六話 運命線上の番 3
眠った瑠衣を見届け、俺は一階に降りる。
目の前にいる、少し背の高い女の子を、俺は努めて冷静に見据える。
「……で。瑠衣は寝てるけど、起こすか?」
「いや、いい。君の言う通りだ。アタシの行動は、自己満足でしかない。……怒ってくれて、ありがとう、天馬君。アタシはまた、アタシの都合を押し付けるところだった」
「いいのですか? 恭子」
「……加害者が会っても、やっぱり恐怖だろうし。そこらへん考えてなかった。そんなの、相手の身になったら、すぐに考えつくのに。……謝りたいってだけじゃダメだって、天馬君は教えてくれたんだよ。天馬君、この手紙をアタシの前で改めて欲しい」
俺は手紙を受け取り、中身を読んでいく。謝罪文だった。さらさらと書いていないのは分かる。筆圧が強い。最後に、「本当にごめんなさい」と綴られ、文章が閉じている。
俺は他に何もないか調べなおし、それを封筒にしまいなおした。
「確かに。元気になったら渡しとくよ。にしたって、何で病気の時に来るかね」
「謝罪しに行こうと思った日が今日だったんだ。学園は休みだろうし……」
「ま、一応伝えておく。それと、雑炊のレシピありがとう。助かった。でも、もし今度瑠衣に何かしたら――」
「しない。人をいたずらに傷つけないことを、アタシは誓ったんだ。自分に。……いつか、また会いに来る」
「はいはい。会長も、また」
「はい。瑠衣さんによろしくお伝えくださいな」
竜胆恭子と名乗った女子と、青空会長は去っていく。
「あれが竜胆先輩かぁ、瑠衣っちに因縁吹っ掛けてたって言う」
「みたいだな。婆ちゃんも甘いな、ああいう奴は社会復帰もできないくらい叩き潰すものかと思ってたけど、転校してるとは。いや、それじゃ瑠衣が逆恨みされるか。なるほど、難しい塩梅だな」
どちらに禍根が残っても後々めんどくさいことになる。婆ちゃんも中々考えてるな。さすがだ。
恐々とこちらを伺ってくるのは、笹見だ。
「冬悟って実は性格苛烈?」
「いや、俺は単に敵味方の区別はしっかりしてるだけ。敵は徹底的に嫌いだし、好きな奴はベタ甘だ。そんだけ。単純だろ」
「おーう、夕飯買って来たよー。茹でるだけ、スープをあっためるだけのうどんセット!」
キャス先生も戻って来てくれた。教員仲間に頼んだらしいんだけど、意外にちゃんと交友を持ってるのが意外だった。
「あざーす、キャス先生。おお、てんぷらも買ってきてる!」
「ヘイお嬢ちゃん可愛いね、って言われたから海老天と丸天とコロッケ買ってきちゃった」
「えー、キャス先生コロッケうどんに乗っけるの? マジで?」
笹見は意外そうな顔をしていたが、椿には理解があるようで、頷いていた。
「コロッケ蕎麦とかあるよ、朱里ちゃん」
「ま、マジか……なんかカルチャーショック」
ミラーナは何か考えているようだ。視線がふと下に向く。
「どんな味なんでしょうか……。いや、意外に中身が崩れて意味がなくなるのでは?」
「そのスープと一緒にぐずぐずになったのが美味いんじゃんか。分かってねえなあミラーナよ」
得も言われぬコロッケうどんの美味さよ。あっさりとした出汁に油のコクが広がり、尚且つじゃがいもとひき肉が溶けだすことでさらなる旨味を生む。
サクッとしている初期段階にかぶりつくもよし、ぐずぐずにさせて麺と一緒に吸い込むもよし。
コロッケうどんは、最高だぜ。
「でも実際に食べたことはわたしもないなあ」
「よーし、今度みんなでミャキノ行くぞ。瑠衣ももちろん一緒だ。外出許可の申請は俺に任せろ」
「おお! 頼もしい!」
「ふふん、ガードマンとは飯食いに行く仲だし、理事の孫だぜ俺は。特権はバンバン使う」
「いよっ、さすが冬悟! 容赦ない!」
「コロッケうどん、美味しそう……!」
「楽しみにしてますね、冬悟君」
「おう」
その後、騒がしくすると起きてしまうからと同級生三人も帰ってしまった。
俺は自室へと戻る気分でもなく、キャス先生と二人、スマホを弄っていた。SNSでは色んな情報が飛び交っている。その情報をある程度任意で制御できるからか、欲しいと思ってた情報が結構ピンポイントにとんでくるわけだ。
「あたしさ、思うわけよ。有坂の婚約者ってのがあんたでよかったなって」
「何すか急に」
「聞いて。……竜胆のいじめの現場を見たの、あたしだったんだよ。思わず写真に撮って、それから通報してさ。……それから有坂の様子をちょくちょく見るようになってたけど……彼女と、誰も関わろうとしなかった。あたしも拒絶されてたもんね。粘着しても粘着しても、彼女は心を開かなかった。でも、冬悟が来て変わった。物凄く、楽しそうな顔をするようになったんだ。ウキウキしてるのが分かる。毎日楽しそうなのが分かる。そんな変化をくれた冬悟には、なにかご褒美みたいなのがあっていいかなーって思うんだよ」
「え、この状況がすでにご褒美なわけですが。美少女とひとつ屋根の下、更には幼女まで付いてる」
「え、幼女ってあたし? 張り倒すよ? あ、いや、冗談です! ニコニコと拳を振りかざしながらにじり寄ってこないで!?」
「……話を戻しますが、俺は普通のことをしてるだけです」
「とは思えないなー。キミは一見馬鹿っていうか、まぁ馬鹿なんだろうけど、その行動からは優しさが伝わるもん。並以上の。というか、一緒に寝てる時に手を出してないのがマジで誠実。あんな女の子と一緒なら手を出すのが普通じゃん。よく我慢できるよね?」
「毎度、ラスボスとの戦いを強いられてるみたいでホントにもう……。でも、俺も瑠衣と一緒だと、よく眠れるんだ。びっくりするよ。俺、深い眠りに落ちたことってあんまりないんだよね」
いい匂いとかして、当たってくる体はやわっこくて、理性は毎度ギリギリだけど……寝ている時、起きないのだ。いつもなら、薄ぼんやりと意識だけはあるのだが、それがなく、本当に眠りが深い。
「深い眠りて……死んでるみたいな言い方すんなよ」
「ニュアンスでわかってニュアンスで。……人肌がいいのか、一緒にいて安心するのか。どっちかは分からないけど……本当に、瑠衣と一緒だと落ち着くんだ。だから、一緒に寝るのは嫌じゃないよ。まぁ、夏場は暑そうだけど。瑠衣のやつ意外と体温高いからな」
「うん、キミやっぱ普通じゃないって」
「え!? どこが!? ミスター一般人とまことしやかに囁かれるこのナイスガイが!?」
「その馬鹿丸出しな言動さえなければモテモテなんだろうなあ……」
「キャス先生意外にひどい……」
あはは、と笑いながら、キャス先生はこちらのスマホを覗き込んでくる。ファンタジーRPGのフルオートの戦闘が流れていた。
「おお、面白そう。なにそれ!」
「スカイレッドファンタジー。惰性で続ける。やる?」
「やるやる! あ、やっぱガチャある?」
「あるけど、しっかりやってりゃ無課金でも余裕余裕」
「よーっし」
そして、俺達は夜までソシャゲに興じていた。
うどんを食べ終えて、しばらく。瑠衣が体を拭いてもらいたいということで、さすがにキャス先生にお願いして、俺は寝る準備をしていた。
よし、洗濯機タイマーと洗剤の分量よし。歯も磨いたし、そろそろ寝よう。
俺は瑠衣の部屋にノックをした。
「はい……」
俺はドアを開けて、瑠衣のところまでずかずかとやってくると、少し奥へ彼女を押しやり、寝転がった。
「? ど、どうしたの……?」
「どうしたって……一緒に寝るんだが?」
「ば、ばか……! わ、私、まだ汗臭いかもしれないし……ふ、布団だって……! それに、うつっちゃうよ……?」
「いつも問答無用で入ってくる仕返しです。甘んじて受け入れなさい。後俺は馬鹿だから風邪引きません、ざまあみろ」
「ううう……」
どこか受け入れられない、という表情をしていた彼女だが、俺はそんな彼女の手を取る。そのまま、仰向けに寝転がって、目を閉じた。
「……いつもは、色々言うくせに」
「ふはは、言ったろ仕返しだって。大人しく寝なさい」
「……ばか」
そう言って、彼女は目を閉じる。
「……家事、できなくて、ごめんね」
「何言ってんだ。風邪ならしゃあないだろ」
「ご飯、美味しいものを食べてほしかったのに」
「たまにはテイクアウトのうどんも良いもんだぞ。瑠衣もたまにはピザとかとって楽しようぜ」
「…………私、頑張るから。冬悟に相応しい、お嫁さんになるから……」
「ばーか」
俺はそう言って、瑠衣の頭を撫でた。おずおずとこちらを見上げる彼女に、微笑みかける。
「俺の方がつりあってねーの、分かれって。こんな一般ピープルがお前みたいな美少女のお嫁さん貰うとか普通ねーんだって。……瑠衣は、もちっと自信持って。だってお前さ、スッゲー頑張ってんじゃん。誰から見てもそうだと思うから、ちょっとは休め。休むのも仕事のうち! それができてないようじゃ、まだまだだな、瑠衣」
そんな軽口を叩くと、瑠衣はまた涙ぐんでいる。こんなの特別な言葉じゃない。あれだけ頑張ってくれれば、普通の言葉だ。だから、そんな嬉しそうにしないで欲しい。
「……ありがとう、冬悟。一緒にいてくれて。心強いよ」
「気にすんな。……俺眠いから寝るぞ」
「うん、おやすみ」
俺の意識はそのまままどろんで、睡魔に溶けていった。
◇
冬悟の横顔を見る。
安心している顔だ。この安心は、私がいるからなのか……というのは、残念ながら分からない。
けれども、とても――その顔が、愛しくてたまらない。
私が心細いだろうって思って、来てくれたんだよね? 実際、一人で寝ていると、何だか寂しかったし。
こんな、体調不良で仕事ができなかった出来損ないに……何で優しいのか、よく分からなかった。
やるべきことをやらないと、怒られるんじゃないの?
でも、彼は言った。私は、充分頑張ってるって。
その言葉が、心に突き刺さって、じんわりと熱を持つ。その熱は心を温かくしていく――欲しかった言葉だ。頑張ってるなって言葉は。
いつも、いつも。
なんでこの人は、こんなに欲しい言葉をくれるんだろう。
どうして、こんなに――それが愛しく感じるのだろう。
好きだ。そんな気持ちが溢れて止まらない。
目の前の彼の唇を見ないようにする。今、顔を見たらだめだ。絶対に、キスで止まらない自信がある。
それでも、彼に触れていたくて。
体を、少しだけくっつけてみる。
心臓が、早鐘をうつ。血液が回って来たのか、頭がぐるぐるする。
あれだけ寝たのに、それでもまだ疲れていて。
私は、そのまま寝てしまった。
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