第10話「指導」

 指導役ハリムによる〈合わせ技〉の披露が終わった。

 次はスキュートの番だ。

「さあ、やってみろスキュート!」

「うん!」

 いままで失敗続きだったのは、単なる呪文の暗唱だったからだ。

 でも今度は大丈夫。

 呪文だけでなく、魔力を高めることを習ったのだ。

 魔力とは思いの力である。

 ここに間違いなく壁があると信じるのだ。

 さすれば〈障壁〉は成功する。

 必ず!

 スキュートは呪文を唱えつつ、心の中で念じた。

(障壁がある! 必ずある! 絶対ある!)

 心とは不思議なものだ。

 思っているだけで、そこに壁があるような気がしてくる。

 ——きっとこれが思いの力なのだ。

 呪文と魔力が揃った今回こそ、初めて障壁が成功するに違いない。

 スキュートは確信していた。

「じゃあ、いくぞ!」

 ハリムは小石を拾い上げ、振りかぶった。

 さっきとは逆に、スキュートへ投げる番だ。

 どうせ障壁で防ぐのだ。

 石の大きさは人間の頭大でも良かったのだが、今回は小石にした。

 あくまでも今回は初めての魔力の練習なのだ。

 飛んでくる石が大きすぎると、せっかく高めた魔力が恐怖で消えてしまうかもしれない。

「いいよ!」

 集中!

 集中!

 集中!

 スキュートは掌を前へ向け、透明な壁に意識を集中していた。

 この光景を見ている者は、誰も異議を唱えたりしない。

 皆が認める。

 これこそが彼の人生初、魔力を上昇させている集中なのだ。

(大丈夫そうだな。よし!)

 ハリムも安心して、振りかぶった体勢から一気に投げた。


 ブンッ!


 狙いはスキュートの掌だ。

 さっきのように逸れたりせず、石はまっすぐ飛んでいった。

 ところが……


 バシッ!


「っ⁉︎」

 掌の真ん中に命中した石を受け止めてしまった。

 障壁が展開していない……

「お、おい……」

「あ、えっと、あれ? おかしいな」

「気にするな。二投目いくぞ!」

「お、おお!」

 再び集中と詠唱を終わらせ、ハリムは二投目を投げた——が、失敗。

 肩に当たって鈍い音がしただけだった。

「痛っ……え? え?」

 スキュートは軽い混乱に陥りそうだった。

 意識の中で壁がそこにあるのに、石はすり抜けて彼に当たった。

 なぜ⁉︎

 しかしハリムが一緒に悩むことはなかった。

 繰り返すが、魔法を魔導書などで学ぶことは大事だ。

 同時に、意識の中でできた魔法の対象に魔力を込めることも大事なのだ。

 障壁の呪文は完璧なのだから学びは十分だ。

 悩むことはない。

 あとは魔力を込めるだけなのだから。

 では、どうやるだが、ハリム曰く——

「やるしかない」

「……は? え? ち、ちょっと……」

 そう、やるしかないのだ。

 障壁が出現しているのか否かは、石投げで確かめるしかない。

 魔力が十分なら障壁に力を持たせることができ、石を防げる。

 できないなら、スキュートに石が当たるだけだ。

 魔法とは、能力を最初から持っているか、持っていないか。

 それだけなのだ。

 とはいえ、ハリムはその理屈が嫌いだった。

 初めは能力がなかったとしても、後から開花する魔法使いがいてもいいじゃないか! ——と思っている。

 だから石を拾った。

 拾ったのは一つではない。

 持てるだけだ。

「どんどんいくからな、スキュート」

 一つは右手で取り、残りを左手で持った。

 ハリムは障壁が失敗した原因に心当たりがあった。

 原因は、真実味がないからだ。

 真実味……

 そこに透明な壁があると、本当に信じられるだろうか?

 無色透明で強固な素材なんて、どこの職人も作り出せたことがないのに。

 結局、自分で生み出そうとしている障壁を自らが信じられずにいるのだ。

 信じていないことを思い浮かべているだけなら、それは魔法ではない。

 絵空事だ。

 何とかして絵空事ではなく、彼にとっての真実にならなければ……

 そのために石をたくさん集めたのだ。

「とにかく本当にあると思えよ。早くな」

「え……あの……」

 ハリムの言う通りだ。

 方法などない。

 とにかく本物の障壁だと思えれば良し。

 魔法使いとしての道が始まる。

 どうしても絵空事としか思えないなら魔法使いの素質はない……

 でも、たった一日で素質がないと決めつけるのは早すぎないか?

 だから石を何個でも投げてやるのだ。

 石を防ぐその瞬間が訪れるまで。

「いくぞ!」

 ハリムは三投目を投げた。


 ブンッ!


 ハリムは投石が下手ではないので、まっすぐ前へ飛ばすことはできる。

 今回も投げた方向へまっすく飛んでいった。

 しかし得意ではないのだから、狙った箇所へ精密に当てることはできない。

 彼が狙ったのは掌だったが、実際に飛んでいったのはスキュートの顔面へだった。

 これを防げるのは障壁のみ!

 石は、掌の前に展開された障壁によって……防げなかった。

 何事もなく、掌の横を素通りしていった。

 勢いを減らせるでもない、軌道を変えたのでもない。

 三投目の石はまっすぐ顔面へ飛んでいき、


 ゴツン!


「ぐあっ!」

 スキュートの悲鳴が上がった。

 命中したのは鼻と左頬の中間辺りだった。

 またもや障壁の出現に失敗した。

 いまは弱くてもいい。

 薄っぺらくても構わない。

 とにかく出現させなければ魔力を込めようがない。

 だから繰り返すのだ。

 ハリムにあきらめるつもりはない。

 スキュートに魔法の感覚が備わるまで。

 四投目——

「うぐっ!」

 今度も障壁は成功せず、石は額に命中した。

 五投目——

 また障壁が失敗……いや、もう面倒だ。

 石を投げれば「ブンッ!」と唸りを上げるし、命中すれば「ゴツン!」と鈍い音が続くのだ。

 よって結論を記すことにする。

「は、鼻血が! 鼻血が!」

 六投目——

「ぐぼぉ!」

 七投目から一〇投目——

「痛い! 痛い! 痛い!」

 こうして障壁の魔法練習は続いているのだが、これは本当に魔法練習なのだろうか?

 スキュートは次第にわからなくなってきた。

 わからないまま飛んでくる石に耐えられず、一歩後退し、二歩後退し……

 互いに向き合っていた姿勢から半身の体勢へ。

 そして半身から完全な後ろ向きになって駆け出した。

 つまり逃走だ。

 ハリムは「なぜ逃げるんだ⁉︎」と追いかけながら石投げをやめない。

 一方、スキュートは「あれ⁉︎ あれ⁉︎」と首を傾げながらも必死で逃げ続けていた。

 疑問に思う。

 確か、今日から魔法使いの道が始まるはずだったのに、どうして自分が逃げているのだ。

 まるでケイクロイでの百たたきの時のように……

 ……でも、その答えが見つかることはないだろう。

 意識の中で作った透明な壁は、最後まで現実になれなかったのだ。

 例えば、その壁を殴ってみると、拳に痛みが残るか?

「ゴンッ!」という音が聞こえるか?

 魔法使いが無から有を生み出すのは、それほどまでに具体的なことなのだ。

 スキュートにはできなかった……

「待てえええっ! スキュートオオオォ!」

「ひっ!」


 ギニ族の集落、昼——

 集落は昼食の時間になった。

 朝のパンを昼も焼いているが、それだけではない。

 焚き火の上で大きな肉を焼いている。

 こんがりと焼けて、おいしそうな匂いが集落中に漂っていた。

 大きな肉は、昨日の傭術師が狩りで手に入れた物だ。

 リッサのことではない。

 別の傭術師も狩りに出ていて、中型モンスターを仕留めたいた。

 大きさは八エールトほど。

 全身、橙色の毛皮に包まれている猫科の猛獣を思わせる。

「思わせる」と曖昧な表現になるのは脚が八本だったからだ。

 まるで蜘蛛のような虎のモンスターだ。

 蜘蛛虎「アラクタイガー」という。

 自分より小さな相手を捕食し、人間も容赦なく襲う。

 けれども昨日は狩られる立場だった。

 傭術師に獲物として捕らえられ、今日は集落で焼肉になっていた。

 そろそろ食べ頃に焼けたらしい。

 皆一列に器を持って並び、切り分けた肉を受け取っていった。

 スキュートとハリムもそれぞれ受け取って座った。

 前にはリッサが座り、先に食べていた。

「リッサ、ちょっといいかい」

「?」

 ハリムはすぐには食べ始めなかった。

 頼みがあるのだ。

 それは、

「スキュートに傭術を教えてやってくれないか」

 彼女は驚きで目が丸く——というほどでもないか。

 食事中で伏せていた目が少し開いただけだ。

 それにしても、

「どうして? 魔法ならアンタが——」

 その通り。

 魔法を教えるなら、ハリムがいるはずなのに。

 どうして魔法をやめて傭術なのか?

 彼女はスキュートの気が変わったのか、と尋ねた。

 しかし違った。

 気まぐれで傭術に変えようと言っているのではない。

 なぜかと言うとスキュートは、

「魔法の才能が全然なかったんだ」

「っ!」

 ハリムの隣で食べていたスキュートが止まってしまった。

 さっきの魔法練習において、彼の才能が出ることはなかった。

 一度も……

 だから魔法はあきらめて、傭術にしようということなのか。

 リッサは不愉快だった。

 傭術はそんな手軽なものではないのだ。

「い、いや、そういう意味で言ったわけではなく——」

 ハリムが慌てて言い訳を述べようとするが、彼女は取り合わなかった。

 不愉快だから、というのもあるが、もっと気になることがあるのだ。

「ねぇ……」

 彼女は視線をスキュートへ移した。

「どうしてそんなに怪我をしているの?」

 頭はコブだらけ、顔のあちこちがアザだらけ。

 朝、二人で集落から離れ、昼前に帰ってきた二人の内、スキュートだけが怪我だらけだった。

 魔法練習の指導のはずが、イライラして痛めつけてしまったのか?

 彼女はそう推測していた。

「違うよ、そうじゃなくて——」

 そうじゃない、という言い訳の常套句が続く。

 でも違うとは言い難かった。

 集落は傭術師たちを送り出すと、昼まで静かになるのだ。

 だからよく聞こえていた。

「そこかーっ! スキュートオオオォ!」

「助けて、助けてーっ!」

 という怒号と悲鳴を。

 これは一方的な暴行ではないか。

「ご、誤解しているぞ、リッサ」

 ハリムの弁明は懸命だったが、もう無駄だった。

 魔法の初練習は静かだと、皆が知っている。

 もちろんリッサも。

 最初から才能があるかないかを見極めるための練習だ。

 静かですぐに終わるのは当然だった。

 冷たいのではない。

 魔法の萌芽とはそういうものなのだ。

 それなのにもっと才能が出る機会を増やしてやろうとするから怪我が増えるのだ。

 誤解されるようなことをしたハリムが悪い。

 要するに、魔法の芽は出なかったので傭術で試したい、ということなのだ。

 言い訳を並べ変えても、内容は何も変わっていなかった。

「……私たち傭術師に失礼じゃないかしら」

「あれ? あれれ?」

 ハリムは混乱してしまった。

 どこで言葉を間違えてしまったのか……

 高位の魔法と下位の傭術だなどと見下してなんかいない。

 失敗した魔法は捨て、まだ失敗していない傭術に挑戦してみたいだけなのだ。

 でも完全に誤解されてしまったようだ。

 どうしようかと思案している時だった。

 助っ人が現れた。

「教えてあげればいいじゃないか、リッサ」

「リマ兄(にぃ)……」

 後ろから笑顔で声をかけられ、彼女は振り向いた。

 リマ兄——

 というのは通称であり、本物の兄妹というわけではない。

 正式にはリマルカタという男性だ。

 年は二〇代後半、というよりそろそろ三〇に入る頃だ。

 細身の筋肉質なので精悍な印象を受ける。

 そして勇ましいのは印象だけではない。

 実際に勇ましいのだ。

 部族衣装の帯はリッサと同じ赤なのだが、兄のだけ黒線が刺繍されている。

 赤は傭術師、黒は狩人を表している。

 両方を兼ね備えている者が部族の戦士だ。

 中でも特に優秀な兄を皆が信頼している。

 リッサも尊敬している。

 その兄から「教えてやれ」と言われたら断れない。

 単なるお人好しの笑顔ではないのだし……

 兄は笑顔の裏で「傭術が下位の術か、試しにやってみな」と腕を試すつもりなのだ。

「教えてやれ」とはそういう意味だ。

 理解したリッサは溜め息を一つ吐いた。

「わかったわよ。昼が終わったらね」

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