七話 1/1夫嫁
翌日には、瑠衣の体調不良はサッパリと治って、外の空気が吸いたいということで、夕方の海岸線を歩いていく。
寄せては引く、黄昏に染まっていく水平線。涼しい潮風が、彼女の甘い匂いを運んできた。彼女の方を向くと、思わず時が止まる。
藍色の髪をなびかせて、その瞳はどこか海の彼方、いや、次元の違う悠久でも眺めているかのような。そんな神秘さを振りまいている。こちらを見たので、俺も我に返った。
すい、と視線を外し、無言で歩く瑠衣に話しかけてみる。
「えーっと……歩くだけって楽しいのか?」
「散歩は良いと思う」
「散歩も趣味なのか」
「うん。いつもは一人で来るんだけど……今日は、冬悟にも付き合ってほしかった」
「言えばいつでも付き合うよ。非常識な時間帯じゃなけりゃ」
「深夜の散歩もいいものだよ?」
「頼むからやめなさい。お前とびきり可愛いんだから襲われるって」
「じゃあ、冬悟と一緒にお出かけすれば大丈夫だね」
「……そーね」
確かに、それなら安全だ。いやマッチョ五人とかなら負けるけど。
静かだ。波音しか聞こえない。なんか、聞くところによると夏場は結構ここは賑わうらしいけど。まだ春先だ。初夏に移ろうかという陽気だけに、水辺に来る人間もいるのだと思っていたのだが、思い込みだったようだ。
手を繋いでくる。俺も左手で握り返すと、何故か、指輪は右の薬指にあった。
「……瑠衣。わざとなのか?」
「何が?」
と言いながら彼女は微笑み、薬指を当ててくる。
彼女は欲しいものをあまり自分の口で言わない。
それは良くないことだ。あまり言い過ぎてもイラっとするけど、この子はちゃんと自分の意志を持つべきだ……というのも、違う話か。
これは分かっててやってることだから。
随分と小悪魔的になったものだと思いながら、俺も心を鬼にして彼女に笑みを向けた。
「俺は馬鹿だから、ちゃんと言ってくれ。俺に、どうしてほしい?」
「口に出したら、台無しだと思うの。ロマンとか」
「はいはい、空気読まない俺が悪ぅございました」
言いながら、彼女の手を持ち上げて、指輪を引き抜く。そして、左手の薬指に、それを嵌めなおした。
「……もう一度、やって欲しかったの。これは練習。結婚式の時に、この婚約指輪は右手の薬指に移動させるから、その、練習。言い訳だ。私は、もう一回ね? 私が、冬悟のものだってアピールしてほしかったの」
「……アホだな」
「ひ、ひどい……」
バッサリと一刀両断したが、そりゃそうだろう。
「お前は、お前のモンだ。俺のモンじゃねえ。でも、そうやって瑠衣をくれるなら、俺も、冬悟という人間をそっくりそのままくれてやるよって話。瑠衣、俺が望むのは対等な関係だ。だから、これからも、俺と対等の婚約者でいてくれますか?」
そんな言葉が、波間の音にさらわれる。しかし、確かに耳に届いただろう。彼女は顔を真っ赤にしながら、嬉しそうに微笑んだ。
「喜んで。……今はまだ、私がつりあうかは分からないけど。いつか、並んでみせる。一人の女の子として、最高の婚約者に見合うように。だから、私を見ていて。私も、貴方だけを見つめてるから。これからも、よろしくね? えっと……ダーリン」
「決めようとしてそれかよ、締まんねー」
「厳しくない……?」
「でも、喜んで。宝石のような君を、ずっと婚約者って特等席で見せてもらうよ、プレシャス」
「そっちこそ気障」
「え!? 悩んだ挙句のダーリンよりマシじゃね!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎは静かだった浜辺に響いていく。
凪いだ海にも響いて行けばいい。海の向こう、空の果てまでも。
息を吸い込む。ありったけの、言葉を、形にする。
「好きだァァァァアアアア――――――――ッ!!」
爆発的な声量が響き渡る中、対抗心を燃やしたらしく、瑠衣も海に向かって叫ぶ。
「負ける、もんか! 好きぃー!」
「はいお前の負けー、俺の愛の勝ちー、ざまあみろ」
「むぐぐ……! 次は負けない……! 声、鍛えてくる」
「んじゃ今度カラオケでも行くか。皆誘って」
「いいアイディア」
こうして、友達の輪も広がっていけばいい。
人生、まだまだ捨てたもんじゃないと、瑠衣が思ってくれれば、もうそれだけで俺は報われる。
これから歩く道は決して平坦じゃない。瑠衣にもまだ偏見は残っているし、俺だって理事の孫だから、目下の課題は中間考査。十位台くらいに乗らないとカッコがつかない。
俺一人なら投げていたかもしれないけれど。
左手の中のぬくもりが、明日への元気と勇気をくれる。
「……ふふっ」
嬉しそうに瑠衣が微笑むだけで、前向きになれる気がした。
その後、陽が沈みゆき、伸びていく二人の影は、その太陽が沈むまで、寄り添いあっていた。
できれば、遥かな未来もそうなっていて欲しいと。心からそう思いながら。
素直クールな君と 鼈甲飴雨 @Bekkou
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