一話 多趣味の人に見る心 2

 購買部は驚きの規模だった。文房具から食材まで豊富に取り揃えている。デカいショッピングモールがあり、中には本屋はおろかゲームショップやゲーセンまである始末だ。どんだけ金持ってんだよ。確かに街に行くには申請がいるのも納得だ。この施設の中に存在しないものなど、強いて挙げれば流行りのグルメくらいか。


 しこたま食材を買い込んだ翌日。俺はメンツを集めることにした。


 朝。一限目まで結構時間がある。自分の席に座って小説を読んでいた椿の視界の中に入り、手を振ってみる。


「よう、椿。バーベキューするんだけど、お前来ない? 俺と瑠衣が来るんだけど」

「瑠衣……? ああ、有坂さん! だ、大丈夫なの? 彼女、何だか近づくのも恐れ多い美少女なんだけど、わたし嫌な顔されないかな……?」

「思ったよりフツーな奴だしヘーキヘーキ」

「いやいや、どう仲良くなったんよー」


 笹見も首を突っ込んできてくれた。誘う手間が省ける。


「俺からダル絡みしてな。瑠衣をみんなに紹介したいから、こいやコラァ!」

「おう、行ったるわ! 学園の孤高の高嶺の花、有坂さんと仲良くなるチャンスじゃ!」

「ちなみに笹見、どういう噂されてんの? 瑠衣のやつ」

「あー、うん。ちょっとお耳を。それとキレないって誓って」

「分かった」


 良くない話なのは分かった。


 耳を貸すと、ぽしょぽしょと笹見が教えてくれた。


(あの容姿っしょ? 上級生から一時目をつけられててさ。因縁つけてたそいつは理事長にバレて退学になったんだけど、何か本人はけろっとしてるし、近づきにくいねって噂が独り歩きしててさ……。用事とかある時話してると、んなこたないってのは分かるんだけど、噂を知ってんのか本人が積極的に他人と絡もうとせず、距離とってる感じ)

「なるほどな、よく分かった」


 そういうバックボーンだったのか。理解した。あいつがどこか壁を作ろうとしてたのも、自己肯定感が低いのも、そう言うことなら察しが付く。


 水臭いじゃねえか仮にも許嫁に。こんなことを秘密にしてたなんて。いや、あいつの性質上、全部抱え込むのは短い付き合いでもよく分かっていた。


 だからもうそんなことはさせねえ。無理やり俺も背負ってやる。仮にも許嫁なんだし。


 無駄に盛大にしてやるわ、今日のやつ。


「笹見、お前知り合い中に触れ回れ。俺の自腹でバーベキュー大会するって。瑠衣も参加するってのを忘れずにな」

「オッケー! 何人来てもいいんだよね?」

「三十人程度で。それ以上は俺の財布が死ぬ」

「自分で集めろし、と言いたいけど、まぁ印象が違うか」

「そういうこった。俺からだと警戒されるだろうからな」

「りょかりょか。んじゃ音速で触れ回っとく。今日の夜だよね?」

「おう」

「オッケー!」

「おう。俺ちょっとトイレ」

「おうさ」


 職員室前しかないんだよなあ、トイレ。何とかしてほしい。

 用を済ませて出ていくと、婆ちゃんの姿。丁度良かった。


「婆ちゃん、今日バーベキューするんだけど、火を使うの許可いる?」

「話は通しておくわ」

「サンキュー」

「……有坂さんをお願いね。あの子、いつも一人で抱え込むのよ。責任感が強い良い子なの。あんたの許嫁になったから、心配はいらないだろうけど」

「大丈夫だよ、婆ちゃん。任せとけ」

「その根拠のない自信、爺ちゃんに似てるわね」


 嬉しくねえ。せめてイケメンで有名な俺の父ちゃんに似ててほしかった。


 教室に戻ると、笹見が片手をあげた。


「おー、集まったよ」

「早っ!」


 超スピード過ぎねえ?


「生徒会長が来るってなったら後は一瞬。先着三十名にしといた」

「笹見サンキュー、マジで。これ、よかったら」

「お! ショッピングモール高級菓子、フランブランのチョコアソートじゃん。やったぜ、女子メンツとシェアリングしてくる!」

「おう」


 ミラーナにも声を掛けておこう。渡すものもあるし。


「ミラーナ、はいこれ」

「? あ、シャーペン……可愛いデザインですね、三毛猫ちゃんの」

「この間俺達へのツッコミで使っただろ。ギャグとはいえ破壊しないでくれ」

「す、すみません、ついノリで……。大事にしますね」


 握り心地を確認するミラーナに、本題を切り出す。


「んで、ミラーナにもバーベキュー来てほしいんだ」

「先着、間に合いませんでしたが……」

「特別枠。俺の親しい友達だから、是非瑠衣に紹介したいんだ」

「そういうことであれば。お肉も食べられますし、楽しみです!」

「最後にデカ盛りパフェを作る予定だからな! 盛り上がる……といいなあ」

「ふふっ、大丈夫ですよ。皆さん、お祭りが好きですから」

「なるほど、ミラーナのお墨付きときたら安心だ。これで葬式みたいに静かだったらミラーナにドジョウすくいやってもらうからな」

「何故かワタシが芸人に!? い、嫌ですよ! 自分でやってください!」

「俺は後ろでパラパラでも踊るからさあ」

「せめてワタシがパラパラで! いやパラパラも嫌ですけど! というかパラパラて! 今日日通じませんよ! というかドジョウすくいの音楽でパラパラを!? ちぐはぐ過ぎてもはや一種の興行ですよ! ギャラを下さい、ギャラを!」


 パラパラは八十年代に流行した謎の踊りのことだ。盆踊りとの関連性があるとかないとか、まぁそういう覚えやすく軽いノリと動作のダンスのこと。俺が生まれる四十年も前のことなんかを知っているのは、俺の父ちゃんと母ちゃんの馴れ初めがディスコでパラパラを踊っていた時に知り合ったのだそう。教師が何やってんだか。でも真面目な職業だからこそ、羽目を外したくなるというのはあるのかもしれない。


 三十人が集まることが確定したので、頼れる助っ人を呼ぶことにした。


 ガードマンにして、手助けをしてくれると言ったあの人をスマホで連絡をつける。


「あ、キースさん。頼みたいことがあるんですけど」

『おお、早速かい? カモン!』

「バーベキューのコンロを二機と炭を。んで購買で二十人分の肉を」

『分かった。予算は?』

「十五万。キースさんも食ってってよ」

『充分過ぎだ。どんなパーティだよ、十万以内で収める。それと招待ありがとう、けどオレは遠慮しとく。女の子苦手なんだ。その代わり、今度二人でメシ食べよう。そっちの奢りで』

「了解っす。すみません、なんか」

『構わないさ。理事長の命令よりよっぽど応えがいがある。んじゃね』


 ホント頼もしいわ。イケメン外国人の兄貴ができたみたい。

 そんな俺を意外そうな目で見るミラーナ。


「兄と仲が良いのですか?」

「まあね。男にしか分からない辛さがあるのさ、この空間」

「そ、そういうものなんですか」

「キースさんすっげえ優しいし頼りがいがあってマジで兄貴って感じ。でも、なんかミラーナとはあんま仲良くはなさそうだな」

「そうですね。兄はあまりワタシに構ってくれませんでしたし、ワタシも男の人は苦手ですし」

「俺とは普通に話してるじゃん」

「冬悟君は……なんか、そう言うジャンルの人ではないというか……。と、とにかく、なんだか気安くて、ワタシはとてもいいと思います!」


 なんか暗に恋愛感情などに発展しないと言われているみたいだが、気安いイメージなのはちょっと良かったかも。遠巻きに見られる方が不愉快だし。


「うう、何か久々にお肉をガッツリ食べれるとなったらお腹空きますね」

「お菓子ならあるけど。サラダ味のプキッツがある」

「一袋下さい」

「どーぞ」


 箱から銀色の包装を取り出し、彼女に差し出す。早速開けて、細いスティック菓子をサクサクと食べていた。美味しそうに食べるな、また。


 しかし、彼女はハッとしているようだった。顔が青ざめていく。


「だ、ダイエットするって決めてたのに……間食……!? しまった……!」

「大丈夫だって、ミラーナ充分魅力的だから」

「そう言われるのはデブでふっくらしはじめた前段階までなんですよ! そのまままっすぐに進むとデブまっしぐらなんです! ううっ、小学校の頃のトラウマが……! デブ、ファッツ、女子レスラー……! 嫌、嫌よ、一念発起でダイエットして頑張って来たじゃない……! 違う違う違う……!」


 ……ミラーナも結構深い闇を抱えていそうだった。突っつかないようにしないと、危険だ。具体的には俺の命が。からかったりしたら殺人ラリアットが飛んできそう。


 砲丸投げを野球投げで十四メートルぶん投げた強肩だからな。測定の時見てて恐ろしかった。わずかにシャトルランだけが二位だったがそのほか、体の柔らかさ、パワー、瞬発力、ダッシュ、ジャンプなどの単純競技はミラーナがぶっちぎりだった。


 ちなみに椿は持久力はあるが他はヘロヘロ。笹見は意外とそつなくこなす。多趣味の影響か、瑠衣も全部並以上だった。俺も混じったが本気を出してもミラーナに及ばなかったのがかなりショックだった……さすがミラーナさん、万年帰宅部の俺をぶっちぎってくれる。


 自分の席に戻り、一息。


「よーし……」


 気合入れてもてなすぞ。





 キースさんから配達された肉とコンロを準備し、炭に火をつける頃には、既に三十人ほど集まっているようだった。ミラーナ、椿、笹見の姿もある。青空会長の姿もあった。


 それを見て顔を蒼褪めさせているのは、瑠衣だった。


「こ、こんなに多いなんて聞いてない……!」

「言ってないからな。ほーら、お前も手伝えって」


 彼女は家でお握りを握っていたらしい。かなりの個数を要求されていたのだが、みんな大食いなんだと説明したら納得していた。炊飯器とガス窯でかなりのご飯を塩おにぎりにして、完了したところ、外が騒がしいと言うことで見たらこんな具合に。


「う、うう……大人数、得意じゃないのに……」

「大丈夫だって、俺なんか全校生徒の前でほぼ裸になったんだから。死にゃしねえよ」

「…………」


 彼女は怯えながらもおにぎりを持って出てくる。


「よーし、集まってくれてありがと! 今日の主催は俺とこの瑠衣だから! よろしく! 早速肉焼いていくぜ!」


 歓声と拍手が上がる中、青空会長が一歩進み出てきた。相変わらずのアルカイックスマイルで。


「その前に、これは単なるバーベキューなのですか?」

「正確に言うと焼肉だな。串に刺してないし。いや串もあるけど」

「……何の目的で?」

「あーあー、うっせえなあ。皆と一緒に肉食いたかったんだよ! でも理由づけが必要ならそうしてやるぜ、会長」


 瑠衣からおにぎりの乗ったお皿を奪い、設置したテーブルに置く。

 その上で、彼女と肩を組んだ。


「俺ら、婚約しちゃった。今回はそのお披露目会ってことでどうだろ」


 一気に全員がざわついていたのが分かった。無理もない、そういう関係だとアピールしているのだから。


 単純に驚いたのか、笹見が突っ込んでくる。ナイス。


「おお! マジで!? おめでとー! 出会いはどっちから?」

「ふふん、美少女だからと俺が粘着してな。強引にオッケー貰ったんだ」

「ち、ちが……!?」


 しかし、瑠衣の声は小さく、ざわめきに溶けて消える。笹見は納得していたようだった。


「なるー! どう? しあわせ?」

「勿論! いやー、強引な話だったけどありがとうな、瑠衣!」

「ち、違う……!」


 クラスメイトを中心に、俺に矢継ぎ早に質問が飛んできた。


「ふ、二人は、許嫁なんだ。もうそういうこと……した?」

「いやいや。俺はチキンでヘタレだから全然そういうのは。卒業後だなあ」

「うっわ、チキン! 有坂さんも嫌なら嫌って言わなきゃー!」

「違うの……!」

「で? 告白の言葉なんだったの? 土下座でもした?」

「あたぼーよ! もうわんわん泣いて彼女の白い足に縋ってな」

「うっわ、みっともねー! あはは、有坂さん。何で断らなかったの? こんなやつが――」


「――違うっ!!」


 瑠衣の大きな声が響いた。


 彼女は何故か、ボロボロと泣きはじめる。


「違うの……私から、近づいたの……! 彼は、何も……悪くないの。見返りを求めて、私から……近づいたの……! 理事長の、お孫さんだから……!」


 彼女の色々と足りん説明に周囲が不審な雰囲気になり、彼女の陰口が聞こえ始める。


 ――やっぱり、良くない噂が流れるのってそういう。後ろめたいことがあったんだ。


 それらが聞こえてきた瞬間、俺は天を見上げた。そのまま息を大きく吸い込む。


「好きだあああああァァァァ――――――――ッ!!」


 後ろめたい噂も。悪くなった雰囲気も。何もかもぶっ飛ばすように、ただ長く叫んだ。


 ミラーナが目を白黒させて俺を見る。大体全員が似たような反応をしていた。


「ど、どうしたの、冬悟君」

「すまんな、ロマンティックが止まらなくて」


 ふう、と落ち着き、俺は改めて瑠衣を親指で指さす。


「コイツんち、複雑な事情があるらしくてさ。今、婆ちゃんが瑠衣の後見人になってんだ。だからお金に困ってんだよ。俺、この家に住んでるだろ? でも俺は家事が全くできないから、婆ちゃんが見かねて住み込みのアルバイトを募集したんだ。で、瑠衣がなってくれてさ。せっかくだからお互いをもっと知りたくて、婚約者になったんだ」

「……つまり、お互いの生活のため?」

「おう。俺は美少女と四六時中一緒で彼女の飯が食える幸せで春爛漫状態で、瑠衣はお金が手に入るし当面の食事と住居の費用も考える必要がなくなって、学業に専念できる。ま、家事はやってもらってるけど、誰も損してない! お互いが得をしている関係ってわけだな。俺はもう瑠衣がいないと生活が成り立たん。マジで感謝してるし、瑠衣のことをもっと知りたいって思ってるし、そんな瑠衣のことをみんなに知ってほしい。いてくれないと寂しいし、本当に一人じゃないって素敵だ! というわけで、今日は俺の可愛い婚約者のお披露目会。瑠衣!」


 一切合切を暴露されていたが、瑠衣は周囲の視線に戸惑っているようだった。今までの冷たい視線は和らぎ、温かいものを見る視線へとほぼ全員が変わっていた。


「挨拶。ほら、早くしないと肉が焦げるだろ。さっさとしてくれ」

「あ……あの……有坂、瑠衣です。冬悟の婚約者をしています。その……良ければ、仲良く、してください……!」


 マイナスな思い込みをし、引っ込み思案だった彼女が俺の虚飾を遮るのに、どれだけ勇気が必要だっただろう。


 自分に向けられる悪い視線が確固たるものになるというのに、俺を守ろうとしてくれたその言動に、どれだけの優しさが込められていただろう。


 そして、遠ざけていた周りに、よろしく、という言葉を伝えるのに、どれだけの思い切りが必要だったのだろう。


 誰にも分からない。計り知れない。俺だってそうだ、彼女の勇気と気概と優しさを、すべて理解はできない。


 だからこそ、俺を思いやっていたその姿は、全員を動かす。


「有坂さん、なんかごめんね。勝手になんか遠ざけてた……ごめん」

「い、いいの。私の噂、分かってるから……」

「いいえ」


 青空会長が、いつもの作りめいた笑みではなく、心からの微笑みを浮かべていた。


「貴女の勇気ある行動と言動に、わたくし、感動しました! 自らを傷つけてまで、他人を守ろうとするその気高さに……一瞬、心を奪われていました。是非、わたくしとも友人になってくださいな」

「……はい、青空会長……!」


 瑠衣が生徒会長と握手をすると、全員が瑠衣に寄って行った。無理もない、あんな女の子なんだ、プラスの噂があればみんな話しかけたがる。


 それらを遠巻きに見守って、俺は肉をひっくり返すことに専念していた。隣には、笹見が立っている。


「全部わかっててやったの? 彼女が割り込んでくるってのも織り込み済み?」

「さてね。ま、どれだけ馬鹿が策を弄しようが結果はこの通りさ。結果は一つ」

「どんな?」

「美少女は正義ってやつさ」

「なんだそりゃ」

「いーんだよ。ほれ、食えよ笹見」

「うぃー」

「椿も食べて大きくなれ」

「うう、大きくなりたい……特に胸……! このまま胸が大きくなったら……そのまま、胸だけの存在になって、誹謗中傷されて……脳に栄養がいってないとか言われて、女の子からは舌打ちされるような存在になって……!? そのまま、胸だけだったと男の人からも捨てられちゃうんだぁ……!?」

「いやどういう発想なのそれは……」


 笹見がげんなりしている表情を浮かべる隣で、ミラーナは何か思うところがあるのか、神妙な顔で肉を食べていた。ダイエットのことかな。それとも胸が大きいゆえに先ほどの話に思い当たることでもあったのだろうか。


「……」


 遠く、瑠衣を見る。


 色んな女の子に囲まれ、戸惑っているものの、笑顔を浮かべる。やっぱ可愛い女の子には笑顔が似合う。そりゃ時折、物静かそうな彼女のアンニュイな表情も見たくなるけど、幸せそうにしててほしいよな。


「後で紹介してね、冬悟君」

「おう。よーし、大体焼けてるからみんな食ってくれー!」

「あ、わ、私がやるよ、冬悟」

「いーんだよ、お前は楽しく喋ってな。最後にはみんなでアイスとか生クリームとかぶち込んででっけーパフェ作ろうぜ! バえる奴!」

「お、いいねえ! たまには手作りも楽しそう!」

「せやろ。ほれ、ウィンナーとトウモロコシの串焼けてんぞー! 豚バラには塩コショウしてあるからそのまま、うん、おにぎりもたくさんあるから!」


 俺は主催側としての役割を全うしていく。少し瑠衣がこちらを気にしているが、今日くらいは俺に任せろ。そう思いウインクを返すと、キョトンとした顔をして。結局微笑みを返されて、今日は俺を立ててくれることになった。





 パフェまでしっかりやり切って、火の始末とゴミの始末もしっかりと。友達にも全員紹介できたし、満足満足。


 とっぷり夜も暮れて、瑠衣と俺は庭にテントを張った。家キャンはテントの中で寝てこそらしい。そんな哲学を聞きながら、俺は少し冷える夜を毛布で乗り切ろうとしていた。


「寒くない?」

「寒い。けど、まぁ良かった。今日のバーベキューは成功だな!」


 頷いていたら、彼女は白い頬を膨らませていた。え、何? その顔。可愛い。


「あんなに人を呼ぶなんて、何考えてるの?」

「何考えてるように見える?」

「やましいこと」

「うーん、残念。やらしいことなら考えてるぞ」

「ばか」


 こういう軽口も遠慮なく飛んでくるようになった。俺との間にわずかにも残っていた遠慮などは、消え去ったようだ。こっちもやりやすくて助かる。


 瑠衣はふくれっ面だったが、それは微笑みに変わった。


「ありがとう。私のために、あそこまでしてくれて」

「知らん。俺は美少女との生活を謳歌するために邪魔な要素を取っ払いに行っただけだ。これからは遠慮なく仲良くできるぞ! そうすれば精神的にも肉体的にも近づくだろうしなグヘヘ!」

「……本当に、貴方はどうしようもない人ね」

「今頃気付いたか? 伊達に金持ちの息子のくせにモテてないだけあるだろ? いーんだぜ、もう悪い噂も払拭できたし、婚約者やめても。今日のことで幻滅したとか言えばいいし。婆ちゃんには上手く言っとくしさ」

「……本当に、ばか。こんなことされたら……」


 ごにょごにょと何かを言いかける彼女だったが、よく聞き取れない。


 静かだ。夜の澄んだ空気が漂う中、俺は睡魔に襲われる。


 ごそごそと音がする。近くに、何だか温いものが。いい匂いだな、まるで花のような……。


「ん? 瑠衣、何やってるんだ?」

「一緒に寝れば、温かいでしょ?」

「まぁ、確かになぁ……おやすみ……瑠衣……」


 そのまま目蓋を閉じる。今は眠気の方が勝っていた。慣れないことをしたためか、ちょっと体がキツイ。


 眠りは、意外なほど呆気なくやって来た。


  ◇


「……寝ちゃった?」


 すうすうと寝息を立てる冬悟。整っている顔立ちが、やけにあどけなく見える。


 ……あんな事されたら。誰だって……。


 私の悪い噂を全部払拭してくれた。私は、あのままでいいと思っていた。私のこの容姿のせいで、私を悪く言っていたあの人もまた人生を踏み外した。あの人は、生徒会長と友達だと言ってた。だから、生徒会長から友達になってくれと言われて、とても――とても嬉しかった。それだけで、救われる気がした。


 同棲の話もそうだ。私が泥を被れば、それで終わりだった。いつも通りのはずだった。それでいいと思っていた。


 けれども、彼はそれを許してくれなかった。何もかも包み隠さずに堂々としていた。


 それが全部、私を思いやっての行動だって分かってたから……。


 男の人って、みんなこうなの? みんなこうなら、私はおかしくなる。


 満ち溢れる優しさ。人のもつ温かみを、全部、全部くれた。友達という関係になってくれて、私のワガママに付き合ってもらって、個人的な事情にも嫌な顔一つせず、お互いがお互いを利用しようなんて言ってる。そんなことを嘯くほど、計算高くも見えないし、考えているとは、失礼だけど思えない。


 優しい。


 私の出会った誰よりも、優しくて、頼りがいがあって……。


 普段は底抜けに明るいなと思っていた。少し、本当にばかなんじゃないかって思うこともあったけど。基本的に紳士で、トイレの便座も閉めててくれるし、洗い物を持ってきてくれるし、ゴミ出しを手伝ってくれるし……意外に気の利く一面もある。


 ちがう、そんなことじゃない。


 最初に興味を持ったのは、主義主張だった。皆の前で堂々と後ろ指さすやつは嫌い、とか、人をこそこそ笑う人とか嫌い、とか。私も、そうだった。けど、私も周囲を堂々と後ろ指を指すような連中だと、見下していたのも事実だ。でも、同時に、ちゃんと私という存在を見てほしかった。せめて、友達には。


 でも私には友達がいない。だから、ずっと一人だった。たった一人で、クラスにいて、理事長に見放されないように学業を頑張ってきた。色んなことをできるような人になって、教員免許を取って、この私立天馬学園で働きたいという夢が自然とあった。それも、私の夢のひとつだ。多趣味なのも、夢を見つけなさいと理事長に言われたから、頑張ってそれを探す足掛かりにと何もかもを試すようにしたところ、趣味が増えたという事実があった。


 許されそうな範囲内で色んな夢があったけど、マズいことに次の奨学金は取れなかった。自腹で支払うことになるが、それも叶わない。お金がないからだ。アルバイトをしなければならなかった。だから、この話に飛びついた。アルバイトをさせてもらえる。それだけで、彼に対する心証はかなり良かった。それだけではなく、友達にもなってくれたし、こうして、私の過去を清算してくれて、新しい日々が始まろうとしている。


 私の過去を誰かから知って、それで黙ってこんなことをやったに違いない。こんなことを思っててもすることができる人間が、どれだけいるんだろう。


 出会ってからすぐに、友達として好きだった。他人の趣味という聞いてて楽しそうでもない話題を目をキラキラさせて訊ねてくるし、思わず饒舌になっていた。楽しかった。仲間、というか、親友、というか。異性だとは思ってたけど、友達として好きで……エッチなことも、まぁ、許嫁だし。そういう関係なんだから仕方ないかなくらいに思ってた。


 でも、今なら言える。そうしていたら、きっと後悔していた。


 だって、本当に心から彼の全てが欲しいって思う時が、やってきたのだから。


 ……あんな事されたら、誰だって、好きになっちゃうよ。


 顔に、手を触れる。触り心地が、私の肌とは全然違う。手も、体も。やっぱり、私とは違う。男の人だ。


「……好きだよ、冬悟」


 寝ていると確信している時にしか、こんな言葉を言えそうにない。


 今は、まだ。


 寝息を立てる彼の顔を見ていると、心臓が高鳴る。彼の唇に、視線が吸い込まれそうになる。思わず、人差し指で蓋をした。その人差し指を、自分の唇に、何となく重ねる。


「私、惚れたら結構一途だと思うから、覚悟しててね」


 眠っている彼の頬をつついてたりしたら、いつの間にか眠くなっていて。横向きに寝ている彼の腕の中に入り込んで、眠る。


 どんな顔をするかな。そんな、少し先の未来を想像してわらったりなんかして。


 その夜は、静かに過ぎていった。

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