四話 水際のガールフレンド

「趣味かぁ」


 家で瑠衣お手製のコロッケを突いていると、キャス先生が同じくコロッケをもしゃもしゃやりながらそんな言葉を宙に吐いた。俺に向けられているような感じでもない。その独白に俺は触れることにした。


「どしたんすか、趣味ないんすか?」

「うーん、パソゲーや格ゲーとかはあるけど、何か今一つ違うような……うーん、最近体鈍ってるし、運動系の趣味増やしたいよね! 無駄をそぎ落としたシンデレラボディはいついかなる時も女の子の憧れなのさ!」


 シンデレラロリ度たけえなあ。いや、年の割に……小さめだったわ。十二歳の女の子って、まだもうちょっと育ってる印象だったけど、目の前のこの人は果てなく小さい。


 さておき、瑠衣にも刺さる部分があったらしく、自分のお腹をつまんで、頷いているようだった。


「運動したい。山登り……」

「あー、ダメダメ。虫とか遭遇したら最悪だし。なんたってマダニが怖いのなんのって!」

「……海辺でランニング」

「えー、あんなところ延々と走ってても楽しくないじゃーん」


 キャス先生、それはあかんよ。自分から意見出してないくせに他人の意見を蹴り続けてたら、ほら瑠衣が目をつり上げてる。普段観察してないと分からないくらいだが、少々ムッとしているらしい。


 しかし、瑠衣はそれを制御できる。溜息に化かし、俺を見てくる。なんだよときめいちゃうだろ?


「何か、楽しく運動できる趣味知ってる?」

「うーん……ダンスとか、水泳とか?」

「水泳いいね! 冬悟も若い女の半裸を見たがる時期でしょ!」

「水着を半裸とは言わんだろ」

「でも興奮するでしょ?」

「そりゃもうバチくそに! よっしゃ、瑠衣、明日プールで運動しようぜ!」


 俺の興奮と期待度が鬼のように跳ね上がる。いいぜ、女子と一緒にプール! YEAH!


「スク水でいいなら」

「よぉーし、興奮してきた」

「……競泳水着にする」

「うっし、期待大だぜ!」

「ダイバースーツにする」

「それはそれで体のラインが出てイナフですよ奥さん」

「男子の性欲、ちょっと舐めてた……」


 逃げ場がない、と何故か悲しそうな瑠衣だったが、キャス先生がちっちっちと箸をふった。


「有坂、それはフツー。男子っていついかなる時でもエロいことは忘れないものなのだ。それはもう生理現象なんだよ。ね?」

「それはそうかもしれないけど全部が全部性欲じゃないっすよ先生」

「一番おっきいのは?」

「まぁ性欲だけど」


 瑠衣が深い悲しみの底へ叩きのめされているが、現実を知ろうぜ。健全な男子が腹いっぱいでたっぷり寝てたらそりゃエロいことを次に連想するってもんさ。むしろ考えない方が不健康というか。


 まぁ大っぴらに言う必要はなかったかもしれない。そこは反省しつつ、俺は伸びをした。


「そういや俺も体鈍ってるし。適当に声掛けてみるか。ダイエットならミラーナは釣れそうだな」

「あー、あの力持ちの!」とは先生の言い分。

「おっぱい大きい外国の人だね」瑠衣はそう覚えていた。


 ミラーナよ、ウチではそういう認識らしい。生きろミラーナ。俺は程よく肉がついてて可愛いと思うぞ。多分それを言うと何かしら関節技か殺人チョップを叩きこまれるんだろうけど。


 瑠衣は何かを思い出し、自分のそこそこある胸を持ち上げてみせた。


「……冬悟も大きいのが好きなの?」

「嫌いじゃないね」

「ホントは?」

「メッチャ好物!」

「いやノリが芸人なんだよ、冬悟。そこは有坂をフォローしないと……」

「あんたが投げてきた物語だよ!? 責任取れ責任を!」

「いやいやあたしはそんなの投げてないから!? 責任なんてまっぴらごめんだい!」

「嘘吐け絶対フリだったろ今の! 乗るしかないじゃん!」

「違うって!」

「認めたらこのソーダ味のドングリガムをやろう」

「フリでした」

「よろしい」


 一個十円のドングリガムをプラケースごと大人買いしたので、しばらくキャス先生は俺のしもべだ。好物には逆らえまい。俺からドングリガムを受け取った彼女は嬉しそうにそれをしまっていた。


「というわけで、瑠衣。キャス先生を顔面が変形するまで殴っていいからね?」

「唐突に生徒からの暴力の危機!?」

「しません。先生も冬悟も、悪乗りしない。ご飯、おかゆオンリーにするよ?」

「「すみませんでした」」


 食べ盛りの俺達は為す術もなく瑠衣の前に跪くのだった。





 とはいえ、プールという催しは非常によきだった。


 楽しみ過ぎてニヤニヤしっぱなしだった。なんか隣の笹見からは「気色悪いなあ」と傷つくことを言われた気がするが、もう知ったこっちゃないね!


 プールだよ!? 水着だよ!?


 しかもここ温水プールになってるもんだからもう! 一般開放はされてあるが、担当の先生がつくことが条件らしい。キャス先生でも問題ないと婆ちゃんに確認もとって来たから、一安心。


 放課後、俺は一足先に着替えて、室内プールの建物の中へ。水泳部は別の6レーンで泳いでいる。九レーンの五十メートルプールとか、相変わらずアホみたいな設備だな。


「おお、意外に鍛えてますね!」


 そんな言葉を投げてきたのは、肩紐が白いタイプのスクール水着を着たミラーナだった。迫力ある胸元が主張しているが、個人的にむっちりした太ももも魅力的であることを伝えたい。


 俺は自分の体を思い出す。そこそこ日課の運動で絞られている体は、マッチョ未満普通以上くらい。脂肪はつかない性質だったので、そこそこ筋肉が目立っているが、量自体は少ないのだ。


「そんなでもないよ、ミラーナ。にしても水着いいじゃん、俺女子校に来てマジでよかった……! ありがとう婆ちゃん……!」

「て、天を仰いで拝まないでください。死んでないですから理事長」


 感動もひとしおだ。

 次にやってきたのは、ド派手な水着の彼女だった。


「おーっす、カントクにきたよー!」

「キャス先生、そのアメリカ柄の水着どうしたんすか?」

「五百円で買った」


 あまりにも見栄えというものを投げ捨てている彼女だが、金髪な彼女にその派手なワンピースタイプの水着は意外に似合っていた。異国の風を感じる。


 女子更衣室の方を見ると、瑠衣が顔だけ出していた。


「あの、これ……先生、普通の水着だって……!」

「普通じゃん。さ、出ておいで出ておいで!」

「ううう……」


 瑠衣が現れた。

 乳白色のホルターネックタイプの水着だ。ビキニタイプで、フリルの味付けが甘い印象を与える。白い肌を惜しげもなく晒しており……何とも……俺の語彙が消し飛ぶような衝撃を受ける。


「……瑠衣、可愛い。スッゲー似合ってる」

「ど、どうも……」


 思わずお互いに真っ赤になっているが、仕方なくね? こんな美少女を前にしたら誰だって舞い上がるって……前屈みにならないのを褒めてもらいたいくらいだ。


 しかし、俺達の興奮を余所に、燃えている真面目な奴が一人。


「よーっし! 今日は五キロは泳ぎましょう、冬悟君! 瑠衣さん! 先生も是非!」

「い、いやー、五キロは厳しくない……?」


 ミラーナの決意は固いらしく、目から炎を滾らせている。キミ、意外に熱血なのね。


「何を軟弱な! 健全な精神は健全な肉体に宿るんです! お腹のぷにぷにとか、足回りのぷにぷにとか……! 燃やせ! 脂肪を! つい間食してしまう惰弱な意思を! さあ、準備運動しましょう! 冬悟君、相手よろしくお願いします」

「いや瑠衣とやれよ。俺一人でいいから」


 お前らと密着したらもれなく勃つから。もう誇張表現でも何でもない。勃つから。これはマジだ。


「うーん、でも似た筋肉量の冬悟君が適任なんですが」

「お前は俺と密着したいのか?」

「!? あ、ああ、そうですね! 瑠衣さん、やりましょう! 柔軟!」

「うん、よろしく」


 あー、よかった。マジで。ここで勃起なんぞしたら本気で明日から学校に行けなくなる。間違いない。割と図太い方の俺でも厳しい。


「んじゃ俺と先生でやります?」

「あの……あたしも女の子なんですけど」

「え、うそ、それって俺を男として意識してるの!? ませてるわね!」

「なんだその取ってつけたようなカマ口調! いーよ、やったろーじゃん! ほら、そこへ体を着け!」


 素直に座る。徐々に先生が背中を押してくれる。胸が当たるなんて妄想もしたが、何もない。だって俺とほぼ変わんないんだもん、平原の当たり。


 でも体はよく伸びた。今までにないくらい。


「いや冬悟体柔らかいよ!? 何その体! 軟体生物!?」

「そこまでじゃないっすよ」

「いや百八十度開脚しながらプールサイドに上半身べったりとかおかしいでしょ……」


 まぁ柔らかい方とは言われていたが、妹と比べるとなあ。バレエをやってたことがある彼女と比べてしまうと、かなり落ちる。


 立ち上がり、今度は座り込むキャス先生の背後に回った。うわ、ほっそ。メッチャ華奢でちっちゃい。


「んじゃ先生、押しますよ」


 ぐい、と背中に手を当てる。なんか、結構やわっこい。


 しかし、伸びていかない。前屈なのだが、全然届いてない。


「遊んでます、先生? 男子との触れ合いが楽しいのかは知らないっすけど本気出さなきゃ」

「このタコ野郎! この必死さが伝わんないの!?」

「え、マジでやってるんすか?」


 硬過ぎじゃね、体。


 他にも開脚が九十度以上曲がんなかったりとか、運動不足以前に基礎的なものを全部母親の胎内に置いてきてしまったと思われる運動音痴っぷりを披露してくれた。


「先生、運動苦手?」

「得意ではないけど……そんなに悲観するほどの出来でもないと思うんだ! あたしまだまだ成長期だし!」

「うん、頑張ってね」

「な、なにぃ……!? なんだ、冬悟からあふれ出る優しいオーラは……!? 冬悟、今一体何を考えているというの……!?」


 成長期、あるといいね。その言葉に尽きる。


「頑張って大きく育てよ、マイサン……!」

「親か! ていうかマイサンって息子じゃんあたし! せめてマイドーターかリトルワンとかスウィートハートとか色々あるでしょ!」

「おお、先生博識!」

「ふふーん、そうだぞー! 賢いんだぞー!」

「偉い偉い」

「えへへー」


 それでいいのか君。


 そんなこんなで、まずミラーナの提案で各々のスペックを図るべく、競争してみることにした。


 一位は当然と言えばかもだが、一番運動能力のある高いミラーナ。フォームがシャチのように力強かった。二番がなんとキャス先生。体が硬いくせに矢のように早い。水の抵抗がないからか。そして三番目に俺、四番目に見せる系の水着を着てしまったゆえか、瑠衣が。何故か彼女だけ背泳ぎだったからかもしれないが。


「先生意外と泳げるんすね」

「クロールと平泳ぎなら任せろ!」

「瑠衣は、何で背泳ぎ?」

「水に顔をつけるの、ちょっと怖いから」

「あー、なるほど」


 そういうのが怖いって人もそこそこいると聞いている。瑠衣は細い顎に手を当て、考える仕草。いつものやつ。


「いい機会だから克服したい。付き合ってくれる?」

「あたぼーよ! ミラーナ、キャス先生連行して五キロコースやっちゃって」

「え!? やだよ!? あたし遊ぶんだって決めてたんだもん!? 水の中で五キロとかガチで泳ぐ奴じゃん! あたしは嫌だ!」

「さあキャスリン先生! 行きますよ! 運動後のスポーツドリンクはいいですよ! 肩から立ち上ってくる蒸気が青春を感じさせてくれますよ! クッタクタになるまでやりましょうね!」

「いやぁぁぁぁだぁぁぁぁっ!! お、お助けぇぇぇ――――っ!?」


 生きろキャス先生。ミラーナも一応人間なわけだし、死ぬまではさせられないさ。多分。


 瑠衣と水面に顔をつける練習。を、するのは良いが。


「……」


 瑠衣は神妙な面持ちで水面を見つめるだけだった。そりゃそうだ。


「ねえ、頭押さえつけて私の顔を水につけてくれない?」

「それよそから見た時の想像図まで思い描いてる?」


 物凄くいじめの現場だ。虐待的過ぎて俺が追放されかねない。追放されて、で俺は何かこう社会的に成功して、もうお前らが悔しがったところで遅い的なパターンに……いかん。椿から借りた小説の読み過ぎか。まんま椿の思考パターンじゃんこれも。知らないうちに影響受けてるんだな、色々と。


「んじゃ、水中で俺がどんな顔をしてるのかを当てたらご褒美をやろう」

「やる」


 俺はその場で沈み込む。イケメンスマイルを浮かべて顎に鉄砲の形をした手を添えてみる。


 しばらくして、瑠衣が目を瞑りながら潜って来た。ギュッと閉じられている目。


 少し、肩が震えてるか。揺れてそう見えるだけなのか。


 そんな彼女の手を、空いた手で握った。


「!」


 彼女は目を開く。俺と目が合った。顎に添えていた手を離して、軽く振ってみる。


 しばらくそれを見ていた彼女だったが、ぼご、と泡を吐き出し、上に。俺もそれを見て浮上した。


「ぷはっ。なんだよ、潜れるじゃん」

「……うん。ご褒美、欲しかったし。それに、意外と水中での冬悟も、悪くなかった」

「ほほう。俺は瑠衣の可愛い姿を見れて眼福だし、ウィンウィンだな!」

「そうかも。で、ご褒美って何?」

「うーん、そこまで考えてなかった。何が嬉しい?」

「……じゃあ、水の掛け合いっこしよう。憧れだった」

「そうか。おるァァァァっ!」

「わぷっ!?」


 瑠衣へ先制攻撃。瑠衣もムキになってこっちに水を掛けている。負けじと俺もやり返していく。


 ひとしきり、お互いが肩で息をするほどに掛け合っていたのだが、唐突に瑠衣が動かなくなり、深呼吸。冷静な顔で、彼女はぽつりと。


「これ思ったより楽しくない……」

「か、かもな……」


 そら単に水掛け合ってるだけだしな。

 俺は弾む胸とかキラキラと美少女のコントラストとかで非常に眼福ではあったが。


「これじゃご褒美にならない……」

「何か考えとくよ」

「でもこの間の指輪みたいな嬉し過ぎるサプライズを何度も経験したら死んじゃうからそこそこのやつで……」

「塩梅が難しいな!?」


 加減を考えなければならんのか。


 その後は、瑠衣と一緒にただ泳いだり、タイムを図ったり、変な泳ぎ方研究したりして、楽しく時間が過ぎていった。


「ほら! プルブイ股に挟んで後五往復! クールダウンに百メートル流して終わりますよ!」

「ひぃぃぃぃ! ひぃぃぃぃっ!?」


 あ、キャス先生助けるの忘れてた。





 後日。


 酷い筋肉痛で動けなくなったキャス先生は、プールという言葉に対しトラウマを植え付けられたようで。


「プール、また行きたい」


 という瑠衣の言葉に涙を交えつつ、


「絶対、嫌!」


 とのお言葉を表明されるのだった。うん、マジでごめん。


 ついでにミラーナはぴんぴんしており、また機会があったら誘ってくださいと言われてしまった。多分、キャス先生が嫌がるので、当分ないだろうけど。

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