六話 運命線上の番 2

 んんん……? ケータイが鳴ってる……? 俺のじゃない……着信音が全然違う。


 見れば、隣で寝ていた瑠衣がむくりと起き上がる。寝起きの瑠衣は覚醒するまで猶予がある。今日もぼんやりとして、五分後くらいに立ち上がった。


 鳴動してない俺のスマホを確認する。朝の四時……? 瑠衣にしては早過ぎる時間だ。


「瑠衣、早くない……? まだ四時だぜ?」

「これくらいが妥当。行こう、しっかりした服装で。動きやすくて丈夫な服がいい。長靴があればそれを」

「???」

「行くよ。……磯釣りに」


 …………あー、なるほど。そりゃ危険だわ。





 釣りという漁法がある。一匹一匹魚を針に引っ掛ける、昔ながらの技だ。しかし、網とは違い一匹ずつだし、狙った魚を釣り上げることは難しい。効率的ではないのは明らかだった。とはいえ、針の大きさと糸の太さで大体はサイズを絞れる利点も存在するらしいが。


 釣り好きが言っていた。釣りとはその非効率を楽しむものだと。釣り以外のレジャーがあってようやく釣りは楽しくなるのだ、と。


 そんなことを思い出しながら、まだ暗い海へ。歩いて三十分くらいのところに砂浜が。その奥に磯がある。俺は岩場に強いだろうマウンテンシューズを相棒に、水を弾く長袖長ズボンで蛍光色姿の瑠衣を追いかける。俺はクーラーボックスも持っているためか、少し遅れていた。


 少し位置の高い岩場に俺達は腰を降ろした。キャス先生も周囲に気を払いながら、登ってくる。


「ふぃー、釣りかぁ。久々だね! で、何狙うの有坂?」

「チヌ」

「チヌって……なんだ?」


 生憎と魚についてはド素人で、チヌすら聞いたことがない。


 そんな俺を馬鹿にもせず、瑠衣は仕掛けを準備しはじめる。すげえ臭いだ。オキアミ、と書いてある。まぁ、小さなエビに似た生物を解凍したらしく、赤いドリップが滴っていた。手慣れた様子で、確かハリスという糸を結び始め、ウキや錘、針などを器用にセッティングしていった。その作業の中で、返事が戻ってくる。


「クロダイのこと、こっちだとチヌって呼ぶの。白身で美味しいよ。春から夏が旬」

「おお。俺、バスフィッシングはやったことある。投げる奴だよな?」

「大体同じ。今回は、浅瀬にまでチヌが来てるから、そんなに投げなくていい。餌もオキアミだしルアーみたいに巻いたりしなくていい。チニングしても楽しいけど、ルアーフィッシングは疲れる」

「浅瀬に来てるって……なんでわかるんだ?」

「ネットで見た。この時期、チヌは産卵のために浅瀬に来るの。で、産卵には体力使うから、餌をいっぱい食べる。だから、狙うなら朝のまずめ時。夕方でもよかったけど、油断する帰りがけに暗いのは危ない。日が昇ったら釣りも終わりだから、朝の方が危険は少ない」

「なるほどね。引率ありがとうっす、キャス先生」

「いーって。その代わり釣ってフライにしてね!」

「……チヌのフライって作ったことない。やってみようかな」


 と言いながら、針にオキアミをセットし、早速仕掛けを投げていく。ウキのついている仕掛けのようだ。


 ずい、と俺も竿を渡される。


「投げてみる?」

「お、おう」


 リールの金属の半円状のパーツを立てて、糸を指で引っ張る。誰もいないことを確認し、そこそこの距離をめがけて竿をしならせ、指を離す。反動と重みで、仕掛けが離れたくらい海の中へ落ちていった。蛍光ウキが薄ぼんやりと光る。


「初心者にしては上手。あそこ潮目がうねってるから。何かいるはず。ただ、直接狙うのは良くない。流されてたどり着くのが理想。」


 言いながら、瑠衣は空を見上げた。つられて、俺も上を見る。


 月が綺麗だ。沈みかけているそれを眺めながら、ウキにも視線を配る。ふと、瑠衣の気配が消えた。と思ったら、リュックをごそごそしている。


 ん、携帯用のストーブで瑠衣はお湯を沸かしている。瑠衣もリュックを担いでいたのだが、中身はそれらしかった。転がるカップ麺。それとは違い、まずは紅茶のティーパックを手に取った。


「アールグレイとダージリン、どっちが好き?」

「違いが分からんのでどっちでも」

「あたしアールグレイ!」

「分かりました。ダージリンは茶葉の種類、アールグレイはフレーバー。アールグレイは柑橘が香るの」

「……ん? それってダージリンを使ったアールグレイなんかもあったりするのか?」

「あるところにはあると思うよ。まぁ、美味しく飲めればいい。初心者にはセイロン系を勧める。ダージリンはちょっとアイスティーにしたりだとか放置すると濁りやすいし、アッサムは苦みが出がち。キームンとか他にもいろいろあるけど、芳醇な香りのダージリン、濃厚なアッサム、意外に種類はあるけど基本的に飲みやすいセイロンを覚えておけば大丈夫。そしてアッサムのバニラ系ブレンドは大体地雷。どう淹れても苦いことが多い。ミルクティー用に作られてるとしか思えない」


 紅茶好きにしか分からない話のようだったが、キャス先生は頷いて、パックの入った取っ手付きのタンブラーを受け取る。俺も同じものを渡され、少し飲んでみる。まだ熱いお湯でしかない。もう少し待つか。


「瑠衣は何、それ」

「セイロン。ウバなの。少しスーッとする匂いだけど、ミルクを入れると華やかに匂い立つのが好き」


 ストローを差すタイプの牛乳まで用意してら。そういえば、瑠衣はミルクティーをよく飲んでいるな、と思い出す。俺は人の飲み物にまで興味はなかったが、瑠衣はそこらへんもこだわりがありそうだ。というかそんなに趣味に幅があったなら月二万は全然足りないのでは……?


 ウキの方に視線を――あれ、水中に沈んでる?


「瑠衣、ウキ沈んでるんだが」

「引いてみて」


 グイ、と竿を立ててみたら、思いっきり引きが! 必死に巻いていく。竿先をしならせて、魚を引き寄せていく。ビビビビ、と竿から動く魚の感覚が伝わってくる。


「で、デカくねえか……?」

「タモを準備するから、十秒耐えて」


 仕方なく、水面に来ている魚をリールを巻いて引き寄せ続ける。そのまま竿だけで持ち上げると、いくら頑丈な磯釣り用の竿と言えど折れるかもしれない。タモを待とう。


 瑠衣が素早く水面にタモを突っ込み、魚を引き上げてくれる。


「おお、良型。四十五センチはありそう。かなり大きいよ」

「や、やったぜ。ほら、キャス先生も魚っすよ!」

「おお、でっぷりしてて美味しそー!」

「いきなりヒットとは。さすが冬悟、持ってる」

「そ、そう? それほどでもあるぜ」

「謙遜しないんかい!」


 紅茶を飲みながらスマホを弄っていたキャス先生が俺の写真をパシャリと撮る。何かにあげるんだろうか。別にいいけど。


 俺は針を外す。瑠衣が手を伸ばしたので魚を握らせると、瑠衣はその場で締めに掛かった。ナイフで。エラのところにナイフを刺している。うわ、えぐいけど……大事な処理なんだろうなあ。お腹にもナイフを入れ、内臓とエラを取り出し、それを生ごみ袋に入れている。海水にしばらくつけて、それから何度かすすいだらクーラーボックスの中へ。その様子は手慣れている。


「瑠衣、すごいな」

「陸に上がって苦しい思いをさせるのもどうかと思って。それに、ちゃんと血抜きした方が生臭くないし」


 そういうものなのか。


 俺としては海水を汲む折り畳み式のひも付きバケツの方が気になったが、まぁあると便利そうだ。


「さ、この調子でバンバン釣ろう」

「釣り過ぎたらどうなる?」

「三匹釣れたら帰ろ。朝ごはんにカップ麺食べてから。外で食べると美味しいよ」

「アウトドア派だなあ、瑠衣は。部屋にこもって冷房ガンガン効かせた部屋で食うカップ麺もいいじゃん」

「それはそれであり」


 瑠衣はおかしそうにこちらを見ていたが、良いじゃん。俺は夏には冷房を入れて鍋を喰い、冬には暖房効かせてアイスを喰うような男だ。


 けれども、外で食べるカップ麺というのは、なかなかどうしてトクベツ感があって。


 二百円もしないご馳走を、俺達は堪能するのだった。





 そこまでは、良かったんだが。


 急に天気が変わり、雨が降る。帰り支度を始めて砂浜を歩いていた時に降り出したのでたまったものではない。海や山の天気は変わりやすいと聞くが、こうも牙をむかれるとリアクションに困る。


 普通に瑠衣達を風呂に押しやり、俺はとりあえず着替えて、風呂上がりを待って、彼女達の後にシャワーを浴びた。熱いシャワーが冷えた体に染みる。


 しかしせかした形になったのがいけなかったのか。その後、魚を捌いたのがダメだったのか。


 キャス先生は無事だったが、体がだるいと眠りに行った瑠衣が、発熱を引き起こした。


 最近、少し夜更かしもしてたらしいし。そういえば潜り込んでくる時間も、二時とかそこそこ遅い時間だった。体も弱って然るべきだ。


 自室で寝込む瑠衣。彼女の部屋は雑然としており、様々なものが転がっている。先ほど使ったと思われる釣り竿は出しっぱなしだ。パソコンが置かれてあったり、その周辺にはペンタブやオーディオインターフェースなどが置かれ、なんかスタジオなんかでよく見るマイクなんかもある。野球のグローブやサッカーのボールなんかが整然と置かれてはいるが、どれも使用した跡がある。多趣味らしい、瑠衣の部屋だった。


 汗ばんだ顔。貼りついた髪の毛を除けつつ、額に急いで買ってきた冷却シートを貼る。


「あ……気持ちいい……ありがとう、冬悟」

「ったく。釣り竿は、何か手入れしなきゃなんだろ?」

「それは、後で自分でやる……。今は、寝たい」

「そーかそーか」


 彼女の手を握る。困惑してる様子だったが、キュッと彼女は手を握り返し、微笑んでいた。


「風邪の時って心細いよな? しばらくいるから」

「うん……。ありがとう、冬悟。でも、うつっちゃうよ?」

「ぬはは、俺は馬鹿だから風邪は引かんのだ!」

「……もう」


 仕方なさそうに苦笑に表情を変え、彼女は目を閉じる。


 すぐに寝息を立てはじめた。苦しそうだ。俺は、ただ彼女の柔らかくしっとりと汗ばんだ手を握り続ける。


 こんなことで具合が良くなるわけでもない。市販薬で熱が下がらなければ、病院に連れていかなきゃだ。でも、熱出てる時って心細くなるんだよな。


 だから、眠るまで手を握っていよう。


 そう思い、華奢なその手を、両手で包み込んだ。


  ◇


 熱を出すなんて。本当に、どうしちゃったんだろう。自己管理くらいしっかりしてたつもりだったのに。


 私――有坂瑠衣は思う。何で、こんなふうになっちゃったんだろう。情けない。お昼を作らなきゃいけないのに。洗濯物をどうにかしないといけないのに。釣りの道具を片付けなきゃいけないのに。


 冬悟は、お腹空いてないかな。キャスリン先生も大丈夫かな。


 ……気が滅入ってる。


 そうしたら、昔のことを、ふと思い出した。


 父親と母親は、いつも喧嘩をしていた。

 私が、こんな容姿だから。


 父は母の浮気を疑い、母はそのことに激怒。つられて父も怒鳴り散らす。


 怖かった。私のせいだって分かってた。だから、両親の前には極力姿を出さなかった。


 学校に行っても、全然楽しくない。


 男子は虐めてくるし、女子からも仲間外れにされて。


 小学六年の冬、お母さんは私を自分の子供じゃないと吐き捨てて出ていった。


 それっきりだった。


 他に頼れるものがなかった私は、児童養護施設に引き取られた。いや、正確に言えば、引き取られる間近だったのだ。


 支援者の一人である、天馬梅子に才覚があると言われ、流れるままに引き取られた。


 どうでもよかった。


 私を愛してくれる人はいない。この人も、どうせ私を見限る。気持ち悪い、人形みたいと、母や同級生と同じことを言って、距離を取るんだ。


 そう思っていたんだけれど、ちゃんとした私立中学に行かせてくれた。恩は受けた。頑張って返そうと思った。学業以外に時間を取らず、勉学に全てを捧げた。


 そんな私を見兼ねたのか、趣味を探せと命題が下った。


 様々なことを試すようになったけど……何をやっても義務のような気がして。


 でも、道は見えた気がした。


 たくさんの教養を身に着け、将来役に立てる大人になる。できれば、天馬女学園の教師になって、恩を返したかった。


 高校にも進学させてくれることになって、生活費以外はいらないと私は宣言した。そこで、勉学を頑張って、特待になる。一年の頃、先輩のあの人――竜胆恭子という人間から暴言を吐かれて、殴られたところを偶然見られたことで消えていった。そこから周囲の人間が遠巻きにこちらを見るようになった。


 どうでもよかった。どうでも、よかったんだ。


 人付き合いが本格的になくなって、勉強に集中した。


 でも、三月末のテストで基準に満たなかった。頑張ってた勉強が、通用しなくなっていった。


 元々、私の特待はギリギリだった。学年十位以内というハードルは高い。いつも七位から九位だったんだけど、十二位という暗澹たる結果に沈み、バイトをしなければならなくなった。


 どうしようかと考えていた矢先、男子が転校してきた。


 それが冬悟だった。


 彼は身内を大切に思ってる。梅子さんを貶されるとすごい剣幕で怒りだしたし。女子目当てじゃないと証明するため、恥を投げ捨てるように服を脱ぎ捨てることができる。そんな光景に、呆気に取られていた。何を考えているんだろう。どうやったらそんな振る舞いができるんだろう。恥も外聞も捨て、思ったことを直情的に話すことができるその人を見た時、ドキッとした。


 それは、周囲への理解を求めない自分への――全てがどうでもいいと嘯く私への、強烈なアンチテーゼだった。彼の行動は、ちゃんと彼自身を見て欲しいという表れだった。


 私はどうだ? 他者に理解を求めるどころか、どうせわからないと蹴り捨ててなかったか? 周囲に理解されるような、してもらえるような、そんな努力をしたのか? 本当に? 勝手に諦めたのではないのか?


 モヤモヤを抱えたまま、昼休み、理事長に呼び出され、そこで今に繋がる話をされる。


 理事長が持ち掛けてくれた。バイトの話を。お孫さんのお世話をすれば、お世話代も含めて不自由しない金額を渡してくれると。


 あの人のお世話なら、是非やらせてほしいと思った。


 どうせなら婚約しろと言われたので、することにした。その時は、まだ……それが私を守ることになる、という事情を知らなかった。考えもしなかった。


 それでも、承諾した理由としては。


 将来結婚するなら、ああいう人がいい、と単に思ったから。不平不満を全部言ってくれて、遠慮のない人。恩人のお孫さんだし、全然ありだ。


 けれども、実際に冬悟と会って、話して――考えが、変わった。


 自分が何て不釣り合いなんだと思うほど、彼は素敵だった。


 私のコンプレックスや周囲からの視線を、あっという間に覆して、私の欲しかった居場所や、愛情を無条件でくれる。

 指輪のサプライズの時なんか、頭が真っ白になった。関係を公に認めてくれるし、認めて欲しいと私に選ぶ権利をくれた。それだけでも嬉しいのに。ちゃんとした形として、指にはめておける指輪という存在は、トクベツ感があった。金属の手入れは欠かしていない。私史上、もっとも嬉しくて、衝撃的で、温かいプレゼントだった。


 幸せだった。

 幸せ過ぎて、怖かった。


 これは夢なんじゃないかと。こんな私に都合のいい話が、本当に、あるわけがない。


 そう強く思うと、彼の傍に行く。


 一緒に寝ている彼の体温を感じてると、よく眠れた。安心しきっている自分がいるのだ。目を覚ませば、好きな人が傍にいる。愛しい寝顔が傍にある。それだけで、これが現実だって分かるし、この上なく……多幸感があるのだ。


 男の人に性欲があるのは知ってる。私にも可愛いって言ってくれる人なんだ。色々我慢してるはずだ。


 それでも、彼は努めて紳士であろうとした。我慢できない人もいるのは、何となくそういう情報や漫画で知っている。


 抱きしめられると、おかしくなってしまう。


 頭を撫でられると、蕩けてしまう。


 手を繋ぐと、笑顔が止まらなくなる。


 一緒に寝ていると、温かくなる。


 まだ一ヶ月も一緒にいないのに、冬悟は私の中に強く息づいていた。あまりにも鮮烈だった。目を閉じている今でも思い出せる。その顔、その笑み、その匂い、その息遣い。こんなにも……こんなにも、私の中に、冬悟がいる。


 でも、本当に愛されているのか、ちょっと分からない。


 襲ってこない。それって、魅力がないから……? いや、そうではないのは分かる。だって、冬悟、いつも一生懸命に百面相してるもん。多分、性欲と戦っている。


「……?」


 下が、騒がしい……?


 様子を見に行きたいけど、まだ体がだるくて十分に動かない。なんだろう。何が起きてるのかな。


 そのうち、いい匂いが。お出汁? あれ、料理できてたっけ、冬悟。キャスリン先生の可能性もあるけど……。


 ん、階段を登る音。ノックされる。


「瑠衣、入るぞー」

「うん」


 入ってきたのは――


「や、やっほ、瑠衣ちゃん!」

「ハロー、瑠衣っちー。ダイジョブ?」

「お邪魔します、瑠衣さん。ふっふっふー、全員で協力して、雑炊を作ってきました!」


 新しくできた友達だ。椿さん、朱里さん、ミラーナさん。


「こ、これ。定番のゲタレド」


 椿さんがペットボトルを置く。定番……なんだろうか。確かに、スポーツドリンクは校内に三種類あるけど。マイナーな気がする。ありがとう。


「あたしからは予備の熱さまし! まぁ、足りるだろうけど」


 朱里さんの心遣いもありがたい。予備があって悪いことはないし。


「ワタシはネギを持ってきました! 首に巻くと良いそうです!」

「いやそれはないって」「どこ情報だよ」「お尻の穴じゃなかったっけ……?」

「え!? ワタシミスチョイスでしたか!?」


 思わず笑ってしまった。全員笑ってるけど、ごめん、ミラーナさん。ギャグだと思ったけどマジボケだったんだね。ネギありがとう。


「みんな、ありがとう」

「で、これよ」


 テーブルに鍋敷きを置いて、どの上に冬悟が持っていた土鍋を置いた。


 ベッドを出て、テーブルに移動する。


 土鍋を開けると、ふわんと出汁と醤油の匂い。卵雑炊のようだった。


「誰が作ったの?」

「一応、俺。俺もスキル低いだけで煮て焼くくらいはできるんだぜ?」


 ニッと笑みを浮かべる冬悟に微笑み返す。


「でもレシピ知らんから友達に片っ端から連絡して、んで実践。試作は俺とキャス先生の昼飯になったって寸法よ」

「洗濯物はあたしらがやっといたよ。見られるのやーでしょ?」

「冬悟なら、別にいいけど」

「うお、おあつーい! うっわ、ここだけ熱帯じゃね!?」

「うわー、笹見そのキャラなにそれ。絡みだるくね?」

「だるいとか言うなよー。ほれほれ、熱いうちに食べちゃいな、瑠衣っち」


 レンゲを渡される。正直、そんなに食欲はなかったけど、こういう時は食べなきゃいけない。体が弱っているからこそ、栄養を。無理ない範囲で。


 食べてみる。少し、醤油がとがってるかな。でも、美味しい。じんわり、内部から温めてくれる。ほんのり生姜の匂いもした。生姜は体を温めてくれる。塩っけくらいしか感じない今でも、ちゃんと美味しいって思える。


 気遣いにあふれていて、こんな、美味しいごはん、食べたことがない。


「あれ……?」


 一滴。また一滴。ぽたぽたと目からしずくが落ちていく。


 全員が慌てている。心配かけたくないのに。


 そんな中、分かってるよ、と声を掛けて、背中をさすってくれる――冬悟の、大きな手が。


「大丈夫だぞ、瑠衣。こんなの普通だ。みんな、友達のお前が心配でここにやってきただけ。普通のことだ。慣れてけよ、こんなの。ちゃんと迷惑かけろ。んで、ちゃんとできる範囲で返せばいい」


 こんなに嬉しいのが、普通なんだ。


 普通って、いいなあ。


 そんなことを思いながら、ご飯を食べる。


 熱が幾分冷めて、食べやすくなっている。私はそんなに熱々のご飯は得意じゃない。少し冷めたくらいがご飯の甘みを感じやすいと思う。


 適温になった雑炊は、とってもおいしくてすぐに食べ終わってしまった。


 みんな、何気ない話題を振ってくれる。


 風邪って久々に引くとどうとか。冬悟とはよろしくやってるかとか。中間考査の話や対策にもなっていく。


 一人は落ち着くことができる。でも、この賑やかさが与えてくれる安堵感には及ばない。


「冬悟、少し眠るね」

「おう、そっか。おやすみ、瑠衣。笹見、椿、ミラーナ」

「おうさ。おやすみ、瑠衣っち」「早く、よくなるといいね!」「明後日の学校、無理はしないでくださいね?」


 友人に見守られながら、目を閉じる。


 眠りは、やけに呆気なく、訪れるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る