ファントムシップ 〜弱虫の完全防御〜

中村仁人

第1話「伝説の戦士とは」

「たとえ剣が折れても、盾は最後まで割れてはならない」

ファントムシップ第八八話「盾たるもの」より抜粋。


***


ここではない別の世界——

リューレシア大陸北西部フェイエルム王国。

フェイエルムとは古代語で〈鉄〉という意味だ。

よって鉄の国という。

しかし古代において鉄という物は多義的で、熱して加工出来る物は全て鉄に含む。

たとえばこの地域で多く産するミスリルがそうだ。

鉄の国とは、兵士がミスリルで武装しているミスリル王国を意味していた。


***


リューレシア大陸北西部のフェイエルム王国は大陸東部のブレシア帝国と昔から仲が悪かった。

まだフェイエルムが王国ではなく、ブレシアも帝国ではなかった頃からだ。

〈部族〉の頃からだ。

とはいえフェイエルム族は大陸北西部で、ブレシア族は大陸東部で生活しており、互いをまだ敵と認識してはいなかった。

二つの部族の間には緩衝地帯として、広い大陸中央部があったからだ。

両部族は、その大陸中央部を進んで行った。

フェイエルム族は東へ。

ブレシア族は西へ。

やがて中央部で出会い、相手への要望を素直に伝えた。

「退け」と。

フェイエルム族は歩兵隊だ。

ミスリルの鎧と兜で武装し、整列して大盾を構える。

ブレシア族は騎馬隊だ。

強いブレシア馬に乗り、弓矢が武器だ。

両者共、部族では勇ましい兵士だったので相手に向かって「退け」と言うし、一歩も下がらない。   

こうして戦いの歴史は始まり、いまも変わらない。

とはいえ、いまは頻繁に戦っているわけではない。

〈大分断〉という現象によって大陸中央にモンスターが溢れ、東西に広がっていったからだ。

人間同士の戦は中断した。

東側も西側もモンスターと戦うので精一杯。

戦いが終わったかに見えた。

が、そうではなかった。

フェイエルムが王国に変わった頃、ブレシアは帝国に変わっており、〈征西軍〉という大軍を組織して進軍を開始した。

征西軍の目的は、帝国が失った大陸中央部及び西部の領土を取り戻す事。

モンスターからは中央部を取り戻し、その先の西部は——

フェイエルム王国から取り戻すのだ。

征西軍の多くは騎兵。

武器は部族の頃から続くブレシア馬という強い馬だ。

敵も城も踏み潰すという最強の騎兵。

その攻撃は強烈を極めた。

しかしフェイエルム軍はミスリル歩兵の大軍で備え、騎兵による突撃を凌ぎ切った。

やはり騎兵にとって、遠征で西部に長居するのは難しかったのだ。

征西軍は大陸東部へ退却した。

防衛成功はミスリルの大盾が頑丈だったからというのもあった。

だが、大陸中央部で再びモンスターが湧き起こり、征西軍の背後に現れたからというのが大きかった。

モンスターがフェイエルムにとって有利に働いたのだ。

とはいえ、決して常に味方とは考えられない。

次の年は中央部で湧いたモンスターが多く、東部へ行ったものは帝国に襲いかかったが、西部にも襲いかかった。

モンスターの発生が多い年、征西軍はやって来ないがモンスターを防がなければならない。

逆に少ない年は征西軍がやって来る。

フェイエルムにとっては同じ事だった。

結局、どちらかと防衛戦になるのだ。

モンスターもブレシア人も災難のような連中だ。

去年はモンスターだったが、今年はどちらが攻めてくるのだろう。

大陸を東西に分かつ中央部のモンスターか?

敵も城も踏み潰すブレシア帝国軍か?


***


この物語は冒険者エルミラが〈ロレッタの宿屋号〉から出発する前に遡る。

およそ二〇〇年前……


フェイエルム王国首都ケイクロイ、午前——

この日、歩兵一〇〇が首都より出発した。

近郊の農村でモンスターが出現したからだ。

頭部が犬に似ており、人間と大きさは変わらず、二足歩行で歩く。

そして手に持った棍棒と牙で人間を襲う。

このモンスターをコボルトという。

元々鉱山付近に現れていたのに、最近は農村の畑にも現れる。

よって歩兵隊が派遣される事になったのだ。

これから奴らを退治せねば。

フェイエルムの歩兵という事はミスリル歩兵だ。

武装はミスリルの槍と剣。

鎧と兜はもちろん、腕も足もミスリル製だ。

そして最も頑強な装備がミスリルの大盾だ。

大きな長方形の盾であり、進軍時は背中に背負い、戦闘時には歩兵が整列し、一斉に構えて全身を覆う。

まるでミスリルの防壁になったようだ。

歩兵隊は東へ進軍を続けた。

一日、二日、三日……

三日目、モンスターから避難してきた農民たちと出会った。

「おぉ、待っておりましたぞ」

待っていた村長が歩兵隊を出迎えた。

早速、歩兵隊を率いる隊長が村長に話を聞く。

ある日、村を襲われ、皆でここまで逃げてきたのだという。

特徴は頭が犬で、棍棒を持っている人型モンスター。

やはりコボルトだ。

村の食料を奪いに来たのだ。

話を聞いた隊長は村の人達を安心させる。

「皆落ち着いてくれ。我らが来たからもう大丈夫だ」

隊長は中年の男性なので、怯えている農民達を安心させる力のある声だ。

また、後ろで話を聞いていた歩兵達も槍を天に掲げ、一斉に音を鳴らす。


ガシャシャ!


槍を天に上げたら、地面に目掛けて石突を下ろす。


ドンッ!


何本もの槍で地を鳴らすだけでなく、農民達の足に地響きまでが届く。

「お、おぉ……!」

「頼もしい!」

コボルトに襲われた時に農民達は怖かったが、歩兵達の勇ましさを見せられ、すっかり勇気を取り戻した。

だが、一人だけ迫力に欠ける兵士がいた。

ミスリル歩兵としては筋肉が細く、槍の掲げ方も石突の音も弱々しいのだ。

年齢は一〇代後半。

髪は銀色で、目は深い銀色。

前髪が短く、全て耳が出る高さに整えているが、襟足の右の毛だけが胸まで長く、細い三つ編みで編んでいる。

列後方に並ぶ若い兵士。

名前をスキュートという。

すると、


ガンッ!


左隣の兵士に背中を叩かれた。

(おい、スキュート! この前の様な事は嫌だからな?)

小声でヒソヒソと注意する。

(しっかりしてくれよ)

右隣からも兵士の小声が続く。

(わ、わかってるよ!)

か細いスキュートが反論するが、同調する者は一人もいなかった。

屈強な両隣の同僚は溜息を吐くばかりだった。

それにしても……

この前の様な事とは?

スキュートにしっかりしてほしい事とは?

いずれわかる。

いずれ……


避難していた農民達と別れ、歩兵隊は東へ進んだ。

なだらかな平野が続く。

遠くには作物が生えているのが見える。

小麦畑の様だ。

まだ草が青々としていて、収穫には早い様だ。

こんな時、コボルトの襲撃がなければ、農民達が皆で作物の世話に勤しんでいる頃だろうに……

このまま作物の放置状態が続くと農民達が困る。

だからこそ退治するのだ。

フェイエルム軍歩兵隊が!

隊は全員、背負っていた大盾を下ろして左腕に持ち直した。

ここは畑だが、後少しで農民達の家々が見えてくるはずだ。

いや、農民達から奪った、コボルト共の棲家か。

このまま進む事で奴らと遭遇する。

だからいまのうちに戦う態勢を整えて置くのだ。

その為の大盾だった。

しばらく進むと屋根がいくつか見えてきた。

農民たちが住んでいた家の屋根だ。

普段は彼らの住居だが、今日は違う。

隊長は命令した。

「構えっ!」

すると隊員達が一斉に動いた。

さっきまで二列縦陣で進んでいたが、縦列が増えて方陣に変わった。

更に大盾を前に構えて密集する。

大盾の内側で槍も構える。

ファランクスの完成だ。

なぜ家々の近くで陣形を整えたのかというと、それは……

「グルルルッ ワオォォォン! ワン! ワン!」

家の一軒から、犬が警告しているかの様な吠え声が聞こえてきた。

野犬?

いや、違う。

隊員の一人が答えた。

「コボルトだ!」

全身を黒い獣毛に覆われた犬頭の人型モンスター。

警告音を聞いて、他の家々からも集まってくる。

手には棍棒や、農民の家にあった鉈を持っている。

どうやら、大人しく退散する気はないようだ。

コボルトの群れは、大盾を構える歩兵隊に襲いかかった。


ボンッ! ガン!


連続する恐ろしい打撃音。

歩兵隊が構えている大盾に、コボルト共の得物が激突する。

棍棒だけではない。

鉈もだ。

刃物で切り付けてくるというより、鉄で叩き付けてくるというのが正しい。

「ワンワンワンワンワン!」

コボルト共の興奮が止まない。

更に棍棒を叩き付けるもの、鉈と一緒にもう片方の腕で拳を打ち込んでくるもの。

「ワンワンワン——!」

吠え声は止まず、恐ろしい剣幕で次々に打撃が打ち込まれる。

しかし、

「…………」

コボルトが大盾の上からいくら棍棒で打ち込んでも、歩兵隊が乱れない。

整列を乱す事が出来ないならと、大盾の隙間に鉈を差し込もうとするが出来なかった。

頑丈なミスリルの大盾にヒビが入らない。

歩兵隊にダメージは無かった。

「ワ、ワン……」

猛攻を仕掛け続けたコボルトだったが、次第に息が上がってきた。

その時だった。

「いまた!」

方陣中央から隊長の声が前列まで響いた。

すると、いままで動かなかった大盾が急に前へ突き出された。


ゴンッ!


「ッ⁉︎」

それは盾叩きたった。

盾叩きを食らったコボルト共の顔面が歪む。

顎が跳ね上げられたり、左右どちらかの向きにぶっ飛ばされて後ろへ怯んだ。

動きが止まった。

一方、密集して守りを固めていた大盾が盾叩きの為に隙間が空いた。

両者の間に出来た僅かな空間。

その一瞬の間に、大盾の後方で構えていたミスリルの槍を突き出す。


ビュッ! ヒュンッ! シュッ!


動きが止まったコボルトを、穂先と風切り音が串刺しにする。


グサッ! ザクッ!


槍が何本も刺さって、まるでハリネズミの様。

けれども、刺さっているのは一瞬だ。

すくに抜ける。

槍を引き抜かれたコボルトは致命傷で動けず、その場に崩れた。

そして直ちに槍の穂先を大盾の内側にしまい、すぐに整列を整える。

再び隙間がなくなったファランクスの内側で、隊長の声が届いた。

「前へ進め!」

ミスリルの壁と化した大盾の列が、コボルトの群れを押し潰しに向かう。

とはいえ、このまま黙って潰されていくコボルト共ではなかった。

家から集まっている奴らがさっきより数を増し、ミスリルの壁を押し返そうとする。

「グルルルゥッ! ワンワンワン!」

吠え声だけでなく、棍棒の打撃音が混ざる。


ガンッ! ゴンッ!


コボルト共の押しが強く、歩兵隊の進撃が止まった。

しかし歩兵隊も負けてはいない。

「負けるな! 押し返せ!」

「おおおおっ!」

歩兵隊とコボルト共の強烈な押し合いになった。

両者共、地面が削れる程相手を押しても動かない。

ところが、

「嫌だ、もう嫌だ!」

歩兵隊の三列目、そこにいた一人が回れ右をしている。

コボルト共に背を向け、逃げようとしているのだ。

敵前逃亡だ。

その者はスキュート。

戦いの前、同僚達からしっかりしてくれと念を押されていた若者だ。

「またおまえか、スキュート!」

「いまさら後ろに下がれるか!」

「ひぃっ!」

押し合いは、大盾の前側で起きているはずなのに……

その押し合いが、ミスリルの壁の内側でも起きていた。

何ともくだらない。

その様子が隊長にも見えているので、馬鹿馬鹿しくて彼の口から溜息が漏れた。

けれどもいまは戦闘中だ。

がっかりしている場合ではない。

陣形内で混乱が生じているならば、直ちに解決しなくては。

だから解決した。

「構わん! 気にせず前へ突っ込め!」

「おおおおっ!」

怒れるミスリル歩兵の突破力は凄い。

弱虫スキュートを前へ前へと押していき、コボルト共を押し潰していった……


後世に語られるスキュートとは。

かつて、フェイエルムのミスリル歩兵団にいた伝説の戦士。

たった一人でモンスターや敵軍の侵攻を食い止めたという。

彼が立ちはだかったら、何人たりともそこを突破する事が出来ない。

まるで要塞の様。

人は彼を「要塞スキュート」と呼ぶ……はずなのだが……

農村では、歩兵隊とコボルト共が激しく押し合っていたが、その均衡は完全に崩れた。

歩兵隊が優勢だ。

とはいえ、まだ棍棒等の攻撃が止んでいるわけではない。

しかし攻撃は大盾で防ぎ、コボルトを押し退けた。

そして、崩れた敵には槍でトドメを刺す。

順調だ。

だが、なぜか皆怒っていた。

「もう覚悟を決めて前進せんか! スキュートォッ‼︎」

同僚達の怒声に対し、後の要塞スキュートの答えは……

「い、嫌だ! 助けてぇっ!」

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