第13話「生活」

 昼——

 雨は降っていないが快晴とも言えない。

 雲は四割程度。

 空の青さが六割はあるのだからこんな日のことは〈快晴〉ではなく、ただの〈晴〉と表すべきか。

 すっきりしない……

 すっきりしないのはスキュートもだった。

 弓矢の訓練は昨日で終了した。

 彼にはもう集落に留まっている理由はなかった。

 よってハリムの言に従い、ケイクロイに帰ろうと思っている。

 と、思ってはいるのだが、すぐに出発することができなかった。

 ギニ族側の用意が十分ではないからだ。

 用意とは、モンスターの獣皮等のことだ。

〈大分断〉で大量に湧いたモンスターがこの地にも流れてきてはいるが、その量は一定というわけではなかった。

 多い年や少ない年があり、湧いてからの広がりが東西で偏っている場合だってある。

 今年はとにかく少ないようだ。

 ただ少ないだけなのか、偏っているのかは不明だが。

 そのためにケイクロイへ出発するのが少し遅れそうだった。

 そうなると、帰れないスキュートにはやることがなかった。

 いまさら魔法はやらないし、狩りに同行する気もない。

 同行でわかった才能は弓矢ではなくお笑い芸人だった。

 嫌だ……

 狩りに付いて行ったら、余計にお笑い芸人だという評価が高まってしまう。

 自分に戦士としての才能はない、と昨日思い知ったのだ。

 故に思う。


 頼むから、そっとしておいてほしい。

 クートやブクブクと騒がずに……


 そんな気持ちで塞ぎ込んでいると溜息が出てしまう。

「はぁ……」

 声を大きくしているつもりはない。

 ないが、ここはハリムのテントであり、中にはそのハリムとスキュートしかいない。

 そのせいで落胆の声がよく通ってしまうのだ。

 声だけでなく何かの音も。


 ゴリゴリゴリ——


「はぁ……」


 ゴリゴリゴリ——


「……それ、何してるの?」

「ん?」

 スキュートはゴリゴリと音を立てているハリムを呼び止めた。

 まな板に使えそうな平べったい石と拳大の石で何かの草をすり潰していた。

 香草?

 いや、作業は止まらないが一向に良い香りがしてこない。

 料理に使うのではないようだ。

 これは、

「薬草だよ」

 ハリムは魔法使いであると同時に薬師(くすし)でもあった。

 フェイエルム軍の歩兵隊では、敵の攻撃を受け止めた際に怪我をする者が少なくなかった。

 他国なら負傷兵が出た時に備え、神聖魔法で〈治癒〉できる神官が同行するところだ。

 神官だと戦場で不安なら戦闘能力がある神殿魔法兵でもいい。

 どちらも同じ広義の神官だ。

 しかしフェイエルムに神殿から派遣される神官は少なかった。

 神殿側はその理由をいろいろと述べてはいるが、要するに日々の信心が足らないせいだ。

 フェイエルムが強く信じているのは〈鉄〉と筋肉だ。

 実体のない神様とやらではない。

 そんな態度でいるから神様に仕えている神殿が熱心に神官を派遣するはずがなかった。

 さて、どうしたものか。

 神殿に頭を下げる筋肉はないが、怪我をした筋肉は痛い。

 そこで〈脇役〉の魔法使いや弓兵が薬草や応急の手当てについて学んだのだ。

 ハリムもその一人だ。

 そこでケイクロイへ出発するまで、魔法使いではなく薬師としての能力を集落で発揮していた。

 いまは集落の老婆のために薬草をすり潰していた。

 他の村人にも症状に合った薬草を処方しているので良く効き、彼は集落中で重宝されていた。

 ずっといてほしいと願われるほどに。

「なぁ、スキュート」

 薬草をすり潰していたハリムの手が止まり、スキュートを見た。

「どうしても戦士になるしかないのか?」

「なっ……⁉︎」

 この魔法使い兼薬師はいきなり何を言い出すのか⁉︎

 心の中で反論が完成していても、驚きが大きすぎて実際には一言しか出なかった。

 その代わり表情が雄弁に語り、不服さが滲み出ていた。

 つまり反対だ。

「反対か。でも——」

 でも、才能という奴を求めすぎているんじゃないか?

「!」

 スキュートの目が少し大きくなった。

 ハリムの話は続く。

 才能とは……

 ここはギニ族の集落であり、傭術師が沢山いるので魔法使いは必要ない。

 重宝がられているのは薬師だった。

 主役でも脇役でもない戦闘以外の才能が認められたのだ。

「スキュートの才能は〈戦士〉以外かもしれないよ」

 薬草を調合したり、屋根を直したり、おいしい料理を作ったり……

 これらはすべて立派な才能だ。

 と、提案しているのだが、

「……嫌だよ。そんなことをしていたら——」

 そんなことをしていたら、戦士からますます遠ざかってしまうではないか。

 スキュートあくまでも拘りを捨てるつもりはなかった。

 しかし彼の拘りがハリムの癪にさわった。

「遠ざかってしまう……か」

 癪から出た小さな呟きだ。

 けれども聞き流すことができなかった。

 せめて〈脇役〉の戦士にはなる。

 それこそが弱虫でも譲れない一線だった。

「そうだよ! 戦士でなければ意味がないんだ!」

「…………」

 一線というものは誰にでもある。

 必死に守ろうとして当然だ。

 興奮もする。

 だから気付かなかったのだ。

 ハリムの一線を踏み越えてしまったことに。


 ゴリゴリゴリ——


 突然、薬草をすり潰す作業が再開した。

 黙々と。

「ハリム?」

 呼びかけても返事はない。

 間違いない。

 彼が怒っている……

 なぜ?

 スキュートにはわからなかった。

 不愉快ならこっちが先なのに。

 戦士以外の道なんて絶対にあり得ないのだから。

 とはいえ怒りの理由が気にはなる。

 何なのか?

 それを尋ねようとした時だった。

「早く薬草をすり潰して婆さんに届けないと……」

 大声ではないが「ゴリゴリ」という作業音に打ち消されてしまう小声でもない。

 声はよく聞こえた。

 ……もう話を続けるつもりはない、ということだ。

 また、薬草ができあがったら届けに行ってくるという。

 話していたスキュートをテントに置いて。

「……そっか」

 これではハリムの怒りの理由はわからないままだ。

 わかっていることは「いまは話たくないし、同じ空間に居たくもない!」という拒絶の意思だった。

 スキュートは同意するしかなかった。

「外——うん、外に出てくるよ」

 何となく気まずくなってしまったのでそうすることにした。

 ハリムの怒りの対象は自分で間違いないようだ……

 対象がいなくなれば、怒りが和らぐかもしれない。

 テントの入口を開けようとした時だった。

「戦士——」

「ん?」

 声に気付いたスキュートが振り向く。

「戦士の道が弓矢以外でも何かあるのかもしれないし、今日も頑張って」

 外に出ようとしている者に追い打ちをかけるのかと思ったが、そんなことはなかった。

 声がいつも通りなので少し安心して返事をした。

「婆さんの薬草だっけ? ハリムも頑張って」

「ああ、俺も頑張るよ」

 お互いの挨拶はこれで終了だ。

 少し険悪になりかけたが、未然に回避できて良かった。

 ところが、テントから半身が出たところだった。

 挨拶が終わってはいなかった。

 続きがある。

「……魔法使いだけどな」

「?」

 気になって振り返ったがすでに「ゴリゴリ」の音が大きくて、質問できる状態ではなかった。

 テントの外に出たスキュートは入口を閉めた。


 スー、ハー。


 外の空気が肺に満たされる。

 それにしても、

「…………?」

 やはり気になる。

 最後の「魔法使いだけどな」という言葉。

 あれはどういう意味だったのだろう?

 考えながら歩く。

 一歩。

 二歩。

 三歩。

 さすがに三歩で何かを閃くはずもなく、五歩、一〇歩と歩みは続く。

 そして三〇歩を越えた時だった。

「あ……」

 スキュートが気付いた。

 いましがた、ハリムに向かって確かに言った。

 戦士でなければ意味がない、と。

 では、自分は何だ?

 歩兵でも魔法使いでもない。

 傭術師や弓使いは向いていなかったというわけでもない。

 怖いのだ。

 敵と対峙し、迎え撃つ勇気がない。

 戦うということに不向きな性格だったのだ……

 それで戦闘以外である〈生活〉の才能をと薦められたのだが「意味がない!」と突っぱねてしまった。

 自分は何者でもないのに、薬草をすり潰している魔法使いに向かって……

 ハリムのことを無意味な奴だなんて思うはずがない。

 魔法使いであり、薬師でもあるなんてすごい奴だと思っている。

 むしろ、意味がないのは自分だ……

 周囲を見渡すと、そこに〈戦士〉がいないことに気付く。

 ここでの〈戦士〉は狩人や傭術師だ。

 彼らは狩りに出かけているので集落にはいない。

 いるのは洗濯をしている者、薪割りをしている者、針仕事をしている者……

 すべて〈生活〉の者だけだった。

 ギニ集落だけではない。

 ケイクロイでも似た風景が広がっているはずだ。

「どうして気が付かなかったんだろう」

 スキュートは思い知っていた。

 何の戦士にもなれなかったのは不向きだったから。

 才能は必要だろう。

 でも〈生活〉は違う。

 生活とは、つまり〈生きる〉ということだ。

 ただ生きるということに、才能はいらなかった。

 もっとも、中には技量を求めるものもある。

 初めは下手かもしれない。

 でも繰り返していれば、やがて上手になっていく。

 これはもう立派な才能だ。

 活躍の〈道〉は戦闘以外でもあったのだ。

 スキュートは振り返り、テントへ引き返した。

 ハリムに暴言を謝りたい。

 だがテントの入口に手を伸ばした時、


 ゴリゴリゴリ——


 外まで届く薬草の音が大きかった。

 先程と変わらずに。

「〜〜〜〜っ」

 入口を開けることができなかった。

 開けて、何と言うのだ?

 道として〈生活〉は無意味だが薬師だけは立派だ、と悉く失敗してきた者が褒めるのか?


 最低じゃないか……


 スキュートは結局入口に触れず、そのまま立ち去った。

 彼は決めたのだった。

 まだ日が高く、狩人たちは戻らない。

 だから夕方までに見つけるのだ。

〈戦士〉には拘らない〈生活〉の才能を。

 ハリムにはそれから謝ろう。

 途中、彼は立ち止まって空を見た。

「父ちゃん……」

 思い浮かぶのは父、ナビトのことだ。

 普段は漁師であり正規軍ではないが、漁村に危険が迫ればミスリルで武装して戦う。

 父は本物の〈主役〉だった。

 目標だった。

 なのにいまはその目標から遠ざかっていく一方だ。

 歩兵をやめ、その他の〈戦士〉もやめ……

 このまま何かの〈戦士〉になれなければ父に恥ずかしい。

 でも〈生活〉の才能が見つからなければ父だけでなく、もっと広い範囲で恥ずかしそうだ。

「見つけよう……必ず!」

 空を見るのをやめて正面を向いた時、スキュートから迷いが消えていた。

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