五話 婚約者†無双 2
今日は感情が動いたからちょい疲れたな……。ボードゲームは楽しかったけど。
そんなことを振り返りながら、静かな夜、一人で風呂に沈み込む。
あー、風呂は良い。
気疲れも一気に癒される――ん? 気疲れ?
そっか、俺は青空会長と会うのに少し緊張してたらしい。
俺のあるかないかの敬語も消し飛んじゃったし。でもあの人、それを指摘しなかったよな。どういうつもりなのか……。礼儀にはうるさそうだが……。
いや、指摘してるわ! 言葉は悪いですがってあいつ言ってたじゃん!
「でも緊張はもうねえなぁ」
悔しいけど、彼女もまた人を思いやれる人間だ。瑠衣が渋面を浮かべたから思わず矢面に立ってしまったけど……そのまま静観していたら、瑠衣はどうなってたんだろう。
いーや! こんな益体のないこと考えてても仕方ない! もう過ぎた時間だ。反省は大事だが、これからはもっと大事だ。
「お湯加減どう?」
「おう、瑠衣。いい感じだぞー!」
まぁ調整してんのはボイラー君だが、設定したのは瑠衣だしな。いつも四十一℃。少し熱め。
「入るよー」
「おう。……おおおおぅ!?」
引き戸がガラガラと開けられる。すりガラス越しにシルエットは見えていたのだが、入ってくるとは!
さすがに水着だ。今日はスク水。うおお、なんて絶景なんだ……! 白い肌と紺色の水着のコントラストがとても綺麗だ……じゃねえよ!
「な、何で入ってくるんだ、瑠衣!」
「今日、会長と仲がよさそうだった」
言われた言葉を十秒くらい咀嚼してみる。
……………………なるほど。
「……え? それで、なに? いやそもそも仲良くねーよ。あれは遠慮がなくなっただけ!」
「やきもちを焼いてる」
「え!? なんで!? 羨ましかったの!? どの辺が!?」
「ともかく、婚約者の座が危ういので、もっと冬悟とイチャイチャしたい」
「いやだからどの辺が羨ましかったんだよ!」
「……理由、言っても嫌わない?」
「べ、別に嫌いにはならんって」
「……自分でも、よく分からないの。楽しそうにしてる、会長と冬悟を見たら、胸のあたりがざわざわして。でもね?」
瑠衣が浴槽に入ってくる。慌てて半身をひっこめるが、そんなに広くない湯船だ。体が当たる。脳が沸騰しそうなほど今の状況が分からん!
でも、彼女は心底――嬉しそうにしていた。
「満たされるの。冬悟の近くにいると。あれだけ、ざわざわしてた心が、心地よくなっていくの。どうして?」
「し、知らん……とりあえず離れろ、俺が暴走しないうちに!」
「新世紀の人造人間なの?」
「プラグスーツ姿の瑠衣には興味がある――じゃないって! お前本気でわかってんのか!? 俺お前を襲わないよう死力を尽くしてんだぞ!?」
「……私は、冬悟が好き。くっ付いていたら、幸せになる。冬悟は、そうじゃないの?」
「幸せだ・け・ど・も! そうじゃねえんだわ! お前本気で自分が可愛いの自覚してくれませんか!? 俺いっぱいいっぱいなんすけど!」
「……襲ってもいいのに」
「……瑠衣、気持ちは嬉しいけど、もうちょっと後のこと考えてくれ。俺と今こうしてエッチなことして子供でもできたらどうする?」
「冬悟との赤ちゃん、可愛いと思う」
「そういうことじゃなくてだな……」
「わかってる、冗談。多分、冬悟は理事長にこの学園を追われる。私も。それは、望むところじゃない」
そう、瑠衣は馬鹿じゃない。そこらへんは考えれば分かるとこだ。
「だったら――」
「――でも、不安なの。私、本当に冬悟の傍にいていいのか、やっぱり不安なの……。傍にいると、落ち着くの……めんどくさくて、ごめんなさい。嫌いには、ならないで欲しい……」
彼女の孤独という闇は、根深いのだろう。今までどういう環境に身を置いていたかは知らないが、見知った人に嫌われたくないという思いの強さと、少しだが依存するような気配がある。
ま、そんなんは知らん。俺は、目の前の瑠衣をみた。寂しがっている彼女にやれることは、たった一つ。
小さくなる彼女の肩に手を置き、抱きしめる。
密着する形になる。しかし、何故か股間は落ち着いていた。
俺は、彼女の背中を優しく叩く。
「大丈夫だ。……大丈夫だからな。俺はお前を嫌わない。それは分かれよ。口に出してきてくれてありがとう、俺馬鹿だからイマイチ分かんなくてさ。……落ち着け。大丈夫だ、俺はどこにもいかねえ。瑠衣と、少なくとも二年くらいは一緒だ。それからも、婚約者の関係は知らんが、瑠衣が良いなら、続けていきたい」
「……冬悟は、嫌じゃない?」
「嫌なら拒絶してる。俺は馬鹿だからな、言いたいことは言うし、やりたいことはやるんだ。可愛い婚約者の味方だって俺のやりたいことだし、それから先の未来だって、俺が望んでんだ。好きだぞ、お前のこと。友達としても、それ以上としても。可愛いし、まっすぐだし、良い奴だから。自分に自信がないところは直してもらいたいけど。むしろ瑠衣は嫌じゃない? こんなアホと一緒にいても大丈夫?」
「……冬悟がいい。冬悟じゃなきゃ、嫌……! 男の人に、こんな気持ちを抱くの、初めてなの……」
「そら君、男性との経験値がないからだよ」
ちょっとからかうように言ったら、彼女は目を伏せた。
「……私、小学校までは共学だったよ。男の子は、いっつも私の髪の毛引っ張ったり、仲間外れにしたり、その度に私は泣いてた。でもなんか泣くのも疲れちゃって。感情が、表に出てこなくなっていった。小学校六年の冬に、お母さんが帰ってこなくなった。言われたの。あんたなんか、私の子供じゃないって。それから、施設に入って、すぐ理事長に拾われて、お勉強頑張って天馬女学園中等部に入って……それから、ずっと一人だった。……男の人に優しくされたの、初めてなの」
「優しくはしてない。ごく普通に接してるだけだ」
「優しいよ。私が出会ってきた中で、冬悟は誰よりも優しい。実の両親よりも。ずっと。私に欲しい言葉をくれるの。私に、ここにいていいって言ってくれるの。私のことを可愛い、好きだって言ってくれるの。でも私は、性根がひん曲がってるから、その言葉が、まだ、信じられない……だって、こんな夢みたいなこと、あるわけないって本当に思うんだもん。こんな、私に都合のいい話が……」
「お前小説好きだったよな?」
「? うん。……そ、それが?」
「よく言うじゃんか。事実は小説よりも奇なり。これもまた現実だ。たまたま馬鹿男子が編入してきて、お互いのために婚約して、馬鹿が勝手にお前に惚れてただけだ。んで? なんかこれ以上説明がいる?」
「……」
「俺は、この腕の中のぬくもりが何よりの証明だと思ってる。親しくしたくないやつとなんか触れ合わんだろ」
「……強く、して」
震える肩を強く抱きしめる。泣き始める彼女の頭を撫でていると、なんだか、瑠衣の本質が見えた気がした。
この子は、大人だし、子どもだ。色んな事の我慢が上手な大人っぽさがあるけど、環境がそうさせなかったのか、子どものように純粋だ。まるで、グラスフィッシュ。一滴の毒で死んでしまうような、繊細な女の子。
社会という大海に出たら、今だときっと、そのまま死んでしまうような。
んじゃあ、俺がやることは決まってんだろ。
「これから、一緒に色んなことをやろうぜ。一緒に、色んなところにも行こう。勉強や趣味だけじゃないんだぜ、友達が増えれば付き合いも増える。付き合いが増えれば趣味も増える。趣味が増えれば出会う人も増える。俺だけじゃない。瑠衣、色んな頼れる人を探しに行こうぜ。俺がまず、一人目になれたら嬉しい」
俺が彼女に対してやるべきことは、様々な経験を一緒に乗り越えていくことだ。たくさんの幸せな思い出や経験が、自信へときっと変わるから。
俺も、この子となら、楽しめる気がする。今までの倍以上。
可愛くて、意外と意地っ張りで、しかしどこか素直で。子どもっぽいのか、大人っぽいのか分からない。ミステリアスな女の子。そんな子と四六時中一緒なんだ。きっと、楽しくなるのだと思う。今までだって楽しかったし、きっと未来だってそうに違いない。
「うん……うん……!」
しゃくりをあげて泣く彼女は、顔を決してこちらに見せない。
酷い顔を見られたくないのだとは、理解できた。俺としては泣いてる顔も見てみたかったが、本人が嫌がるだろう。彼女は人からの批評に敏感になっている。親しい人間の部類である俺が万一にも嫌いになるという要素を排除したいに違いないし。
婆ちゃんがなんで瑠衣と俺を引き合わせたか、何となくわかった。
瑠衣が良い子だからなのは間違いない。俺の嗜好を普通に引き戻そうとするほどの孫馬鹿の婆ちゃんが、悪い奴なんかを俺に紹介するわけがない。
……この子は、無償の愛に飢えている。俺の想像する一般人が無条件で与えてくれるものを、この子は持ってない。
婚約者と話を持ってきたのも、家族という意識を強めたかったんだろ? 婆ちゃん。それは何となくわかるよ。
でも、俺は家族なんかまっぴらごめんだ。何が悲しくて攻略対象外なんぞになりたがる。
俺と瑠衣は、あくまでも対等。どっちが上とか、そういうのはなく。
フィフティ・フィフティ。イーブン。イコール。
そうじゃなきゃ、真っ当な人生の伴侶なんぞになれるわきゃない。
「よし、くよくよタイムなんぞ五秒でいいと昔アニメで言ってた。切り替えろ、瑠衣。明日は何するー? ネトゲの続きでもやるか?」
「……冬悟は、お日様みたい」
「なんだよ急に」
「いっつも、明るくて、眩しくて……あったかいの」
「それを言えば瑠衣は月だよなあ。綺麗だし、神秘的だし、見ていると吸い込まれそうになる」
「……今の会話、ちょっとカップルぽかった。ちょっとうれしい」
「そ、そうか……?」
相変わらずどういう感情なのか、イマイチ図り切れない。
けれども、目の前の彼女はとても綺麗で――本当に、現実味のない美しさがある。
現実じゃないのかと、奇しくも彼女の言葉ではあるが、俺のセリフなんだぞ。
お前みたいな可愛い女の子、本当に現実なのかよ。
でも、彼女はここにいて、俺の腕の中でどうしても息づいている。柔らかい身体が当たってる……ま、マズい。意識すると、下半身に血が……!
「さ、さぁてあがろうか、瑠衣!」
「私まだあったまってないし体洗ってない」
言うと思ったわこんちくしょう。しかし、俺としても気取られるわけにはいかん!
「ん、んじゃ俺は出るぞ」
「背中流してくれないの?」
「もうホント、勘弁してください……!」
「ちょっと残念」
くすっと微笑んで、彼女は浴槽を出て、髪を洗い始めた。俺も出ていく。
「また明日な、瑠衣」
「すぐに行く。一緒に寝よ?」
「瑠衣、いい子だから聞き分けなさい。今日は本気でマズい」
「……わかった」
瑠衣はいい子だ。約束を基本的には守ってくれる。
だからこそ安心して、俺は体を拭き、部屋に戻って、発散して、寝た。
あんないい子に何考えてんだろ、俺。でも普通はあんなことされちゃ考えてしまうわ。
賢者の時間でそんなことを考えながら、浅い眠りにまどろむのを感じていた。
やはりというか、眠りは深くなく、ノックの音に気付けた。
「瑠衣か?」
「うん……」
「しゃーねーな……入って来いよ」
お邪魔します、とぽつりとこぼし、瑠衣が入ってくる。さも当然のように俺の隣に寝そべってくるので、掛け布団を彼女に掛けて引き上げた。何でこの子俺のワイシャツ着て寝てんだろう。相変わらずよく分からん。裾とかから青い下着のラインが時折覗くのが本当にマズい。処理してなかったら確実にヤバいことになっていた。
「……私、冬悟と一緒だとよく眠れる」
「そりゃ俺もだけど。こう毎夜毎夜一緒に寝てると俺麻痺してきそうなんだが」
「そう……?」
「そうなんです」
男心は複雑なのだ。乙女心の方が複雑とか言う意見もあるだろうけど、そんなの女は女、男は男にしか分からない問題があるんだ。根本的に違う生き物なのだよ、俺達。全部わかった気になって否定したりするから、永遠に男女は分かり合えない。
とん、と肩に預けられる、彼女の頭。同じシャンプー使ってんのに何でこんないい匂いすんだろう。訳が分からん。
「寝よ」
「そうだな。明日も頑張らなきゃだしな」
「うん、明日は体育あるし。サッカーは不注意だと危ない」
「んだなー」
とりとめもない会話を交わし、意識を沈ませていく。
隣にあるぬくもり。それが違うのだろうか。どうも、心の底から、俺はホッとしているらしい。
あれだけ寝付けなかったというのに、あっという間に――俺は眠りに落ちていったのだった。
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