五話 婚約者†無双 1

「ん……?」


 深夜。喉の渇きを覚えて一階に降りてきたが、リビングの明かりがついてるのに気付いた。


 こっそりと様子を見ると、何やら瑠衣が何かをしている。かりかり、という独特の回転に何かが引っ掛かるような。そう、ルーレットを回しているらしい。


 確か、一生ゲーム。社会に出て死ぬまでのボードゲームとして君臨し、名を馳せている超ポピュラーなボードゲームだ。


「えっと、二マス進む……あ。借金……」


 借金か、ドンマイ。手堅いリーマンコースならいつか返せる。


 何やら彼女は悩んでいるらしく、やがて掴んだ駒を、戻していた。


「今のは、なかったことに……」

「往生際悪すぎんだろ!?」

「え!?」


 瑠衣が驚きの目でこちらを見てくるが、俺が驚いたわ。


「瑠衣、お前寂し過ぎるだろ。一人でボードゲームすんなよ、言えば付き合うよ……」

「え、ボードゲームって一人で自在にやって公式チートで勝ち組を目指すためのものじゃないの?」

「マジで言ってんの?」

「ちょっと冗談」


 結構本気じゃね、それ。


「言えば付き合うって瑠衣。毎日誘われたらキレるかもだが」


 面倒なこと全部やってくれるコンピューターゲームが主流の現代で、ボードゲームを嗜む人間は手間とかすらも楽しむ上級者だ。俺はそこらへんその場限りならともかく継続的となると煩わしいと思う性質なので……いや、こんな美少女とボドゲ。ありだね。なんなら手とか触れ合ってしまうハプニングもあったりなんかしたりして。テンションをあげていけ……!


 そんな俺とは打って変わって、瑠衣は戸惑っている様子だった。


「……だ、だって。趣味って、一人で完結するものが多くて。どれを、みんなと共有すればいいのか、わからない……」

「だからってボドゲはダメ! ボドゲはみんなが集まった時にやるパーティゲームの筆頭じゃんよ! あー、もう! 明日放課後メンツ集めてやるぞ! それ持っていくぞ、明日!」

「う、うん」


 見過ごせない。一人ボドゲなんて、寂し過ぎる……! 何てハードルの高い趣味なんだ、一人ボドゲって。どういう発想なの? そういうところも可愛いけどきっとそういう問題じゃない。


 とりあえず片付けて、俺達は就寝することにした。


 あれからちょくちょく一緒に寝たりしてたけど、俺が紳士的だったためか間違いは起きていない。……ええ、ヘタレですよ。悪かったな。


 今日は別々に寝たのだが、あんまり眠りが深くないんだよなあ……。





 翌日。


 放課後にボドゲをすると言ったら、椿とミラーナ、それから笹見に青空会長まで集まってしまった。いつもの面子はともかく、青空会長は珍しい。


「会長、業務は良いんですか?」

「ぶん投げてきました。部下が優秀ですから」

「なるほど。部下に投げても平気なほど組織化されてるんすね。御見それしました」

「いえいえ。瑠衣さん、よろしくね?」

「は、はい!」


 青空会長とは浅からぬ因縁があるとはキャス先生の話だった。どうやら、瑠衣に絡んでいた上級生と親友だったとか。改めて注意しとくか。瑠衣と今更友人になったのは、何か意図があってこそかもしれない。


 と思ってたら、


「ボドゲやるんだってー!? 入れて入れて!」

「キャス先生もやりましょー。でもちと多いか?」

「なら、婚約者ですし、冬悟君と瑠衣さんは最初から夫婦でいいんじゃないですか?」

「!」

「よし、採用」


 俺は問答無用で、瑠衣の持っていた赤い箱に青いピンを一個立てた。瑠衣もピンクのピンを差す。


「それでは、レッツ一生ゲーム!」


 俺達の仁義なき戦いが、放課後の教室で始まったのだった。





 ゲームというのは、想像もつかないことを体験できるのも醍醐味だ。


「ふ、ふへへ、億万長者だぁ……!」


 女子アナの椿は宝くじで一発当てて億万長者に。


「う、嘘だ……直人ぉぉぉぉっ!?」

「笹見、お前息子に名前つけてたのか……」


 そして何故に直人。可哀想な直人は通り魔に刺されて死んでしまった。女性課長笹見は離婚し、そして最愛の息子を失う悲劇に陥る。


「……山火事の原因主として、一億五千万円の保証金……」


 ロックシンガーとなった青空会長は、借金の手形が増えていっている。笑みを取り繕っているが、間違いなく最初に訪れた時より顔色が悪い。カタカタ震えているようだが、突っ込んだらなんか怖そうなのでそっとしておこう。


「むー」


 意外に面白くないのがキャス先生。教員になって特に借金もないがドでかい資産もなく、結婚したが子宝にも恵まれない。微妙な立ち位置。


「……また産まれた」


 ミラーナはもう箱に乗り切らないほどの子供を抱えていた。女の子五人、男の子六人。どんだけ。君らでサッカーチーム組めちゃうよ。ミラーナどんだけ頑張るんだよ。


 なにも刺さっていない箱を見ながら、笹見が歯を食いしばる。え、そこまで?


「うう、くそ。ミラーナすげえ子だくさんじゃん……! うちの直人が可哀想だと思わんのかね!」

「いや勝手に通り魔に刺されたのは可哀想ですけど、ワタシに難癖付けないでください……こんなに多くは……ワタシのイメージが……」

「ミラーナちゃんも将来いっぱい子ども作るのかな?」

「さ、さあ。子どもは授かりものですから……」

「真面目に答えんでいいぞミラーナ。椿もそれ以上はやめとけ」


 そういう俺と瑠衣は、特に面白味もなく。

 長男と長女が生まれ、そこそこの貯金もできて、快適な生活を送っていた。


「貴方達は普通ですね」

「いやぁ、すみませんね会長。普通こそ幸せなんで。ごめんなさいっすよー、し・あ・わ・せ・で」

「くっ、屈辱です……! こんな借金まみれの人生なんて、たとえゲームだとしても……!」


 瑠衣は言葉を掛けない方が良いと判断したのか、黙ってしまった。ルーレット自体は瑠衣が回している。俺は数回回しただけだが、中々見ていると面白い。


 恐らくこれからの現実での展望では全く影もないような生活をしている面々を見ていると、非常に面白くはあるのだ。


「……楽しいね、冬悟」

「ん? 悠々自適な一生ゲームがか? まぁ他の連中の泥沼っぷりよりはおもろいけどさ」

「じゃなくて」


 言い切って、瑠衣は綺麗な微笑みを見せた。その顔の意図は、馬鹿な俺にもよく伝わる。


「友達とやるゲームって……こんなに、楽しいんだね」


 嬉しくて、嬉しくて。仕方のない顔。その顔を全員が見ていた。全員が、思わず時を忘れる。


 我に返って、彼女を抱きしめたのは青空会長だった。


「え? ええ?」

「……恭子がちょっかい掛けたのも、ちょっと納得です。貴女、可愛過ぎですよ」


 恭子、というのがかつて瑠衣をいたぶっていた奴だろうか。記憶に留めとこう。


「……あの子、大分大人しくなったんですよ。それに、謝りたいって。いつか、会ってくれますか?」


 なぜ、水を差す。


 瑠衣の顔が引きつる。思い出はブーストされて、脚色されるもんだ。良かった思い出は最高の体験に。悪かった残滓はトラウマに。

 瑠衣は、軽く見積もっても悲しみと恐怖を抱いている。トラウマと分類できるような感情なのかは分からない。だが、どうでもいいことに、彼女は顔を引きつらせはしない。


「私は……」

「そんときゃ、俺も一緒だ」


 瑠衣にもたれかかりつつ、青空会長を隠しもせず睨みつけた。


「謝りたいってのは、加害者の一方的な理屈だ。お前分かってんのか? 楽しくやってるこの時間にわざわざ水を差してさ。俺が瑠衣なら一生恨むね。持って生まれたものを貶めるってのは最低の行いだし、他人をひがむのは自分を立ててくれた親兄弟の面に土を投げつける行為だ。瑠衣にそんな屑と合わせるような真似、婚約者である俺が容認しない」


 瑠衣はこういうことを言えずに溜め込むような奴だ。優しい。優し過ぎる。

 彼女の言えない毒という奴を、俺が吐き出してやる。


 何故か全員が怖がっていた。今の俺は、どんな顔をしている? 分からん。分からんが、頭は冷えている。表情だけが制御できない。


 怯えているが、会長はまなじりを決した。こちらを強い瞳で見てくる。睨む、まではいってない。


「わたくしの友人を、馬鹿にするのはやめてください!」

「何度でも言ったるわこのアンポンタンが! ひとにトラウマ植え付けるようなやつはぜってえろくでもねえって――」


 ――瑠衣が、俺を抱きしめた。思わず、言葉が止まる。


「もういい、大丈夫だから、冬悟。私のために、怒らないで」

「瑠衣、お前もだぞ」

「え……?」


 驚いたのか、瑠衣が離れる。何を驚くんだ。俺はこの状況に物言わないやつにも文句が死ぬほどあるんだぞ。


 空いた隙間を埋めるように、俺は空間に腕を伸ばす。指を、瑠衣に突きつける。


「お前もちゃんと言え! 嫌なもんは嫌って何で言わねえ! いっちょ前に空気読んでんじゃねえよ、草臥れた中間管理職のサラリーマンかテメェは! 甘えろ、大人になんな! 逃げたいなら逃げたいって言え! 言ったろ、俺は味方であり続ける! お前が核ぶっぱなす最悪の悪党になろうが、米粒茶碗に残す最低やろうになろうが、ミカンの白い筋取り続ける意味わからんやつになろうが、俺はお前の味方だ! まず、俺に甘えて来い。そんで、婆ちゃんにも甘えろ! お前が頼らねえってことは、俺らが頼りにもならんような人間だと吹聴しとるようなもんだ!」


 言いたいことをダラダラと言い放ち、俺はぜえぜえと息を整えつつ、溜息を吐いた。


「空気悪くしたくねえんだ。完全に破壊した俺が言うのもアレだけど――」

「いえ」


 青空会長がいつもの笑顔を消して、こちらを見据えていた。


「……言葉は悪いですが、貴方がどれだけ瑠衣さんを想っているかが、良く伝わりました。ただ甘やかすのでもなく、ちゃんと……未来を見据えている。理事長も耄碌したと思っておりましたが、なるほどどうして……。あの人のお孫さんですね。素敵ですよ、冬悟さん。思ったよりも、ずっと。友人になりませんか?」

「知るか。先に瑠衣に謝れ。それから――俺も悪かった」


 その言葉を口にした瞬間、青空会長が呆気に取られていた。気恥ずかしく、頭を掻きながら続きを言う。


「会いもしてねえのに、あんたの大事な友達、屑とか言っちまった。ヒートアップしてたとはいえだ。……あんたにそこまで想われる友人なんだ。悪い奴じゃ、ないんだろうな。本当に悪い」


 沈黙が訪れる。しかし、静寂はすぐに、青空会長の笑い声でかき消えた。


「…………ふふっ! あははははっ! 冬悟さん……いえ、冬悟くん、可愛いですね! 本当にいい子です! なるほど、理事長が認めるお孫さんと聞いて孫馬鹿かと今の今までずっと思ってましたが……いいですね、本当に素敵ですよ?」

「そらどーも」

「なぜ顔をそむけるのです?」

「照れくさいからだ! こっち見んな!」

「ふっ、くっ、その見た目で女慣れしてなくて純情とか……! 本当に……!」

「あ、童貞馬鹿にしやがったな!?」

「いえいえ。むしろ好印象です。チェリー君?」

「このタヌキ女め……!」


 やっぱこいつ嫌いだわ。可愛いけど嫌いだわこいつ。


 瑠衣は急に距離が近づいた俺と会長に困惑しているらしかった。しかし、青空会長が先に瑠衣に頭を下げた。こういうところが本当に憎めない。わざとやってんのか。


「瑠衣さん、皆さん、この場を濁してしまい、すみませんでした。でも瑠衣さん、わたくしは、親友に贖罪の機会を与えて欲しいと思っているのも、事実です。……続きをやりましょう! さあ、冬悟くんペアの番ですよ!」

「いーのか、借金だらけの現実に戻って」

「……意地が悪いですね」


 頬を軽く膨らませる青空会長に俺は笑い返す。戸惑ったままの瑠衣を置いて、時間が戻って来た。


「ここから逆転してみせますよ! 借金なんて最後に清算できるんです!」

「ワタシはこれ以上子どもはいらないです……」

「わたしは結婚したい……」

「もっかい結婚して幸せに……!」

「赤ちゃん欲しい!」


 一気に盤面に戻る面々を見ていた瑠衣。俺を見ているが、微笑んで頷いて返す。彼女は微笑んで、ルーレットに手をかけ、固まった。


「冬悟、お願いがある。……一緒に回したいの、これは二人一緒のキャラだから」

「おう、そうだな」


 華奢で柔らかな白い瑠衣の手に、俺の手を添える。


「よーっし、行くぞ!」

「うん!」


 ルーレットが回る。

 どんな人生かなんてわからないけど、だからいいんだ。


「あ、子どもができましたね。童貞のくせに」

「うるせえ、さっさとご祝儀寄越せよ。また手形だなぁ、会長?」

「うぐっ……!?」


 青空会長と、遠慮なく物言いができる仲になるなんて。編入した当初は思いもしなかった。


 ゲームのように、めくるめく時間で、俺達の関係は変わっていく。


 いつか瑠衣も、自分の過去にケリをつける日が来るのだと思う。でもそれは今ではない。

 もっと、もっと時間が必要なんだ。


 自分がここにいていいという、確信と自信を持てるだけの、時間が。


「? どうしたの、冬悟?」

「なんでもねぇ。それより、笹見式なら名前つけるが、瑠衣は男の子に何て名前を付ける?」

「ジョン太郎ジャック」

「お前それはあんまりだろう……。太郎太郎太郎みたいなもんじゃん」

「冬悟がつけて」

「……んじゃ、淳也」

「なんで淳也?」

「太郎よりはマシかと思って」

「太郎も、立派な名前」


 かもしれないけど。逆にハードル高くね、その名前。絶対なんか言われるわ。いや、今時のキラキラネームやらシワシワネームやらもちょっとどうかと思うけど。


 ともあれ、俺達は総合成績二位という大健闘で幕を閉じた。


 一位は椿、最下位が青空会長。会長は悔しがってもうワンセットと言ってたが、普通に日が暮れてきたのでやめる運びになった。

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