第12話「才能」

 ギニ族の集落、夜——

 夕日が沈んで空が群青色に染まるころ、ぼっち峠からスキュートたち三人が帰ってきた。

 傭術師の一行らしく、リッサとハリムは虎に跨り、スキュートは蜘蛛虎に乗せられて。

 彼が跨っていたとは言いがたい。

 蜘蛛虎の背に縛り付けられた状態で気絶していたのだ。

 集落の人々は噂した。

 よく気絶する男だ。

 初めてやってきた日、気絶した彼を単眼巨人が担いで来た。

 翌日も、気絶している彼を蜘蛛虎が運んで来た。

 明日は何に運ばれてくるのだろう、と。

 たが、それはない。

 気を失っていた彼は朝に目を覚まし、ハリムに礼を述べた。

「魔法を教えてくれてありがとう」と。

「…………」

 せっかくの礼に、無言を返したのではない。

 広場で口いっぱい朝食中だったので、急に話ができなかったのだ。


 モグモグモグ……ゴクン。


 ハリムの口がやっと空いた。

「やっぱり、やめてしまうのか?」

「うん」

 スキュートの返事は簡潔だった。

 だって昨日の失敗理由を並べても仕方がないのだ。

 魔力の壁が薄かったとか、展開した範囲が狭すぎたとかではない。

 とにかく、できなかったのだから。

 ハリムは一人前になったばかりで、昨日の指導は初めてのことだ。

 でも魔法使いの師匠が初心者に冷たい理由をわかってしまったのだ。

 いや、冷たいのではない。

 冷静なのだ。

 才能がないのに魔法練習の回数を増やしても、やっぱり自分にはできないのだと思い知るだけだ。

 逃げる初心者を追いかけても、それでは拷問になってしまう。

 魔法の指導が拷問になってはいけない。

 それを見誤らないために、師匠は冷静だったのだ。

 ハリムは見誤っていたことを自覚していた。

 もうやめようとする者を止めはしない。

「それで、これからどうするんだい?」

 スキュートが魔法をやめたことはわかっている。

 火の玉や障壁を生み出す〈感覚〉がないのだ。

 他の術でも同じだ。

 では、魔法の感覚がない彼はどうするのか?

 まさか……

 ハリムの中で疑いが生じてきた。

〈主役〉と〈脇役〉を繰り返す悪い前例にならい、ミスリル歩兵の道へ帰るつもりなのでは?

 フェイエルムでは、よくある話だ。

 しかしその疑いは全くの誤解だった。

「違うよ。アレに挑戦してみようと思うんだ」

「アレ?」

 ハリムは彼の人差し指の先をいっしょに見てみた。

 そこでは、若者たちが狩りの準備をしていた。

 弓矢の弦を張り、捕縛網を束ねる。

「狩人?」

「弓兵だよ」

 フェイエルムでの〈脇役〉は魔法使いだけではない。

 弓兵というものもある。

 弓兵は遠距離攻撃で歩兵隊を補佐する兵科だ。

 必要な能力は集中力のみ。

 魔力とか、具体的に思う力とか、そういうわかりにくいものは必要ない。

「これならできるかもしれない!」

 と、スキュートは力説している。

 もうすぐ出発する狩人たちに同伴し、弓矢を習うつもりだ。

 彼の考えはわかった。

「できるといいな。頑張れよ!」

 ハリムも弓矢は素人なので、昨日のような指導はできない。

 できることは応援だけだった。

 そして午後——

 ハリムのテントに人影が入ってきた。

 人影は焚き火の前で座り込み、両膝を抱えて塞ぎ込んでしまった。

「……ダメだった」

 塞ぎ込んだのはスキュートだった。

 弓矢に魔法の能力は不要。

 あとは集中するだけだ。

 と、思っていたのだが、考えが甘かった……

 たとえば猛獣が突っ込んできたら、急所目掛けて矢を放つ。

 狩人とはそういうものだ。

 もちろん恐怖はある。

 しかしそれを上回る勇気で克服し、一射に集中するのだ。

 だが、彼は違った。

 猛獣が突っ込んできたら、すぐ逃げる。

 もちろん勇気も辛うじてあった。

 しかしそんなちっぽけな勇気は恐怖に掻き消され、集中どころではなかったのだ。

「俺、何だったらできるのかな……」

「…………」

 膝と膝の間に顔を埋めて呟かれても、ハリムには的確な返事が見つからなかった。

 初心者の矢がいきなり当たるとは考えておらず、反復練習で命中精度が上がっていくのだと思っていた。

 それがまさか走って逃げるとは……

 弱虫の程度を測り損ねていた。

 困ったハリムは、

「そ、そんなこと言わずに、明日からも頑張れよ」

 と励ました。

 ……励ましというより苦しい言い訳に聞こえる。

 だが、そう決めつけるのは早かった。

 魔法は〈感覚〉があることを初練習で示さなければならないが、弓矢は違う。

 練習回数は何度だっていいのだ。

 矢を命中させる〈コツ〉をつかむことが大切なのだから。

「そうか……うん、そうだな!」

 苦しまぎれだったが、スキュートにとっては十分な応援になったようだ。

 今日がダメでも、明日はコツをつかめるかもしれない。

 毎日あきらめずに続けていれば、やがて立派な弓兵になれる。

 きっと!

 取り組み始めた弓矢に、魔法のような理不尽さはなかった。

 翌日、スキュートは狩人たちと練習に出かけた。

 そして一週間後——

「……ダメだった」

 彼は一週間前と何も変わらなかった。

 ハリムの横で座り込んでいるのも変わらない。

 折れた心を立て直し、翌日から練習を再開したのだが……

 やっぱり逃げてしまうのだ。

 一週間で得たものは何もなかった。

 一方、狩人たちが得るものはあった。

 獲物だ。

 とはいえ、弱虫を連れて行くと狩りの邪魔になるのでは?

 とんでもない!

 邪魔どころか、お手柄であることを見つけたのはリマルカタだった。

 あれは練習二日目でのこと。

 初日で心が折れたのに、翌日には立て直してきたことは立派だと思う。

 だが、立派なのはここまでだ。

 二日目もやっぱり逃げた。

「それじゃ、一日目と」

 呆れたハリムの声に、

「同じになっちゃった……」

 暗く沈んだスキュートの声が繋がってしまった。

 逃げたことであんなことになるなんて……

 猛獣に追われ、彼は大きな悲鳴を上げながらリマ兄に向かって逃げてしまった。

 これが通常の狩人なら「巻き添えにする気か!」と怒るところだ。

 けれどもリマ兄は違った。

 狩りにせよ、傭術にせよ、獲物の動きが変則的であるより直線的だと狙いやすい。

 猛獣は弱虫を一直線に追いかけていた。

 それで気付いたのだ。

 この状況がぼっち峠と同じであることに。

「……で、リマ兄が『お手柄だ!』と?」

「うん。毎日褒めてくれたよ。でも——」

 スキュートはより一層、下を向いてしまった。

 彼はいまでも、なれるならばミスリル歩兵になりたいと思っている。

 でもそれが体格的に無理だということは理解している。

 だから魔法使いや弓兵を目指した。

 どれでもいいからなりたいのだ。

 父のような侵略者を撃退できる〈戦士〉に。

 脇役でも戦士と名乗るからには、何かが有能でなければならない。

 魔法が得意であるとか、弓矢がうまいとか。

 周囲からお手柄と評される能力が不可欠なのだ。

 だが皮肉にも、お手柄だったのは弓矢ではなく、悲鳴で注目を集めてしまう臆病さだった。

 狩りがはかどるので兄は「お手柄だ!」と毎日褒めてくれたが、これではまるで——

「まるで囮(おとり)じゃないか……」

 繰り返すが、戦士になりたい。

 立派に一翼を担える、そんな戦士でありたい。

 囮の能力ではダメなのだ。

 それでは一翼を担えても、戦士ではない。

 リマ兄たちは「狩りのためにこれからもぜひ!」と誘ってくれたが、

「弓矢の練習はお礼を言って、もう断ったよ」

「…………」

 ハリムは言葉が出なかった。

 でも心の中では同意していた。

 もう断るべきだろう。

 これでは練習なのか囮なのかわからなくなってしまう。

 それにしても、スキュートにできることは一体……


 翌朝——

 テントから出てきたスキュートに小さな男の子が声をかけてきた。

「はよ、クート」

 男の子の名はラシンタ。

 リマルカタの四歳の息子だ。

「はよ」ではなく「おはよう」が正しいのだが彼にはまだ難しかった。

 正しい言葉も傭術も、成長するに従って覚えていくのだろう。

 そして、間違っているものはもう一つある。

 名前だ。

「おはよう」

 小さな勇者ラシンタに挨拶を返しているのは「クート」ではなくスキュートだった。

 幼さ故に挨拶だけでなく名前まで間違えていた。

 クートではないと何回訂正しただろうか……

 二回訂正したが全く直らず、三回目には強く言ったが面白がるだけだった。

 四回目であきらめ、仕方なくクートという呼び名を受け入れた。

 だから今朝も元気に、

「ちょーちょくだよ、クート! クート!」

「……その連呼、ワザとだろう?」

「ちょーちょく」とは朝食のことであり、クートと連呼しているのは怒られて面白かったからだ。

 悪ガキめ……

 しかし面白がっているのはこの小さな勇者だけではなかった。

 広場に出ると、他の子供たちも集まっていた。

 楽しげに。

「あ、クートだ!」

「クート! クート!」

「ねぇ、ブクブクやって! ブクブク!」

 何というか……

 このわんぱく小僧共め!

 スキュートは立腹だった。

 ウケ狙いで泡を吹いたのではない。

 極限の恐怖で気絶し、泡を吹いてしまったのだ。

 他にもおかしい点がある。

 ラシンタより年長の子供たちまで「クート」と間違えているのはなぜだ?

「『クート』っていうのは——」

 彼の不満な疑問に、隣でパンを食べているリッサが答えた。

 クートとは、ギニ語で「ひょうきん者」を意味する。

 ラシンタはスキュートと言えず、言葉の意味がわからないままクートになってしまったが、他の子供たちは違う。

 意味を正しく理解し、その上で純粋に面白いから言っているのだ。

「ひ、ひょうきん者⁉︎ 面白い⁉︎ どこが——」

 スキュートから文句が溢れ始めそうになるが、彼女は最後まで言わせはしなかった。

「実際、ひょうきん者なんだから仕方ないでしょ。だってアンタ——」

 初めて集落へやってきた日は、カニのように泡をブクブクと。

 二日目の午前は石を投げられてボコボコになり、午後はやはりブクブクと。

 気絶している姿がカニのようだったり、カエルのようだったりだ。

「カニ……カエル……」

「子供たちの前でブクブク、ボコボコと面白いのよ!」

 そもそもスキュートはフェイエルム人の誇り、ミスリル歩兵を目指していた。

 その彼に向かって面白い、と……

 朝からキツイ宣告だ。

「よかったじゃない、才能が見つかって」

 才能……

 スキュートにとって、いやな予感しかしない言葉だった。

 戦士でありたい心がいまにも折れてしまいそうだ。

 リッサは語った。

「お笑い芸人」

 …………

 ……折れた。

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