第5話「また懲りずに」
禽獣グリフォンはスキュート目掛けて突っ込んで行った。
直前、頭を低くする。
頭突きだ。
弱い彼は完全に狙われていた。
危険を察知した歩兵二人が大盾で素早く立ち塞がったが、果たして防げるだろうか?
——あの頭がこっちに来る!
大盾を持つスキュートの手に力が入る。
手だけではない。
全身もだ。
これから襲い来る衝撃に備えて踏ん張ろう、と言う事なら勇ましかったのだが……
全身に力が入っているのは恐怖心故にだった。
彼の全身は硬直していた。
そして衝突!
ガァン!
まずは歩兵二人にぶつかった。
頭突きをこらえようと彼らは歯を食いしばったのだが、たった大盾二枚では足らなかった。
「ぐはっ!」
「うぐっ!」
二人は軽々と吹っ飛ばされてしまった。
続いてスキュートの番だ。
頭突きの勢いは全く衰えず、まるで猛牛の様にそのまま突進して来る。
「し、障壁……」
衝突まであと少し。
まさに生死の境だ。
身体が硬直するのも無理はない。
にもかかわらず、唇だけが動いた。
唇から出た言葉は、命乞いではなかった。
それは魔法の文言——
幼き頃に母から教わった〈障壁〉の呪文だった。
でも……
本当に魔法ができるのか?
先日、運動場一〇〇周の特訓において、鞭が辛くて〈障壁〉を展開しようとした日があった。
あの時は確か、失敗したのではなかったか?
だが今日はあの時と状況が違うのだ。
運動場一〇〇周の時は鞭を止めてほしいだけだったが、いまは生命が掛かっている。
この生死の極限下では、普段の数倍の集中力を発揮しているに違いない。
ドドド——!
大地を蹴って、禽獣の大きな頭が真近に迫る。
ドドドドドド!
このままスキュートが禽獣に吹っ飛ばされて宙を舞うのか?
あるいは障壁の発動に初めて成功し、禽獣をはね返すのか?
頭突きが大盾に激突した。
ガァン!
一方は人間三〇人分の体格で相手を吹っ飛ばす禽獣。
一方は魔法の力で大型の禽獣をはね返そうとするスキュート。
結果は——
「ぐぼぁっ!」
スキュートの負けだった。
障壁の魔法に期待していたのに。
生命の極限下で高まったのは魔力ではなくまたもや恐怖心だった。
あとは敗者の定め通り——吹っ飛ばされた。
「ス、スキュートー!」
激突を近くで見ていた者が上方に向かって叫んだ。
他の歩兵なら重量があるので水平方向へはね飛ばされるだけだ。
しかし彼は違う。
小兵の軽量故に、曲線を描いて高く飛ばされてしまった。
そこに禽獣が追い掛けて飛んだ。
嘴を大きく開き、空中のスキュートに噛みついた。
ガキッ!
噛みついたのが大盾と左腕の籠手だったので腕はついばまれずに済んだ。
装備がミスリル製で良かったのだが……
「うわぁっ! た、助けて!」
勇敢に恐怖を乗り越える事はできなかった。
スキュートを咥えたまま、少しずつ禽獣の高度が上がっていった。
少しずつだ。
グングンとは上昇できない。
咥えて飛び始めた直後は上昇速度が思う様に上がらなかった。
でもすぐに慣れる。
次第に、彼の重さに慣れていった。
——このままでは弱虫が空の彼方に連れ去られてしまう!
そう心配する歩兵が槍を持ち替え、投擲体勢を取った。
「この野郎、ウチの弱虫を返しやがれ!」
禽獣を怒鳴り付け、勢い良く槍を投げた。
だが、
「よせっ!」
隊長が制止の声を上げるが間に合わず、歩兵の槍は真っ直ぐ飛んでいった。
ガキン!
「ひっ!」
槍の軌道からスキュートの顔に刺さりそうだったが、顔を横に倒して避けた。
危機一髪だった。
「嘴以外を狙え! 早く落とせ!」
嘴で咥えたままなので、いまの投槍の様に禽獣の頭部を狙うのは危険だ。
下手をするとスキュートに当たってしまう。
歩兵達は嘴以外を狙って投擲や刺突を繰り出した。
けれども禽獣の高度は上がっていくばかり……
とうとう誰も届かない高さになってしまった。
「だ、誰か助けて! 早くーっ!」
「おまえも自力で嘴から脱出しろ!」
スキュートは足をジタバタさせるが、嘴に咥えられた腕はビクともしない。
救出は不可能だった。
弱虫を捕らえた禽獣は翼で風を掴み、丘を越え、小川を越え、低山の向こうに消えていった。
***
魔法とは——
思いの力だ。
以上。
…………。
……説明が不十分だったか。
もちろん、これだけで魔法が成立する訳ではない。
思っただけでできるのは大魔法使いだけだ。
しかしこれは超人の話をしているのではない。
もっと普通の魔法の話だ。
だから常人の魔法使いの話をしよう。
では彼にとって、魔法に必須のものは?
実現にはいろいろな要素が必要だ。
正しい術式だったか?
呪文は一言一句もれなく詠唱できたか?
この二つは確かに重要だ。
だが、これだけでは実現に足りない。
術式と呪文は魔法の〈外形〉ができあがったにすぎず、〈中身〉が空っぽなのだ。
中身とは、魔力の事だ。
例えば火球の魔法なら掌に球状の火が必ず現れると強く思う事。
魔力にとって重要なのはそこだ。
その魔法を具体的に想像し、疑問の余地なくそこに〈ある〉と信じる。
つまり大切なのは思いの力なのだ。
これぞ無から有を生み出す力。
魔法だ。
火の魔法なら揺らめき、全てを焼き尽くす火が〈ある〉
氷の魔法なら凍てつき、全てを真っ白に覆い尽くす氷が〈ある〉
では、障壁の魔法なら……
***
大陸中央部——
禽獣グリフォンは嘴でスキュートを咥えたまま、低山を東に越えて森林地帯の上を飛んでいた。
もうここはどの国の辺境でもない。
〈大分断〉の地帯なのだ。
いつからか、この地では強力なモンスターが溢れ出てきて、出会った動物を皆貪り喰った。
しかし黙って喰い殺されている奴らではなかった。
奴らとは肉食獣だ。
〈大分断〉出現当初は逃げるか、捕まって喰われるかの二つしかなかったが、いまは違う。
爪や牙を研ぎ、仕掛ける機を狙う。
すると見えてくるのだ。
大型モンスターからは逃げるしかないが、小型が相手なら体格で勝っている。
怪我をして弱っている中型モンスターはどうだろう?
どちらがどちらを喰うかは決まっていないのだ。
モンスターが肉食獣を喰う時があれば、肉食獣がモンスターを喰う時もある。
大陸中央部は弱肉強食が鬩ぎ合っている戦場だった。
毎日が戦場。
いまが戦場。
それがこの地での日常だった。
その日常の森林地帯を見下ろしながら、スキュートはぼやいていた。
「放せよ! どこへ連れて行く気だ⁉︎」
もう空中でジタバタと暴れはしない。
嘴から腕が外れたら大変だ。
墜落はしたくない。
仕方なく大人しくしているしかないのだが、不安は増していくばかりだ。
つい「放せ」と悪態をついたりしてみたが、禽獣が返事をするはずもない。
だから一人で考えるしかなかった。
——一体、どこへ向かっているのか?
考えてはいるが、スキュートにはわからない。
だが彼にわからずとも、良くない場所である事は確かだ。
ここは大陸中央部、人間が単独で生き残るのは不可能な地。
意味はすぐにわかる。
すぐに……
前方を見ていると、森林が途切れているのが見えてきた。
池だ。
スキュートは空中から前方を見下ろして驚いた。
「! あれは!」
彼の驚いた声が合図だったかの様に、禽獣が高度を下げ始めた。
高所では小さかった池のほとりが、いまは大きく見える。
何に驚いたのか?
それは別の禽獣だった。
大きさは二〇人集めた程度。
一緒に飛んでいる個体より小振りだ。
小振りな禽獣は下を向き、嘴を動かしていた。
下を向いて、ゴブリンを喰っていた。
スキュートは嘴を見上げて狼狽えた。
「お、おまえ……ここで俺を⁉︎」
運んでいる禽獣の考えがわかったのだ。
ゴブリンの様に、ここで喰う気だ!
…………
……と、恐ろしくてそう考えたのだろうが少し違う。
彼の考えは違うのだ。
ここへは人間一人を喰いに来たのではない。
禽獣が考えたのは見せしめの事だ。
つまり、大勢の人間共が縄張りを奪おうとしたから、捕まえた一人を八つ裂きにしてやるという事だ。
その方法についてだが、
「ワンワンワン——!」
食事中の小振りな禽獣が、オオカミの群れに囲まれてしまった。
「ケエッ! ケエエェッ!」
右だけでなく左のオオカミも追い払っているが、所詮、禽獣は単独なのだ。
オオカミ共が敵の死角全方位から獲物を横取りしようとする。
これは一対一ではなく、一方位対全方位の争奪戦だった。
一噛み。
また一噛み。
噛まれる度にゴブリンの死骸が分解され、あらゆる方角に持ち去られて行く。
全てがなくなるのに時間はかからなかった……
つまり、スキュートを同じ目に遭わせてやりたいのだ。
オオカミはまだ近くにいるのか、もしくは別の群れが来るのか。
それはまだわからないが、ゴブリンと同じ場所に落としてやれば、再び似た様な争奪戦になる。
肉片を一つ確保し、人間共の上空に戻れば用が足りる。
だから獲物を投下する地点目掛けて、刻々と高度を下げているのだ。
いま池の水面上を飛び、あと少しでほとりに着く。
もう、絶対に助からない……
絶望が心を埋め尽くしたのか。
あれ程うるさかった「助けて!」の叫び声は消えた。
いまは静かだ。
その代わり、スキュートが何かを呟いていた。
またか。
静かな声でまた助けを求めているのか。
…………
……いや、違う。
命乞いではない。
それは障壁の呪文だった。
やっぱり「助けて!」か〈おまじない〉なのか……
これではいつも通りだ。
追い詰められると障壁の詠唱を始めるが、心の中では必死に助けを求めている。
だから〈おまじない〉に過ぎず、決して魔法にはならないのだ。
障壁の魔法は、キズ一つ付かない魔力の壁が現れよと強く念じる事が肝要だ。
誰かを助っ人として呼び寄せる魔法ではないのだ……
ところが、
ドンッ!
「ッ⁉︎」
突然、禽獣が何かに衝突してしまった。
余りにも急で、そして余りにも強固で、スキュートの左腕を咥えていた嘴を開いてしまった。
捕らえられていた彼は自由になり、そのまま池へ落ちた。
ドボォーン!
そして、衝突によって飛行する体勢が崩れた禽獣も大きな音を立てて池へ落ちた。
ドボォォォーン!
水面に、大小二つの飛沫が同時に起きた。
突然の墜落……
原因は空中で〈何か〉にぶつかったからだ。
一体何にぶつかったのかと問われても〈何か〉と表現するしかない。
それは、見えない透明な壁だった。
禽獣は突然現れた透明な壁にぶつかって落ちたのだ。
まるで事故に遭ったかの様に。
そんなことができるのは——魔法だけだ。
いつも失敗している。
けれども今日は違う。
スキュートはいま、障壁の魔法に成功したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます