第8話「決心」

 大陸西部低山地帯——

 禽獣グリフォン討伐に来たフェイエルム軍歩兵隊は、午後から捜索を出していた。

 討伐対象の捜索どころではない。

 さらわれたスキュートの捜索を優先していた。

 馬と違い、捜索隊は歩兵なので草むらをかき分けて進める。

 二八四人を本隊として残し、捜索隊は五人ずつ三隊で出発した。

 飛行する禽獣を山陰で見失ったが、その後に奴は一体どちらへ行ったのか。

 東には行かないだろう。

 奴にとっても危険な中央部だ。

 行くとすれば南東か?

 それとも南南東か?

 結局進路は変わらず、真っ直ぐに南か?

 奴の選んだ進路が不明なので、三隊は各方位に分かれて進んで行った。

 草をかき分け、斜面を通り……

 進んだ先で見つけたのはスキュートではなく、モンスターだった。

 この辺りはまだ大陸西部ではあるが、フェイエルムの辺境を越えてきたので中西部に近い。

 中西部にはまだ大型モンスターを狩る化け物は出てこない。

 出てはこないのだが……

 代わりに、その手前の個体が頻繁に現れるのだ。

〈その手前〉とは、化け物の手前という意味だ。

 つまり、強敵が当たり前のように出てくる地域なのだ。

 これらを倒しながらなので、思うように先へ進むことができなかった。

 気がかりは他にもある。

 それは——

「ハァ、ハァ……終わったな」

「……ああ」

 捜索隊の疲労だった。

 いま、モンスターを撃退したところだが、これが一回目ではない。

 出発してから何回目の戦闘だろうか。

 疲労は恐ろしい。

 今回は五人共無事だったが、次回ではついに負傷者が出てしまうかもしれない。

 でも、次でとうとう動けないほどの重傷者が出たらどうする?

 仲間が一人で背負うにせよ、二人で運ぶにせよ、モンスターは重傷者と救助者の組み合わせを獲物として狙うだろう。

 ……潮時だった。

 まだ死傷者が出ていない。

 いまが引く時なのだ。

 時刻は夕方——

 南東から、南南東から、最後に南から本隊に戻ってきた捜索隊は手ぶらだった。

 隊長は決断した。

「引き揚げるぞ!」

 東を向いていた歩兵隊は回れ右をし、西へ移動を始めた。

 まだ夕方になったばかりで空は明るい。

 でも、真っ暗な夜はすぐにやってくる。

 夜になると夜目が利くモンスターが出て危険だ。

 だから夕方のうちに早く辺境の街へ帰るのだ。

 つまり、スキュートのことは諦めるということだった。

 さっきまで「助けて!」と元気だったのに……

 歩き続けている歩兵の声は暗かった。

「あいつ、弱虫が俺たちに後れをとるまいと必死だったな……」

「ああ……」

 皆の中で思い浮かんでいることは一緒だった。

 怖がりのくせに諦めない弱虫。

 それがスキュートだった。

 訓練の時は「許して!」と叫び、実戦の時は「助けて!」と叫んでいた。

 でも明日には「今度こそ!」と立ち直って陣形に加わる。

 弱虫と渾名をつけてはいたが、彼がたくましい精神の持ち主であることを皆が知っていた。

 とはいえ……

 精神が素晴らしくとも、小柄であることはどうにもならなかった。

 今度こそは攻撃を防ぎきってみせると勇気を出しても、小兵にとっては受ける攻撃が悉く強烈だった。

 最後は勇気が折れてしまうのだ。

 だから訓練で筋肉をもっと鍛え、敵を弾き飛ばせるようになって欲しかったのだが……

 しかし、隊長の考えは皆と違っていた。

 いくら筋肉を鍛えても小兵は小兵なのだ。

 盾での押し合いにおいて、小兵の軽さでは常に負ける。

 故にミスリル歩兵の道は早く諦めさせ、他の道に転向させるべきだった。

 ミスリル装備を作る工房の職人とか、軍の脇役だが魔法使いとか。

 主役の歩兵でなくなることを、彼は頑なに拒むだろう。

 それでも厳しく受け入れさせるべきだった。

 そうしなかったから彼は死ぬことになったのだ……

 皆、静かに歩いていると日が沈んでいき、前方に灯りが見えてきた。

 辺境の街だ。

 本日はここに宿泊する。

 次第に大きくなっていく灯りと一緒に皆の気持ちは高まっていった。

 明日は弱虫の敵討ちだ、と。

 …………

 ……その弱虫スキュートはギニ族に助けてもらっているのだが。


 ***


 ギニ族の集落、夜——

 仰向けで寝ていたスキュートは、パチパチと爆ぜるたき火の音で気がついた。

 ——ここは?

 単眼巨人を見て意識を失っことまでは覚えているのだが、確か外だったはずだ。

 いま寝ていたところは……テント?

 辺りを見渡すと、たき火の近くに男が座っていた。

 男もスキュートに気がついた。

「よう、起きたか」

「あんたは?」

「俺はハリムだ」

 ハリムとリッサは〈あの後〉助けた者を連れて、ギニ族の集落へ戻っていた。

 あの後とは、池でスキュートがモンスターに連続で襲われ、最後は至近で単眼巨人を見て気を失ったことだ。

 いや、自然に気を失ったのではなく、ハリムが〈眠りの雲〉で強制的に眠らせたというのが正しいか。

 だって、救助しようとしているのに錯乱していたから……

 錯乱している者が森の奥へ駆けて行ってしまったら危ないではないか。

 魔法という手段は手荒かったかもしれないが、安全にギニ族の集落へ運ぶ必要があったのだ。

 そこまでを説明してもらい、状況を理解できたので自己紹介することにした。

「スキュートだ」

 互いの名前がわかり、そしてもう一つのこともわかった。

 襟足の三つ編み——

 二人はフェイエルム人だった。

「あんたも⁉︎」

「おまえも⁉︎」

 ここはフェイエルム領から遠く離れているギニ族の集落であり、二人はミスリル歩兵と魔法使いだ。

 意外な場所で同胞に出会えて嬉しい——ことではあるのだが……

 話はそこで終わらなかった。

 互いに何者なのかがわかったら、次は二人がどうしてこの辺りにいたのかだ。

 ハリムの説明は簡単だった。

 辺境で薬草を探していた魔法使いが飛竜ワイバーンにさらわれてしまった——

 そういうこともあるだろう。

 魔法使いは〈脇役〉なのだから、助かったことを素直に喜べる。

 続いて、スキュートが説明する番だ。

 ところが、

「どうして……か」

 彼の表情は曇ってしまった。

 曇るということは心が苦しいということだ。

 正規軍歩兵隊の一人が大陸西部で禽獣にさらわれてしまった——

 ミスリル歩兵は〈主役〉なのだ。

 主役が脇役を助けることはあっても、逆はありえない。

 それどころか歩兵の誇りともいうべき装備をすべて池に捨て、モンスターに連続で襲われ、泣いて叫んで気絶した。

 ついさっきの出来事を説明するのは簡単だが、恥をさらすことでもあった。

 それが苦しくてスキュートはふさぎ込んでしまった。

 とはいえ、ごまかすことはできない。

 ハリムが言っていた。

 錯乱していて危ないから魔法で眠らせた、と。

 恥の現場を彼に見られているのだ。

 とっくに。

「…………」

 諦めて話すしかなかった。

 禽獣にさらわれたところから。

「俺がどうしてこの辺りにいたのかというと——」

 スキュートは正直に話し始めた。

 正規軍の歩兵である者が、討伐するはずのグリフォンに池まで連れてこられたのだ。

「それで必死に泳いでいたのか……あれ?」

 そこまでうなずいて聞いていたハリムだったが、最後の部分で首を傾げてしまった。

 スキュートの話によれば、禽獣に嘴で捕えられ、池の上空を飛行していたという。

 では、どうやって嘴から逃れたのだ?

 逃れられなければ、ほとりまで泳ぐことはできない。

 禽獣の大きな嘴を人間の力で開かせるのは無理だ。

 たとえ屈強なミスリル歩兵でも。

 だから疑問なのだ。

 小兵が一体どうやって?

 スキュートの答えは、

「どうやってと尋ねられても……空中で何かにぶつかったとしか……」

 と、彼自身も首を傾げてしまう答えだった。

〈何か〉では質問に対する答えとして要領を得ない。

 されど、ハリムには空中でぶつかったという〈何か〉の正体が浮かんできた。

 それは——

 池の水中にいた多頭竜ヒドラの仕業だったのだ。

 …………

 ……水中なのに空中でぶつかる?

 ハリムの仮説はこうだ。

 きっと禽獣の高度は低かったのだ。

 それを見つけた水中の多頭竜が空中の脚に絡みついた。

 おそらく、これが〈何か〉の正体だ。

 飛行中の急停止はスキュートにとって〈何か〉にぶつかったと錯覚するほどの衝撃だったのだ。

 嘴から彼を落としてしまうほどに。

「そうか……そうなのかもしれないな」

 ハリムの仮説にスキュートも賛成した。

 ……本当は違うのだが……

 正しくは、空中で初めて成功した〈障壁〉に激突したのだ。

 しかしスキュートに成功した実感はないし、ハリムも彼に魔法は無理だと最初から考えていた。

 魔法はフェイエルムの脇役、魔法使いが身につけるもの。

 強い主役、ミスリル歩兵に魔法など必要ないものだったからだ。

 不幸にも二人の見解は一致しており、仮説が違っていることに気がつく余地は残っていなかった。

 こうして疑問についてわかった。

 けれども明解してスッキリしているのはハリムだけだった。

 対してスキュートは暗く、膝を抱えてふさぎ込んでいる。

「ど、どうしたんだよ?」

「…………」

 尋ねたハリムだったが、すぐに彼がふさぎ込んでいる理由に気がついた。

 ——もしかして〈眠りの雲〉が効きすぎてしまったか?

 眠りの魔法は力加減が難しい。

 一人前が相手を眠らせるだけならすぐにできるが、問題は起きる時だ。

 起こす予定時刻にうまく効力を消せない。

 よって叩き起こすしかないのだが、訓練で体験した者には良くわかる。

 魔法が効いている最中の目覚めは最悪の気分だった。

 これらを解決できているのが上級者なのだ。

 ハリムはまだ一人前になったばかりだった。

 彼は照れ臭そうに後頭部を掻きながら、

「すまなかったな。師匠みたいに——」

 上手でないことを謝ろうとしたのだが、スキュートは首を横に振った。

 別に、目覚めの気分が最悪だったわけではないのだ。

 自然に起きたのだから。

 それよりも、

「……あのさ、俺……」

 起きてから、決心したことがあった。

 急な思いつきではない。

 ケイクロイにいたときから考えてはいたのだ。

 自分のような小兵にミスリル歩兵は向いていないのだと……

 これまで、ずっと考えないようにしてきた。

 逆に心を奮い立たせてきた。

 今日は弱虫でも、明日は必ず屈強になっている、と。

 でも、もうダメだ……

 モンスターに連続で襲われた時、とにかく怖かった。

 逃げて、泣き叫んで、最後は気絶してしまった。

 あんな姿は——

 フェイエルムの勇者ではない!

 体格に恵まれない弱虫が〈主役〉にしがみついているからみっともないのだ。

 やっと決心できた。

 その気持ちをハリムに語る。

 みっともない姿をさらさず、魔法使いという〈脇役〉の道を選んだ潔い彼に。

「俺、ミスリル歩兵をやめようと思う」

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