腐肉の化身

「ギャー!」

「やめてくれー!」

「早く医者を呼べ-!」

「……大のプロが山ほど集まってなにブザマ晒してんだ」


 現場に着いた早々、ミサゴの耳に飛び込んできたのは先に対応に当たっていた中堅クロウラー達の下品な悲鳴とわめき声だった。 そこそこいいアンプを埋めてなければ振り回せないような銃火器やらデカい刃物を持っているにも関わらず、偉大な先輩方は一方的に蹴散らされ右往左往逃げ惑うばかり。


 一体何事かと、浮遊要塞の端っこに建造された研究棟にミサゴが足を踏み入れた瞬間、猛烈な勢いで肉塊の鞭が躍り掛かり、鼻先を通過していった。


「うおっ!?」

「ようやく来やがったな七光りのガキ!」


 反射的にアンプを起動し、続けざまに飛んできた攻撃を避けつつ後逸するミサゴの耳に飛び込んできたのは、先ほどボスに慇懃無礼の極みを見せ付けた男の声。


 見ると、頭皮が寂しくはげ上がった白衣の男が、電流を己の身体の一部のように使役し、向かい来る肉の塊を迎撃している。


 今この瞬間も脈動し、毒々しい色彩の血を噴出する生きた災厄。 その根元に突き刺さっていたのは、数日前試験中に回収された培養槽の形状をしたレリックだった。


「あの敵は何です? どうしてレリックを取り込んでるんです?」

「やかましい! テメェが余計な真似をやったんだろう!?」

「……藪から棒に何事です。 試験時の行動ログは提出済みのはず。 それとも末端連中の記録など見る価値も無かったとでも?」

「言い訳ならあそこのモニターに書いてある文字復唱した後にやりやがれ!」


 殺到する肉の津波が電磁の壁と衝突し、迸った衝撃波が役立たずのクロウラー達を容赦なく跳ね飛ばす中、ミサゴは目を凝らしてレリックに貼り付いたモニターを視界に収め、思わず瞠目した。


 そこに浮かんでいたのは、他ならぬミサゴ自身の名字。


「トリカイ……だと? 馬鹿な! 何であの化け物が俺の名を!?」

「それを確かめる為にお前を呼んだんだ! さっさと何とかしろ!」

「何とかしろって。 大体この程度のイミュニティなど貴方お一人で狩れるでしょう」


 レジェンドとして列されるに必要なのは功績、信用、そして他の追随を許さない戦闘能力。 故に自分が一切手を出す必要など無いはずだと、ミサゴは一かけのやる気も見せず大あくびするが、テスラは全力で鎮圧を拒否した。 ただでさえテカっていたハゲ頭は茹だったように赤くなり湯気すら立ち昇る。


「馬鹿野郎! プール一杯分の金塊より貴重なレリックをアッサリぶっ壊してたまるか! 下手な人命より重い機械なんだぞあれは!」

「……やれって言われてもどうやって無傷で止めるんですあれ?」

「お前が埋めてるアンプなら、あれの生体ネットワークに侵入出来る。 中からヤツの暴走を止めろ」


 音一つ立てずただぼんやりと輝くミサゴの右腕をバシバシと叩いてテスラは促すが、対する無愛想な男は意味が分からないとばかりに首を振るばかり。


「……お言葉ですがテスラさん。 俺はハッカーでもないし、機械に干渉する為のサイバーアンプなんて埋めていない」

「はぁ? テメェそんな大層なモンお国から貰ってんのに使い方一つ分からないのか!?」


 ふざけやがってと言わんばかりに、怒りに燃えるハゲ頭からさらなる蒸気が立ち昇る。


「人体に大型重機並みの頑丈さと力をもたらすソリッドアンプ、大小問わずネットワークへの疑似意識投影を可能にするサイバーアンプ、そして装着者の身体に合わせて身体機能を拡張し成長するバイオアンプ。 それらの利点を高次元に纏めた特注品がお前の付けてるアンプだ! なんで装着者のお前が詳しい使い方を知らないんだよ!」

「無理矢理付けられて社会信用コストがマイナス超過してパンドラシティに突っ込まれたんだから仕方ないでしょう」


 電磁障壁を引き続き展開ながら文句をぶちまけるテスラの横をミサゴは涼しい顔して通り過ぎ、右腕に絡まっていたリボン状のブレードを舞うように振り翳す。


「ともかく、そういう機能があると分かったなら問題ありません。 援護を!」


 存在を意識すると共に、新たにシステムからもたらされた拡張機能。 その仕様を頭に叩き込みつつ、ミサゴは全身を躍動させるようにして飛んだ。


 スラスターを吹かして一直線に飛ぶミサゴの周囲を、斬撃の結界が幾重にも連なり肉の津波から本体を守る。 レリックから湧き出した化け物が暴れようと出来上がるのは挽肉と骨片の山だけ。


「何が目的かは知らないが、ぶっ壊されたくないなら大人しくしてろ!」


 ワケの分からないことでこれ以上責められるのはゴメンだと、ミサゴはレリック本体に向けて切っ先を向ける。 その瞬間、ブレードの先端が幾千もの銀糸へと変貌を遂げ、外装が破れたレリックの中へと侵入していった。 同時にミサゴの意識も機械の中へ取り込まれる。


「これがネットワークへの疑似意識投影か……」


 ハッカーではない故、初めて味わう感覚に強い違和感を感じながらもミサゴの視線は視覚化されたネットワークの彼方に向いていた。 長々とここに留まるつもりはない。


 雑多なノイズを掻い潜り、ミサゴは急ぎでデータの海深くへ潜行していく。 迎撃に出てきた抗体プログラムによる妨害などお構いなし。 もし現役のハッカーがネットワーク内で目撃すれば心底恐怖し、ゴタゴタに巻き込まれる前に自ら接続を断つことだろう。


 されど強固な防衛プログラムによってコーティングされたミサゴの疑似人格はネットワークより蹴り出されること無く、そのまま最奥らしきエリアまで到達した。


「さっさと吐いて貰おうか、何故俺の名字を知っていたのかを」


 ハッキングのイロハなどさっぱり分からないミサゴに出来ることは、アンプよりダウンロードされた手筈通りにデーモンを流し込むことだけ。 それでも十分以上の働きを得られたようで、程なくミサゴに埋め込まれたアンプ内に大量のデータが流れ込んだ。


 そのほとんどが知識の無いミサゴにとってゴミのようなものだったが、たった一行の短い文だけが、ミサゴの意識に深く刻まれる。


「……アイオーン?」


 何を意味する? 物品の名前か? 何かのパスワードか? そもそも、こんなどうでもいいことに何故意識が向いてしまったのか?


 山のような疑念を積み上げるも束の間、ミサゴの呟きに反応するように、今まで静まりかえってきたデータ領域は何の前触れも無く荒立ち始めた。 データの奔流に不幸にも巻き込まれた抗体プログラムがあっという間に屑データと化し、跡形も無く消える。


「何だこれは!?」


 これ以上ここに留まるのは不味いと察知し、強制ログアウトと同時にミサゴはアンプに搭載されたスラスターを全力で吹かすも、意識が完全に覚醒するコンマ単位の隙を突き、飛来した肉の触手が漆黒の左腕を捕らえ、無理矢理肉塊の方へ引っ張る。


「嵌めやがったのか? なめやがって……」


 距離を詰めること自体はミサゴにとって極めて都合が良い。 このまま引っ張られるのに任せて一発叩き込んでやるべく、漆黒の拳が鈍い金属音を立てて握り込まれる。


 だが、いざ拳を叩き付けんとした矢先、ミサゴは醜く膨らんだイミュニティの体内に“あるはずの無いもの”を発見し、思わずアンプの一部を緊急停止させて通信を開いた。


「テスラさん、この化け物の腹の中に人影らしきものが見える。 撃破より救助を優先しても構わないな」

「何を言ってる? 適当に追い散らされた役立たずは居ても喰われた馬鹿はまだ一人も居ない」

「こんな時に冗談なんて言うか!」


 このまま返答を待っても埒があかないと、即断即決で振るわれた白銀のブレードの切っ先がイミュニティの肉体へ深々と突き刺さる。


 このまま腹を引き裂いて中に閉じ込められた誰かを引っ張り出す。 それが一番早いとミサゴは肉の鎧を一枚また一枚と斬り出して血と肉の雨を降らせるが、新たにイミュニティが生成した大量の奇妙な器官を見た瞬間、その手を止めた。


 筒のような形状をした謎の物体は、ミサゴのみならず少しずつ距離を詰めていたテスラや、物陰から様子を窺うクロウラー達一人一人に筒の先端を向け、急速に紫の光を中に蓄えていく。


「!」


 このままほっとけばどれほどの惨劇が引き起こされるか。 瞬時に察したミサゴは咄嗟にレリック本体を切り落とし、イミュニティの身体全体を縛るようにブレードを引き延ばすと、空いていた漆黒の腕を使って全力で床を粉砕し、拘束した化け物と共に空の中へ身を投げ出した。


 ――刹那、膨大なエネルギーを宿した光迅が複数雲を引き裂き、膨張した爆風が宙を舞うミサゴを吹き飛ばす。


「くっ! 滅茶苦茶ばっかやりやがって!」


 何とか最悪の事態は避けられたが、こんな無茶をしてせっかく稼いだ信用コストをまたマイナス超過しないかと、やった後になってミサゴは後悔したが、すぐさま飛んできた通信がその懸念を和らげる。


「どうもアタシだピルグリム。 随分派手に暴れているじゃないか」

「事情はテスラさんに聞いて下さい! 今は誰もいないところに墜落するので手一杯で!」

「だったらちょうど良い場所がある」


 多くの修羅場を掻い潜ってきた経験は伊達では無いようで、アナスタシアの状況判断は極めて早い。 ミサゴが一か二度息を吸って吐く間に、新たな指令とロケーターによる案内がアンプを通じて飛んでくる。


「過去のある惨事で閉鎖された第13坑道跡地。 そこならば落下しても問題ない。 遠慮無く化け物にパイルドライバーをカマしてやれ。 万が一何か起きても責任はアタシが取るから心配するな」

「……イエッサー!ボス!」


 ここまでお膳立てされては遠慮する方が逆に失礼だと、ミサゴはグッと歯を噛み締めてさらにキツくイミュニティを拘束すると、スラスターの出力を全開にし、坑道目掛けて墜ちていった。


 この忌々しい敵を鋼鉄のマットへ確実に沈める為に。

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