとも理解した。 今削られ吹き飛んだのは恐らく自分の頭の一部なのだと。
「うあああがああああ!!?」
痛み以外の感覚全てが消失し、おぞましい耳鳴りが聴覚すらも潰す。 毒々しいまでの赤とノイズだけが支配する精神の牢獄は、ミサゴが外界の情報と触れることを許さない。 まさに地獄そのものだった。
「お゛あ゛あああ……!」
痛い!苦しい!殺してくれ!とミサゴは叫びそうになったが、代わりに胸の底から振り絞られたのは他者の為への叫びがそれを押し留める。
「アイオーン逃げろ!俺に構うな!君一人だけなら逃げられる!」
立っているのか無様に転がってるのかすらも分からぬまま必死になって声を張る。 残り少ない命の刻限を味わう余裕すらなく、走馬灯なるものも一切見えない。
「逃げ……」
「大丈夫よミサゴくん、貴方は絶対に絶対に死なせない」
「……ッッ!?」
徐々に霞み消え行く意識の中、最後にハッキリと響いたのは他ならぬアイオーンらしき声。
真紅の獄の中に音も無く入り込んできた紫紺の煌めきは、藻掻き苦しむミサゴの意識を優しく抱き留めると、分厚い半透明な膜の中へそのまま導いていった。
痛みもおぞましい囁きもない、暖かな闇の中へと。
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