第4話「小兵」
大陸西部、昼——
大型の禽獣グリフォンを討伐しに、フェイエルム正規軍歩兵隊三〇〇人は東の国境を越えて大陸西部へやってきた。
付近に人の気配はない。
ただの人がこれ以上進むのは危険だ。
大陸西部から中央部に入ってしまうからだ。
大陸中央部といえば、強力なモンスターが湧き出てくる〈大分断〉を忘れてはならない。
その名の通り、大陸は東西に分断され、陸での交流が妨げられている。
西部で徘徊しているモンスターは危険だが、中央部の危険はそれ以上だ。
単眼巨人の集団が生活していたり、キマイラが大きな竜に狩られていたり……
道理で人間が陸を諦めて海を往くしかなかったわけだ。
さて、退却した巡回隊の様に、歩兵隊もあと少し進まなければならない。
禽獣を誘き出す為、わざと縄張りに踏み込むのだ。
では、どの方角に踏み込もうか?
東は中央部に近付いていくので危険過ぎる。
禽獣にとっても危険だったからこそ西部に流れ着いたのだ。
よってそれ以外の方角にする。
まずは北を見る。
北は平原が続き、その先には海が広がっている。
見晴らしは良いが、ここに禽獣が住むだろうかと考えてしまう。
太腿位の草が広く生えている平原には、目印となる奇岩や巨木が少ない。
だから縄張りの重なり合いが起きやすく、モンスターや肉食獣の争いが絶えない。
これでは禽獣が落ち着かないだろう。
よって、北には来ないと断定する。
そこで南に決めた。
南には低山が幾つもあり、その山を越えて更に南下すると高山がそびえている。
その景色を見て、隊長は一つの予測を立てた。
禽獣が最近縄張りにした国境付近の山とは、南の低山ではないだろうか?
高山は竜が生息地にするので勝ち目はないが、低山なら奴が縄張りを主張出来そうだ。
それ故に、縄張りへ近付いた巡回隊に奇襲攻撃を仕掛けたのだ。
この様に、前回の不意打ちは人間側が逃げるしかなかった。
だが、今回は違う。
最初から禽獣と戦うつもりで進軍しているのだ。
もう不意打ちを受けることはない。
歩兵隊は周囲を警戒しながら、二列縦陣で低山へ進んだ。
今日の天気は晴れ。
少し雲が流れている。
でも雲で日が陰る度に、歩兵がハッと驚いて上方を警戒した。
それが自然な雲の陰ではなく、空から飛び掛かって来た禽獣の陰かもしれないからだ。
いま必要なのは日々の勇猛さではなく、慎重さだった。
「ちっ、また雲だったか」
「おい、陸にも注意しろよ」
その通り。
禽獣で警戒すべきは翼だけではない。
四本の脚も力強く発達している。
歩兵隊が近付いた途端、前方の叢から突進して来るかもしれないのだ。
「……ゴクリ」
今日のスキュートの位置は列の中央。
彼の警戒態勢は素晴らしかった。
高く繁っている叢を誰よりも恐れ、雲の陰を誰よりも怯えている。
……周囲への警戒が敏感だというより、いつも通りの臆病者なのではないだろうか……
いや、用心深いのだと褒めておこう。
空をキョロキョロ。
全方位をキョロキョロ。
前ばかり見ず、周囲を見る目が本当にお手柄だったと言える。
だから一番に敵を見付ける事が出来たのだ。
左後方、高い叢から大きな陰が飛び掛かってきた。
禽獣グリフォンだ!
「うわあああっ! グ、グ、グリ、グリ——!」
グリフォンだと正確に言え……
残念。
スキュートが発した声は敵発見の第一報ではなく、ただの悲鳴だった。
なので第一報は、悲鳴のすぐ後ろで見た歩兵によって告げられた。
「左後方斜め上にグリフォン!」
歩兵隊は二列縦陣のまま。
禽獣はその列の中央に飛び掛かって来た。
しかし中央付近の歩兵達の反応は素早かった。
四人の大盾が瞬時に並ぶ。
ガンッ!
斜め上から降って来た禽獣が彼らの大盾を踏み潰す。
「くっ!」
現れた禽獣グリフォンの大きさは人間を三〇人集めた程だ。
いくら屈強なミスリル歩兵といえど耐えられず、四人は地面に倒れた。
「ケエエエーッ!」
禽獣が甲高くたける。
完全に先手を取られた。
奴が二列縦陣の中央に飛び込んで来たので、隊の前列と後列に分断されてしまった。
今回も不意打ちを受けた事を認め、退却するしかないのか……
いいや、そんな事はない。
確かに先手は取られたが、敗北するではないのだ。
フェイエルム軍は重装歩兵を基本としている。
その頑丈さで敵の攻撃を耐え凌ぎ、しかる後反撃する。
だから相手からの先手は今日もいつも通りなのだ。
いつも通り敵の攻撃を受け止め、勢いが止まったら——
「突けーっ!」
隊長の声が前列と後列に届いた。
禽獣によって部隊を分断されてしまったのではない。
敵の攻撃が終わったので、今度は人間側の攻撃だ。
丁度中央にいる敵を挟み撃ちにしてやろうと、列の前後から槍を突き出した。
ヒュン! ヒュヒュッ!
だが禽獣の動きは早かった。
槍を避けて飛び上がり、隊の前方に着地した。
槍は一本も当たらなかった……かに見えたのだが、どうやらそうでもない様だ。
禽獣の胸と臀部から血を流していた。
とはいえ傷は浅く、重傷を負わせる程ではなかった。
「グケエエエーッ!」
歩兵隊に向かって再び咆哮。
痛みで怒りを買ったのか?
或いは縄張りに踏み込んできたのが大勢だったから頭に来たのか?
たぶん両方だ。
禽獣は爪で地面を掻き、再び飛び掛かる用意をととのえている。
対する歩兵隊は——
「陣形を組め! 奴を囲むぞ!」
隊長に従い、直ちに陣形が組まれた。
陣形は左右が前進し、中央が後ろから続く。
敵を中央で食い止め、左右が包囲する。
半月型の陣形だ。
歩兵隊の陣形は整った。
禽獣もどこに突っかかって行くかを決めた。
中央だ。
中央で、隊の一人が槍を高く掲げた。
モンスターや猛獣に対する「こっちに来い」という誘導だ。
そして——
ミスリル歩兵と禽獣が対峙した。
「かかれーっ!」
「ケエエェェッ!」
両者の突撃が始まった。
大型の禽獣グリフォンとフェイエルム正規軍歩兵隊の戦いは続いた。
禽獣は爪で大盾を引っ掻き、大きな翼で突風を起こす。
歩兵は突風が来る度に大盾で防いだ。
そうしないと体勢を崩され、大盾の隙間から爪で切り裂かれてしまいそうだ。
いまは〈受け〉の真っ最中だ。
しかし彼らにとって〈受け〉は劣勢ではない。
大盾で敵の攻撃を凌いだら直ちに反撃だ。
歩兵隊は禽獣を正面が受け止めて左右が槍で突いた。
鷲の頭を突き、胸や脚を突く。
あっという間に血だらけになった。
しかし槍を沢山お見舞いしているのに、敵が一歩も引き下がらない。
段々、嫌になってきた。
「くそ! しつこい奴だ!」
嫌になってきてはいるが、彼らだって引き下がるつもりはない。
ないが、つい弱音が漏れてしまったのだ。
それほどまでに、禽獣の剣幕はものすごかった。
これが新しい縄張りを守るという事なのだった。
もしこの人間三〇〇人に負けたら立ち退かなければならないが、一体どこへ?
どこへといった所で、他に居る場所はないのだ。
以前は大陸中央部で暮らしていたが、その縄張りは奪われてしまった。
大陸中央部は本当に恐ろしい地なのだ。
大型の禽獣から縄張りを奪うモンスターが実在する。
あれは化け物だ……
化け物に敗れた禽獣は縄張りを明け渡すしかなかった。
だから大陸西部へやって来たのだ。
ここを新しい縄張りに出来るか否かに生存が掛かっている。
一方、人間側にとってそんな事情は関係ない。
正確に線を引いているわけではないが、この辺りをフェイエルム領だと認識している。
なのに、この辺りの猛獣や小型モンスターは多い。
だから巡回隊を派遣し、安全を確保しようと努力しているのだ。
いつかもっと安全になったら、民を入植させたいと思っている。
よって人間側が譲る気はない。
後は押し合いでどちらかが勝つしかなかった。
「うおおおっ!」
「ギョロロロ! ケエエエッ!」
両者、一歩も引かない。
押したり、押し返したり。
隙を見付ければ歩兵が槍で突く。
しかしその動作を禽獣も見逃さず、嘴で大盾に噛み付いて剥がそうとする。
互角の応酬が続いた。
けれど、この戦いに引き分けは有り得ないのだ。
どちらかが必ず敗れる。
どちらなのかというと……
禽獣だった。
「グ、グギョロロロォッ!」
大型の身に槍の一突きでは致命傷にならなかったが、何せ回数が多い。
一突き、二突き、三突き、もっと。
一つの傷口から出ている血は少ないが、合計すると相当な出血量になる。
その分だけ体力が落ちていった。
「ケエエエッ! ゼェゼェ……」
槍と大盾に囲まれながら、禽獣は考えた。
長期戦は不利だ。
人間を二、三人まとめて突き飛ばす事は簡単だが、すると別の人間が左右から槍で攻撃してくる。
さっきからこの繰り返しで、血を流しすぎた……
このままでは人間共に負けてしまう。
いや、負けだけでは済まない。
いまの様な戦いを続けていると、逃げる力を失って狩られてしまうかもしれない。
そこで、禽獣は退却すると決めた。
まだ体力が残っているうちに飛んで逃げる。
けれども、この場所を人間共に明け渡すのは嫌だ。
改めてやり直すといっても、新たな縄張りにできそうな場所は少ない。
それを思うと。やっぱり悔しい……
でも、知っているのだ。
今日、人間が大勢いるのは怒っている時だからだ。
普段は小人数だ。
手強い大勢を相手する事はないのだ。
これから去る前に一撃加えてやる。
どうやって一撃加えるのかというと、一人攫ってからこの場を離脱する。
飛んで遠くへ連れて行き、そこで八つ裂きにする。
終わったら高所から亡骸を放り込んでやる。
つまり見せしめだった。
さて、誰にしようかと禽獣が周囲を眺める。
空を運ぶのだから、なるべく小さくて軽そうな奴がいい。
左、斜め左、中央……
中央で視線が止まった。
「!」
禽獣は中央の歩兵と目が合った。
視線は怒りではなく、嬉しそうだった。
なるべく小柄で体重が軽そうな、小兵を探していたのだ。
その探し当てた小兵こそが、スキュートだった。
「ケエエェェッ!」
禽獣は彼に向かって突撃した。
彼だけが小さくて軽いという弱点を抱えていた。
そして弱点がもう一つある。
心だ。
どうしても心が弱かった……
突っ込んで来る禽獣に、隣の歩兵が気付いた。
「来るぞ、スキュート!」
隣の歩兵ともう一人が大盾を被せて弱い仲間を守ろうとする。
でも、果たして守れるだろうか?
さっき、四人纏めて禽獣が吹っ飛ばしていたのだが……
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