第15話「西へ」

まだ幼いとはいえ、ラシンタはさすがリマ兄の息子だった。

網で全身を絡め取られても物ともしない。

小さな右足による会心の一撃が網を貫いた。

「どんなもんだいっ!」と小勇者は自慢気だ。

次は左足で、と力を入れるが再び網を蹴破ることはできなかった。

この一点はケイクロイでもギニ集落でも変わらない。

〈おいた〉が過ぎた子供は親に怒られるのだ。

「じっとしてって言ったでしょ! ラシンタァッ!」

ゲンコツはなかったが、母親の〈雷〉としては威力十分だった。

網が絡まって動揺していたことも忘れるほどの雷喝だ。

暴れていた小勇者が一瞬で幼い子供に戻った。

「ごめん、母ちゃん……」

謝っても遅いのだ。

そもそも母が解いてくれるのを大人しく待つべきだった。

なのに会心の一撃などやるからだ。

「ほら〜〜! アンタが暴れるから!」

「…………」

やっと大人しくなってくれたので網を解こうとするが、問題は右足だった。

勢い良く踏み抜いたので、腿の付け根まで網が食い込んでいた。

「どうしよう、抜けないよ……」

これはギニ族の狩人が使う捕獲網であり、リマルカタも傭術か捕獲網を時と場合によって使い分けていた。

今日は同行する狩人たちに網を任せ、リマ兄は傭術に専念する日だったらしい。

だから置いていった網にラシンタが絡まってしまったのだ。

早く解いてやりたいのだが網の目に腿が食い込んでおり、ダリアの指の力では緩ませることができない。

そこへ現れたのがスキュートだった。

「足を思いっきり突っ込んじゃったのか」

彼はダリアの正面に片膝で座り、ラシンタの足を確かめ始めた。

「何とか外せないかしら?」

「んー、そうだね……うん……」

彼女への返事が上の空だ。

だからといって彼女が問い質しはしなかった。

彼の真剣な目が子供の腿に注がれている。

観察する目を見ただけで、必死なのが明らかだった。

果たしてスキュートは、

「網を切ろう」

と迷わず決断した。

網の目に腿がきつくはまっているのだ。

血行が悪くならない内に早く処置すべきだ。

「わ、わかったわ」

方針が決まるとスキュートが団子状態のラシンタを抱きかかえ、ダリアを先頭に一家のテントへ向かった。

到着すると彼女に、

「これ借りるよ」

中に入ってすぐに見つけたスプーンを借り、網と腿の間に差し込んだ。

必要な物がもう一つ。

続いて彼女が持ってきたのはミスリルナイフだった。

普段は肉や魚を切り分けるのに使っているのだが、刃物を見た途端、

(〜〜〜〜っ!)

ラシンタの表情が曇った。

まさか、食材ではなく足を切る⁉︎

「い、痛い?」

〈クート〉の言葉を覚えているからだ。

確か「切ろう」と。

目の前が涙で滲んでくる。

(切られるのか? 足を切られてしまうのか〜っ⁉︎)

……と恐怖で心一杯なのだろうが話はよく聞くべきだった。

スキュートは足ではなく、きつく締め付けてくる〈網〉の紐を切ると言っているのだ。

しかも網紐と腿の間にスプーンを差し込んだ。

これで切断作業を安全に行える。

すべてラシンタのためなのだ。

そう説明してやれば涙が引いただろうに……

母親だけでなく、子供の不安に対しても上の空だった。

「んー、そうだね……」

「っ⁉︎」

痛いのかという質問に「そうだね」という答えが返ってきた。

もう限界だった。

「やっぱり切りゅ(切る)んだ〜! うえ〜〜ん!」

テントの中が大号泣になった。

自分が勇者リマルカタの息子であると十分に自覚している。

でもダメだ……

痛いのは、怖いのだ。

とてつもない恐怖の前に勇者としての自覚は消え失せ、後は悲鳴と大粒の涙が止まらなかった。

……誤解なのだが。

いまさら誤解を解こうと言葉を重ねても、大号泣の前では無意味だろう。

それよりも行動で示すべきだ。

スキュートはスプーンの上で網紐を切った。


プツッ!

プツンッ!


さすがはミスリルナイフだった。

鉄製ナイフより切れ味が良いので、簡単に網の目を切断できた。

合計二本。

ラシンタは足を切られることなく、腿への締め付けがなくなった。

後は簡単だった。

外に飛び出ていた右足を一旦戻し、改めて絡まっている網全体を外した。

まずは右手と左手を、それから右足を——

最後に左足を外してもらった途端、

「やったー! わーい!」

大号泣がピタッと止み、元気な悪ガキに戻って走り始めた。

「コラ! 待——」

ダリアが「待ちなさい!」と言い終える前に、ラシンタはテントの外を走っていた。

は、早い……

「ごめんね、スキュート。せっかく助けてもらったのに……」

「いいよ、それは別に——」

別に気にしていない。

本当だ。

彼は悪ガキがどういうものかを心得ているつもりだ。

気になったのは別のこと、ダリアとラシンタのことだ。

スキュートは二人を見ている内に、自分が幼い時のことを思い出していた。

家族のことを……

父ナビトは命懸けで家族を守ってくれた勇者だ。

人生の目標だ。

いまでもそう思っている。

だからラシンタにも共感できる。

幼い彼にとって、リマルカタこそが目標とすべき勇者なのだ。

また悪ガキについても共感できる部分があった。

彼が元気いっぱいなのだ。

親のおかげで悪ガキをやっていられるほどに。

…………

……いやいや、親が悪ガキを奨励するはずがないではないか。

と否定されそうだが、そんなことはない。

親がいなくなったら悪ガキをやめるだろう。

続けてどうするのだ?

自分はどんなことができるようになったのかを披露する親がいないのに。

スキュートにも悪ガキ時代が少しはあったが一〇歳までだ。

一〇歳で母エミリアと〈別れ〉、悪ガキを続ける意味がなくなったしまった……

それだけに、リマ兄一家を見ると微笑ましい気持ちになれるのだ。

とはいっても、いつまでも微笑ましさに浸っている時ではなかった。

ダリアが困っていた。

「あぁ……これは……」

どうしたものかと彼女は嘆いていた。

網に大穴が空いている。

ラシンタの腿を締め付ける網紐を二本切ったから?

いや、そうではない。

そもそも腿で貫いた時点で網の目が大きくなってしまったのだ。

いまなら大人の拳が滑らかに出入りできる。

これは夫の捕獲網だ。

毎日ではないが、頻繁に持っていく物なのだ。

今日、置いていったのは偶然に過ぎない。

明日は当然持っていくだろう。

「修繕、苦手なのよ……」

と彼女はぼやいていた。

しかしスキュートは逆に平然としていた。

網紐を切ったことも大穴のことも承知していた。

破れている網を修繕するつもりなのだ。

彼が幼かった頃、漁師だった父ナビトから網について習っていた。

ところが父とは五歳で別れたので習得が不十分になってしまったが、その後を引き継いだのは母エミリアだった。

さすがは漁師の妻だ。

彼女のおかげで、子供でありながら網の修繕については漁師達に引けを取らなかった。

「これ、借りるよ」

彼は積んである薪から、人差し指位の木片を取り出した。

網針の代わりだ。

ダリアを安心させると、さっそく修繕を始めた。

是非、成功してほしいものだ。

でも、本当に上手くいくのだろうか?

〈戦士〉として悉く失敗し〈生活〉でも〈専門〉とは言い難かったのに……

だが、スキュートはあっという間に網針を置いた。

「はい、これで大丈夫」

「!」

彼女は早技に驚いた。

右足を突っ込んだり切断したのに、網は何事もなかったように復活していた。

「すごいよ、アンタ!」

ダリアは直った箇所を見て嬉しそうだった。

きれいな出来上がりだ。

狩人たちも自分の網を直すが、ここまで上手に仕上げることはできない。

一方、スキュートは真顔で彼女の笑顔と網を見つめていた。


——これか? これなのか?


彼は笑えなかった。

笑えるはずがない。

ずっと求めてきた〈生活〉の技をついに見つけたのだから。

翌日から集落の中央で修繕係を始めた。

すると次々にやってきた。

持ち込まれたのは捕獲網だけではない。

村人達は衣服の破れなら縫えるのだが、それ以外の物をきれいに修繕するのは苦手だったのだ。

皮革品やテント、変わった品もあった。

「鋼線もあるのだが、何とか頼めないだろうか?」

それは、一人の狩人が持ち込んだ鎖鎧だった。

以前、交易でケイクロイへ行った時に買ったそうだ。

集落に戻ると装備して狩りへ出てみたが、モンスターにさっそく穴を開けられてしまった。

ミスリル製は高価なので鉄製にしたのが原因だった。

彼は穴にガッカリしてテントに放置していたが、新たに始めた修繕係に希望を託して持ち込んだのだ。

壊れていない箇所を見ると網と鎖鎧では編み方が違っていたが、スキュートは諦めずに取り掛かった。

そして——

「……よし、できた!」

「おおっ!」

彼が狩人に広げて見せた時、鎖鎧の穴はきれいに塞がっていた。

文句なしの成功。

狩人は喜んだ。

今日からは自称ではなく、周囲が彼を網〈類〉の修繕係だと認める。

捕獲網の他に鎖鎧も修繕できたのだから。

それゆえの〈類〉だ。

これからも今回のように無経験なことが飛び込んでくるかもしれない。

でも無関係ではないはずだ。

網を修繕する姿を見た人が、もしかしたら直せるかも、と想像するのは関係がありそうだと思ったからだ。

スキュートはいま、網またはその類を直せる〈専門〉になれたのだ。

程度にもよるが、穴がきれいに塞がるかもしれない——

そのことに集落の中央は喜びに湧いた。

村人達だけではない。

ハリムもだ。

「すごいよ、器用なんだな!」

彼も今日はテントの中で薬草をすり潰していたのだが、外の声が気になって見に来たのだった。

「……ハリム」

やって来た彼に気付いたスキュートはどこかバツが悪そうだった。

それはそうだろう。

「戦士でなければ意味がない!」と彼に暴言を吐いたのだから。

しかもそのまま〈生活〉の技を求めて必死のあまり、謝罪を済ませていなかった。

そのために時間が経ってしまい、いまさら気まずかったのだ。

でも、


パチパチパチ——


ハリムは暴言のことなどもう気にしてはいなかった。

確かに「意味がない」と断言された時は腹が立った。

でもすかさず「魔法使いだけどな」と皮肉を返している。

魔法使いだけどな——

俺だって魔法使いだけど薬師もやってるけどな!

……と。

スキュートの暴言に対して反論は完了していたのだ。

その暴言が出たのも〈戦士〉を諦めていない者に〈生活〉へ転向するよう勧めたからだ。

反発されるのも当然だ。

よって一方のみが謝罪するのではなく、互いを勘弁できると良いのだが。

ハリムは笑顔で拍手している。

たどり着いた網類の〈専門〉を本当に素晴らしいと思っている。

では、スキュートは……

「俺も修繕係をがんばるよ。薬師のように」

心配いらなかったら。

気まずさが消え、笑顔になっている。

これにて仲直り。

二人はニッコリと握手した。


***


魔法使い兼薬師ハリムと網類の修繕係スキュート。

集落にとって便利な能力を発揮してくれる二人だったが、交易品の用意が整うまでだ。

傭術師達と一緒にケイクロイへ行く。

よって二人が永住しているわけではないので、いつかは集落を去る。

集落にとっては残念だが、二人にもケイクロイでの暮らしがあるのだ。

でもここでの日々を忘れることはないだろう。

特にスキュートは。

挫折しても踠き(もがき)続け、ついに生きる道を見つけたのだから。

残念ながらミスリル歩兵にはなれなかったが……

修繕の腕はきっとケイクロイでも光る。

網を直し、鎖鎧を直し、いつかミスリル装備だって直してみせる!

修繕係スキュートの将来は明るかった。

…………

……そのはずだった。

だが……


リューレシア大陸東部——

ブレシア帝国、帝都ルキシオから騎兵の大軍が西進を開始した。

間違いない。

敵も城も踏み潰す大陸最強の騎兵。

征西軍だ!

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